アリスな彼女 1
ウサギな彼が書きたかっただけです。
それは、春うららかな昼下がり。
白のエプロンに、青のワンピース。
アリスっぽい洋服を着た柚月ちゃんは、木陰の下に座っていました。
その表情は、ちょっと眠そうです。理由は、隣に座っている兄の柾人さんでした。
「できたッ!」
張りきりすぎな声音をあげるやいなや、柚月ちゃんの頭上に花冠がのせられました。
お兄ちゃんは盛大に手を打ち鳴らします。
「おおッ! ますます可愛いよ、俺の天使ッ!」
「……ありがと」
だがしかし、実の兄に誉められたって恥ずかしいだけです。
ついでに、とっても退屈です。
「お兄ちゃん……もう、十分でしょ?」
「なんの、まだまだ!」
柚月ちゃんが眉尻を下げても、お兄ちゃんの熱気は冷めることがありません。
まったく。
どうして、こうなるんだか。
彼が本を読みに出かけると言うから、散歩したかった柚月ちゃんはついて来たのです。
いざ来てみれば、お兄ちゃんは花冠を作るのに夢中。柚月ちゃんが近くを歩くのも許してくれません。
「父さんが帰ってきたら見せなくちゃなッ!」
さらに親指を立てて、ニカッと笑う。
しばらく終わる気配はありません。だんだん、柚月ちゃんは飽きてきました。
そんな時、
「はわわわッ! はわわわッ! はわわわわッ!」
後方から可愛らしい男の子の声がします。
振り返った柚月ちゃんは、目をまるくしました。
目の前を紅顔の美少年が駆け抜けていきます。
黒のベストとスラックス。
天使の輪が見える髪からは、ウサギのような長い耳。右手に懐中時計を握りしめ、とても慌てた様子で走り去って行きます。
うっかり、柚月ちゃんはその姿を見送ってしまいました。
「宗真……?」
彼は、友達の宗真ウサギでした。
あんなに急いでいる彼は初めて見ます。
「大変だ! 大変だ! 遅刻したら、大変だッ!」
ひたすら『大変だ』を連呼して、走っています。時々、躓いたり転倒しても、スピードは衰えたりしません。
(……気になる)
柚月ちゃんでなくたって気になります。
うずうずと追いかけたい衝動に駆られます。ちらりと背後を見ても、お兄ちゃんはそっちのけ。
「柚は、赤も白も黄色も似合うからなぁ。青の花がないのが残念だ」
お兄ちゃんは、まだ花冠に夢中です。
ノリノリで草花を編んでます。ここまでくると、ちょっと変態ちっくです。
(ごめんね。お兄ちゃん)
立ち上がった柚月ちゃんは、単身でウサギを追いかけることにしました。
かなり離れてから追いかけたので、なかなか宗真に追いつけません。
ついでに、いつの間にか柚月ちゃんは森の中を走っていました。
「宗真、待って!」
「大変だッ! 大変だッ! 間に合うかなぁ~ッ」
「宗真ってばッ!」
「あううッ! またまた減俸かなぁ……」
ピキッ。
だんだん、呼びかけに返答しないウサギにイライラしてきました。
柚月ちゃんは、走りながら足元にある木の棒を拾い上げます。
「そこのウサギッ! 止まりなさいッ!」
大声で叫び、木の棒を思いきり投げつけました。
ガッ!
きれいな放物線を描いた木の棒は、宗真の足元に命中します。
「わひゃあぁぁぁッ!」
宗真はなす術もなく転倒しました。
が、そこには思わぬ誤算が。
「あッ!」
「きゃ────ッ!」
うっかり倒れ込んだのは大木の根っこの部分。
「しま……ッ!」
即座に柚月ちゃんが駆け出しますが、あとの祭り。このままでは宗真ウサギが転倒し、大怪我をしてしまいます。
あと一歩のところで、のばした手が空を掴む。
ただし、さらなる異変が起きます。
「あ──ッ……」
宗真ウサギの声が、吸い込まれてしまいました。
よく見れば、木の根っこ付近にうろがあります。
その中には虹色に光る穴が。
彼は転んだ拍子に、そこへ落ちてしまったのです。
「嘘……宗真……?」
穴を覗き込む柚月ちゃんの顔が青ざめます。
これは、ゆゆしき事態です。
怪我させるのも一大事ですが、どこか危険な場所へ放り込んだとしたら、もっと大変です。
「どうしよう……どうしよう……」
木のうろを前に、ウロウロし始めました。
謝らなければ。
でも、あの穴がどこへ通じているのかわかりません。
危険な場所なら、そんなところへ宗真を追いやったのは柚月ちゃん自身なのです。
つまるところ、結論はひとつ。
意を決して、キッと顔をあげました。
(こうなったら、女は度胸ッ!)
柚月ちゃん、決断は男らしかった。
宗真ウサギを追いかけて、謝ることが先決。
危ない場所なら、ふたりで脱出すればいいだけの話と割りきった。
素早すぎる決断です。
そのせいか、穴に入るのを少し躊躇ってしまいます。木の幹に寄りかかり、恐る恐る中を確認していると、
「えッ……」
体重をかけていた手が、ずるっと滑ってしまいます。
支えるものがなくなり、上半身に浮遊感が襲ってきました。
「うわわわッ! うわぁぁッ!」
腕を回して、バランスを保つには遅すぎです。
「わあぁぁぁぁ……ッ」
柚月ちゃんは、転げ落ちるように穴の中へ吸い込まれていった。