第47話 マリー、自分語りをする。
「マイア司祭、……まだ寝ないの?」
わたしは恐る恐る声をかけてみた。というのは、何だか司祭に元気がないような気がしたから。
「あら、マリー……よい子は寝る時間ですよ」
マイア司祭が顔を上げた。髪を下ろして、眼鏡を外しているところは初めて見たかも。きついけれど整った顔立ちに、少し疲れがにじんでいる。
「マイア司祭こそ! ……またお酒を飲んでるの?」
「……大人にはいろいろとあるのです」
えと、冗談だったんだけど……本当にお酒だったみたい。そう言われてみれば、少し顔が赤い気がする。
「マイア司祭飲み過ぎだよぉ。何か心配事があるの? わたしが相談に乗ってあげるよ?」
わたしは前世の自分を棚に上げた。いや、でもマイア司祭のお酒は悪いお酒だ。お酒は楽しく飲むものなのに、ヤケ酒なんてお酒に対して失礼だ! ……まぁ、大人にはいろいろあるってことも知ってるけどさぁ……。
「ねぇ、マリー……あなたは『恩寵持ち』に対してどう思いますか?」
マイア司祭が、まっすぐこちらを見ながら言った……何となく予想はついていたけどね。シンシアやテオは、エミリアのことを今は羨望のまなざしで見ている。でも大人で、さらに言えば同業者のマイア司祭はどうだろうか? わたしが何て返そうか考えていると、司祭はさらに言葉を続けた。
「あなたはクレアさんやエミリア、二人の『恩寵持ち』と接していましたよね? ……ああ、もっともあなたはまだ三歳、そんなこと言われても困りますよね……」
「わたしが三歳で二人の『恩寵持ち』に出会ったなら、マイア司祭はどうなの? 今までにもっとたくさんの『恩寵持ち』に会ったんでしょ?」
「マリー、『恩寵持ち』はめったに出会えないものですよ。もっとも三大神以外の神さまの恩寵なら、受けている人はいるかも知れませんが」
三大神の恩寵は得がたいものなのですと、マイア司祭は付け加えた。え、じゃあこの短期間で二人の「恩寵持ち」と知り合っているわたしって、けっこうレアな存在? まぁ、チートキャラがそこらじゅうに転がっていたら、チートじゃなくなるけどね。
「わたくしは……わたくしは十五で助祭になり、十八で司祭となりました。これでも異例の早さだったのですよ……もっとも、クリスティアーノ高司祭様やアリスィ司祭に比べたら、大したことないのですが」
マイア司祭はそう言うと、コップのお酒を飲み干した。空になったコップにまた注ごうとする司祭を見て、わたしは慌ててそのコップを「癒やしの水」で満たしてあげた。マイア司祭はそうとう酔っているのか、わたしの行為にまったく気がつかない……って、ダメでしょ!!
「わたくしは幼いころにマール教の教えに出会い、マリエラさまに生涯を捧げようと思いました。わたくしの実家は裕福でしたので、教会に入ると言ったときはそうとう反対されましたが。家出同然でシスターになったのですよ」
そっか、マイア司祭って、いいとこのお嬢さんだったのか。ちょっと世間知らずなところはあるなとは思ってたけどね。
「わたくしは必死で努力しました……お嬢様の気まぐれと思われるのが嫌で。人の嫌がる雑用も率先していたしました。そして……聖職者として修行を積んでいったのです」
コップの水を飲むマイア司祭。そして空になったコップをまた「癒やしの水」で満たしてあげるわたし。司祭の向かいに座っているのに、遠距離でコップを満たせるわたしって、なにげにすごくない? ……わたし、魔法の威力や性能とかよりも、便利方面に成長していってる気がするわぁ……。
「わたくしは一時期うぬぼれていました。自分はもしかしたら『恩寵持ち』ではないのかと……本当に愚かですよね。本物の『恩寵持ち』は、こんなものではなかったというのに……」
そう言うと、マイア司祭の上がり気味の目から大粒の涙がこぼれていった。わたしは減ったコップをさらに満たしながら言った。
「マイア司祭、若いころっていうのは、妙な万能感があるんだよ……。自分は何者かであるっていうようなね……でも、普通の人はやっぱり何者でもないんだ」
三歳児にそんなことを言われて怒り出すかなとも思ったけど、マイア司祭は静かにわたしのことを見つめた。
「ええ、そうですよね、マリー。何者でもないわたくしには、努力するくらいしかありません……徒労に終わるのかも知れませんが……」
さらに落ち込んでしまった司祭は、わたしの注いだ水を飲み干す……お手洗い大丈夫かしら?
「自分の目標を目的地だとすると、そこまでの乗り物が人によって違うんだ。お母さんやエミリアが早馬だとしたら、わたしたちみたいな一般人は徒歩みたいなね。でも、たとえ徒歩でも、いつかは目的地に着くんじゃないかな?」
「……わたくしでも目的地に着けるでしょうか……」
「うん……もちろん道に迷うことがあるかも知れない。でも、それこそお母さんたちの跡をたどっていけば、大丈夫なんじゃないかな。むしろ『恩寵持ち』たちを利用していかないと。お母さんの書いた本役に立ったでしょ?」
にやりと笑うわたし。マイア司祭は無言だった。わたしはさらに、畳みかけるように言った。
「そもそも努力できるだけですごいよ。世の中には努力もせず、口だけの人もいるでしょ? マイア司祭はもっと、自分に自信を持ったらいいよ!」
……ちょっと、ほんのちょーっと耳が痛いけれど、気にしたら負けよ!
「人と比べて悩むの、私もそうだった……地元ではちょっとした秀才だったのに、東京に出たら私くらいの人はたくさんいて。大人になってからも、私よりもずっとずっと若い子なのに、私なんかより遙かにすごい人っていうのは後から後から沸いてくるのよ。そして……私は今で言うブラック企業で体を壊し、地元に帰ったの。ちょうどマイア司祭くらいの時かな? でも地元だと、それぐらいの年齢の人はほとんど結婚しているのよね……。すごく居心地が悪かったわ。でもね、それでも前を向いて行かないといけないんだから、しんどいよね? 開き直りも大切よぉ。あ、あとね本を読むといいわよ、本。昔の文学とか、みんな悩みまくりじゃない! みんな一人じゃない……って、あれ?」
見ると、マイア司祭は机に突っ伏して眠っていた。……え、何? わたし一人で恥ずかしいこと延々と語ってたわけ? 今さらながら穴があったら入りたくなったけど、昔先輩と朝まで飲み明かしたときのことを思い出したわ。今はわたしが先輩の立場になれたのかな。
「マイア司祭、おやすみなさい」
わたしは司祭に上着を掛けると、お手洗いを済ませて布団にもぐりこんだ。