第6話 マリー、カレンディアで目覚める。
次に目が覚めたとき、見知らぬ天井があった。いつものベッドではないところで寝ていたのだ。
「ああ、マリー! 目が覚めたのね」
見事な銀髪の女性が目を覚ましたわたしを見て、ベッドの脇に置かれた椅子から立ち上がった。そして、大粒の涙を流し始めた。
初めて見る女性……ではない。これが聖女グレイツィア様の「本当の姿」だ。手も顔もしわくちゃで、声にも張りがなくて、それでも優しい顔は健在だ。
「おかあ……さん」
聖女様は驚いた顔をした。そうだろう、聖女様にとって、本当の姿でわたしと会うのはこれが初めてのはずだ。
「おや、マリーちゃん目が覚めたのかい? 良かったねぇ、クレアさん」
ガバッとドアが開いて、エプロン姿の大柄な女性が入ってきた。波打つ赤毛を後ろで一つに結んでいる。
「マリーちゃん、お腹空いたかい? スープでも持ってこよう」
「マルタさん、ありがとうございます」
女性はドスドスと音を立てて出て行った。そしてしばらくして、また音を立てて戻ってきた。
「ほら、スープだよ。少しずつ食べるんだよ」
木の器に入っているのは、野菜とお肉が少し入ったスープだった。よく煮込まれているのか、具はとても柔らかく、……個人的な好みとしては、塩コショウか何かがほしくなる味であった。しかし、せっかくの厚意を無にするわけにはいかない。今三歳児でも、もとは大人なのだ。
「おいしい……。ありがとう、ええっと……」
「あたしはマルタだよ。カレンディアで宿屋のおかみをやってんだ。マリーちゃん、ばあちゃんに感謝するんだよ。あんたのばあちゃん、ずっと寝ずに看病してたんだ」
「マルタさん、おばあちゃんじゃないよ。私のお母さんなの」
マルタさんは一瞬、えっというような顔をしたが、そういうこともあるさね、とまた部屋を出て行った。
「あなたはもう一週間も寝ていたのよ」
い、一週間! その間、聖女様はわたしを看病し続けたのだろうか?
「もう、起きてこないかと思ったわ……」
「お母さん、ごめんなさい」
そう言って涙ぐむ聖女様の顔に、ベッドの中から手を伸ばした。小さな手で涙をぬぐう。
「でも……よかったわ。あなたはわたくしの宝物だもの」
お母さんは、わたしに向かって微笑んだ。そして、不思議なくらいきらきらとした目をして話し始めた。
「マリー、見て? このサークレットはね、フェルナンドがくれたのよ。特別製なの。あなたにあげるわ」
フェルナンドよ、女性にプレゼントするなら、もうちょっとおしゃれなのにすればいいのに。飾りっ気も何もない、平たい金のサークレットである。
「フェルナンドはね、きらきらしていて、王子様だったわ……」
わたしが会ったこともないフェルナンドを心の中でディスっていると、お母さんはのろけだした。珍しいこともあるもんね。
「わたくしの剣はね、褒美で下賜されたものなの。何だって切れるわ。これもあなたにあげる」
あのロングソードは、かなりいい物だと思う。シンプルな十字型の剣ではあるが、鞘だけは凝っている。真っ白な鞘の両端だけが金色だ。ぱっと見、剣同様装飾がないように見えるが、触ってみると、細かな模様が刻まれている。そこらの町の武器屋で買えるようなものじゃ無いと思っている。
「マリーとわたくしのお揃いのピアス。これはわたくしが作ったの。学園での実習だったかしら。外国語が分かるようになるのよ……もっとも、もう意味は無いけどね。両耳に付けてあげる」
そう言うと、お母さんはわたしのもう片方の耳にピアスを付けてくれた。三歳児にはちょっと大きい気がするが、不思議と重さは感じない。
「そしてこれは、マール教の聖印よ。わたくしがマール教に改宗したときにいただいたの。マリエラさまがお守りくださるわ。そして……」
お母さんは、いつも首から下げているペンダントを、わたしの首にかけてくれた。そしてぎゅっと抱きしめてくれた。わたしの好きな時間だ。お母さんの体温、あたたかい。
「クレアさん、夕飯の時間だよ。あんたも疲れただろ……って、ちょっと!クレアさん!?」
お母さんと話しているうちに、外はすっかり暗くなっていたようだ。マルタさんが夕食に呼びに来た。わたしはお母さんの膝の上に移動しており、胸に顔をうずめていた。柔らかくて、あたたかい感触。
「マリーちゃん、クレアさんはもう……」
マルタさんが何かしゃべっている。わたしは何も聞こえなかった。
なぜか偽名を使っている聖女様。