プロローグ02
プロローグ 02 収集家の青年
星野雄一。22才。身長180センチ体重90キロ。職業は地方公務員。
実家を離れ一人暮らし。彼女なし。ペットなし。コレクション多数。それが俺だ。
俺は子供の頃から欲が強かった。オモチャやゲームや本。とにかく自分の心が動いたモノが欲しくて堪らなかった。
欲しいモノを手に入れる為に努力は惜しまなかった。買って貰うために家の手伝いをし、学校の成績を上げる。良くある話ではあるが、俺はそれが極端だった。学校の成績では常にトップをとり、家事全般も、いつの間にか完璧にこなせるようになっていた。
勿論、一般家庭だった家で何でも買って貰えるわけはなく、手に入らないモノは多かったが、俺は欲しいモノを追いかけているだけでも楽しかった。だから努力を続けた。
欲しいモノの価値は様々だったが、『財宝』と呼ばれるモノが欲しくなり、遥か昔の資料を漁って、とある武家の隠し財産を実際に見つけた時は、その価値が高すぎた為に命の危機があった。
結局、何とか逃げたが財宝は奪われた。
だから体を鍛え上げ、様々な武術も学んだ。その途中で『免許皆伝』が欲しくなり、臨死体験するほどに鍛え上げ、師匠の一人からは『免許皆伝』を貰った。あの時の師匠の呆れ顔は忘れられない。
バイトも数々こなし、いくつかの資格も取り、高校大学と特待生を取り、両親が貯めていた学費の一部はそのまま俺の財産として貰った。
社会人となり、金と時間の両方を取るため地方公務員となり、自由になる空間欲しさに家を建てた。
俺は確信する。俺の人生の目標はこの欲にあると。
欲しいモノを手に入れる。その過程と結果が俺の人生を輝かせる最高のエネルギーなのだと。
そんな俺が今一番欲しいモノ、それはトーマス=イベントリー作のフィギュアだ。彼の飼っている愛猫がモデルとなった猫の顔を持つ紳士のフィギュア。
『セバスニャン=イベントリー』
フィギュアの名前も愛猫のものだという。俺はそれのラフ画に心を動かされ、即座に予約した。
限定十体。価格は40万円。
しかし、予約が埋まるのは一瞬だった。俺は運良く予約に滑り込めた事にホッとした。
だが、どうやらフィギュアは手に入らないようだ。製作者のトーマス=イベントリーが病に倒れ、故郷のイギリスで亡くなってしまった。
フィギュアは彼の遺作だ。ならばその所有者は彼の家族であるべきだ。俺はフィギュアを諦めた。いくら欲しいとは言っても、人の心より物を取るなど有り得ない。
だが、ふと製作者の顔を見たくなった。その生活に触れてみたくなった。俺は思い立ったままにイギリス行きの飛行機に乗った。
◇
彼の家族は、突然押し掛けたにも関わらず、俺を葬儀に参列させてくれた。
トーマス=イベントリー。彼は、優しい顔をした老人だった。
紳士とは、彼の様な者を言うのだと、俺に教えてくれた。その穏やかな顔に、どこか懐かしささえ覚えた。
棺の中のトーマス=イベントリーに寄り添う猫がいた。眠っていたが、その顔はラフ画で見た『セバスニャン=イベントリー』のフィギュアそのものだった。
軽く頭を撫でて、俺はその場を離れた。俺の気はすんだ。トーマス=イベントリーの妹だという、俺を葬儀に参列させてくれた女性にお悔やみと別れの挨拶をして、俺は帰るつもりだった。
「あなたは、フィギュアを買い取りたいとも、せめて見せろとも言わないのね」
「彼の最後の作品は、ご家族と共にあるべきです。自分は、トーマスさんとセバスニャンの顔を見れただけで十分です」
「…………私の最後の作品は、星野雄一という青年に渡して欲しい。それが、兄の最後の言葉でした。なぜ貴方なのかは私には分かりませんが、貴方が持つのなら、私も嬉しいわ」
そう言って彼女は、アクリルケースに入ったフィギュアを俺に手渡した。
『セバスニャン=イベントリー』のフィギュア。燕尾服を着て片眼鏡をかけた猫紳士。右手には杖を持ち、左手はシルクハットに添えられている。引き込まれるような、命が有るようにすら感じる。トーマス=イベントリーの、まさしく最高傑作だ。
「…………素晴らしい。…………はっ! 受け取れません。これは……」
「本人が、貴方に渡すよう言ったの。私に、兄の遺言を果たさせてちょうだい」
そう言って彼女は、アクリルケースを持つ俺の手に、自分の手を重ねた。
「………………大切にします」
『セバスニャン=イベントリー』は、俺のモノになった。しかし、これは価値が高すぎたらしい。
トーマス=イベントリーの家を出てすぐに銃を突きつけられた。平和な日本では考えられない事だが、俺の体はすぐに動いた。
銃を掴み捻って指を折り、足を払って投げ飛ばす。そして、投げた男が地面に叩きつけられるよりも速く走った。
海外で高価なモノを手に入れると、こういう事はたまにあった。これと同じ方法で逃げ切ったのも二度ある。
だが、今回はそう簡単ではないらしい。敵に諦める様子が無いのだ。空港までの道は勿論、大使館へ向かうのも不可能だった。喫茶店やタクシーにも手が回っており、警察も駄目だと知ったとき、相手がマフィアの大物だと理解した。
そしてとうとう俺は追い詰められた。
暗闇の中、背後には崖と海。目の前にはいくつもの車のライトに、その前で銃を構える男達。まるで映画の中だ。
俺は全身のいたる所に武器を隠し持っているが、せいぜいが三節棍やナイフなどで銃には流石に勝てない。しかも奴らは複数だ。そもそも武器を取り出そうとした瞬間に撃たれるだろう。
男達は休む事なく喚いている。フィギュアを寄越せと。
フィギュアを渡す? 有り得ないな。俺は、このフィギュアと共にトーマス=イベントリーやその妹さんの心も受け取っている。ならば、ここで渡すようなら、それはもう俺じゃない。
それに、素直に渡した処で生き残れるとは思えない。なら、ここから飛び降りて生き残る方に賭けた方が良いだろう。
俺は崖の向こうへ飛んだ。背後に銃弾を浴びながら、『セバスニャン=イベントリー』のフィギュアを胸に抱いて。
夜の、しかも冬の海は冷たく、俺の体はどんどん暗闇に沈んでいく。泳ごうにも、背中と足を撃たれたダメージのせいで体が動かない。
一、二発かすった程度なら、泳ぎきる自信はあった。しかし、悪い事に銃弾の一発は俺の内臓を撃ち抜いたらしい。
……………結局、フィギュアを守る事は出来なかった。この世に一つの最高傑作は俺と共に滅びるのだろう。それでも、奴らの手に渡るよりはいいとも思う。トーマス=イベントリーや彼の妹さんには悪い事をしたのだろうが。俺は死後の世界にまで、このフィギュアを持ち込んでやろう。
満足のいく人生とは言い難い。腕の中のフィギュアもろくに見る事も出来ていない。
ああ、足りない。俺は、まだまだ色んなモノが、心を動かすモノが欲しいのだ。この、腕の中のフィギュアと共に。