第12話 マリー、宿屋でバイトする。 下
「お、マリー、昨日は気絶しなかったんだな」
今朝はちゃんとベッドで目覚めたことを告げると、三人とも喜んでくれた。……わたしだって、失敗ばかりしないわよ。ただ、昨日普通に寝てしまったことを、今ちょっと後悔している。RPG界では、魔力がすっからかんになるまで眠れないというのは基本である。何てもったいないことをしたんだ!
「みんな、朝ご飯を食べたら、朝は菜園の手入れをして、三の鐘のときにマルタさんのところへ行きましょう」
孤児院の裏には菜園がある。五メートル四方くらいなので、けっこう植えられる。
「ねえねえ、あそこにいっぱい生えてるのって雑草?」
菜園のだいたい四分の一くらいの部分には、雑草が生い茂っている。
「ええ。手入れが行き届かないのよ」
「草を抜いてきれいにしたら、好きなもの植えてもいい?」
「ええ、いいわよ」
そんな話をしながら、野菜が植わっている部分の雑草を抜く。植えられているのは、ズッキーニやトマトなど、日本でもおなじみのものばかりだ。あと、平たい豆とか、赤いカブっぽいものもあった。名前を聞いてみたら、豆とかカブとか、ざっとした答えが返ってきた。季節は夏、菜園はにぎやかだ。
「そろそろやめて、行きましょう」
草をだいたい抜き終わったころ、シンシアが言った。手を洗い、服についた泥をはたいて落とす。そうこうしているうちに、鐘が三回鳴った。
宿屋では、昨日と同じ配置だ。わたしはエミリアと一緒に皿を洗う。
「あさってはマイア司祭がいらっしゃる日ね。……ちょっと怖いかただけど、マリーもすぐになれるわ」
「マイア司祭は何をしに来るの?」
「わたくしたちがちゃんと暮らしていけているか、見にいらっしゃるのよ。それから……マール教のお話をしてくださるの。もう、わたくしはソーレ教徒なのに……」
エミリアはそう言って、ほおをふくらませた。か、かわいい。かわいい子って何してもかわいいわね。そんなことを考えながら、わたしはニマニマする。気分は親戚のおばちゃんだ。
話をよく聞くと、マイア司祭は生活費を持ってくるらしい。宿屋でのバイトは、三食の食事がもらえ、それ以外の日用品は、司祭からのお金で購入する。この世に社会福祉とかそういったものはもちろんなく、国は補助金とかはくれない。孤児院の運営は、司祭からのお金が頼りだ。
「テオ兄様も神さまのお話しはお嫌いだし。マリーも退屈かもしれないわね。でも、シンシア姉様はちゃんと聞いていらっしゃるのよ」
エミリアはソーレ教徒だが、テオは無宗教というよりは、無神論者だ。シンシアはマール教の修道女で、一日に二回ほど、回復と解毒の神聖魔法が使えるらしい。
「わたくしが、まだあなたくらいのころ、走っていて転んだことがあるの。そうしたら、姉様がすりむいた傷を治してくださったのよ。……マール教しか回復の魔法はないものね」
「そうなんだ。シンシア姉ちゃんすごいね!」
ああ、すり傷を治すくらいの回復魔法が、日に二回か……。まぁ、シンシアは別に勇者パーティーの僧侶じゃないしね。現実はこんなものかもしれないわ。黒焦げの手を治すお母さんが規格外なだけだ。そしてわたしも、シンシアと同じくらいのレベルだ。人のこと笑えないわぁ。
それにしても、修道女がいるとは言え、ソーレ教徒と無神論者も養ってくれるなんて、マール教はけっこう心が広いわね。お金に余裕はあるのかしら。そんなことを考えながらお皿を洗っていると、いつの間にか自分たちのお昼になっていた。
「おや、嬢ちゃん。もう倒れなくなったかい?」
夜には、シーナさんが洗い場に顔を出してくれた。今日はほろ酔いくらいだ。
「うん、もう大丈夫だよ!」
シーナさんはうんうんと、嬉しそうにうなずいた。そうだ、聞きたいことがあったんだ。
「シーナさんって、薬師さんだよね? 薬草について教えてくれる?」
「ああ、薬草の何について知りたいんだい?」
「使い勝手のいい薬草を植えたいの。薬草畑を作るのよ」
「ああ、だったらクーア草がいいかねぇ。エンギフトンの花は育てにくいしねぇ。クーア草なら町の近くの森に生えているから、それを抜いて植えてごらん。それとも、あたしも育てているから、株を分けてあげるかね」
むぅ、シーナさんも育てているなら、販売先としては期待できないかな。でもあんまり難しいのは育てられなさそうだしね。
「他には、ベリーなんかも使えるさね。ただ、こっちは木の実だから、育てるまで時間がかかる」
「ベリーは町の外で自生してるぜ。食べてもうまいし、シーナが買ってくれるんだ」
仕事の終わったテオも、話に加わった。
「テオ兄様は、ベリー摘みのときは食べてばかりですもの」
エミリアがふくれっ面をし、シンシアが苦笑する。いつの間にかみんなの仕事が終わっていたようだ。
「ほら、あんたたち。そんなところでくっちゃべってないで、向こうでお茶でも飲みな」
シンシアがいれてくれたお茶を飲みながら、みんなでテーブルにつく。マルタさんがいれようとしたが、シーナさんにさりげなく阻止されていた。マルタさんは、みんなが認める飯マズだ。
「あさってはマイアが来る日だね。マリーは会うの初めてだろう?」
「マール教の司祭様でしょう? 早く会いたいなぁ」
「マイアは口やかましいけどね、いいやつだよ。で、孤児院はマール教のものだから、子どもたちはみんな洗礼を受けなければいけないんだ……一応ね」
マルタさんは少し言葉をにごした。まぁ、形だけってやつなのかな。
「洗礼を受けると、聖印をもらえるのよ。マリーはクレアさんのを持っているけど、自分自身のも持っておかないと。裏に名前が書いてあるのよ」
シンシアがそう言って、自分の聖印を見せてくれた。ほんとだ、シンシアって彫ってある。
「マリーって自分の名前書けるのか? おれは書けるぜ、名前だけだけどな」
「そうですわ。自分のお名前のつづりが分からないと、聖印がもらえないとおっしゃっていたわ」
テオとエミリアも、自分の聖印を出してきた。あら、実は二人とも持っているのね。どうやら聖印というのは、自分の名前を刻印することによって、晴れて効果が発揮できるらしい。神聖魔法を使うときに、消費魔力を軽減するのだ。え、ということは、もしかしてこれって魔道具の一種? じつはお高いんじゃ……。
「それから、マリーは住民登録もしないといけないんじゃないのかい?」
コートランドに限らずどこの国でも、住民登録という制度がある。自分のホームタウンを決めるもので、最初は自分の生まれた町。引っ越したり、旅をしたりすれば行く先々で三ヶ月以上滞在するなら、そこに住民登録を移すことになる。これもみんなに実物を見せてもらった。運転免許証くらいの大きさのカードで、名前とホームタウンが書いてある。これは一応魔道具ではあるが、無料でもらえるとか。
「クレアさんのホームタウンってどこだったの?」
シンシアに笑顔で尋ねられる。大人二人がビミョーな顔をした。あ、これってまずいやつ?
「……。生まれはローマリアって言ってたけど……」
「ローマリア! 神聖王国ね! わたくし聖地巡礼してみたいわ!」
ローマリアはソーレ教の治める国らしい。総本山である大聖堂があるとか。エミリアの顔がきらきらしている。
「……まぁ、隠者のような生活をしていたみたいだし、更新していなかったのかもしれないさね……」
「……持ち物の中に、カードもなかったからねぇ。なくしちまったのかもしれないね……」
最後の方は怪しい感じになったけど、何とかうまいことごまかせた感じで、この日はお開きになった。まぁ、二人ともお母さんに心酔しているようなところもあるので、見て見ぬふりをしてくれたんだろうけどね。