アリスな彼女 3
忘れちゃならんのが、帽子屋。
鬱蒼とした森の中を、柚月ちゃんが歩く。
「本当に、こっち?」
不安げな表情で訊ねるも、後ろから抑揚のない声が返ってきます。
「ああ。間違いない」
わずかに顎を引く漣チェシャは、相変わらず眠そうです。
ともあれ、何だかんだ言っても嘘はつかない男だ。
宗真ウサギの場所には案内してくれるだろう。
「……それより、ひどい格好だな」
ざくざくと草むらを進んでいると、背後から改まった感想が洩れてくる。
一瞬、何のことだかわからなかった柚月ちゃんは振り返った。
視線がぶつかった漣チェシャは、自分の頬や服を指さす。
「あちこち傷だらけじゃないか」
「あぁ……」
そこで、ようやく腑に落ちた。
柚月ちゃんの格好が気になるらしい。
さきほど落下した時、小枝で引っ掻いた傷のことでしょう。
でも、柚月ちゃんの反応は薄い。
「こんなの平気よ。舐めとけば治る」
ぐいと頬を拭ってみせます。
傷といっても、かすっただけですからね。気にするほどじゃないとアピールしたつもりなんですが。
何故か、ここで漣チェシャが手を握ってきます。
「なるほど。消毒だな」
「え?」
言うなり、ぐっと腕を引っ張ってきます。
つい、前へつんのめるようにして漣チェシャの胸へ倒れそうになる。
その瞬間、ちゅっと柔らかいものに頬を吸われた。
「なッ」
驚いて、目を瞠る柚月ちゃんが顔をあげると、さらに漣チェシャが顔を寄せてくる。
角度を変えて、再び頬に唇を落とす。すると、今度はさらに大胆になった。
傷ごと頬を食む。熱いものに舐められたり、吸いつかれたりして、柚月ちゃんの頭は真っ白になった。
「きゃあぁぁぁぁッ!」
一秒あとに何をされたか理解して、頬を押さえながら絶叫する。
当然の反応なのに、漣チェシャは顔をしかめる。柚月ちゃんがいきなり大声を出した意味がわからないようです。
「何故、そこで叫ぶ?」
「そっちこそ、いきなり何すんのよッ!」
真っ赤になって怒鳴ると、漣チェシャは真剣な顔つきで説明してきます。
「その位置じゃ、自分で舐められないだろ」
「だからって、何故、貴様が舐めるッ!?」
「てっきり、おねだりされたのかと」
「どんな変態なんだよ、私ッ!?」
確かに。
話の流れ的には、柚月ちゃんが舐めてくれとおねだりしたことになっちゃいますもんね。柚月ちゃんは、恋人の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「いつもこんなことしてんのッ!?」
「いいや、君だけだ。というか、したこと自体が初めて……」
「そんなひたすらコメントに困るカミングアウトしないでよッ!」
余計な告白まで聞かされた柚月ちゃんは、どうしていいかわからない。
どっちかっていうと、漣チェシャがうやむやにしてくれることを期待してたんでしょうな。
その目論見が外れた今、どうしようもない恥ずかしさだけが残る。ただし、バカップルのボケとツッコミの激しい応酬はまだ続く。
「あんた、頭のネジでも取れてんのッ!?」
「いいや。どこも異常は全くない。すこぶる絶好調だ」
「全ッ然そうには見えないんですけどッ!?」
「それは目の錯覚だ。君の視神経はいつもと同じくらいだから気にしなくていい。まぁ、完璧どころか能力にむらのある君の方が可愛いいよ」
ぺろりと吐かれたセリフに、柚月ちゃんは地団駄を踏む。
「今日は、一体どおしちゃったの東雲サンッ!! お願いだから、戻ってきてッ!!」
全くです。
柚月ちゃんの顔は真っ赤になったり、青ざめたり、忙しい。
たぶん、漣チェシャの言動が怖いんでしょうな。
予想とは違う熱烈愛情表現のオンパレード。
喜ぶより、震え上がる。けれど、漣チェシャのマイペースぶりは変わらないようです。
真顔で話を淡々と続ける。
「いきなり、どこへ戻れと言うんだ? 離さないでとか戻ってきてとか、思うに君は多くを求めすぎる」
「いやいや、あんたの精神の話だからッ。あっちの世界から、こっちの世界へ戻ってきてよ的な!」
「抽象的すぎて、よくわからないな……」
真剣に言葉の意味を漣チェシャが考え始める。
その様子を疲れた顔の柚月ちゃんが見つめた。
(……もしかして、天変地異の前触れ?)
もともと勝てる気がしない相手ですからね。
今日にかぎってはどう戦うかすら迷ってしまった。
そんな時、
「いっそのこと死んじまえッ!!」
ドゴォッ!!
もの凄まじい衝撃が、足元を襲った。反動で、その場からジャンプするように吹き飛ばされる。
「ひいぃぃッ!!」
スカートの裾を押さえつつ、爆風に耐える柚月ちゃん。
チェシャ猫なんて知ったことか。今は、自分の身が最優先。
というか、助ける余裕がなかっただけです。
うまく着地もできずに、転がるようにしてうずくまる。
パラパラと土埃が落ちる中、顔を上げることもできない。
爆風のショックをやりすごしていると、つむじの側でザリッと靴底がこすれる音がした。
「……チッ。やっぱり、悪運の強いヤツらだな」
柚月ちゃんが視線をあげれば、目の前に仁王立ちする人物が。
もちろん、漣チェシャではありません。彼は、柚月ちゃんの後方で涼しげに立っています。何故、無事かは気にしちゃいけません。
「やっぱ、ロケットランチャーにしとくべきだったか」
不満げな声の主は、朱堂さんでした。
大きなシルクハットとビシッと着こなしたスーツが特徴的です。見た目は立派な帽子屋さんなんでしょうが、問題はその色だった。
真っ赤です。
頭からつま先まで、全身が赤一色で統一されています。ここは森とはいえ、昼間からこの色を着こなすなんて、タダ者じゃありません。
その証拠に、彼が肩に背負っているのは身の丈もあるバズーカ砲。他にも、ライフルやショットガンを山ほど背中に装備しています。
でも、不自然じゃないところが摩可不思議。
すると、朱堂さんは優雅な仕草で帽子のつばに触れる。
「それが俺のキャラクター性ってヤツだ」
と、無駄に気取って謎のアピールしちゃいます。でも、文句は言えません。似合ってますから。
「…………」
当然、柚月ちゃんたちはツッコむ気がしない。
それでも、話を進めないといけないので何とか疑問を絞り出す。
「朱堂さんは、何でこんな森の中に?」
「特に意味はない。ストーリー上の都合ってヤツだ」
帽子屋さんは、すこぶるナチュラルでした。
というか、勝手に裏方の事情をバラさないでください。
一応、段取りってあるんですから。
そこへ、立ち上がった柚月ちゃんが、スカートを叩きながら砂埃を落とす。
「あの、懐中時計を持ったウサギさんを見ませんでした?」
今現在、彼女の最大の関心事はウサギさんです。
駄目もとで訊ねてみると、案外あっさりと帽子屋さんは頷いた。
「あぁ、見たな」
「どっちの方向へ行きました?」
「教えてやるから、俺の仕事を手伝え」
「仕事?」
思わぬ話の方向へ流れたので、柚月ちゃんが目を丸くする。
「おまえなら、すぐ終わる」
大した風でもなく告げて、帽子屋さんは何かを投げて寄越しました。
思わず、柚月ちゃんは両手でキャッチします。
掌にあるのは、大粒のダイヤモンドでした。
「行くぞ」
あとは、現地で説明してやるとばかりに帽子屋さんは背を向けます。
柚月ちゃんは追いかけようとして、ぐいっと腕を引っ張られました。
「えッ」
漣チェシャです。
ダイヤを奪いとり、帽子屋さんに投げて返してしまいます。
「何でよ、宗真の情報が手に入るかもしんないのに」
「よく考えろ。あの人の仕事なんて、危険な仕事に決まってる」
確かに、全身が真っ赤ですからね。まともな仕事とは思えません。
「でも、宗真の行き先を知ってるって……」
「あのな、これは作者が本編の合間に息抜きで書いたものだ。どうせ、やみくもに歩いてたって、最終的には丸く収まる」
「おーい。聞こえてるぞ、チェシャ猫」
手の中のダイヤをもてあそびながら、帽子屋さんは眉根を寄せる。
「あんまり台本(原作)を無視してると雷落とされるぞ」
もはや、突っ込みどころ満載な発言です。
裏の段取りをボロボロ暴露されてる気分……
ただし、漣チェシャは「ふッ」と鼻で優雅に笑ってみせた。
「僕をどこぞのサブヒーローと一緒にしないでください。誰が何と言おうが、この作品のコンセプトは逆ハーです。男性キャラクターが何人いようが、メインプリンスはこの僕ですよ」
自身の胸を親指でさして、漆黒の瞳がきらりと光らせる。
「それに、番外編ならば何をしてもいいとお墨つきをいただいています。本編で果たせなかったファンサービスを今ここに」
「てめぇ……」
しれっとした言葉に、帽子屋さんは歯ぎしりする。さらに漣チェシャは、ぬけぬけと主張を続けた。
「大体、僕から腹黒と毒舌とヒロインへの愛を取ったら、何が残るんです? 僕は、この外見と中身のギャップを出すことでキャラクターの魅力を引き立たせているのです。もし、僕が『世界人類が、皆、幸せであるように』とか清らかに澄んだ瞳で微笑んだら、ただの奇跡の美青年で終わってしまいます」
むぅ。
そうハッキリ言われると、やぶさかではありませんな。
「それ肯定なの? 否定なの?」
柚月ちゃん、世の中には複雑な事情があるのだよ。
作者の好みとか、好みとか……そう、好みとか!
「…………」
さぁ、皆、気を取り直して行ってみよー。
無理矢理すぎる話の展開に、帽子屋さんがうなだれる。
「恐ろしい……恐ろしすぎる。地の文すらも取り込むおまえのキャラが」
「なんか、負け犬が後ろで吠えてますね」
呆れたように呟くも、漣チェシャがくすりと鼻で笑った。
いかん。
もう、ぐだぐだやんけ。