96 私の罪をみそなわす
◆ ワルター公国・アルマンチャ台地 南メセタ ◆
どうも、皆さん。こんにちわ、モカです。
お久しぶりの方も、初見さんもゆっくりしていってね。
なぜ、今、私がこんな小声で話しているかと申しますと、ええ、私の後ろに見える景色からお察しいただけるユーザーさんもいらっしゃるとは思うのですが、『イダルゴの風車』に来ております。
あ? 空しか見えてないって? じゃ、ちょっとだけね。くるっとカメラ回すね。
風車見えたでしょ? はい、イダルゴです。第二宿駅開通のために必要なアイテム集めの激戦区です。白い小石は、ここか『時の城』が効率がいいのですが、こっちの方が楽だろうって安直な考えで着てしまったが為に、とんでもない事になっております。
あ、狩場が被ったとかではありません。そんなの百も承知ですし、風車の中でも外でもドロップは変わりませんので、皆さん和気藹々と殺気立ちながらやっております。なので、その辺りは織り込み済みです。ならばなぜ、そんな小声で、しかもカメラがっつり両手で掴んで画面の半分以上を顔で埋めているかって?
面白怖いからだよ!!
一人、ボールカメラに話し続けたモカは、恐る恐るという風に首だけ回して振り返る。
「新郎しかいないガーデンウェディング、みたいと思う? 」
首を戻すとカメラに話しかけ、ぶるりと一回身を震わせた。
モカがひそひそとカメラに向かい面白怖いと語っていたのは、彼女の背後、小さな丘を挟んだ向こうで全身白い人間が二人向かい合って立っている風景だった。
「狩場被りどうこうの文句ってわけじゃないよね」
「勿論」
胸の前で腕を組み、相手の出方を待つ白銀オカッパの全身白い人と向き合うのは、彼女を視線で自分が立つ丘まで呼び出した糸目の白い人。孤高対無私と一見近しい存在に思える二人だが、その心の距離は遠い。
「実際、<栄光の国>は、もう誰も残っていないだろう。丁度、引き上げるところだったからね」
「そう。で、熱い視線で私を呼んだ理由は何? 」
二人の仲は、悪くはないがよくもない。互いに大人同士という割り切りもあるが、本音と建前の線引きがアデライードの方がましゅ麻呂より優れているだけだ。
「手短に。今日、フロイデの正門前で派手にやらかしていたんだって? 」
用件を話したいならまず結論から。アデライードの好みを知っているレッドマーシュは彼女に合わせる。離れて久しいが、無駄を省く自分の思考を判っているレッドマーシュに、アデライードは彼の意図を探るように目を細めた。
切れ長とまでは行かなくとも、元々縦にはそう大きくない目だ。瞼を半ばまで閉じると本人の意思とは無関係に冷酷さが増す顔のつくりをしている。
見た目の益は、同じだけ弊害も生む。アデライードの人格を知らない人間が不機嫌だったり、真剣な顔で狩りをしている彼女を見たら、いい印象を抱くことはまずない。その点、いい意味にも悪い意味にも互いの腹の内を判っている仲のレッドマーシュは、そんな彼女の表情に臆することなく微笑んでいるようにも見える柔和な表情で冷厳な視線を受け止めた。
「アンタんトコと<ポーラスター>は、公共放送の職員並みにどこにでも湧くな」
「人数が多いからね。いい噂も悪い噂も、集める気がなくても入ってくるのさ」
「はぁ、そう。で? 」
自分のクランの事しか頭にない男だと思っていたレッドマーシュが、まるで世間話でもするかのように人目につく場所で自分と立ち話をする。今までなら考えられなかった光景を俯瞰してアデライードは皮肉に僅かだが唇の端を歪めた。
「<ポーラスター>は、少し大きくなりすぎた」
レッドマーシュの意図が見えず、アデライードは小さく顎をしゃくるように動かし先を促す。
「広がりすぎた枝葉は、剪定が必要だろう? 」
普段のアデライードなら、この言い回しに対し「クラン戦争でもするのか」と嘲る様な返しをしただろう。だが、<ポーラスター>はユーザーサイドとして、このゲームに深く関わっている。神殿祭もそうだが、献上部隊が組織される時も中核は<ポーラスター>のメンバーが担っていることが多い。クラン間で潰し合いなどしたら、ゲーム世界での経済が立ち行かなくなる可能性が高い。
長くこのゲームをプレイし、クラン同士の力関係とその役割を把握したプレイヤーなら誰でも気が回る話だ。<ポーラスター>が適宜、献上部隊を組織し、生産レシピ解放に一役買うことで構造インフレを抑え、NPCから無尽蔵に貨幣を引き出す財政インフレも頭を抑えている。<ポーラスター>以外が部隊を組織することも勿論あるが、結果として長引いたり断念する場面も往々にあった。あの組織に成り代われるようなクランは、【The Stone of Destiny】のどこにもない。
「物騒な話はお断り」
「まさか。ボクたちが何かをするわけじゃないさ」
ここで初めてアデライードは顎を引き、瞼を閉じることでレッドマーシュから視線を外した。目を閉じる際、小さく溜息のような吐息が漏れてしまったのは致し方ないことだろう。
「フロイデ前の一件。黒猫はご立腹だ」
「へぇ」
目を開けるが、視線は下に落としたままアデライードはレッドマーシュの次の言葉を待つ。
「<ポーラスター>は、決してプレイヤーを名指しで探したりはしない」
お前は、他人のクランの揉め事にまで首を突っ込むのか。ふと、そんな考えが頭を過ぎるが、昔の彼はそうだったとすっかり忘れていたことまで思い出す。昔の彼は、真面目でお人好しで、そのうち十円ハゲが出来るんじゃないかってキサラギと笑っていた。それほどに彼は、神経質で心配性で、ましゅ麻呂についていけているのが不思議なくらいどうしようもなく優しい性格をしていた。
「黒猫が噂に気付いた時は、もう既に随分と拡散されてしまった後でね」
クランというのはメリットもあればデメリットもある。
影響力のあるクランというのは、自然と敵も増えていく。当たり前の話だ。それ故に、変に他者からの批判を浴びないために表面的には公明正大であろうとする。
個人的にひっそりと探すのならば問題はなかったかもしれない。だが、クラン名をチラつかせ名指しでプレイヤーを探すのは、探された側が私刑に近く道徳心を覚えた人間からは重大なマナー違反と捉えられる。
噂は確かに広がっていた。だが、ジェームズに辿り着くまでに時間が掛かったのは、黒猫に味方する何かしらの抑止力が作用していたのかもしれない。
過去に、<栄光の国>のハトリもジェームズを探していたとイチルが言っていた。だが、今回とあからさまな違いは目的をしっかりと相手に伝えたうえで、究極の叡智の称号を持つものだけに声をかけたことだろう。そして、知らないと言われればそこで話を終わらせた事。
<栄光の国>の活動拠点である帝都マルガリテスでしか声をかけなかったことで、他に情報が漏洩することもなく<栄光の国>に限らず、珍しくもない勧誘活動はすぐに忘れ去られてしまった。
最終的にはジェームズの保護者が馬場たちと一緒に居る姿を見られてしまいイチルの嘘が露見したりと目も当てられないが、だからといって何かしらの接触があったわけではない。躾が行き届いていて薄ら寒いものを感じなくも無いが、それが<栄光の国>だ。
「見つからなければ、よかったんだ。そうしたら、まだ延命できた」
延命などと物騒な単語にアデライードの眉根が寄る。
「君は途中からだったから知らないかもしれないが、彼女はフロイデの街中でも騒いでいたみたいでね」
知らないていで話を聞けということかと、アデライードは無言のまま顔を上げた。
「今日のうちの出来事だ。黒猫は仕事が早いね」
「そう」
仕事が早いという言い方は気に入らないが、実際に黒猫の処理は早いのだろう。黒猫という女は機知に富む。それこそ猫のように、決して自分の尻尾を踏ませない。<ポーラスター>という一大組織を仕切る女性なのだ。強かであって当たり前だろう。
自分たちが、第一宿駅に着いたとき、ミケの姿は無かった。狭いスペースではない。申し合わせなければ、偶然出会うのは難儀な広さだろう。だが、宿駅までの道中か、宿駅でか、きっと待ち伏せていると思ったのに居なくて少し拍子抜けした感はある。
なぜ出会わなかったのか。出会えなかったのではなく、最初から居なかった可能性を思慮に入れれば、答えは簡単だ。
「そんな下らない報告をするために、私を呼んだの」
「いいや、忠告だよ」
ピクリとアデライードの眉が反応したが、表情が動くことはない。風が二人の間をすり抜け、肩の上で切り揃えられたアデライードの髪が、ふわりと風に遊んで揺れる。
「明日にでも、<ポーラスター>のサイトに謝罪文が載るだろう。クランの名を騙った人探しが行われたとね」
黒猫は、ミケに色々背負わせて放逐したということか。
レッドマーシュが言いたかった本題はこれかと、アデライードは組んでいた腕を解き、風で乱れた髪を指で梳きながら耳にかけた。
「今後彼らが、このゲームを続けるのか、やめて別のゲームに行くのかは彼らの自由だ」
「そうだね」
大型クランの恩恵を一度でも味わったプレイヤーは、一般的なクランでは満足できない部分が生まれてくる。クランメンバーからの見返り請求のない援助というのは、ぬるま湯に浸るように心地いいものだから。楽してそんな環境を手に入れていた人間が、そこを抜けた後に自身の力で似たような環境を作り出すのは至難の業だろう。
そうなれば、新しい寄生先を求め放浪するだけだ。
だが、古巣にそのような告知を出されたプレイヤーを受け入れるクランがあるだろうか。
「黒猫は」
「彼女は、ボクより厳しいよ」
猫を殺せば七代祟るとは言うが、彼女もレッドマーシュに負けず劣らずで自分のクランが大切なのだろう。寧ろ、執念深さではレッドマーシュに勝っているように感じる。
「友達同士の遊び、だった」
優男の口から零れた言葉に、アデライードの瞳に剣呑な光が射した。
「寄る辺をなくした彼女は、新しい寄生先をみつけようとするだろうね。けれど、多くは<ポーラスター>から出た彼女を受け入れることに難色を示すだろう。その時、中途半端な誰かの名前ではなく、凡その人間なら判る名前を出すとボクは思うね。彼女に聞いてくれ、きっと証言してくれる」
<ポーラスター>が模擬戦を禁止しているという話は聞いたことがない。だが、アデライード自身が止めに入った時、時期が悪いという引き合いは出した。ゲーム内自体が新しいコンテンツに揺れている今、妙に大きな看板を背負った人間が派手な行動を起こすと悪目立ちするからだ。
「私に忖度しろと? 」
「まぁ、そうだね」
ここにきて初めて、レッドマーシュは考えるように顎に手を置き、頭を僅かに右へ傾けた。
「忖度、とは違うかな」
人が良さ気だった微笑みが、口角が上がるほど鮮やかにアデライードが嫌うソレに成り代わっていく。
「面白いと思わないか。人が落ちぶれていく様というのは」
「アンタのそういうところ、嫌いじゃないよ」
思っていた反応とは違う言葉をアデライードが発したことに、レッドマーシュが戸惑うより早くアデライードは続きを口にした。
「嫌いを通り過ぎて、反吐が出る」
腰に佩いていた剣の柄頭を掌に収めると、押し込めるように下に向ける。すると彼女の気持ちを代弁するかのように、足元に星状六花が浮かび上がり弾けて消えた。舞い上がった氷あられがアデライードを守るように周囲を漂いキラキラと輝きながら空気に溶けていく。
「キミは、相変わらず言葉が強いね」
「そりゃ、どーも」
薄ら寒い笑顔を貼り付けたままのレッドマーシュを前に、アデライードは一応の礼儀だと軽く頭を下げ、背を向ける。言い方に難はあれど、彼はまさに忠告をしに来てくれたのだ。
ミケという人間が、自分や<TRUST>に火の粉となって降り注いでくると。その気持ちだけは受け取っておく。決して、礼を口にする気はないけれど。
話は終わりだと言わんばかりに背を向け、風車に向け歩き出すアデライードの背中を見て、レッドマーシュは再び困ったような顔をして首を捻る。自分の記憶にあるアデライードは、とてもとても人格者といえるような人間ではない。直情型とまでは行かないが、それでも怒りに我を忘れるくらいには熱い人種だ。
今回の一件も、今のような言い方をしたならばもっと何かしら言い返してくるくらいの根性があったはず。それがどうしたことか、さっさと自分を置き去りにして去ろうとする。自分の知っている彼女なら、もっと知っていることを寄越せと食い下がろうものなのに。
「アデル」
もう一押ししてみようか。そんな悪戯心が芽生える。だが、呼び止められ振り返った彼女の顔を見たレッドマーシュは継ぐ言葉を失った。
「なに」
「いや、なんでもない」
冴え冴えとアデライードが歩くたびに六花が舞う。そこに立つのは自分が知る彼女ではなく、遠く心の離れた別人なのだと自分を見るアデライードの目を見て理解した。道はもう随分前に違えてしまったのだから、いつまでも元友達なんて免罪符が使えるはずはない。「ボクはキミがキライだ」と、先に口にしたのは自分なのだから。
立ち去ろうとする自分をわざわざ呼び止めておきながら、黙ってしまったレッドマーシュにアデライードは顔を顰めると体ごと彼に向き直る。彼の忠告は理解したし、ミケが今後どんな内容を吹聴して回ろうと自分は自分の知っていることしか話さないし、彼女の味方になる気など毛頭ない。何かしらロクデナシな行動を起こしたならば、それはそれで<ポーラスター>の言い分の裏づけになってしまうだけだろう。自分で自分の首を絞めるだけ。レッドマーシュの期待通りになるのは頂けないが、それもまたゲームを楽しむ中の人生劇場の一つだろう。
結局は、アデライードにとっても対岸の火事に他ならない。
口を覆うように手を当てたまま、動かなくなった相手を見ていたアデライードは、ふとその姿が、昔会ったばかりの頃の彼と重なって見えた。
「なぁ、赤沼。なんでアオイをハメたんだ? 」
アバターを纏った段階で、現実から切り離される。アバターに名づけられた名前が、その人の名前となり現実とは違うゲームライフを歩き出す。そんな暗黙の了解を判っていながら、アデライードはあえて中の人の名前を呼んだ。
魚の小骨が喉に引っかかっているような不快感。ずっと心の片隅に在って、敢えて触れずにいた疑問。何もかもを彼一人に押し付けてしまっていたというなら、それは自分たちも同罪である。ましゅ麻呂一人が、狙われた理由になんてならない。
「……キミは、いつでも正義の人なんだよね」
思い出し笑いをするように小さく笑い声を零すレッドマーシュに、アデライードは戸惑うが退く気はなく彼の答えを待つ。
「アイツは、馬鹿だから」
一瞬だけ、中の人としての表情が覗いた。
「多様性からの共存というのは」
「はぁ? 」
いきなり飛び出してきた意味のわからない単語に、アデライードの口から変な声が出る。虚を衝かれたような顔をしたアデライードに構わず、レッドマーシュは独擅場とばかりによく回る舌を動かした。
「多様性というのはね。何かしらの物事において、好きも嫌いもいていいってことなんだよ。相手の意見を否定しない。けれど、それは別に受け入れなくてもいい。ああ、そういう考えの人がいるんだな。と、認識してそこで終わればいいだけの話なんだ。自分はA、私はB、ボクはC。皆違ってみんな良い。は、それを一つに包容しろという話じゃないんだ。それぞれが、それぞれのコミューンを大切にし、境界線を侵さない。それが多様性の共存というものだろう。だけど、世の中には自分の考えを受け入れろと、受け入れがたいと距離を取ろうとする人間に迫っていく人種がいる」
「何の話だ」
「棲み分けの話だよ。ボクのやり方が気に入らないと言うなら、ボクから離れればいいだけの話だったんだ。なのにアイツは、ボクがおかしくなったと言って譲らなかった」
それまでの穏やかさが嘘のようによく喋るレッドマーシュに、気押されそうになるのをアデライードは必死に堪える。
「人は変質していく。言葉を変えるなら、成長とでも言うのかな。それにアイツは堪えられなかった。未成熟な自分に合わなくなった友人を自分に合わせろとなぜ迫る。自分の思い通りの相手ではなくなったのなら、自分に合わないと離れれば済む話だったんだ。受け入れがたいなら、無理に受け入れなくていい。お互い距離を取って、触れあわない生活を送ればなんの問題もない。あの時のキミたちのように」
神経質そうな青年の顔が、人を見下すような表情へと変化していく。
「邪魔だったんだよ。多様性の本質は知識と距離だ。こんな人もいると知りつつ、理解の範疇を超えるなら近寄らない。それが共存。許し合いの姿だ。なぜ出来ない。なぜ、お前らしくないなんてボクを語る。ボクはボクだ。これがボクだ」
「赤沼っ」
ドンと一つ、レッドマーシュは自身の胸を打った。その痛みに我に返ったのか、浅い呼吸を繰り返と薄く開いた口を固く結び、剥がれ落ちていた人の良さ気な笑顔の仮面が戻る。
「だから、ボクに近づきたくなくなるように躾けた。動物と同じさ、言葉が通じないなら鞭を振るって怖さを教えなきゃね」
「クズかよ」
「どちらが? 」
真っ直ぐに目を見られ、アデライードは喉の奥に息を詰まらせた。
「今ほど平和なことはない。そう、平和だ。誰もボクに干渉しない。ボクも誰にも干渉しない。完全な棲み分け、幸せの領分だ」
「赤沼、あの時は」
「キミはッ! 」
退く事を知らないアデライードに、レッドマーシュは言葉を被せ威嚇する。キミの言葉は聴く気はないと、暗に知らせるように。
「いつだって正義の人だ。どんな時も、一歩離れて眺め見て、分があるほうには味方せず、大儀があるほうに加担する。けれどね、それがいつでも通用するとは限らない」
印象操作。数の暴力。悪意はいつでも蔓延している。そして、悪意は伝染する。それを悪と気がつかない正義の味方たちに。
「だが、安心したまえ。今回はボクはキミの味方だ。珍しくキミが失敗した。それが嬉しくてね、ご褒美というやつだ」
「そう」
アデライードは、必死の思いで助け出したましゅ麻呂が、レッドマーシュを思い声を上げて泣いていた姿を知っている。ボロ屑のようにされながらも、彼は最後までレッドマーシュを思って泣いていた。沢山の後悔や、やり場のない怒りや自分の不甲斐無さを嘆いて泣いていた。十代最後の年だ。大人ぶりたい年頃のはずなのに、彼は臆面もなく自分たちの前で悔しがって泣いた。
結局は、何も届かない。ましゅ麻呂の空回りで終わった友情なのだとアデライードは酷く醒めた気持ちで目の前に立つ男を眺めていた。
「あぁ、でも。そうだなぁ……心残りがあるとしたら、一度くらいハイジに勝てると思ったんだけどなぁ」
あの頃親しんでいた名で、レッドマーシュはアデライードを呼ぶ。だが、その目の奥にはあの頃には無かった仄暗い感情の焔が揺れる。
「キサラギさん囮にするとか鬼の所業じゃないか」
付き合いが長い分、お互いがお互いの動きを把握してる二人だったが故に出来た入れ替わりだ。目晦ましとなる粉塵が立ち込める中、勝機は五分。咄嗟に動いたのはキサラギで、併せたのはアデライード。腹黒さでキサラギがレッドマーシュに勝っていた。
「ボクをキルした瞬間、キミ嗤ってたんだよ。つられてボクまで笑ってしまった」
嗤っていたと言われ、アデライードは内心動揺する。あの時は、何かを考える余裕などなかった。怒りに任せていた部分もあったし、ましゅ麻呂を安全な場所まで移動させることしか考えてなかった。結果として、あの場所にいたプレイヤー全員をキルすることが一番早いとなっただけだ。知ってる顔も知らない顔も、物見遊山で面白がって参加したクソ野郎どもも、まとめて葬り去ることにした。
「そうか、嗤っていたか」
自分で思っていた以上に、自分が戦闘民族であったことになんとも言えない気持ちになる。そんなつもりはなかったなどと、言い訳する気はない。そんなつもりだったから、力でねじ伏せたのだ。
横を向き細く息を吐くアデライードの顔を見て、レッドマーシュは昔を懐かしむように元から細い目をさらに細めて続ける。
「ああ。だから、つい本音が出ちゃった」
深々と胸を剣に突き刺され、血反吐を撒き散らしながら。
『ボクはキミがキライだ』
「あの時、キミは何て答えたのかな」
唇が何か動くのは見えた。だが、すぐに意識はロストしてしまい彼女の声は聞こえなかった。キルされたことに対する生理的嫌悪で、ゲーム世界から意識が切り離されたわけではない。あれは、あのゲームで特殊クラスである彼女のジョブに与えられた特権だ。彼女のクラスに与えられた特殊能力は、PKした罪科が残るプレイヤーをPKすることでワールドから一定時間強制排除できる能力。
ましゅ麻呂をキルする行為は他者にやらせ、手を出さなかった自分には罪科はついていなかった。だから、キサラギをヤらせた。彼をPKすることにより、自分は罪人となり、アデライードによって断罪された。
ワールドから強制排出された意識は、ゲーム世界と現実世界の狭間の待機空間で、ただただ虚無感に苛まれながら漂う。
あとから、キルカメラで六秒だけ残ったあの後の映像を見た。返り血を浴び、赤黒く顔を染めた彼女は無表情に倒れた自分の頭を踏み潰していた。徹頭徹尾、彼女は正義の剣を振りかざす悪だった。
「さぁね。覚えていないし、思い出したくもない」
ゲームだから。遊びだから。そう言い訳をしたところで、アデライードとキサラギがあの場にいたプレイヤーたちを皆殺しにした事実は変わらない。罪業を背負った二人は、あの日を最後にあのゲームを辞めた。ましゅ麻呂も辞めた。馬場は残務処理のように暫く来ていたが、彼もまたゲームを去った。
結局はつまらなくなり、自分も辞めた。あれから幾月か時が過ぎ、何となくで始めたゲームでましゅ麻呂を見かけた。次に見たのはアデライードだ。彼女はいつでも同じ顔だ。余程、その顔が気に入っていると見える。そして同じ髪型だ。間違えようがない。キサラギと一緒にウサギを追い回している姿に、この二人は昔から仲がよかったと再確認した。
暫くして馬場をマルガリテスの街で見かけた。あの頃の仲間が同じゲームに集合している偶然に失笑したが、今では偶然ではなかったのかもしれないと思うようにもなった。
正義の人は、きっと、どこまでいっても過保護なのだ。
いつでも、どこでも、目に入ってしまったら。気づいてしまったら。それが自分にとって、どうでもいい存在に成り下がったとしても。気付かれる前に立ち去ることが最適解だと判っていながら、一歩引いた場所で何も言わず眺めている。
「ハイジ。ボクはキミがキライだ」
レッドマーシュの言葉に、アデライードは片手を挙げて首を振ると唇の左端を歪めて笑う。
「嫌いで結構」
その言葉が、あの時の返事ではないことは判る。彼女の中では、既に途切れているのだとレッドマーシュは寂寞とした思いを抱いて目を伏せた。
「いつか、アオイにちゃんと謝んな。あいつはアホだから、笑って許すよ」
「っ!? 」
「じゃ、またね」
昔のように次を約束するような言葉を残し、自分に背を向けて風車に向かい駆け出すアデライードの背中を<栄光の国>のレッドマーシュではなく、中の人である赤沼孝吏としての顔に戻った男は呆然と見送るしかなかった。
『ボクはキミがキライだ』
命が潰えるその瞬間まで、目の前の相手を嘲るように嗤っていた。
あの時、彼女がなんと答えたのか
『安心しろ。私も、今のお前は嫌いだ』
そこには、合わせ鏡があった。
あの時の光景は、今でもアデライードの記憶に焼きついている。
どっこいしょーっ。と、色々片付けていかないと間に合わないペースなので、強引に回収回を挟ませていただきました。
すみません。




