90 捕らぬ狸の皮算用、分別過ぎれば愚に変える
自己が所有する装備武具のレアリティを自己の強さや価値と考えてはいけない。ゲームをプレイするものならば、誰もが知っている常識だ。だが、いつの間にかその感覚が麻痺し、他者と自己を比較する時に持ち出してしまう時がある。
人を見た目で判断する時に、プレイ傾向として丁度いい判断基準になるのも確かだからだ。だからミケは、ユミを見た目で判断した。
ユミが言い当てたミケやカナヤについての様々な事を気持ちが悪いと聞き流したりせず、冷静に受け止めていれば、そうはならなかったはずなのに。
ミケは勘違いをしていた。ユミが装備を変えないのは、変える発想がないわけではなく、変える必要がないからだ。彼女は、十分に今の装備で事足りていた。
このゲームでは、開放された枠以上に数値を盛っても反映されない。大切なのは、スキルの到達度であり、そこに付随する付加価値。新参が、三ヶ月もあれば古参と肩を並べることが出来ると言われ、アーティファクトを作ってからが本番とも言われるこのゲームの肝の一つ。
『到達度』というシステムに含まれる『既存価値調整』を如何に網羅することが出来るか。が、重要なのだ。
他者に依存することで物品に恵まれ、システムの根幹に触れず付加価値を補ってきたミケは、ゲームの肝を軽視していた。いや、記憶の中から削除していたといっていいだろう。
「ユミりん、パリイパリイ」
「パリイって何? 」
「受け流しのことだよー」
「ああ、受け流しね」
パリイはバッシュのように相手の攻撃を受けて弾き返すものではなく、文字通り攻撃を受け流しカウンターを叩き込む技だ。ユミのような双剣士の得意分野といっていいだろう。秒で勝負が決まるため、訓練目的の模擬戦で挑まれる側は禁じ手とされることが多い。
「受け流しできるっしょ」
「出来るけど……」
チラリとミケを見るユミの表情からは、困惑と心配がにじみ出ていた。
「ユミりんは、初撃パリイ縛り。オッケー? 」
「判ったわ」
ましゅ麻呂の指定に素直に頷くユミを見るミケの目が細くなる。ミケが扱う多節鞭とユミの双剣では、リーチだけでなく重さも違う。速度が乗った状態で当れば、受け流しを使って刀身を受けられたとしても、重さで持っていける。
死者と死の精霊の眼を使っている段階で、一般プレイヤー丸出しの相手に負けるとは思えない。ミケ自身、自分の実力が高いとは思っていない。けれど、いつまでも時代遅れの武器を振り回して満足している相手に負けるほど弱くはないと自負がある。
「よろしくお願いするの、ですっ」
何かと余裕があるように見えるユミが、ミケとしては気に入らない。気持ちの黒い部分を隠そうとして、日本語がおかしくなっていた。
「よろしくお願いします」
挨拶し、一度剣先で地面を叩いてから武器を構えるミケに、ユミも慌てて手にした双剣はそのままに、両手を前に揃えて深くお辞儀をする。
この隙っ。
ユミの頭が上がる。その瞬間を狙いミケが一歩踏み込んだ。模擬戦は、相手が承諾した瞬間から始まっている。凡そは、互いが構え、仕切り人がカウントしスタートするものだが、ましゅ麻呂たちが居合わせたせいで、その辺りが曖昧になっていた。
カシュッ。と、小さな音が響く。ミケは動きを止めた。
「これ、どうしたらいいの? 」
ユミの動きも止まっている。
踏み込んだ姿勢のまま静止したミケの首には、ユミの死者と死の精霊の眼がピタリと張り付いていた。
「そこで振り抜かないとぉー」
ましゅ麻呂がブーイングする。先手必勝とばかりに、ユミが態勢を整える前に仕掛けたのはよかったが、そこまでだ。
多節鞭は、戦鎚に含まれる武術スキルである。振り抜くという動作から、戦鎚に分類されている武器種だ。中には、最初から鞭の形をしたものもあるが、武器の形態として多くは剣型で、片手で扱えるギリギリの長さと大きさをしており、多節という部分が表すとおり剣身の形状が剣から鞭へ、鞭から剣へと自在に変化する。
見た目ロマン武器は、期待を裏切らずクセが強い。一長一短というのはどの武器にも言えるが、多節鞭は使用者が初心者か上級者に分かれ谷を描くように偏った。
剣型で接近戦をこなせ、鞭状で安全圏から攻撃が出来、火力もそれなりに出ることから触ってみるプレイヤーは多い。しかし、単純火力としてそこまで威力があるわけではなく、他者と自己を比較し、火力不足が気になりだすと卒業していく。きっちりと扱おうと思えばそれなりのPSが必要となり、条件を満たしているプレイヤーのみが使い続ける実質玄人向け武器だ。
ミケがどちら側か、となると判別は難しい。彼女の多節鞭スキルは150まで開放済みだが、現在のゲージは120%を些か越えた辺り。戦歴としては十分に扱っているが、彼女はソロで活動することはなく常にPTプレイで行動している。不足分を誰かが補ってくれる戦い方に慣れてしまうと、自分の実力がどの辺りなのかが正確に判断できなくなるのだ。PTの実力を自分の実力と混同してしまう。
数値分、他者との折り合いに不満を持つほど扱いが下手ではないだろう。だが、数値は扱っていれば勝手に上がるのだ。数値が高ければ、PSに繋がるというものではない。
特に、対人戦では。
ユミには、受け流しを使えとリクエストが着ていた。もし、その指定がなかったら、ミケが踏み出した足が地を着く前に彼女はユミによって殴り飛ばされていただろう。
一瞬の出来事を笑う者はいない。何があったかを目で追えた者はユミの手並みに感嘆したし、そうでない者は、単にユミが一瞬でミケの懐に飛び込んだとしか見えなかった。
アラベスクやモカが見た光景は前者だ。
ミケの多節鞭が、振り抜く動作に合わせて剣身が蛇腹のように開く。鞭へと形状が変化する直前に一足飛びで距離をつめたユミが、まだ開ききっていない剣身に左手の剣を当て滑らし、更に奥へと身を捻り右手を伸ばした。
本来なら、そのまま相手の首を折るように逆手に持った右の剣を斬り上げるように振り抜くのだが、彼女は左足の踵をストッパーに勢いを殺し、向かうべき重心を直下することでミケの首に触れた状態で寸止めとした。<迅雷>を使うまでもない。パッシブアーツである<俊足>が働いている彼女にしてみれば、止まっているに等しい相手に距離をつめる事など造作もないことだった。
「キル獲らないとダメさー」
それに続き、ほっぴーまでユミの温情にダメ出しする。<SUPERNOVA>の良心である彼だが、しかし<SUPERNOVA>なのだ。慈悲はない。
「酷いッ、ユミりん俺の時は容赦なかったのに! 」
過去にユミと模擬戦をし、瞬殺されたエイタが泣き真似を始め、ユミは混乱する。
「えっ、でも、女の子だし」
「……っ」
ミケ自身、女を武器にしたことはあるが、盾にしたことはない。それが、女という理由で手加減されたと思うと業腹だ。
「も、もう一回」
自分より、頭一つ下にある少女の顔を見て提案する。言われた彼女は、やはり始める前と同じように少し困った顔でミケを瞳に映した。
「何度やっても同じだろう」
不意に聞こえてきた柔らかく掠れた声に、ユミは一歩下がると剣を収める。ユミの態度に、ミケは水を差されたと腰を捻って半ば振り返り、声のした方向へ視線を投げた。
「多節鞭は、スピードが乗れば速いが振り込むまでが遅い。彼女に届く前に距離を詰められるよ」
声の主と目が合う。そこには、呆れた顔をした銀髪の白い騎士が、共を一人連れて立っていた。
「よう、アデルー。遅刻ー」
「うるさい、ハゲ」
「はぅあっ」
リアルのほうで最近、生え際が気になりだしたましゅ麻呂は、おでこを両手で覆って仰け反る。ユミは、アデライードに向かって胸の前で小さく手を振った。その仕草を見て、冷たかった彼女の目が優しさを見せる。
「君、<ポーラスター>の子だね」
ユミからミケに視線を戻し、今度はその視線をましゅ麻呂たちと少し距離をとった所で模擬戦を見ていたカナヤへと向けた。
「友達同士の遊びだ。好きにすればいい。だが、こんな目立つ場所でやるな。今は時期が悪い」
アデライードが何を言いたいのか察したカナヤは、ミケを止められなかった負い目から気まずそうに視線を外す。
「自治厨おつー」
ハゲと言われたダメージから復帰したましゅ麻呂が横槍を入れれば、射殺さんばかりの視線が飛んできた。距離が離れすぎているため、いつものように氷が飛んでくる範囲から外れている。
「お前たちも実力差は判っているだろう」
心配そうに見守っていたタケルたちではなく、完全に観戦モードで楽しんでいた<SUPERNOVA>に矛先が向く。
「って、言われてもさぁ」
「ミケちゃんやる気マンマンだったからぁ」
「ユミりんの瞬殺タイムレコードが更新されるかと」
「万が一の可能性を見たかった」
口々に言い訳を口にする無責任軍団に溜息を零す。アデライードの背後では雪江が、穏便に穏便にとジェスチャーで<SUPERNOVA>の面々に伝えている。小言が始まってからのアデライードは長い。それを判っているため、雪江は必死にましゅ麻呂たちにそれを身振り手振りで伝え、察した彼らも雪江に忖度した。
「多節鞭を使うということは、君はVIT寄りのDEX型だろう。AGI特化型のユミとは相性が悪い。勝機が欲しいなら槍を使え、振りが早く防御も出来る」
アンタ、それ止めてない。背後の雪江がグワッと目を剥く。
「あと、AGI型Mob相手の戦い方を試したいなら、双剣ではなく剛拳使いを選んだほうがいいな」
アデライードの視線が自分に向いたことにハヤトが震え上がる。
「べ、別に、試したかったワケじゃないしっ」
突然登場した美形にどう対処していいのか判らないミケは、声を上ずらせながら視線を逸らす。自分の囲いの面倒を見ることで忙しいミケでも、彼女の存在は知っていた。氷結の魔女なんて恥ずかしい呼び名をつけられた【魔法騎士】。スタイリッシュ外道に、Mobを狩る性別不明者。奇跡のキャラメイクなんて揶揄されてる見た目は、美男美女しかいない他ゲのNPCが輸入されてきたみたいだ。
「そう。なら、その武器を収めて」
言われ、ユミを見れば彼女は既にやる気がなくなったのか模擬戦解除をし、モカの元へ行こうとしていた。その背を眺め、視線で追う。するとユミを見ているジェームズが目に入った。彼に視線を移す。その視線に気づいたのか、ユミを見ていたジェームズの目が自分に向いた。
心臓が撥ねる。
失望されたらどうしようか。まだ知り合って間もない。いや、知り合いに数えていいのかも判らない関係で、そんな心配が胸を締め付ける。杖を持っていない方の手で、彼は自身の耳に触れた。その仕草に、もしかしてという希望がミケの中で生まれる。名刺交換をしていない間同士でも、互いに相手を視界に入れ認識した状態ならば個人での会話が出来る。
もしかして、彼が自分にだけ話しかけてくれるのではないか。そんな期待にミケの心臓が早鐘を打つ。その期待に、もれなくジェームズは応えた。
『君は、無茶をする子のようだね』
自分にだけ向けられた言葉。自分にしか聞こえない彼の声。あまりの嬉しさに、ミケは両手で口元を覆う。言葉が出ない。彼が、自分だけを見ている。彼が、自分だけに話しかけている。それまでの不安が一瞬で払拭され、多幸感に包まれたミケは、ジェームズの次の言葉を待つように黙って彼を見つめる。
「……」
少し、何かを考えるように視線を外されたが、再び彼の瞳が自分を捉えた。
『ユミは多分、今ここにいる誰よりも強い。容易く挑んで勝てる相手ではないよ』
「……っ」
息を呑んだミケの瞳が、潤み出す。
『ユミは強い』、『容易く挑んで勝てる相手ではない』その言葉は、ミケの中で彼女を心配するものへと変化した。
ユミは強いから、模擬戦で負けるのは当たり前。たとえ模擬戦でも戦闘には変わりなく、殴り合えば痛みを感じてしまう。だから、ミケが痛い思いをしないように、ユミとは戦ってはいけない。
ああ、こんなにもこの人は私を心配してくれている。舞い上がる気持ちのまま、ミケはジェームズに対し頷いた。
ユミは強いから、ジェームズと一緒にクエストに出ても、きっと彼を守ってくれているのだ。ユミが強いのなら、友達となった私も彼と一緒に守ってくれる。
ユミとミケは友達ではないし、フレンド登録すらしていない。だが、フレンド登録をしていない間柄でも、友情は成立するだろう。しかし、今日会ったばかりの人間にその理論が通用するとは思えない。けれど、ミケの中でユミは既に友達であった。坑道に行きたいと言った自分をユミは心配し、模擬戦の最中も彼女はずっと困った顔でミケを見ていた。それはきっと、ユミが自分を守りたいのに、傷つけなければならない模擬戦を強いられたからだ。現に彼女は、自分に刃を当てただけで何もしなかった。
私を守りたいのに、傷つける可能性のある模擬戦をさせるなんて。なんて酷いことを自分はしてしまったのかとミケは反省する。
「大丈夫だったか」
ミケの隣を通り過ぎるアデライードたちと入れ替わるようにカナヤが駆け寄ってきた。
「うん。すっごく早く動く人がいるのね、びっくりしちゃった」
憑き物が落ちたように、ミケはカナヤが知るいつものミケに戻っている。安堵の笑顔がカナヤに浮かんだ。
「正門前に着いたって連絡があったから、行こう」
ミケを守る騎士たちが到着したらしい。ミケとしては、ジェームズに自分の方が役に立つのだと見せたかった。でも、結果としては良好だ。ジェームズは自分を心配してくれたし、ユミも自分を大切にしてくれている。これから何度でも、二人ともっと仲良くなるチャンスはあるはずだ。フロイデの街に何度でも足を運ぼう。坑道に通ったっていい。いっそ、拠点をフロイデに変えてしまおうか。けれど、それには黒猫の許可がいる。<ポーラスター>は、マルガリテスが本拠地なのだ。勝手に拠点を変えて、彼女の不興を買うわけにはいかない。
カナヤに背を押され、ミケを待つ仲間の元へと歩き出す。
「あ。そうか」
三歩も行かない内にミケは足を止め、カナヤを見上げる。
「猫ちゃんにお願いすればいいんだ」
いい事を思いついたと瞳を輝かせたミケは、カナヤに先に言っていてと断り、モカと手遊び歌で遊び始めていたユミへと駆けていく。ジェームズの所へも行きたかったが、彼はアデライードと挨拶を交わしている。ミケの嗅覚が、アデライードは危険だとミケに伝えていた。装備も美貌も彼女はミケより格段上だ。自分が霞む相手の横に、好んで近寄る馬鹿はいない。それに、ユミは『今ここにいる誰よりも強い』のだから、アデライードよりユミの方が強いのだ。だったら、ユミと仲良くなれば、アデライードはいらない。
ユミを真似して手を動かしていたモカが、駆け寄ってくるミケに気付き動きを止める。急に固まったモカに、どうかしたのかとユミが声をかけるより先に、駆け寄ってきたミケが彼女に抱きつく。身長差と体格差から、ユミの肩が豊満なミケの谷間にがっつりと埋まった。
ミケに抱きつかれたことよりも、肩から腕にかけて感じるジャストフィット感に茫然と自分を抱きしめる相手を見上げる。
「ごめんね、ユミちゃん。心配してくれてありがとう」
突然ミケに謝られたユミは、色々繋がらないのか数回瞬いた後、どういたしまして。と、微笑み頷く。理解の範疇を超えた相手の行動は、無理に判ろうとせず流してしまう方がよい。ユミの場合は、元々が判っていないのだが。
台風一過。
ユミに謝り、彼女が頷いたことで自分が肯定されたと判断したミケは、また遊びましょうと彼女に伝え、今度こそカナヤと共に去っていった。多分、先に『坑道』に向かうのだろう。
忽然と現れ、消えた嵐の存在にアラベスクとカタリナは心労極まれりといった溜息を吐き、ましゅ麻呂たちは他人事とジェームズを見てニヤついている。ハヤトは座っていた場所から、ミケの谷間にユミが埋もれたのを見てしまい、どんな感触だったかユミに聞いていた。タケルはそんなハヤトを止めているのだが、やはり興味津々といった具合でモカにまとめて冷たい視線を浴びせられている。
「気をつけな」
遠く離れ、小さくなったミケが<ポーラスター>の仲間と合流し、時空門で消えたのを確認してからアデライードは、それまでの話の内容とは関係ない言葉を隣に立つジェームズに投げた。
「あれは、蛇蝎のようにしつこいよ」
暗にミケの事を言っているのだと察しはつく。
「全く、時空門出てすぐに<栄光の国>がいた時も驚いたけど、今度は<ポーラスター>か。飽きさせないね」
「私は、何もしていない」
ジェームズにとっては、本日何度目かの主張だ。彼にしてみれば、何一つ身に覚えのないことで、いや、事実はあるが、かなり曲解された理由で勝手に慕われ、探し出され、襲撃されたと言って過言ではない状況だった。挙句、ユミに模擬戦を挑むなど、どうしてそうなったとしかいいようのない展開がされたのだ。眉間に皺が寄り、あからさまに険しい顔をしても許されるだろう。
珍しく不機嫌そうな顔を晒した相手に、胸の前で腕を組み冷然とジェームズを見ていたアデライードが僅かに首を傾ける。サラリと彼女の銀糸の髪が横に流れた。
「私は、ね」
アデライードの視線があがる。街を守るように組まれた壁の上、鋸壁から半ば身を乗り出すようにこちら側を見ているフェルトンと、彼の横で鋸壁の外側に足を投げ出して座っている沢蟹が見えた。雪江とアデライードの遅れての登場は、沢蟹が彼女をそのタイミングで呼んだからだ。
沢蟹たちは買い物から戻る途中、タヴァンの前で何か揉めているように見えるアラベスクたちと、その様子を離れたところから眺めているましゅ麻呂たちを見つけた。コントのような状態に顔を見合わせた二人は、とりあえず事の成り行きを見守る事に決め、存在を気取られない位置から一部始終を見ていたのだった。
途中、ミケがユミに模擬戦を持ちかけたのを聞きつけ、アデライードに連絡する。結果は火を見るより明らかだったが、ミケが<ポーラスター>のメンバーだと気付いた沢蟹が、落とし所としてアデライードを利用することにした。彼もまた、コーヘイと同じように黒マグスを探し回ってるヤツらがいるという噂を耳にしていたからこそ繋がったファインプレーだ。
含みのある言い方に、ジェームズはアデライードを見下ろす。彼の瞳にはマイナスの感情はなく、単に彼女の真意を測りかねるといった表情だ。女性としては元の身長設定が高く、ブーツのヒール部分も手伝って拳一つ分程度下にあるアデライードの瞳もやはり悪意はなく、寧ろ何か思案する色が浮かんでいる。
「不本意かもしれないが、一時期どこかに身を置いた方がいい。<TRUST>……いや、駄目だ。アラベスクはいい奴だから。ウチか、マッシュ」
糸目の男が、アデライードの脳裏を掠めた。
「……いや、どちらも駄目か」
短く息を吐くと、睫毛を伏せる。沢蟹が個人チャットではなく、クランチャットでアデライードを呼び出してしまったため、話を聞いていたイチルが<ポーラスター>のやり方について横から口を出し、状況によってはジェームズたちをどこかのクランに入れたほうがいいと助言していた。
最初は<TRUST>にと考えたが、それについてイチルは返事をしなかった。多分、それはアラベスクたちの活動内容的に<ポーラスター>と揉め事を起こすのは得策ではないと考えたからだろう。一瞬、<TRUST>にと口にしかけたアデライードだったが、なぜイチルが返事をしなかったのか、その理由に思い至り、下策だと思い直した。
<Schwarzwald>や<SUPERNOVA>なら<ポーラスター>も手は出せないが、<ポーラスター>を避ける事が出来ても、ジェームズたちを招いたことで<栄光の国>と事を構える事に成りかねない。こんな所で過去の柵が出てくるとは思わなかったとアデライードは深く息を吸い込み、肺の中の空気をすべて吐き出すように息を吐き出す。
アデライードの横で、二人のやり取りを黙って聞いていた雪江が口を開いた。
「絶対安全な所、一つあるよ」
<ポーラスター>の人間が、執着するのに飽きるまで避難するだけでいいのだ。このゲームをプレイしなくなるまで、在籍し続けなければならない訳じゃない。クラチャに垂れ流しとなった沢蟹たちの会話は、気を利かせるか最初からオフでなかった限りログインしていたクラメン全員が聞いてしまっている。その中には、当然雪江も含まれた。
雪江の頭の中に浮かぶクランは、たった一つ。街で偶然メンバーに会えたなら、その日はレアを引けるなんて都市伝説扱いを受けるクラン。
彼らは、ストーリーにしか興味がなく、攻略もクラン同士の交流も興味がない。そこにストーリーを紐解く鍵があれば、何処にでも参上し、テキストを網羅し、知識として蓄えた後は霞のように消え去る。本拠地とする拠点を持たず、謎を求めて徘徊する様は、まるでナイトウォーカーだ。
その本性は、常に固定の人間だけで気になったゲームに乗り込み、飽きたら次へと気ままに放浪していくMMOジプシーだが、それを知っているのは彼らに関わったことがある人間だけだった。彼らのフットワークは軽い。だから、後腐れがない。事情を話せば、ジェームズたちが身を寄せることを拒みはしないだろう。
「<不可侵領域>。あそこなら、どんなクランでも手を出せない」
「ジジババクランか」
なるほどね。と、雪江の意見に納得しかかったアデライードの眉間に皺が寄り組んでいた腕を解く。
「待って、雪ちゃん。いつの間に知り合いになったの? 」
「オイラ、この前からずっとあの人たちと一緒にいたけど……。街にいないって聞かれるたび、クラチャで報告してたよね。もしかして思いっきり聞き流してた? 」
「Uh-Huh」
無駄に鼻にかかり、綺麗な発音で肩を竦めるアデライードにジェームズが微かに声を立てて笑う。あまりと言えばあまりな二人の反応に雪江は肩を落とした。
「なんにしろ、ジェームズ。ユミを連れて、どこかのクランに入ったほうがいい」
雪江からの追求を逃れるようにアデライードは話題を戻す。
「それは忠告かな」
「女の勘なめんなよ。アレはしつこい、絶対に」
普段、性別のことなど話したことがないアデライードが、珍しく口にしたことに驚いたジェームズとやはり驚いた雪江の目が合う。
「最後、ユミりんとこ行っただろ。あれはジェームズよりユミりんの方が懐柔しやすいって判断したんだよ」
城壁から飛び降り、歩いてきた沢蟹がジェームズたちの話題に加わった。彼は、事の始まりから終わりまで一部始終を見ている。
「ユミりんと二人でのんびり遊びたいなら、アリ姉の言うこと聞いて、とっととケツ捲くった方がいいと思うぜ」
どこか胡散臭い占い師のような顔で笑う沢蟹に、初めてジェームズが思案するように片眉の眉尻を上げた。
「ミケが飽きるのが先か、黒猫が叩き出すのが先か、あの取り巻きたちが姫君連れてどこかの別ゲに移住するのが先かって所だろ」
なぜか匍匐前進で、背後からアデライードの足元に迫っていたましゅ麻呂が口を挟む。驚いたアデライードは、振り向き一歩飛び退くと共に反射的にましゅ麻呂の顔面を踏みつけていた。
「我々の世界では、ご褒美ですぅ」
「てめぇは、細胞から人生やり直して来い」
賑やかな光景に自然とジェームズの表情が緩む。傍らに気配を感じ、隣を見ればいつの間にかユミがそこに立っていた。
「楽しそうね」
「ああ、そうだね」
クランに属さないと決めたのはユミだ。出会ってすぐの頃、お互いについて色々話した。ユミがこのゲームを始めたきっかけは好奇心からだったが、ジェームズは違う。彼は、アランに勧められた時に、彼の研究の一環だと判断し、従ったまでのことだった。だが、彼はプレイ初日にユミと出会ってしまう。ユミの破天荒振りは、ジェームズの予測を遥かに上回り、彼を混乱させた。しかし、そんなユミとの毎日がジェームズに楽しさも覚えさせる。
今では、このゲーム世界で過ごす時間が楽しい。
ユミと共に過ごす時間も、ユミを通して知り合ったプレイヤーたちと過ごす時間も、ジェームズにとっては大切なものとなった。
「ミケちゃんは、ジェームズのことが好きなのね」
「その事については、言及して欲しくない」
「貴方の判断に従うわ。アラさんも困ったら言って欲しいって」
どこからユミの耳に届いていたのかは判らないが、判断に従うというのはクランに入るということだろう。アラベスクの困ったら言えというのは、<TRUST>が引き受けて構わないという意思表示だ。
ユミは自身の年齢を鑑みた時、深く繋がりすぎるのは辛くなると言っていた。その思いを彼女は自分のために曲げるというのか。
人という生き物は、どうしてこうも複雑怪奇な心のつくりをしているのだろう。
「アラベスクに迷惑は掛けたくない」
「アラさんは、迷惑なんて思わないわよ。友達が困っていたら……いいえ、友達でなくても。困っている人がいたら、助けようと思う人たちだわ」
ジェームズが目を背けようとする選択を選べといわんばかりにユミが後押しする。
「ユミ」
「ずっと一緒にいたのですもの、もう十分に辛いわ」
余りにも毎日が楽しすぎた。特に、この半年はアデライードたちまで加わり、賑やかさが増している。
「そうか」
「そうよ」
肩を寄せ合うというのもおかしな表現だが、それまでは声を掛けられたら合流するといった遊び方だったものが、いつの間にか一緒にいるのが当たり前へと変化していた。
「モカが喜ぶな」
一つの答えを手繰り寄せる。
「今と何も変わらないわ」
ジェームズの中で出た答えを肯定するように、ユミは彼の目を見て微笑うと杖を握っていない方の手を取った。
「……ああ、そうだな。何も変わらない」
胸の高さまで持ち上げられ、両手で包み込まれるように手を握られる。柔らかな手触りに自然とジェームズの視線が握られた手に落ちた。
「今よっ」
「ハッ」
戦闘時くらいでしか聞いたことがないユミの鋭い声にジェームズが顔を上げるのと、アデライードの足元にいたましゅ麻呂、傍で足蹴にされているのを見て笑っていたほっぴーたちが飛び掛かるのは同時だった。
ましゅ麻呂のタックルが決まった瞬間にユミが即座に手を離しジェームズから距離をとる。勢いに押され、よろめくジェームズに更に鈴木さんやオミ、エイタ、ハヤトが加わりその場に押し倒された。悪巧みにタケルも誘われたが、まだ彼には良心が存在し押し倒すことには参加はしていない。
しかし、ゾンビに群がられている犠牲者状態のジェームズから杖を取り上げると何故か彼に向かい手を合わせ、杖を刀に見立てて武将のようにその場に居合座りで座り込んだ。
「てめぇ、この色男」
「ばいんばいんおっぱいを堪能したのはここか」
「むきゅっとしていたらしいっすよ、むきゅっとっ」
「お前たち、何を」
「顔かっ、身長かっ」
「どっちもだろうよ」
擽ってくるましゅ麻呂たちの向こうから、アデライードの冷たい声が聞こえるが、彼女が止める気配はない。
「やめ、やめないかっ。やめ……」
制止するジェームズの声は非モテ男たちによる擽りの刑の前に途絶えて消えた。ジタバタとジェームズの足が動いているのが見えるので、生きていることは確かだ。
「子供か」
自分の足元から消えるましゅ麻呂に蹴りを入れ、止めようと思えば出来たアデライードだったが、あえて見逃し彼らの好きにさせた。どことなく残った空気の重さに、ましゅ麻呂たちが反応したのだと察したからだ。
嫌な記憶は、笑える記憶に書き換えてしまえばいい。実に浅慮で短絡、どうしようもなく青臭く馬鹿がつくほど優しい。
「ホント、馬鹿」
アデライードが思っている事を沢蟹が彼女の口調を真似して言う。似ていたらしく雪江が噴出しそうになるのを堪え肩を震わし、アデライードは渋面を作って沢蟹を一度睨み付けるとそのまま振り返り、彼女たちから後ろにいるアラベスクたちを見た。
彼らは戯れる集団を苦笑交じりの困った顔で眺めている。沢蟹が一緒にいたフェルトンが、今はアラベスクの横にいるので、彼を通じアラベスクにも沢蟹が知っている情報は伝わっていることだろう。
お人好しのナチュラルボーン巻き込まれ体質、投げ込まれた災難に対し保身に走らず受けて立つ律儀な男。世話好き講じてなんとやらと揶揄することは簡単だが、彼ならば巧いことやってのけるのかもしれない。
「経験則がものを言う、か」
首を戻し、アデライードは緩く頭を振った。
「お前ら、いつまで遊んでるー。移動するぞー」
引率の先生のようなアラベスクの号令に、それまでジェームズに群がっていたゾンビたちが潮が引くように離れていく。随分と草臥れた様子のジェームズをユミが助け起こし、その横でタケルが恭しく杖を彼に差し出した。
ユミに助けられつつ、杖を支えに立ち上がったジェームズは、乱れた髪が頬に張り付き、疲れきった表情が妙な色香を放つ。草臥れたジェームズを間近で見てやろうと近づいていたモカは、その顔を見るなり一言も発することなく後ろ向きに倒れた。
「お前はいい加減、学べっ! 」
倒れるモカに掛けられるアラベスクの怒号。ここまでが、お約束である。
無断転載について。
それなりに騒がしくなっているので、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。
転載される基準に抵触していたので、まさかと思いつつ調べたところ、無断転載されていることを確認しました。
なろう以外での掲載は、一切しておりません。
どうしたものかと考えはしたのですが、なろう公式ブログでアナウンスがありましたので、対応につきましては続報を待とうと思っております。
暗い話になってしまったので、お馬鹿なネタを一つ。
最近の姫ちゃんを知らないからと、今回ちょっとしたネタ収集感覚で囲いに紛れ込んだのですが、秒で削れて行く正気度に別の意味で毛根が死滅するかと思いました。
以前、一週更新が飛んだ理由だったりします。
そして、余りといえば、余りの内容に全く役に立たず……
あれは、踏み込んではいけないワールド。
単に私が、精神的ブラクラ食らって終了となりました。
もうしません。




