92 肝胆相照らす
「駄目だ、病んだ」
死んだ魚のような目。とは、よく表現されるときに使われたりするが、実際、そんな目をしている人間に出会ったことはそうそうないだろう。
だが、今のましゅ麻呂は、まさに死んだ魚のような目をして、塩茹でした枝豆を殻から出しては、MAPの上に一粒ずつ並べる作業をしている。
自動変換のいいところは、母国語が異なっていても意思の疎通が図れるところだ。但し、正しい文法を用いなければ、正確な言葉として変換されない。スラングや造語、略語などはゲームシステムに組み込まれているリアルタイム翻訳が追加対応しない限り、プレイヤー本人の言葉で反映される。訛りが強いプレイヤーが、そのままの言葉で話すのと一緒だ。
ましゅ麻呂としては、ジェームズがすべてを理解していると思わず、ギリギリの下ネタも含め、かなりのアブナイ内容を今まで彼に話していた。きっと対応していないから、何を言っても日本語になり、英語圏である彼には理解できないだろう。そんな甘い考えからだ。
それらが全部、理解されていた。そのショックは計り知れない。
「マッシュ、帰ってこーい」
「いいんじゃない。好きなだけ病ませてあげなよ」
ジェームズが日本語を完全理解しているという衝撃に、打ちのめされたましゅ麻呂を鈴木さんたちは心配するが、デミオは気にした風もなく彼が並べた豆の粒に横から手を伸ばし、勝手にご相伴に預かっていた。いつまでたっても、自分が気に入る数に並べることが出来ないため、ましゅ麻呂はひたすら枝豆を剥き続けている。
「お前、いつから日本語喋ってたんだ? 」
三年近く一緒にゲームを楽しんでいたが、初めて知った事実にアラベスクも驚きを隠せない。
「ある程度の日常会話は、最初から出来た。ただ、生きた日本語となるとやはりね。ユミがいい先生だったから、君たちと出会う頃には問題は無くなっていたが」
より深く理解するには、環境がどうしても必要となる。ユミは、どこかおっとりとして抜けた印象もあるが、言葉遣いは丁寧で学習するにはもってこいの対象となった。そこから先は、比較対象といっては言葉が悪いが、アラベスクたちやましゅ麻呂たちと出会っている。順に言語の多様性を理解し、順応していった。
「じゃあ、ひらがな、カタカナ、漢字とかも書けたりするの? 」
素朴な疑問とばかりにカタリナが質問する。
「ああ、大丈夫だよ。旧漢字と呼ばれるものにも対応している」
雪江からペンを借り、触媒紙を一枚分けて貰うとハヤトがジェームズの横にやってきた。
「ショウユって書けるっすか? 」
ペンと触媒紙を目の前に置かれたジェームズは、難なく紙に醤油と書く。それを見たハヤトは、次はバラ、その次はユウウツと画数が多い漢字を選んで彼に書かせていく。何の問題もなくスラスラと書かれる文字は、まるでフォントのように字崩れがなく印刷物並みに綺麗だ。
「流石、Mr. Perfect.人外っぷりが半端ねぇな」
「そんなに勉強できるのに、ゲームばっかやってるって何か勿体無い」
書かれた文字を見てエイタは感心するが、枝豆をほお張るデミオは直球で攻める。
「それは、別にいいだろ」
「そうだけどさー」
エイタにデリカシーがないと言われ、デミオは不満そうに唇を突き出した。
「私は、暇だからね。時々仕事を頼まれるが、それ以外はラボにいるだけだ」
「あ。なんかごめん」
経験の有無に関わらず、ぼっちの辛さは誰でも判る。ジェームズのフォローを自虐と受け止めたデミオは素直に謝った。
「色々な人間が集まるのが、オンゲの楽しさであり醍醐味でもあるからな。一々気にしていたら始まらない」
話を切り上げさせるかのようにアデライードがまとめ、元の議題に戻るよう促す。
「そんで、どうすんの。どっちかにするのか、それとも分かれて別々のことすんのか」
座卓を囲むことに飽きてきた沢蟹は、アデライードの小言が始まる前にと彼女が作った流れに乗った。面白そうなことに首を突っ込みたい沢蟹は、第二宿駅へ行きたいというより、迷路が気になっているようだ。雪江とは別方向に気遣いが出来る男、沢蟹であるが、彼も結局は祭り好きの男である。行動原理はましゅ麻呂と大して差がなかった。
「どちらがしたいか。一度、多数決を取ろう。似たような人数なら、それぞれ分かれる。大差がついたら、長いものに巻かれてくれ」
ユミと年齢非公開のカタリナを除けば、最年長に当るアラベスクが必然と場を仕切ることになる。彼の提案に頷く者、返事をする者様々だが、否定の声は聞かれなかった。
「じゃ、俺から見て右は資材、左は迷路で分かれてくれ」
同調圧力に屈しやすい人間は、こういった場面に弱い。周囲の顔色を見て、無難な方を選ぼうとする。だが今回、ここに集まっているメンバーは個性が強く、そんな感覚は持ち合わせていなかった。
「俺、迷路ー」
「私は、資材ね」
アラベスクの提案に挙手をして宣言すると、飲み会の座席移動のように座卓を囲んだまま右と左に分かれていく。
上手と下手のお誕生日席に残ったのは、MAPを表示しているアラベスクと、どっちつかずのアデライード。反対側は、ユミとジェームズだ。アデライードは、周りが決めてから人数が少ない方に付いていくと宣言していた。ユミたちも似たような考えだろう。
■迷路突入希望者。
ましゅ麻呂(双剣)
エイタ(長弓)
オミ(大剣)
デミオ(魔/長杖)
沢蟹(複合弓)
ハヤト(格闘/剛拳)
■資材納品希望者。
カタリナ(魔/魔導具)
フェルトン(大楯)
モカ(長弓)
タケル(盾・片手剣)
ほっぴー(盾・片手斧)
鈴木さん(格闘/剛拳)
雪江(魔/魔導書)
「おい、楯持ちと魔法即時発動が納品班って、どういうことだってばよ」
流石のましゅ麻呂でも、この割れ方には乾いた笑いも出ない。
「だって、歩くの面倒じゃん」
モカの尤もな指摘に、納品班は全員頷き、ましゅ麻呂は憮然と唇を歪めた。
「ジェームズゥ……」
恨みがましい視線を向けられた無詠唱者は、軽く肩を竦めると隣のユミを見る。ユミは左右の面々を交互に見比べた後、一度指先を納品側に向け掛けるが、最終的には迷路側を指差した。
迷路側に魔法職が足りないことを考慮に入れた部分も無きにしも非ずだが、彼女もまた新し物好きだった。鉄道が通ってしまえば、通うことがなくなる道かもしれない。だとしたら、その前に一度は体験してみたいと気持ちが傾いたのだろう。
喜ぶましゅ麻呂と対照的にユミと離れることになったモカが落ち込む。
「アラベスクはどっちだ? 」
現段階では、迷路側が一人多い。ここでアラベスクが迷路を選択したら、アデライードは自動的に納品班に振り分けられる。
「逆に聞く。この比較的常識人と、どちらかというと非常識人でパックリ割れた状態で、俺に選択権があると思うか? 」
「……乙」
自ら苦労を背負い込みに行く男、アラベスク。アデライードは、そんな彼の肩を軽く叩いて触れ、労う様に撫でた。
「話がまとまったようだのう」
アラベスクたちが撤収を始めたことを見て、アルマクが口を開く。
「ああ、ご覧のとおりだ。迷路について何か知ってる事があったら教えて欲しい」
「そうさのう」
胡坐をかいた状態のアラベスクと立ったアルマクで目線が丁度いい位置に来る。アラベスクはあえて立ち上がらず、尻をついたままぐるりと180度回転してアルマクへと向き直った。
「はぐれたら待て、三回回ればまた会える。だったかのう」
「なんじゃそりゃ」
「おんなじような質問されてたグラウチーが、そんなこと言っておった」
「また聞きっすか」
晴れ晴れと胸を張るアルマクに、雪江にペンを返すため傍に着ていたハヤトが突っ込む。
「わしらとて、何もかんも知っとるわけじゃないからのう」
残念じゃったなと歯を見せて笑うアルマクは、頭身こそミニマムだが、その顔つき相当の言葉遣いで話す。彼の自己紹介によれば、ちょっとやんちゃなドジっこ属性らしい。
「見た目は八十、中身は三百と十四歳。鋳鐵師アルマク、オリハルコンだって熔かせるわい」
決めポーズ付でそんな口上を述べられた一堂は、どんな設定を与えているのだと頭痛を覚え。カタリナとアデライードに至っては、無言でこめかみを揉んでいた。ましゅ麻呂、モカ、ユミの三人が瞳を輝かせてアルマクを見ていたが、絶対に真似をするなと各自の保護者に釘を刺されていたので、彼らがアルマクのような自己紹介を再現することはないだろう。モカの場合は、今も似たようなものだが。
「そうじゃな。“猫が消えた笑い”には、気をつけた方がいいじゃろなぁ」
「猫が消えた笑い? 」
「あの迷路の中に住んどる猫じゃよ」
よっこいしょ。と、アルマクは身に着けていたオーバーオールのポケットに両手を突っ込み、内側からたくし上げる。
「チェシャ猫ってことかな? 」
「さぁ。名前は知らんよ。ただ“猫が消えた笑い”としか、わしらは言わんからのう」
自分を見下ろす雪江を上目遣いに流し見たアルマクは、自身の足元に置いていた鳶口を拾い上げ肩に担いだ。
「あとは、“こなごなに挽き殺す”も出るからの。あいつが出たら、全力で逃げたほうがいい」
「粉々にひき殺す? 」
ハヤトの頭の中には、穀物収穫機が浮かぶが、ファンタジー世界でマシントラクターが出てくるはずもないと、すぐに想像を打ち消す。
アルマクの言う“こなごなに挽き殺す”が、何かわからない人間はハヤトと同じように首を捻っていたが、一部のメンバーは雪江のチェシャ猫発言で察しがついたようだ。
「魚の顔したアレだろ」
「魚だな」
アデライードの指摘に、フェルトンが頷く。
「魚? 」
ユミは、隣に立つジェームズを見上げた。
「魚のような顔に、爬虫類の胴体。首と尾は蛇のように長く、蝙蝠の羽を持った怪物だよ」
「キメラってこと? 」
幾つかのモチーフが混ざったものをキメラというと教えられていたユミは、すぐに思いついた単語を口にする。
「マンクソームって表示が出ていたよ。お疲れさま。ユミさんたちは、今から出勤かい? 」
知っている声にそちらを見れば、黒光りする群青色の全身鎧を身に着けたプレイヤーがそこに立っていた。
「出海……」
久しぶりに見たまともな格好をした旧友にアラベスクが立ち上がり、握手を求めて近づいていく。理由はわからないが、この二人は必ず顔を合わせると握手から始まり、最後はお互いの肩を抱いて再会を喜び合うのだ。
例えそれが、昨日の今日での再会であったとしても。
「今、帰りっすか? 」
熱く友情を確認しあう二人に、ハヤトが混ざりに行く。やっと方針が決まり、これからという所で時間のロスをしたくないと考えるアデライードは渋い顔だが、彼女以外は概ね、出海の登場に好意的な表情だ。
渋面を作るアデライードに片手を挙げて挨拶した出海の後ろに、彼のクランのメンバーが見えた。最近は生産に精を出していた彼らだったが、やはり本職は戦闘職。『坑道』に挑んでいてもおかしくはない。
やれやれと溜息を吐きながら、おざなりに手を振り返すアデライードに出海が笑う。結局はここにも、友情は存在していた。
「グルグル回らされた結果、こっち側に出されてしまったよ」
動く壁というのは、なかなかに手強いらしい。さらに、迷路の中ではフィールドマップを開く事ができず、常時視界の端に表示できるミニマップもブランク状態で機能しないということだった。東西南北を意識して進まなければ、すぐに迷子になってしまい意識して進んでいた出海たちも、気がつけば入り口に戻されてしまったとカラカラと笑って報告する。
「マンクソーム……ジャバウォックってことだな」
「ああ。あと、アイツはなかなか個性的な顔をしているから、女性陣は覚悟をしておいた方がいいよ」
個性的な顔といわれても、デミオたちの想像の限界は人面魚くらいだ。ジェームズの解説を聞いても、湿地にいるリザードマンに羽が生えて、魚の被り物をしている姿しか出てこない。
「レア泥はソードオブヴォーパル。さっきミルキーが引き当ててた。アイテム詳細を見る限り、武器として使用というより、範囲効果アイテムとしての側面が強いかな。一本持っていれば、マンクソームを弱体化出来るそうだよ。十本集めてリクリエイトすれば、マンクソームに限り一撃で沈めれるらしい」
「ここの開発、リクリエイトとか潜在解放とか好きねぇ」
頬に手を当て、悩ましげに身をくねらせるカタリナのくびれに目を奪われたアルマクとタケルだったが、モカに脛を蹴り飛ばされたタケルが無言のまま地面に沈んでゆくさまを見て、アルマクは鳴りもしない口笛を吹きながら明後日の方向へ視線を泳がす。
「数こなすのに、意義を出したいんだろうね。他にも魔獣の皮やゴールドもウマイから、倒して損はない敵かもね」
「へぇ」
ゴールドがウマイと聞いたましゅ麻呂は、途端に悪い顔をする。宵越しの金は持たない主義のましゅ麻呂は、稼ぎのいいモンスターエネミーは大好きだ。
他にも出海は、今さっき経験したエネミーの情報をいくつかアラベスクたちに提供してくれた。中にはSNS上で公開されているものも含まれていたが、迷路内は撮影も出来ない仕様となっており、映像も一切出ていない。文面では伝わりにくい説明も、問答として直接聞くことが出来たのは僥倖だった。
「じゃ、そーゆーことで。またね」
言って、出海は自分を見つめる面々に手を振る。迷路に篭っていた出海たちは、地球時間でゆうに二時間を越えているらしく、警告が出て仕方がないと第一宿駅側に戻されたことで一旦区切りにしようとなったらしい。
出海の話が終わったことを確認した彼のクランのメンバーは、次々に『教会の扉』を開いて『坑道』から消えていく。迷宮内では、瞬間移動や時空門といった移動魔法は使えないが、教会の扉の鍵という公式チートアイテムは使用できた。
教会で献金することで、任意の町の教会へ移動できる『教会の扉』の『鍵』を手に入れることが出来る。本来なら、その場で使用し、一瞬で行き先に指定した教会の扉の前に降り立つことが出来る『鍵』だが、これは持ち逃げが出来た。スタック数は1。地球時間で取得から二十四時間の時限であり、有効時間を過ぎれば使用できない仕組みになっている。
だが、迷宮内からでも緊急脱出できるという特性から、お守り代わりに持つプレイヤーはそれなりにいた。どこでもドアならぬ、行き先指定のどこからでもドアは、『坑道』攻略では今や必須アイテムとなっている。
「またね、ユミさん」
「ええ、また」
ユミの返事を聞いてから、出海は何もない空間に鍵を握った手を伸ばす。すると、そこに光で縁取られた扉が現れた。鍵穴に鍵を差し込み、捻る。解錠される音が響くとともに、出海の姿が光の粒となって崩れて消えた。




