04 刻印の力
椅子を蹴飛ばしながら振り向き、腰を落として構えをとると、視線の先の茂みの中に、弓を構える何かが見えた。
咄嗟に、トンファーが頭に浮かぶ。トンファーを取り出そうと動く。が、取り出すまでもなく、俺の手の中には既にトンファーが握られていた。
「――――――!? 」
あり得ない事態に乱れる心を無理矢理押し込める。視線の先では、茂みの中の何かが矢を放つのが見えた。
迫り来る矢を打ち払おうとトンファーを構えるが、飛んできた矢は、なんと草むらと絨毯の間で見えない壁にぶつかったかの様に弾き飛ばされてしまった。
「ほう、流石は神様の持ち物ですな。敵の攻撃を弾くとは、結界というやつでしょうかな」
セバスニャンが感心したように言う。そして、黒地に金の装飾がついたステッキを何処からか取り出すと、ステッキの持ち手を両手でつかみ、スラッと刃を引き抜いた。
…………フィギュアの頃からあのステッキは持っていたが、仕込み杖だったのか。流石はトーマス=イベントリー。芸が細かい。
「雄一様。私のモノクルによりますと敵は二体。ゴブリンファイターとゴブリンアーチャーです。仕留めてしまいましょう」
セバスニャンの声に被せるように、茂みの中から棍棒を振り上げたゴブリンが飛び出し襲って来た。しかし、先程の矢と同じように、草むらとカーペットの間で見えない壁にぶつかり、弾かれて尻もちをついた。
「成る程、ゴブリンだな」
緑色の肌をした、汚れた腰布一枚の小鬼。ゲームなんかでよく見るのと同じ姿の生き物がそこにいた。頭に角があり、その顔はまさに鬼だ。
「失礼します雄一様」
セバスニャンが俺の前に出て、カーペットの内側から外側の草むらに倒れているゴブリンの胸を突き刺した。ゴブリンは短い悲鳴を上げてもがき、やがて動かなくなる。
「やはり、私達の攻撃には支障が無いようですな」
どうやらセバスニャンは、とんでもないアイテムを神様から盗んで来たらしい。
「と、感心している場合じゃないな」
茂みの中にいるもう一匹のゴブリンが逃げ出していた。それを見て、俺はトンファーから手を放し投げナイフをイメージ。
思った通りに瞬時に現れた投げナイフを掴み、木の影に消えようとしているゴブリンアーチャーの背中に向けて投げた。
普通なら、……地球にいた頃の俺なら絶対に届かない距離だ。だが、俺には確信があった。解るのだ、届くと。
「…………おおぅ」
投げナイフは、まさに一瞬でゴブリンを貫いた。それはもうあり得ないスピードで。触った事など無いが、ライフルで狙撃をしたらこんな感じなのではないのだろうか。
胸部をナイフに貫通されたゴブリンは倒れ、次の瞬間には、俺の袖口の中にさっき投げたナイフが収納されていた。血もついていない綺麗な状態でだ。
これが神様の刻印の力か、便利すぎるな。まさにチート能力だ。更にこの体にみなぎるパワー。森の中に消えようとしていたゴブリンの背中もハッキリと見えた。地球にいた頃の俺なら、確実に逃がしていたハズだ。
俺の頭に、神様の言っていた言葉が甦る。
「そうか、全ての力が100倍…………だったな。視力も、命中力も、何もかも100倍か」
相手がゴブリン程度なら、負ける事など無いだろう。これがドラゴンとか、本物の化物なら分からないが。
その時、一瞬右腕に激痛が走った。
「いっ!? …………な、なんだ? 」
痛みに驚いて右腕を見てみるが、痛かったのは一瞬だけであり、今は何ともない。
何だったのかと首を傾げていると、セバスニャンが近づいて来た。
「戦いになりませんでしたな」
「ああ、まさにチート能力だ。……しかしゴブリンか、まさか本物のモンスターってやつと殺し合う事になるとはな。…………ん? 」
近くに倒れているゴブリンの死体の上に、キラキラとした物が浮いている。しゃがみ込んで見てみると、五センチくらいの小さな緑色のクリスタルだった。
「なんだコレ? 」
手に取ってよく見ると、クリスタルの中にゴブリンの姿があった。手に棍棒を持ったゴブリンファイターだ。
「これが結晶か! それぞれのモンスターからこれが手に入るのか!? これは確かに集めたくなる! 」
「結晶、ですか」
「ああ、俺のスキル『コレクション』の力だ。こいつを使うと、モンスターの召喚も出来るらしい! 」
「なるほど。……ですが、私が倒したモンスターも対象なのですか?」
「ん? 言われてみればそうだな。…………パーティーを組んでるからとか? いや、ゲームならそうなんだが」
「ふむ。まあ、分からない事だらけの世界ですからな。そういうモノだと、今はしておきましょう。…………どれ」
それは一瞬だった。セバスニャンがゴブリンアーチャーが逃げた方を見たかと思えば、フッと姿が消え、俺が驚く前にまた現れた。
「私でも取れましたな」
そう言ってセバスニャンが差し出したのは緑色のクリスタルだ。受け取って覗き込むと、中にはゴブリンアーチャーがいた。
「今何をしたんだ? 」
「ゴブリンアーチャーの死体と、結晶を回収して来ただけです。先程の雄一様の投げナイフを見て、試したくなりましてな。…………いやぁ、100倍の力とは凄まじいものですな」
そう言って笑うセバスニャンの動きは、同じ100倍の力を持つ俺でも真似できる気がしない速さに思えた。…………元が猫だからだろうか。
「あれ? 死体も回収したと言ったか」
「ええ、私のスキル『ストレージ』に。ご覧下さい」
セバスニャンがゴブリンファイターの死体に手を向けると、一瞬でゴブリンの死体が消えた。後に残ったのは草むらに僅かに見える血の跡だけだ。
「この通りどんな物でも、それが生物でない限り無限に収納出来るというスキルです。その中に収納している限り、時間の経過も無いという素晴らしいスキルで、さらには神様の持ち物であるこの絨毯なども収納出来ましてな、もしやとは思いましたが、持って来られました」
「セバスと一緒にいる限り、荷物の心配はないわけか。しかも生物以外なら無限に? 凄まじいな。つまり極端な話、家を丸ごと収納もいけるわけだ」
「なるほど。それは是非、試してみたいですな」
ハハハと、セバスニャンは心底楽しそうに笑った。
「で、ゴブリンの死体を持って行くのか? 」
「ええ、こういう世界ならギルドというものがあるのが定番ですからな。素材として買い取ってもらえるかと。私、無一文ですので」
「定番って、お前良く知ってるな。…………そうか、街に行っても金が無いとな。……お? そういえば、俺は金を少し持ってるな。神様に財布と交換して貰ったんだ」
ごそごそとトレンチコートのポケットをまさぐっていくと、触り慣れない物が手に触れた。このコート、実は全く重さを感じない。神様の所で着た時から気づいてはいたが、中に収納している三節棍やらトンファーやらの重さも固さも感じる事なく、とても動きやすいのだ。これも間違いなく刻印の力なのだろう。
ともかく、俺はポケットの一つから紐で閉じられた革袋を取り出す。地球では、それも日本ではまずお目にかからない財布だ。
開けてテーブルの上に広げてみると、中にはドラゴンを模した凝ったデザインの金貨が20枚と、コンドルの様な鳥のデザインの銀貨が50枚、それにおそらく一番価値が低いのだろうクロスした剣のデザインされた銅貨が100枚入っていた。
後は、よく分からないが銀色で、中心に赤い宝石のついたカードサイズの板が3枚だ。重さからしてプラチナだろうか? これもデザインが凝っていた、向かい合うドラゴンとグリフォンが刻まれている。
と言うか、見た目よりもかなり枚数が多く入っていた。この革袋も特別な物なのだろう。大切にしなければ。
「おお。『聖王貨』まであるとは、大盤振る舞いですな」
「聖王貨? コレのことか? 」
板の一枚を持ち上げて見せると、セバスニャンが頷いた。
セバスニャンの説明によると、これらはコチラの世界て主に使われている貨幣で、なんと世界共通だと言う。製造は『聖王教会』が行っており、特別な魔法によって製造されているために偽造は不可能だという。
そんな事が可能なのか、と疑問をもったが、特別な魔法である『神聖魔法』は清らかな者だけが使える魔法であり、一度でも悪事に手を染めると使えなくなる、らしい。…………なんとも眉唾な話である。
そして肝心な貨幣の価値だが、銅貨と銀貨が共に大小の大きさがあり、普通の銅貨が日本円で約10円、大銅貨が約100円。銀貨が1000円、大銀貨が5000円だと言う。
成る程。さっきは気づかなかったが、確かに銅貨も銀貨も大きさが二種類あった。基本的な買い物はこれら銅貨と銀貨でするらしい。金貨はそう目にする事はなく、価値も跳ね上がって10万円だという。聖王貨に至ってはなんと一千万円の価値があるそうだ。
つまり俺達は今、三千万以上の大金を持っているわけだ。いや、アホか。何でいきなり三千万も持ってんだ。俺の財布なんてブランド物でもないし、中身だって精々数万しか入ってなかったハズだ。
「いきなり金の心配が無くなった、って事でいんだよな? こっちの物価は分からんけど」
「聖王貨一枚で中々の家が建つと説明を受けましたな。一般の暮らしについては、興味無いから知らないと言っておりました」
「…………あの神様、もしかしてダメな神様なのか? 」
「まあ、送り出した我々の食料やら寝床やらの事が、スッカリ頭から抜け落ちている程度にはダメですな」
「…………紅茶とクッキーしかないもんな」
しかも盗んできたやつである。
「って事は、ここから近い街の場所なんかも? 」
「当然、知りませんな」
「……………………マジか」
さて困った。こういう時、地球ならスマホで簡単に地図がだせる。しかしここは異世界だ、スマホも無ければ電波も……。
「……いや、ある! 俺のスマホに刻印を刻んでもらった! 」
早速スマホを取り出してみる。外見はあまり変化はない。後ろの面に刻印が刻まれているだけだ。問題は中身だ、どれだけの機能が使えるか。
投げナイフの例を考えてみれば、まったく使えないという事は無いだろう。……ないよな? ま、まぁ取り敢えずは起動だ。
「…………なんだこりゃ? 」
一応、起動はできた。しかし、出てきた画面は俺の知っているものではなかった。待ち受け画面は無い。まぁ、それは良いのだが、入れてあったアプリは軒並み消えており、見たことのないアイコンが二つだけ入っていた。
レンズのアイコンと『まっぷ』とひらがなで書かれたアイコンだ。…………カメラと地図、だろうか。
「ま、まぁ目的は果たせるから良しとするか」
そういえば、アンテナマークは無いが、充電のマークはあるな。…………充電するのか? と、充電機のプラグの位置を見てみると、そこにさし込み口は無く、代わりにボタンのようなものが着いていた。
「取り敢えず今はいいか。それよりも」
地図アイコンをタップしてみる。すると、画面に刻印マークが一瞬浮かび、それが消えると、昔のRPGのようなドット絵の地図が表示された。
ドット絵の森の中に、多分俺を表しているのだろう青い三角マークと、そのすぐそばに青い丸が表示された。この青い丸はおそらくセバスニャンだろう。
そして、俺達を囲む森の中に、所々に点々と赤い丸があった。おそらくはモンスターを表しているのだろう。中々に便利だ。
しかし、困った事に俺達のいる森はかなり広いようだ、周りに何もない。画面をスワイプしてみるが、一定以上は動かない。ならばとピンチしてみると、地図を縮小・拡大出来た。が、問題が一つ。
「……あれだ。RPGでよくある、自分の行った場所しか表示されない地図だコレ」
「それはつまり? 」
「森しか表示されてない。街のある方向すら分からん」
俺達の異世界生活は、初っ端でつまずいた。