綿の小惑星の話
テーマは綿、小惑星、支えるもの
小さな作業艇で宇宙空間を漂いながら、思うことはただひとつ。
嵌められた。
ジャニスの野郎、初めっからこれを狙っていたらしい。
耐熱装甲の異常だと言うから出てみれば、AIから管理権限を乗っ取るだなんて。確かに何か企んでいるならリーダーだった俺は邪魔だったろうが、まさかこんな形で棄てられるだなんて……そんなに嫌われていたのだろうか。
まあ、それはもうどうでもいい。目下のところ問題なのは、とうとうこの作業艇の燃料が尽きるというところにある。
元々長時間の作業が想定されていなかっただけあって核融合バッテリーは大型のものを積んでいない。一応旧型のコンバート機なので原始的な化石燃料炉もあるにはあるのだが、この孤独な宇宙空間で、しかも一人だけでどうやってそれを確保しろというのだ。
それに、問題はもうひとつ。このまま回避行動をとらなければ小惑星と激突してしまうらしい。
この孤独な宇宙空間で、それこそどんな奇跡が起きたらそんな不幸に見舞われるのかと絶望した。絶望しきって、いま考えている選択肢はふたつ。
システム電源用の燃料も使って小惑星を回避し、空調の切れたこの棺桶で静かに干からびるか。
小惑星に激突して木っ端みじんになるそのときまではせめて快適にいるか。
「……」
悩むまでもない。
俺は静かに目を閉じた。
夢を見ている。
ジャニスが笑って宇宙船内にあったクッションを顔に押し付けてくる。
クソ、やめろ。息ができない。
その顔をぶん殴ってやろうと手を伸ばすと、肩に手がかかった。
よし、そのままこっちまで引き寄せてぶん殴ってやる。
力をこめると、なんとジャニスの肩がぽろっと取れてしまった。
脱臼というレベルではない。もはやもげている。
「うっ」
そしてジャニスは。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「うわああああああああああああ!?」
叫ぶように泣き出したジャニスに驚いて飛び起きると、目の前に広がるのは真っ白な草原。
……そうか、夢だったな。
未だにジャニスが出てくるあたり、相当なトラウマなのだろう。
ふと、右手になにか固いものを握りしめていることに気がつく。
「羊のツノ……?」
きれいに巻いた羊のツノが握られている。はて、どうしてこんなものがここに……。
あ。
思い当たり、すぐ隣に座っているそいつ……メリーを見る。
メリーは泣きべそをかいて、しかし驚いたように硬直していた。
そのひだり側頭部には、ツノの根っこだけが切株のように残っていた。
「なあ、悪かったって。本当だよ」
「やだ」
作業艇まで連れ帰ってもまだメリーはへそを曲げたままだ。壁に向かってふて寝したままこっちを見ようともしない。
「……」
「……すぴー」
「寝てやがる。俺は水を汲んでくるからな」
かわいいいびきをかき始めたメリーを置いて、また作業艇の外に出る。
一面に広がる綿花の草原。
その中を湖に向かって歩いていると、あのときからもう半年はたったことを実感する。
ジャニスに嵌められてから、安楽な死を選んだ俺が次に目を覚ましたのは激突の衝撃があったときだ。
寝たまま逝けると思い込んでいた俺は絶望したが、なぜか飛行機のランディング程度の衝撃で済んでしまった。
訳が分からずひとつかぎりの窓から外を見ると辺り一面真っ白。着地の衝撃で舞う雪は、よく見ると綿だった。
そして一足早く天国に来ちまったかと思った俺が扉を開けると、謎のもこもこが目の前に立っていた。
それが、俺が発見してしまった羊系泣き虫宇宙人ことメリーだ。
「さて、と」
湖の水を汲むにはすこし内側に入る必要がある。水面には綿が大量に浮いており、水深のあるところから汲まなければ全く飲めないからだ。
地球の温暖地域よりはすこし寒いくらいの気候を恵んでくれる双子の太陽に透き通る水を容器に満たし、昼飯用に道中の綿花をいくつか摘みながら引き返す。
この小惑星で俺とメリー以外に動物がいないのも妙だが、それこそこの綿花が一番の謎である。
はじける前の実はマメの味がする。根っこは辛く、葉は苦い。そしてはじけた綿は新鮮だと甘く、しばらくおけば服に使える繊維となる。
これのおかげで生きていられるのだが、こんな万能植物を持ち帰れば一躍英雄となれるだろう。
まあもっとも、帰る手段があるのかは分からないのだが。
「ただいまー」
「おかへり、ジュノー」
さっきまでの不機嫌はどこへやら、もこもこが突進してくる。片手間に抱きとめつつ、水や綿花を棚に置いた。
「もう怒ってないか?」
「おこってなひ。ジュノー、ごはんは?」
「いま作るよ、座って待っていなさい」
「わーい」
メリーは楽しそうに外に出してあるテーブルへと駆けていった。見つけたときは生で実を食べていた彼女は、この料理という概念がすごく気に入ったようである。
よく乾かした綿に着火するとゆるやかな炎が立ち上る。あとは根っこと葉、新鮮な綿で調節しながら味を決める。今日は詫びもかねて、メリーの好きな甘い味つけだ。
「できたぞ。スプーンは持ったかい?」
「はやくひただきますをしよう、ジュノー」
「わかったわかった。それじゃ、いただきます」
ひただきます!元気よくメリーはスープを食べ始めた。
彼女、厳密に彼”女”かは分からないが彼女は見た目には人間に見える。
いや全身が羊毛で覆われていてこめかみにツノが生えている地球人などいやしないのだが、少なくとも手足の数や意思疎通において特に違いは見られない。なんというのだろうな、羊のきぐるみを着た妹って感じなのだ。
角が生えているのだからオスかもしれない、でも身体は女の子に見える。解剖するわけにはいかないし、したくもない。そもそもできない。
というわけでメリーは女の子である。
「メリー、ツノのことごめんな。怖かっただろう」
「いひよ。ジュノーはごめんなさいができるもの」
「ありがとう。スープはおいしいかい?」
「うん!」
明るくふるまう彼女だが、ときおりツノが無くなったこめかみを気にしているように手で触れている。もしかしたらバランスの悪さが気になるのかもしれない。
汲んできた水をさらに沸かしてタオルに浸し、絞る。これで身体を拭くのが俺らなりの風呂の入り方だ。
「ジュノー、よろしく」
「はいよ」
メリーは最初全身に羊毛が生えていたのだが彼女が俺と同じように服を着たいというので、一ヶ月かけて裁縫をマスターした俺は彼女の毛を刈り、綿と組み合わせて服を縫ってやった。自身の体毛40%の服を着るとはどういう気分なのかは分からないが、少なくとも彼女は気に入っているようだ。
薄く毛の生えた肌を拭いてやる。特に背中を重点的に拭くと喜ぶ。
「うう……」
メリーはまたツノを気にしている。気丈にふるまってはいるが、やはりショックなのだろう。なにせこの半年、彼女のツノが取れたところは見たことがない。もしかしたら初なのかも。
なにかフォローをしてやりたいものだが……。
指で伸びた頭髪をといてやりながら思案する。彼女の頭髪は他の体毛とすこし違い、羊毛のようだがちょっと丈夫だ。それによく絡まり、爆発するのでといてやると結構喜ぶ。
「おっ」
閃いた。
「ジュノー?」
「なんでもないさ、メリー。さ、早く寝よう。明日もおいしいスープを作ってやるぞ」
「うん……」
心なしかとぼとぼと寝床へ向かうメリーの背中を見送りつつ、地球よりは少し短い夜が到来した空を見上げる。
よおし。
翌日。
「メリー!こっちに来てくれ」
寝ぼけまなこをこすっているメリーはそれでも呼び声に答えてやってきて、そして目を丸くした。
「それ、メリーのツノ……」
「そうそう。そろそろ仕上げだから見ててくれ」
ナイフで角を削って、形を整えて……。
「じゃん」
クシの完成だ。
大して石もない綿花だらけのこの小惑星で、ようやく固いものが発明できたぞ。
「なにそれ」
「これはな、ちょっと後ろを向いててごらん」
「……おお?おおー!ジュノー!」
「昨日のごめんなさいの続きだよ。どうかな」
ぶんぶんと首を縦に振るメリー。指でとくより断然きめ細やかな手入れがされた髪はお気に召したようである。
「ありがとー!」
ぼっふ、相変わらずのモフモフ具合だ。
最近思うようになったことがひとつ。
たぶん、俺はもう地球になんか帰りたくないのだ。
ずっとここで彼女と支え合えたら、きっと満足なのだ。
「よし、じゃあ今日も頑張るぞ」
「おー!」
メリーが片方になったツノを気にすることなく、ふんわりと笑った。