019 まだ、穏やかな朝
…………眠れなかった。
外が明るくなると同時にベッドから身を起こした俺は、天幕の外で見張りに付いていた兵士に頼んで水を貰い、眠気覚ましに顔を洗った。
セバスニャンのストレージの中には大量の水も入ってはいるのだが、肝心のセバスニャンがまだ夢の中なのだ。黒猫の姿でベッドの上で丸くなっているセバスニャンを起こすのは、少々気が引けた。
まあ、一応セバスニャンは俺の執事ではあるのだが、元が(?)猫なので、一度寝るとムリに起きるのは苦痛らしいのだ。
…………その辺は人間も変わらないか。
朝の日課として、上半身裸の状態になり、天幕の外で型稽古をしていると、メルサナがやって来た。
「おはようございます。稽古中でしたか」
メルサナを見て、上半身だけとはいえ裸はまずかったかとも思ったが、メルサナは気にしていない様だった。
考えてみれば、騎士として生きているメルサナなら、男が上半身裸で稽古をしている姿など、珍しくもないに違いない。
「おはよう。毎朝の日課でな、やらないと気持ち悪いんだ。それにしても早いな、まだ夜が明けたばかりだろ」
「見廻り中に、水を運ぶ者に会いましたので、起きているものと思いやって来ました。朝食もお持ちしましたので、一緒に食べませんか? 」
「それは、よろしいですな」
天幕の方からした声に眼を向けると、セバスニャンがいつもと変わらないピシッとした執事姿でタオルを差し出していた。
「…………ありがとう、セバス」
汗を拭いながらメルサナを中に招き入れると、セバスニャンは紅茶の準備をして待っていた。俺はスーツをイメージして一瞬で着替える。
俺のスーツも刻印装備なので、このくらいは出来るのだ。
…………メルサナは目を丸くして驚いていたが。
三人で朝食を食べる。メニューはローストポークのサンドイッチだった。…………いや、正確にはロースト何かのサンドイッチか。豚肉な気はするが、確信は持てないな。
俺はまだ知らないが、きっと豚に良く似たモンスターがいるのだろう。パンも、日本の物とは違ってずいぶん固い。
「しばらくしたら使いの者が迎えに来ますので、お二人はその者と共にリリアナ様の所へ行って下さい」
朝食を終えたタイミングで、メルサナはそう口にした。
「今日の作戦会議ですかな? 」
「ええ、まあ…………」
メルサナの歯切れが悪い。それもそうだろう。
俺達は敵の兵糧に武具を奪い、魔法使いを潰し、伏兵を潰し、騎馬隊を潰したのだ。
敵は既にボロボロであり、この状況なら逃げ出す者も多い筈。だが、率いている者達に逃げ場など無いのだ。
略奪と皆殺しを繰り返して、逃げ場を自分達で潰して来たのだから。
まだ数の上では向こうに分があるが、それだけだ。負ける要素がない。
ならば貴族的なメンツとして、最後は自分達で仕上げたい。タリフの話はそんな所だろう。俺達の力を散々使っておいて、最後のおいしい所を寄越せという話だ、メルサナの歯切れも悪くなるというものだ。
「メルサナ。俺達の要求は最初に言った通り、カルミアの街でのある程度優遇された生活の保証だ。戦争の手柄に興味は無い」
「…………私としましては、ここで手柄をあげて雄一様が貴族となり、それにお仕えするというのも、やぶさかではありませんが」
そんな事を言うセバスニャンに苦笑する。貴族の事を漫画やアニメ程度でしか知らない俺がいきなり貴族になるなんて、めんどくさい予感しかしない。こちとらテーブルマナーすら怪しいのだ。
「そう言って貰えると助かります。申し訳ありませんが、領地の留守を任されたリリアナ様にも、立場がありますので」
メルサナはホッした様子で紅茶を飲み、セバスニャンは少々不満気に紅茶に口をつけた。
「ただ、手柄はいらないが、今日の戦いには俺達も出るぞ」
「はい。…………言いずらいのですが、お二人に戦場へ出て貰うことは、決定事項になっているかと」
「手柄は渡したくないが命はかけて貰うと。…………都合が良すぎますな」
「やめろセバス。…………ところで、アインはどうしてる? 」
「それが、…………あれからずっと眠り続けています」
メルサナは心配そうに顔を伏せた。アインはまだ子供だ、家族も住んでいた場所も全て失って傷ついた心は、そう簡単には回復しない。
復讐をさせたのは間違いだったのか? とも考えるが、ここまで色々失うと、それぐらいでしか決着がつけられないとも思う。
復讐をやらせた俺の責任として、アインには出来るだけの事はしてやろう。そう、心に誓った。
それからしばらくメルサナと談笑していると、リリアナお嬢様からの使いがやって来た。
◇
「ユーイチ様、セバスニャン様。カルミアの街を代表してお礼申し上げます。お二人がいなければ、カルミアの街は落とされていた事でしょう」
豪華な天幕の奥の部屋で、リリアナは深々と頭を下げた。
「気を抜くのはまだ速いぞ。まだ戦いが終わった訳じゃないだろう」
「はい、わかっています。しかし、お二人のお陰で劣勢を覆す事ができました。後は、敵の総大将であるヨーダルを討つだけです」
「既に、敵の本陣を突く用意は終わっております。そこでお二人に、陽動をお願いしたいのです」
タリフの言葉の裏側が透けて見える。どうやらヨーダルのいる本陣に俺達を近づけたくないらしい。
「陽動ね。…………本当にいいのか? 」
俺の言葉に、タリフが訝しげな顔を見せた。
「と、いいますと? 」
「今、敵に残っている兵士は、第三王子の回りを固めていた奴らだろ。つまり、ケンプ王国の頃から仕えている精鋭だ」
「ふむ。主力は昨日の騎馬隊でしょうが、とは言え信頼の置けない者を回りに残すとも思えませんな」
「ああ。で、あいつらにはもう後が無いわけだ。国に戻るれる訳でなし、逃げ延びる食料がある訳でなし、こちらに投降しても殺される」
俺の言葉に、タリフが深く頷いた。
「当然です。奴らがやった事を考えれば、極刑以外の選択肢など無い」
「だからあいつらは、死に物狂いでやってくる。舐めてかかると、逆転されかねないぞ」
「……………………むぅ」
失う物が無い奴は恐い。今回はそれが500人以上もいるのだ、何が起きても不思議じゃない。
「リリアナ嬢、タリフ殿。俺達の要求は最初に伝えた通りだ。カルミアの街に受け入れて貰う事と、ある程度良い待遇だ。手柄でも、貴族になる事でもない」
「…………私としては、もう少し欲張っても良い気がしますが、主である雄一様に従います」
俺達の言葉にタリフが考え込み、リリアナが口を開いた。
「お二人の言葉はありがたいのですが、そういう訳にもいかないのです。私達は、既にお二人に数々の恩があります。この上、敵の総大将まで討ち取られて、何も無しではルイツバルト家が軽んじられてしまいます」
「お嬢様! ………………しかし、お嬢様の言う通りなのです。現状でも、ユーイチ殿に騎士爵位くらいは、与えねばならない程になっているのです。これ以上となると…………」
参ったな。まさか既に貴族になる話が持ち上がっているとは、考えて無かった。しかも…………。
隣にいるセバスニャンの眼が輝いている。そんなに俺を貴族にしたいのか? …………いや、多分貴族に仕えてこその執事とか考えているんだろう。
「…………じゃあ、こうしよう。今までの手柄を、全てルイツバルト家に買い取って貰う。具体的には屋敷とその維持費とかだな。で、ここからの戦いは俺達がリリアナお嬢様の指揮下に入るって事で、手柄をリリアナ嬢に。これなら良いだろう」
俺の提案にタリフはガバッと顔を上げて喜び、リリアナは目を丸くしていた。
「そ、それでよろしいのですか!? …………お嬢様! 」
「はい! ではユーイチ様は、…………私の騎士となるのですね」
「今日1日だけな」
「それでも、嬉しいです。私の街を、護って下さい。私の騎士様」
そう言って心から嬉しそうに微笑んだリリアナは、出会って初めて、年相応の少女に見えた。
 




