第39話 マリー、掃除のバイトをする。
「エミリア、マリー……いい加減甕に水を溜めるのはやめてちょうだい」
うわぁ、マイア司祭が怒っている。しかもかなり。ふと我に返ったエミリアとわたしはお互い顔を見合わせ、そして辺りを見回して絶句した。
孤児院の小さな台所、そこに水を入れておくための甕がいくつか並んでいるんだけれど、それはどれも、キラキラ光る水で満たされていた。ソーレ教の聖水である。一つにつき十リットルくらい入りそうだから……ええっと、五十リットルくらいの聖水がここにあることになる。……そりゃあ怒るよね。
「マイア司祭、申し訳ございません。聖水ができるのがうれしくてつい……」
「マイア司祭、ごめんなさい。ビンじゃ足りなくなったから、甕の水を捨てたのはわたしです……」
「もう、あなたたちは! それにしても、これだけの量どうしたらいいのかしらね」
ここはマール教の孤児院だ。まさかソーレ教の聖水を売るわけにもいかない。かといって、聖水を井戸の水のように畑に流すのもどうかと思うし……。
「なあなあ……それって飲めるのか?」
シンシアとテオが、心配そうにこちらをのぞき込んでいる。
「聖典によると、魔物よけ、アンデッドに対する攻撃、それに飲むと体力回復もできるらしいですわ。もっとも回復魔法のほうが効果は上なのですけど」
ああ、たしかあのいかついギルドマスターもそんなこと言ってたわね。ただ、光る水を飲みたいかと言われれば……ちょっと遠慮しときたいところね。マイア司祭とテオもビミョーな顔をしているから、きっとこちらの世界の人も同じ感覚ね。
「ねえ、二人の足下がきれいになっている気がするけど?」
シンシアの言葉にみんなで見てみる。わたしたちの靴が何だか妙にきれいになっている。くたびれ感は元のままなんだけど、まるで強力洗剤で洗ったみたいだ。
「もしかして……」
マイア司祭はコップで聖水をすくうと、壁にかけてみた。年季が入っていた木製の壁は、まるで新築当時のように輝きだした。
「ええっと、……邪を払うみたいな?」
「「……」」
わたしの言葉にみんな無言であった。そして、テオが何かを思いつき、口を開いたのを見て、我に返ったマイア司祭が叫んだ。
「み、みんなだめよ! ここはマール教の教会なのよ!」
「……でも、ぴっかぴかになるぜ。甕の水もなくなっていいじゃ……」
「だめなものはだめです!!」
「はあい……」
まぁね、普通に考えたらアウトだと思うわ。マール教の教会をソーレ教の聖水で洗うのもどうかと思うし、そもそも聖水をお掃除に使うのもね。ずいぶんと罰当たりだわ。シンシアも苦笑いしてるしね。でも、待てよ?
「たしかに聖水でお掃除するのはどうかと思うよ。でもね、町の壁を清めるのはどうかな? さっき姉ちゃんが魔物よけになるって言ってたでしょ?」
さっきとは一転、みんなの顔が輝きだした。うーん、みんなチョロ……善人ね。まぁ大きくなると、大義名分ってものが必要だもんね。丸く収めるというか。その点、わたしはまだ三歳だもん。
この後、マイア司祭が町に掛け合って、町の門の掃除の仕事をもぎ取ってきたわ。司祭、けっこうたくましいわぁ。そして午後からは門のお掃除となった。
◆◆◆◆◆
その日の午後、みんなで町の外へ向かった。いつもお世話になってるお店の人がリヤカーを貸してくれたので、それに甕を全部載せて出発だ。甕には木のふたをし、今回は使わないブラシも載っけて、偽装には余念がない。まぁ、けっこう目立ってる気もするけどね。
「おや、マイア司祭。みんなでお出かけですかい?」
門番のおじちゃんだ。
「ええ、町の門を掃除しようと思って」
「それはありがたい! ずいぶんと薄汚れてきちまってるからさぁ。ここはカレンディアの顔だし、キレイにしとかないと」
「では始めますね」
町の門は、二頭立ての馬車がゆっくり通れるくらいの幅で、高さはそうね、三メートルくらいかしら。けっこう大きな木製の門で、鉄で補強してある。
マイア司祭が甕のふたを開け、中の聖水をひしゃくで汲むと門に向かってかけた。わたしたちは形だけブラシを持って、掃除をしているふりをする。汚れがどんどん落ちていくのが面白い。流れ落ちるというよりは、消えてなくなる感じだ。
「半分くらいしか使わなかったわね」
甕の中をのぞき込む。扉二枚の裏表をきれいにしたけれど、たしかに半分くらいしか減ってない。あと丸々四つ甕があるんだけどね。コスパ良すぎでしょう!
「マイア司祭。では、外壁もきれいにしましょうか?」
「でもよぉ、壁全部は足りなくないか?」
「……じゃあなくなるまでやってみましょうか。甕が使えないと困りますからね」
それからみんなで聖水をかけていった。門番さんたちはというと、休憩小屋でおしゃべりをしている。ほんと、平和だわぁ。
「お、マイア司祭。門と外壁がきれいになりましたね! 嬢ちゃんたちも頑張ったなぁ! こいつはすごい!!」
六の鐘(十六時)が鳴るころ、聖水が全部なくなった。壁を見ると……外壁がツートンカラーになっているわ……。外壁は五メートル近くあるので、上の方には聖水が届かなかったのだ。外壁はレンガ製だから木製の扉ほどは目立たないだろうけど、やっぱり目立つ。でもさすがに疲れたわ。地面にみんな座り込んでいる。
「なぁ、エミリア。その水を雨みたいに降らせられないのか?」
テオがエミリアに無茶ぶりをした。さすがにツートンってカッコ悪いものね。でもエミリアも困ってるわよ。
「『聖なる水よ』!」
エミリアが神聖魔法を唱えた。え、もしかして困ってなかったの? エミリアの「聖なる水」は、水の玉となって外壁の上部に飛んでいったのだ。そしてツートンが解消される。え、何この攻撃魔法?
「では、外壁の向こうの端まできれいにしましょう」
「え、エミリア。あなた魔力は大丈夫なの!?」
マイア司祭が気遣わしげにエミリアに問うた。他のみんなも、口をぽかんと開けている。
「はい。魔力も回復してしまいましたもの。大丈夫ですわ」
「ああ……そうなの……」
そしてエミリアは、町のこちら側の外壁の端から端までをきれいにしてしまった。えーっと、二キロくらいあったよね? それからわたしたちは、例のごとくマルタさんの宿屋に夕食をとりに行ったのだった。
22年5月 門と外壁の大きさを変更しました。