第55話 マリー、結界内を走り回る。
「マリー、眠るどころじゃなくなったねぇ」
シーナさんが、コップを持ってやってきた。
「怪我人はまだ出てないが、精神の不調を訴える人は多いさねえ。あたしらには話を聞いたり、気持ちの落ち着くアロマを焚いたりしかできないがねぇ……」
差し出してくれたコップには、温かいお茶が入っていた。りんごのような甘い香りがして、心が落ち着く……さらに増えた結界にぶつかる幽霊さえ見えなければ、このままぐっすり眠れたかもしれない。
「まあ、増えた幽霊がどんどんこっちに来れば、そのぶん外の三人が安全になるけどねぇ。気持ちのいいものじゃないね……」
フェルナンドさんによると、幽霊たちの狙いはわたしたち避難所の人たちらしく、マルタさんと、ジェイムズさんアイリーンの見回り二人組はすでに合流して、そのまま囲みを突破したらしい。で、今は外側から幽霊たちを攻撃中だとか。フェルナンドさんの魔力探知力、すごすぎでしょう!?
(もうすぐ加勢と合流するぞ。眼鏡の神官と、孤児院の娘だ。タリアンテはソーレ教の宝剣だから、都合がいいな)
えーっと、エドワード神官とエミリアかな? フェルナンドさんに限って人の名前を覚えていないということはないんだけど、名前で人を呼ぶことはない気がする。実力を認めた人だけ名前呼びになるとか、そんな感じなのかしら?
けっこうめんどくさい性格のフェルナンドさんだけど、実力は確かだし、なんだかんだで親切にしてくれるので、実はいいサークレットなのかもしれない。
(お前に何かあると、サークレットのわたしの宿主がいなくなるからな。魔力を限界まで搾り取ってでも、お前のことは守ってやる)
……、きっと照れてるだけよね。大量の幽霊に囲まれているという現実を見つめたくなくて、ついフェルナンドさんとの掛け合いを楽しんでしまっているわ……。フェルナンドさん、声だけは無駄にいいし。
そしてそれは周りのみんなも一緒らしく、意外にみんな落ち着いてる感じだ。もしかしたら、結界の力を全面的に信頼しているのかもね。アロマだって万能じゃないわけで、それだけでここまでは落ち着けないだろうし。あ、またマジック・ポーション差し入れしなきゃ。
「マリー、得た情報はあんたの判断で発表しちまいな。みんなを安心させてやるんだよ」
(そこのドワーフの言う通りだ。一人でも騒ぎ出すと、それが連鎖して収拾がつかなくなるぞ)
「うん、分かった。マルタさんたちは幽霊の囲みを突破して、後ろから叩いてる感じ。エドワード神官とエミリアが加勢に来て、今合流したみたいね。エドワードさんは魔法剣を持っていて、それが幽霊たちにかなり効いてるみたい。どんどん数を減らしているわ」
わたしはポーションのコップを差し出しながら、アンソニーさんにそう伝えた。三歳児のわたしが言うより、魔法使いのアンソニーさんに言ってもらった方が信憑性があるもんね。アンソニーさんはわたしの額を見ながら頷くと、周りに伝えてくれた。歓声が上がり、わたしはほっとする。
それからどれくらい経っただろうか、あれからしばらく沈黙していたフェルナンドさんが、唐突に話しかけてきた。
(マリー、そこの魔法使いだがそろそろ限界だぞ)
(? さっきポーションを飲んでたよ?)
シーナさんと交互に、ポーションの差し入れをしている。頭上の幽霊はずいぶんと数を減らしていて、もう数えられるくらいだ。それで気持ちの余裕ができたのか、寝ている人も多い。……それでも十数匹はいるのに、みんな肝っ玉が太いわね……って、幽霊の数え方って何かしら?
(魔法は、魔力もだが精神力も使うのだ。慣れない者が長時間使うのは難しい)
(アンソニーさんが倒れたら、結界が維持できないの?)
わたしは青ざめた顔でアンソニーさんを見た。わたしの考えてることが伝わったのだろうか、力ない笑顔を浮かべこう返された。
「ははは……でもまだ大丈夫。ぼくも地獄の特訓を乗り越えたからね、昔よりは根性がついたはずさ。ぼくの肩にみんなの命が掛かっていると思うと、この程度……」
魔道具自体に元から溜めていた魔力はすでに無くなっていて、今はアンソニーさんの注ぎ込む魔力だけが頼りなのだ。
(フェルナンドさん、わたしたちにできることはないの?)
(魔力を魔道具に流すのは……まあ、少しコツがいる。そして、魔法使いとして訓練したことのないものが、長時間魔力を使うのは負担も大きい。もっとも、お前が刻印魔法を使えるなら、そこのセントラル・オーブの魔法式をもっと効率のいい物に書き換えることもできるがな)
無駄が多すぎると、ブツブツ文句を言うフェルナンドさんに、わたしは尋ねてみた。
(刻印魔法ってどうやって使うの?)
(魔法は神や精霊と契約し、彼らの力を借りることによって使える。刻印魔法は、書の神や文字の神などと契約することによって習得できる。神々の祠にお詣りするか、書や文字に多く親しむことにより、神々の目にとまるようにすれば、あちらから声をかけてもらえるだろう)
うーん、それって今どうこうなるようなものじゃないよね?
(わたしがオーブに魔力を流せるよう、コツを教えてくれない?)
わたしの問いかけに、フェルナンドさんはあきれ気味にこう告げた。
(お前の魔力量は少なすぎて、何の足しにもならぬな)
……。声も出ないわぁ。
(ところで、なぜ幽霊どもは、この建物を狙っていると思うか?)
(なぜって……人が多いから?)
(この幽霊どもは、すべて強さが同じだ。まるで型で抜いたかのようにな。そして自律的思考をせず、ただ何らかの目的を達成するために盲目的に動いている)
(えーっと、プログラミングされたとおりに動いてるってこと?)
(マリーよ、結界内を走り回るのだ)
よく分からないけど、とりあえず言われたとおりに結界内を走ってみる。百五十人近くを収容できるだけあって、わたしが走り回るだけのスペースはあるのだ。
(ふむ。思った通りだな。やつらが用があるのはお前のようだぞ)
……え?
フェルナンドさんがたまに沈黙しているのは、マリーの魔力が残り少なくなっているときです。元の持ち主の魔力が無尽蔵だったので、燃費がかなり悪いのです。彼は、マリーの自然回復分の魔力をコッソリちょろまかして、完全充電を目指しています。
町の人たちは平和ボケしているのか、結界に守られけっこうノンキな感じです。また、そういうマリーも、幽霊の数え方を考えたりするなど、ちょっとノンキ……。