第37話 マリー、ソーレ教の地雷を踏む。
「……ってことがあったんだよー」
「そうなんですね~。花びらむしりお疲れ様です~」
シーナさんと薬草摘みに行った四日後のことである。わたしはフーリアさんのところで本の書き写しをしていた。帰ってから三日間、延々と花びらむしりや薬草の処理をしたわぁ……まぁ、身から出たさびなんだけどね。
私が採った量にみんなあきれていたけど、手分けして全部持って帰ることができたわ。中でもエドワード神官はかなり無理して持ってくれたんじゃないかな? 冒険者ギルドで最初に会ったときは、頼りない感じだって思ってたけど。仲良くなれたのは収穫かも。お母さんについても新たな情報が手に入ったしね。
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「ねえねえ、エドワード神官。ローマリアってどんなところなの? 行ったことある?」
「ああ、ローマリアは全国民がソーレ教徒の国でね、真っ白な建物が建ち並ぶさまは壮観だよ。それにね……」
それからエドワード神官はローマリアの街並みについて延々と語り出した。……うん、すごく歴史のある素敵なところだってことは分かったわ。
「わたしのお母さんはローマリアの出身なんだよ」
「そうなんだ、お母さんのお名前は?」
「マリーの母ちゃんの名前はクレアだぜ」
テオが、ご丁寧にお母さんの偽名を教えた。まぁね、そうなるよね……。
「クレアさんか。うーん、ちょっと分からないなぁ」
だよね、そんな人いないもん。たぶん。
「お母さんの知り合いにグレイツィアさんって人がいるんだけど……」
試しにグレイツィアの名前を出してみた……まぁすぐ後悔したんだけどね。それまでにこやかだったエドワード神官の表情が一気にこわばったのだ。
「グレイツィアか……。その人はローマリアの人?」
「うーん。よく分からない、かも……お母さんがちょっと名前を出しただけだし……」
しどろもどろに答えるわたし。やば、地雷踏んじゃったかも? っていうか、ソーレ教地雷多過ぎじゃない?
「ローマリアでグレイツィアと言えば、『鋼鉄の処女』グレイツィアかな? もう百年近く前の人になるんだけどね」
え、何そのブッソウな名前。百年前だったら、お母さんは関係ないのかな? どうなんだろう?
「彼女は神聖騎士団の団長だった人だよ。そして『鋼鉄の処女』
と呼ばれていた……。魔法剣『切り裂くもの』の使い手で、歴代最強の団長だったんだ、もちろん今も含めてね」
「そっかぁ。そんなに強い人がいたんだね。でもずいぶん昔の人なんだね」
「うん、だからマリーちゃんのお母さんの知ってる人ではないかもね……グレイツィアは処刑されたし」
……え? またまた恐ろしげな話が出てきたわね。
「え? 騎士団の団長だったんだろ? 何で処刑されたんだ?」
「……うーん、ごめんね。処刑されたということしか分かってないんだ。もう百年も前のことだしね」
「文献も残ってないのかい?」
「ああ、文献は残ってないのですよ。何でも資料庫が火事になったとかで。それに、当時のいきさつを知る人ももういないですしね。かん口令もしかれたそうですし」
そう言うと、エドワード神官はわたしの目を見ながら続けて言った。
「だからね、マリーちゃん……ソーレ教徒にグレイツィアの名前は禁句なんだ。子どもにその名前をつけることも禁じられているしね。わたし以外に話すことはやめてくれないかな、トラブルの原因になるから」
「うん、分かった。ありがとう、エドワード神官」
◆◆◆◆◆
「あれ、どうしたんですか~? 何か悩みでもあるんですか~?」
「ううん、何もないよ。ちょっと疲れただけ」
ふぅ、エドワード神官との会話を思い出しちゃったわ。
「それにしても、話しながらでも手が止まらないなんて、マリーさんはすごいですね~。きっと書写の神さまに愛されているに違いないです~」
きらきらした目で、わたしのことをほめてくれるフーリアさん。美人にきらきらお目々でみつめられると照れちゃうわね。
「書写の神さま?」
「はい、世の中のすべてのものには神さまが宿っているんですよ~。実際に名前が知られているのは、三大神だけなんですけどね~」
外国、というか異世界で、やおよろずの神さまの話を聞けるとは思わなかったわ。フーリアさんによると、エルフ特有ではなくて一般的な考え方だそうだ。書写という行為自体にもそれをつかさどる神さまがいるし、ペンや紙にも神さまがいるんだとか。へぇ、何だか面白いわね。
「人の感情にも神さまがいるんですよ~。激しく感情が動いたときなんかは、注意が必要ですね~」
感情をつかさどる神さまは、たとえば怒りの神さまは「怒り」という感情自体を自分の力にするらしく、激しい怒りに対してさらに燃え上がるよう神力を注いでくるんだとか。感情は激しければ激しいほど、上質な「力」となるらしいから、神さまたちも必死ね。もっとも、ちょっとムカッとしたくらいの小さな怒りに対しては、何もしてこないらしいけど。で、怒りに飲み込まれた人なんかが、狂戦士になるらしいわ。……狂戦士怖いわね。遭いたくないわぁ。
わたしもお母さんが死んじゃったとき、悲しみの神さまに飲み込まれそうになってたらしいのよ。それを聞くと、無事に立ち直れて良かったわね、わたし。まぁ、感情の神さまたちは、「感情の上質さ」にこだわるらしいから、むやみやたらには神力を使わないらしいけどね。ちょっと安心したわ。
それから、もう何ページか書き写して、今日のお仕事は終わりになった。