94 猫の消えた笑い
ユミとましゅ麻呂が滅多刺しにしていた壁が開いた事を機に、一行は迷路の中に進入した。先頭を歩くのは四人。オミとハヤトを中央に、一歩下がった壁際をユミとましゅ麻呂が位置取り開いた傘のような形で進んでいる。次に歩くのはデミオ、エイタ、ジェームズ。最後を歩いているのはアラベスクと沢蟹だった。
通常では、それなりにプレイヤー同士の距離は開いてしまうものだが、この植物で出来た迷路は前後だけ気をつけて進めばいい普通の迷路とは違う。警戒した結果、かなりお互いの距離は縮まっていた。
「今のところ、安全に通行できているが」
「逆になんも出ない。ってのがヤバイ気がするな」
既に迷路を歩き始めて二十分近く経つ。その間に三組のPTとすれ違ったり、追い越されたりしているがアラベスクたちが歩くスピードを上げることはなかった。
「問題は踏み切りだなー」
「咄嗟だと難しいわね」
ましゅ麻呂とユミは、通常動作は問題ないため歩行に障害が生まれているようなことはない。だが、駆け足でもしようものならすぐに足を滑らせ転びそうになる。迷路に入ってすぐ、試しにと走ってみた二人は、見事に全身でスケートリンクの掃除をするスケート初心者のように滑っていった。
「ちょっと笑い事じゃねーな」
「大丈夫か、二人とも」
「人間カーリングストーン……」
「立てるか? 」
地面に伏したまま動かない二人を心配して駆け寄れば、二人は滑ったことが思いのほか楽しかったらしく笑っている。
「愉しそうで何より」
腹を括った人間は強い。止まり方を見つけた二人は、今度は如何に滑りを活用するかと速やかに加速するかの二点を探っているようだった。
「ジェームズ、歩いている方向はあっているか? 」
「大丈夫だ。多少戻らされたりはしたが、順調に進んでいる」
「ますます危ない気がするっすねー」
壁の向こうで戦闘音が聞こえたりはするのだが、道が開かない限り助けに行く事も出来ず、また反響音である事から実際に隣の通路で戦っているのかも怪しい。
「敵と会わずに外に出れたら、それはそれでオイシイんだけどな」
『世の中、そうそう巧くはいかないニャー』
「確かにニャー」
「ニャー」
『ニャー』
「ニャー」
「にゃ……あぁあ? 」
今いるメンバーの誰の声でもない声が混ざりこんでいることに驚いたましゅ麻呂がそちらを見るのと、ジェームズが<戦闘禁止区域>を発動させるのは同時だった。
『無駄ニャー』
壁の中から顔を出していた猫がニヤリを嗤う。丸っこい顔にピンと尖った耳。長毛種なのか、耳の付け根辺りからふんわりとした毛が広がっていた。
『わっちに魔法は効かないニャー』
ズボリと音を立てて猫の顔が蔦の中に埋もれ、ガサガサと音を立てて壁の中を移動する。
「マジか、勘弁」
弓を構えた沢蟹たちが、音を追って鏃を動かし猫を狙う。魔法効果が消えたら攻撃できるようにと戦闘態勢を整える一行を嘲笑うかのような声が、頭上高い位置から聞こえた。
『物理も無効にゃりよー』
「な……」
『わっちは、よい子にゃから。だぁれもわっちに意地悪は出来ないニャ』
再び壁から顔を出したチーズ色の猫が、シシシと嗤う。
「猫さんがよい子なら、私たちにも意地悪は出来ないわね」
『ニャッ!? 』
それぞれが武器を構える中、ユミだけが両手を空けた状態でチェシャ猫を見上げていた。
「よい子は、意地悪もしないし、嘘もつかないわ」
『ニャニャ』
「人を叩いたりもしないし、酷い言葉で傷つけたりもしないものよ」
『ニャー……』
瞬時に猫の顔が消え、残った笑いがズルリとユミの目の高さまで壁に沿って落ちてくる。反射的に口から距離を取ろうとする一行の中で、ジェームズとましゅ麻呂は一歩ユミに近づくが、そんな二人を制するように、ユミは手のひらを後ろに向けて近づくなと合図を送った。
『わっちは、よい子ニャ? 』
耳のあった場所まで裂けたような口が、向き合うユミに問いかける。
「猫さんがよい子だと思うなら、猫さんはよい子よ」
ユミの答えに再び姿を現したチェシャ猫だが、今度は、なぜか前肢まで蔦の壁から出ていた。生垣を通り抜けようとして途中で引っかかったような間抜けで愛くるしい姿に、デミオは杖を持っていない方の手で口を押さえ、声を上げないように必死に堪える。
『ぬしは、ちょっと意地悪ニャ』
「ふふ。そうね、ちょっと意地悪だったわね」
『悪い子ニャー』
「そうね。悪い子だわ」
『素直ニャー』
おいでなさい。と、ユミは両手を広げチェシャ猫へと手を伸ばす。その手にチェシャ猫はパシパシと猫パンチを繰り出した。けれど、ユミはその仕草を叱ることも手を引っ込めることもなくただ笑ってみている。周りはユミと猫とのやり取りを困惑気味に眺めていた。
「天然が、戦わずしてエネミーに勝利した? 」
「アレってエネミーなのか? 」
「めっちゃ、猫だよな」
「うん。微妙な豹柄っていうか、チーズ柄だけど」
「チェシャ猫って紫のシマシマじゃなかったか? 」
「版権、版権」
周囲の困惑と心配を他所に、ちゃっかりチェシャ猫を抱きかかえることに成功したユミは、猫の顔に頬ずりしながら振り返りチェシャ猫の安全性を誇示する。どちらかといえば小柄なユミだが、抱えている猫はユミが小柄だから大きく見えるのではなく、本当に大きかった。
「でかいな」
「引きずり出されたら、思った以上にデカかったでござる」
「猫というより、中型犬だろ」
ただでさえ不気味と不細工の中間点のような顔が、ユミに頬を押し付けられることで更に顔が潰され不細工さに磨きが掛かっている。しかし、ユミに撫でられ、ゴシゴシという効果音が似合うほど力任せに頬ずりされている状況が満更でもないのか、チェシャ猫は大人しくされるがままに身を任せていた。
「さ、触りたい」
大きさと一発フライパンで殴られたような独創的な顔を除けば、理想的なモフモフだ。否、あの大きさは大きさで魅力的ではある。五指をバラバラに動かしながら、吸い寄せられるようにデミオがユミに近づいていく。
「私も触っていい? 」
気持ちよさそうに撫でられているチェシャ猫に問いかければ、猫はユミに頭を擦り付けて愛くるしい姿を晒す。
『わっちは、罪作りな女ニャー』
メスだったのか……。
猫に夢中な女性陣と興味津々なジェームズを除いた全員の頭の上に同じ考えが浮かんだ。
【The Stone of Destiny】の世界にも勿論、愛玩動物は存在する。だが、犬や猫といった小動物はNPCのペットとして存在し、野良で街に生きるような個体は存在しない。これはシステム上の問題で致し方なく、プレイヤーが自由に撫でたり可愛がったりすることが出来る存在は今遭遇しているチェシャ猫が初めてとなった。
「いやぁ、ふわふわぁ~」
ユミからチェシャ猫を譲り受けたデミオは、その感触に感動し顔が緩みまくっている。メインクーンとマンティスの間のような毛並みは、長毛と短毛の間くらいでふっくらとして手触りがいい。チェシャ猫は、大きさに反して重量はそれほどなく、常にデミオが振り回す長杖より軽かった。
「ジェームズもお願いしてみたら? 」
「私が? 」
チェシャ猫をひしと抱きしめ、先刻のユミのように頬ずりをしたり、首筋に顔を埋め思いっきり匂いを吸い込んだりしているデミオを見て、ユミはジェームズに次は自分が触らせて貰えばいいと言う。
しかし、ジェームズとしてはモフリストとして覚醒したデミオに声をかけるのは些か憚れた。
「ミオちゃん、ジェームズも触りたいそうよ」
「ユミ」
はっきりしないジェームズに代わってユミがデミオに声をかける。モフモフを前にしてテンションが上がっている二人に、流れ弾被弾してしまったジェームズをアラベスクたちは哀れみの眼差しで見守るが、見守るだけで決して助けようとはしない。
「猫ちゃん、この人も触っていい? 」
はっきりとした意思表示をするところから、チェシャ猫はMobではなくNPC扱いなのだと判断したユミは、チェシャ猫にも了解を求める。チェシャ猫は「しょうがないニャー」と言って尻尾を左右に揺らした。
「ほら、ジェームズ」
強引に背中を押されチェシャ猫の前に押し出されたジェームズは、恐る恐るチェシャ猫へと指先を伸ばす。実在する猫の中でもメインクーンは大型で、ジェントルジャイアントという愛称から判るように成猫は鼻先から尾の先まで1mに届く長さだ。標準的なイエネコを見慣れていたら、その大きさに戸惑いが先に来てもおかしくない。
「あっ」
腰が引けているイケメンを面白そうに見ている一同に緊張が走った。
『フーッ』
伸ばされたジェームズの指先に噛み付いたチェシャ猫の尻尾が激しく左右に振られる。
「ええええ」
「うわー……」
「こ、こわくない。こわくない? 」
それまで大人しく撫でられていたチェシャ猫の突然の豹変に、戸惑いとともに残念な空気が流れるが、噛まれた当人の表情に変化はない。チェシャ猫を抱いていたデミオは、ジェームズの腕を捕まえるために身を乗りだしたチェシャ猫を取り落とさないように抱きとめた状態で固まっていた。
「……」
噛んだ猫を叱るでもなく、噛まれた指を無理に引き抜くわけでもなく。ジェームズは、自分の腕を両前足でしっかりホールドし、口を外さず甘噛みを繰り返すチェシャ猫の口をじっと見ている。
「ね、猫ちゃん? 」
ジェームズの背後から覗き込んでいたユミは、流石にこの時が止まった光景はマズイと考えたのかチェシャ猫に声をかけた。
『ハッ。わっちとしたことが』
ジェームズの指から口を離したチェシャ猫は、申し訳なさそうに僅かに肉がへこみ噛み跡が残った人差し指と中指を丁寧に舐め許しを請う。
『この娘のナデナデが気持ちよすぎて、つい噛んでしまったニャ。申し訳なかったニャ』
「いや、特に」
猫に触れようとしたことも、猫に噛まれたことも初めての体験となったジェームズは、リアクションの基準が判らず解放された手を引き戻し、じっと手のひら側から噛み跡を眺める。その微妙な反応に、ましゅ麻呂は目を細めた。どうしようもない既視感を覚える。
「お前まさか、猫初めてか? 」
「猫。……エネミー以外では、初めてだ」
整った顔が、キリリと目ヂカラでましゅ麻呂に訴えた。
「どんな箱入り息子だよ」
猫型のエネミーは幾つか存在するが、プレイヤーがすぐに思いつくのはマルガリテス第一MAPから第二MAPにかけて出るレッドマッカレルタビーWやドラコーレプリーが出るエリアの手前、ペルディーダドバールに出るベアキャットといったところだろう。どちらも大きさは一般的な猫の標準体型だが、レッドマッカレルタビーWは顔が凶悪で温情なくプレイヤーに狩られているし、ベアキャットは可愛らしいのは見た目だけで攻撃力が凶悪だ。しかも、燃えている。クエスト以外で狩られることはない放置エネミーで、砂漠を悠々自適に闊歩していた。同じ猫型エネミーでも格差を感じる。
「セミでも喜んでいたし、猫も初めてとかお前。もしかして、犬とかも触ったことないんじゃないの? 」
オミ的には冗談のつもりで言った言葉だったが、ジェームズは神妙な顔で頷いた。
「マジか」
「本当に!? 」
「え。流石にそれは」
「イギリスって、リスしかいないとかないよね? 」
「いやいやいや」
「動物アレルギーとかかもしれないっすよ」
たかだがチェシャ猫に触る触らないの話から、ジェームズの生態へと話がずれていく。
『ニャんだか、嫉妬を覚えるニャ』
それまで話題の中心であったチェシャ猫が鼻を鳴らした。
「猫ちゃんは、いるだけで可愛いわ」
よく判らないフォローをするユミだが、チェシャ猫はそれだけで満足したようだ。初めて姿を見せた時のように歯を剥き出しにして笑う。
「あー、で。猫さんよ」
話が長引きそうだと感じた沢蟹は、デミオに近づくと腰を屈めチェシャ猫と視線を合わせる。
「お前、何しに出てきたの」
『わっちは、よい子だから迷子になりそうなニンゲンたちにヒントを与えに来てやったニャ』
「……」
胡散臭い。と、目で語る沢蟹にシシシと嗤うとチェシャ猫は再び姿を消した。剥き出しの歯の状態になると途端に3Dアニメーション的になる。リアルな口が描かれた紙が、風に飛ばされて宙に浮いているようだ。捕まえようと手を伸ばしても、容易く指の間をすり抜けて飛んでいってしまう様は、戯れに飛ぶ蝶にも似ていた。
『迷路は長いニャー。時間に気をつけないといけないニャー』
“猫の消えた笑い”は、笑い声を零しながらアラベスクたちの頭上を移動し、ハヤトの前にやってくると彼を脅かすように顔に迫り、驚いてハヤトが仰け反ればすぐさま飛び去る。
『食事の時間がきたら、肉を炙るためにヤツが出てくるニャ』
皆の頭の上を一周した笑いが、勢いをつけて壁にぶつかると蔦の中から猫の顔が出てきた。裏表は関係ないようで、浮いていた口はしっかりと吸着している。
「ソイツの名は、マンクソームか? 」
『ヤツの名前なんて知らにゃいニャ』
ツンと鼻を上げるチェシャ猫の態度に、沢蟹は振り返ってアラベスクを見た。互いに目配せし合うとましゅ麻呂を見る。二人の視線を受け、彼も理解したのか小さく頷いた。次にオミを見れば、ましゅ麻呂とのやり取りを見て判っていたのか何も言わず頷く。チェシャ猫に一人驚かされたハヤトは、警戒してアラベスクの隣に逃れてきていた事が幸いし、彼に肩を叩かれる事で直接アラベスクの声が頭の中に聞こえ頷く。
ましゅ麻呂と目が合ったデミオは彼から。オミの傍にいたエイタは、彼に肩に腕を乗せられた事で考えが聞けた。
ユミだけに話させろ。
他のメンバーでも会話は成り立つかもしれない。だが、ゲームに慣れた人間は、ついCPUの裏を読もうとする。このAIは何を学習し、どう行動するのか。染み付いた反射が、時に判断を曇らせる。その点、考え方がフラットなユミは、システムに慣れても動作の裏側までは憶測せず、好奇心のままに言葉を紡ぎ、常に見たまま聞いたままを受け入れニュートラルな判断を下す。シンプルなユミの思考は、対応する側にもシンプルな受け答えをさせた。
これが生身の人間だったら巧くいかなかったかもしれない。しかし、ゲームの中の登場人物は、すべてプログラム通りにしか行動することはない。そこに何か意思があるように思えたとしても、元に設定されたプログラムがそう見せているだけの話だ。アルマクが言った気をつけろの意味が、ダブル・ミーニングによるミスリードだとしたら下手に知恵をつけたメンバーよりユミのようなタイプが活きる。
「ヤツって事は、出てくるのは一人なの? 」
自分を見上げるユミを見て、チェシャ猫はくるりと身を転がし逆さまになって彼女を見下ろした。
『一匹ニャ』
「お魚の顔をした? 」
『そうニャ』
一足飛びに答えを求めれば、チェシャ猫は正対することを避ける。だが、ハイかイイエで答える単純なものや前提として必要な認識の間違いは訂正してくる。裏読みをさせるために事実と違うことは訂正するのだ。
「まぁ、大変。私たち、食べられてしまうのかしら」
『それは、判らにゃいニャ。ヤツは動きが遅いから、逃げれるかもしれにゃいニャ』
「でも、お空を飛ぶのよね? 」
『飛んだら早いニャ。ゆらゆら歩いている時に逃げるニャ』
「そうなのね。教えてくれて有難う」
『ニャー』
ユミに褒められてチェシャ猫はご満悦だ。壁の中から顔だけ出し、クルクルと寝返りを打つ姿は何かの玩具のように見える。回転し続ける顔に些か引き気味になる沢蟹たちだが、ジェームズは一人視線を下に向け、ユミとチェシャ猫の会話を精察していた。
「猫ちゃん以外に、ヒントをくれる人はいるかしら? 」
地雷原を裸足で突っ切っていくユミに、ハヤトは自分の口が開いていたことに気づき慌てて口を閉じる。
『カーターのお茶会を探すニャー』
「お茶会? 」
『ニンゲンは、そこで休憩が出来るニャ』
「セーフティーゾーンってこと? 」
『休憩ができるとだけしか知らにゃいニャ』
「微妙に役にたたねぇ」
口が滑った事にエイタがしまったと顔を顰めるより早く、反応したチェシャ猫は回転するのを止め、それまでとは明らかに違う声音で吠えた。象やトラ、ライオンといった様々な動物の声が混ざり合った音が大音量で響く。余りの煩さに耳を塞いで少しでも軽減しようと試みるが、その程度では太刀打ちできない。
「猫ちゃん。よい子は人を嚇したり、脅かしたりしないわ! 」
鳴き続けるチェシャ猫に負けない大声でユミが叫んだ。途端に鳴き声が止む。
『わっちとしたことが』
「ねぇ、猫ちゃん。私たちは安全にこの迷路を通り抜けたいの。ヒントを教えて」
『……』
再び寝返りを打ち、姿勢を元に戻したチェシャ猫は、考えるようにゆっくりと瞬きをする。
『時間に気をつけることニャ。食事の時間、お茶の時間、おやすみの時間』
「食事とお茶とおやすみ」
繰り返すユミにチェシャ猫は、一声鳴くと壁の中から左前足を出して彼女のほうへと伸ばした。触れということかとユミも右手を伸ばし前足を掬うように触れる。
『どれも避けては通れないニャ。けど、知っているかどうかで安全に通れるかどうかは違ってくるニャ』
指先に感じた硬い感触に、ユミは腕を戻すと手のひらを見た。小さな真鍮製の鍵を渡されたことに小首を傾げる。
「くれるの? 」
『あげるニャ』
「これは何に使うの? 」
『それは、その時がきたらわかるニャ』
「判ったわ。大事に取っておくわね」
言うと、ユミは渡された鍵をインベントリに収納するのではなく腰とベルトの間に挟み込んだ。
「他に気をつけることはあるかしら? 」
『テーブルの上にあるクッキーを見つけたら、食べずに内緒で失敬するニャ。どれだけ薦められてもその場で食べてはいけないニャ』
「クッキーは、食べてはいけないのね」
『そうニャ』
「カーターのお茶会に参加したい場合は、どうすればいいの? 」
ゴロゴロと喉を鳴らした後、チェシャ猫は今までと少しニュアンスが違う笑いを浮かべた。
『ぬしは、かしこいニャ』
ややあって零れ落ちた言葉に、ユミは緩く口角を上げて微笑む。
「自分では判らないけど、猫ちゃんがそう思ったのならきっとそうなのね。褒めてもらえて、とても嬉しいわ」
『ぬしらも賢いニャ』
交渉に一番適した相手のみに喋らせ、一切の口を噤んだアラベスクたち全員をチェシャ猫は順に見て回る。その間の取り方に狡猾さを感じたましゅ麻呂は、瞼を半ば下ろしながらも無言を貫き、アラベスクは次にチェシャ猫が何を言い出すのかと内心焦りながら、勤めて表情に出ないように無言で猫を見上げ続けた。
黙して語らず。一瞬の判断で統一された思考は、今度こそ完遂された。
『お茶の時間は、六時ニャ』
「六時にならないと出会えないの? 」
『……』
クルリとチェシャ猫の顔が回転した。
『やつらは、ずっと六時ニャ。わっちが話せるのは、ここまでニャ』
引き出せる情報の最大までをユミは聞き出すことに成功したらしい。
「教えてくれて、ありがとう」
礼を言うユミに、チェシャ猫は満足げに歯を剥き出しにした笑いを向けると笑いを残して姿を消した。
『わっちは、一匹にゃれど、わっちは沢山いるニャ。そして、みんな繋がっているニャ』
その言葉を最後に、笑いもその場から消える。
「猫ちゃん? 」
『ネズミも鳥も猫が嫌いニャー』
声だけが聞こえるが、その声も遠くに移動しているのか語尾は小さく途切れて消えた。
「いなくなったのか? 」
「多分」
詰めていた息を吐き出すアラベスクの横で、沢蟹が警戒するように周りを見渡す。
「もうちょっとモフモフしたかったー」
猫の感触を思い出しているのか、杖を抱きしめ身を捩るデミオにオミとエイタが呆れた目を向け、ハヤトはもう喋っていいのかと周囲を伺う。
「触れなくて残念だったな」
うっとりとするデミオを横目にましゅ麻呂がジェームズをからかえば、彼は軽く肩を竦めてユミを見た。
「はい」
ユミは、ジェームズが請求するであろうことが判っていたかのように、ベルトに差し込んでいた鍵を手のひらに乗せ彼に差し出す。
「鍵だ」
「鍵っすね」
「何の鍵? 」
自然とユミの周りに集まったメンバーは、彼女が見せる鍵に首を傾げる。相手がMobならレアドロップだとはしゃげるが、NPC扱いとなると取り扱いが難しい。チェシャ猫は時がきたら判るといった。となると、消耗アイテムかそれに近いものだろう。
単純に考えるなら脱出に関連するキーアイテムの可能性だが、そうなるとチェシャ猫が迷路に入ったプレイヤー全員と接触し、アイテムを譲渡していなければ公平性が保てない。単にちょっと出口が近くなりますよ。くらいなら問題はないのだが、もし、このアイテムが無ければ迷路を突破することが出来ません。となれば問題だ。
常設で鍵を手に入れる手段を置かなければ、ゲームとして成り立たない。何より、場にいた全員が手に入れることなくユミだけが渡されたというところも引っかかる。
「旧マルの羽みたいなものっすかね? 」
『迫害されし民の迷宮』の深層をクリアすると廃忘の羽というアイテムが貰えた。ラスボス部屋にはこの羽を使わなければ転移することが出来ないため、謂わば再入場チケットのようなものだ。一つあればPTMが全員転移できるアイテムで、過去にクリアしたプレイヤーが新規を連れていくパターンが恒例化している。
「確かに、一個あればまるごと転移するけど」
羽の入手法はクリア以外にも用意されており遺却の羽と名前は変わるが、国家貢献ポイントを消費することで斡旋所で交換出来た。財政難で廃忘の羽の手持ちを売り払ってしまったとしても問題はない。
「ボス部屋行きなら、どっちかってーと天の鍵っぽいよな」
ユミの手から鍵を取り上げたましゅ麻呂は、目の高さにそれを持ち上げ四方から見て形を確認する。アンティークなデザインのスケルトンキーは、ファンタジーものではお馴染みのデザインだ。持ち手となる頭部には美麗な装飾が施されており、円筒状の軸の先端に独特の合い形がついている。しかし、特に仕掛けがあるようにも思えず、ただの鍵にしか見えなかった。
「斡旋所に新アイテムが追加されたとか聞いたことないぞ」
「だよなー」
仮にボス部屋行きだとしたら、遺却の羽のように何かと等価交換で簡単に手に入らなければならない。何かしらの動きがあった場合、即座にユーザー側から情報が発信されるはずなのだ。だが、この鍵についての情報は耳に入ってきてはいない。
「この文字、なんて書いてあるんだ? 」
軸の部分に刻まれた文字に目が留まったましゅ麻呂だが、義務教育から筆記体の学習が省かれて久しい世代の彼には読むことが出来なかった。
「任せた」
餅は餅屋とばかりに、彼は鍵をジェームズへと投げて寄越す。反射的に鍵を受け取ってしまったジェームズは、渋るような顔を作ってみせた。額が高い欧米人は、日本人より眉がよく動く。目は口ほどにものを言うというが、彼らの場合は眉の動きだけで会話が出来そうだ。
「その余裕ぶった顔が悔しいッ」
地団太を踏むましゅ麻呂に喉の奥で笑うとジェームズは鍵の軸に目を落とした。
Who in the world am I?
文字を見たジェームズの頬が強張る。
「ジェームズ? 」
その変化に敏感に気づいたユミが声を掛けた。
「いや、なんでもない」
いつものどこか冷めた、けれど柔和な表情に戻ったジェームズは、鍵をユミに握らせると答えを待つましゅ麻呂に視線を戻す。
「書いてある文字は、私はいったい何者か、かな」
「なんじゃそりゃ」
ましゅ麻呂の言葉に反応するように、彼が背にしていた通路が勢いよく閉じた。
「やべぇ、道が変わった」
元の進行方向だった通路が閉じてしまった代わりに、チェシャ猫が最後に埋もれていた壁が消え去っている。
「話は後だ。とにかく、歩き出そう」
アラベスクに促され、彼を先頭に新しく開いた通路へと歩き出す。
「この鍵は、しまってもいいのかしら? 」
隊列を戻す前にと、ユミは隣を歩くジェームズに鍵をどうするか問う。
「インベントリの中に片付けてしまっても問題はないと思うが、一応、外に出しておいたほうがいいかもしれないね」
「デミが言っていたソードオブヴォーパルみたいな使い方するアイテムだと、出てないと効果ないだろうしな」
沢蟹の何気ない言葉に、一瞬の静寂が訪れた。
「あー」
「マジか、サワ。お前頭いいな」
脱出用か転移用アイテムとばかり関連性を考えていたメンバーの目からウロコが落ちる。
「その可能性は考えてなかった」
「外出ることだけ考えてたっすよ」
「えーやだー。黒き森って頭いい連中の集まりー? 」
予想外に褒められ沢蟹は照れ臭いのか、何も言わずアラベスクの隣へと走っていってしまった。
「沢蟹って意外と照れ屋? 」
「もっと褒めてもいいのよ」
「耳まで赤いじゃん。やめてよね」
「解せぬ」
沢蟹の反応を笑うデミオにエイタがチャチャを入れるが、高速で否定され難解な顔になる。
『余裕でいられるのは、今のうちだけニャ』
蔦の中から笑う猫の顔が突き出てきた。
「まだいたのか! 」
『ニャッ』
「きゃーっ、もふもふー! 」
『ミギャー』
自分に突進してくるデミオを見て、チェシャ猫は笑いを置き忘れて壁の中に身を隠す。
「待って、猫ちゃん」
『もうすぐ食事の時間ニャー』
そう告げると歯を剥き出しにした笑いは弾けるように消えた。
前回、何か後書きに入れるの忘れているような……と、思ったのですが。
本当に忘れていました。すみません。
■最強の片道切符 『教会の扉』
どこにいても、たとえそれが戦闘中であっても、使用禁止の特別ルールが適応されていない限り、使用できる最強アイテム。
※『時の城』海の果ての島や『迫害されし民の迷宮』深層など、教会の威光が届いていない場所では使用できません。
戦闘職の場合、帰り道が面倒な場面で大活躍するアイテムです。お守り代わりに持ち歩くプレイヤーもいますが、枠を一つ使用するので持たない人の方が多いかも。坑道では必須アイテムに昇格しました。
一次生産職の場合は、重量に関係なく街中=教会の中まで一瞬で飛んでこれるので、重量オーバーが見込める採掘や伐採に出かける時、明らかに銀箱を取りに戻るのが面倒な敵が現れるフィールドに出かける時などに利用するプレイヤーが多いです。
戦闘職より、より身近なアイテムなのではないでしょうか。
『至る門』の最寄の村は、ワルター領パパラチア。
移動魔法を持たないプレイヤーが『至る門』へ移動する一つの手段として、各都市の教会からパパラチアに飛び、そこで己が拠点とする教会の扉の鍵を手に入れ、その場で使用せずに持ち逃げ。
『至る門』までザブルーで移動する。といったやり方があります。
■ ■ ■ ■
スキルアーツにある<隠遁>と<遁走>。<隠遁>はその場で姿を消し、敵をやり過ごすことが出来る。対して<遁走>は、姿を消した状態で移動が可能。ステルスポーションは、名前はステルスとなってはいるが効果は<隠遁>と同じで、動かなければ一定時間姿を消し続けることが出来る。
スキルアーツと同じつもりで使うと痛い目を見る引っ掛けアイテム。
POT系は基本、六級から存在していますが、プレイヤー露天で売られるのは四級からです。NPC商店で取り扱いがあるのは六級~四級まで。それ以上のものは、国家繁栄度が上がらないと店舗には並びません。四級も調薬ランクが落ちると消えるので、常時購入可能なのは五・六級となります。
レシピを持っている生産職が露天に並べるのは、基本三級~一級まで。四級は、なんとなく材料が余ったから作ったとか、献上品の余りとかを流す形です。
ステルスポーション 最大スタック数 3
級 効果時間(秒)(LQ/HQ)
6 5 (3/10)
5 10 (5/20)
4 20 (15/30)
3 35 (25/45)
2 60 (50/70)
1 90 (75/105)
効果時間におけるLQ、HQのクオリティ差はあくまで目安の数値であり、プレイヤーのスキル熟練度やLuc依存に掛かる部分もあり絶対ではない。
効果時間が異なるPOTはスタックが別となり枠を多く使用する。
アデライードが沢蟹に渡したPOTはイースターバニー印のため一級ステルスポーションHQ、効果時間120秒です。




