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◆ ワルター公国・リッシュ平原 ◆
魔獣・ケイオスグランジ。
ワルター公国領、時の城を望むリッシュ平原に生息する四足の魔獣である。
胴体は白黒まだらの分厚い針毛に密に覆われ、顔は勇ましい牙と太い鼻からイノシシに近い。首と背中の間に瘤があるかように肩から背中に向かって盛り上がり尾に向かって低くなっている。
沸き位置は3箇所、どの位置に沸くかはランダムのフィールドボス。高さ6m、下顎から突き出た牙と尾までの長さを含めれば全長17mの巨躯であり、通常攻撃、範囲即死、毒、麻痺などのギミックを持つ。
ユミたちはリッシュ平原の西西南、Cポイントといわれる場所に来ていた。アラベスクたちは北東のAポイント、カタリナとフェルトンは時の城に程近いBポイントに待機している。
どの位置にPOPしてもエリアシャウトで沸き位置のプレイヤーが報告するため問題はない。他の2箇所に比べCポイントでの沸きは珍しく、前回Bポイントに沸いていた事から今回はAポイントが本命と見ているプレイヤーが多かった。
「なんか緊張してきました」
Cポイントに集まっている人間は少なかったが、それでも五十人は超えている。弓職も数人見られ、ここで沸く事になれば彼らが指揮を取るのだろうとタケルは彼らを順に眺めた。
唯一、弓だけがケイオスグランジの範囲即死外から攻撃をすることが出来る。彼らがFAを取り、ヘイトを稼ぐことでケイオスグランジを誘導するのだ。
到着して間もない頃は期待の方が勝ったタケルだが、待機して5分も経つ頃には張り詰めた周りの空気に気圧され始めていた。
「そろそろだね」
低く柔らかな声が無常にも時を告げ、準備とばかりにタケルとユミに強化補助の魔法を重ね掛けしていく。街中で見掛ける事は珍しい両手持ちだが、ここに来てジェームズ以外に二人見つけた。ここでは彼のほぼ無詠唱も珍しがられることなく受け入れられている。
「高台や城前なら場所が開けているけど、ここだと林に囲まれているから少し大変ね」
ユミは周りを見渡し感想を零した。時間が合えば奥義書狙いでケイオスグランジ戦に参加するユミだが、Cポイント起点での経験は他に比べ格段に少ない。やり難さもさる事ながら、ここで沸くと少し厄介なことになるのだ。
CポイントはS字に蛇行した道の突き当たりにある通称ロータリーと呼ばれている袋小路だ。
周りの林ではNPCを含め、プレイヤーの生産一次職が木を切り倒しに来ている姿が散見される。ここに沸いた場合は非戦闘職の巻き込み事故を防ぐため必ず道なりに誘導し、如何に早く林を抜け出るかプレイヤーの質を問われるスタート位置であった。
「ユミ、跳んだら私は無視していい」
ジェームズの言葉にタケルが疑問を持つより早く、足の下に揺れを感じた。
「え? 地震?? 」
船に乗っているようなゆらゆらと揺れる感覚。それがやがて突き上げるような振動に変わり、立っていられなくなる。
「ノブタくるぞーーー!! 」
それが誰の声だったのかタケルには判らない。ただただ怒号と何かを指示する声が飛び交う中、余りの振動にその場に崩れ落ち、地面に両手をついて体を支える。
その瞳は、自分たちが待機していた場所から僅か10m先に大きく土を盛り上げ、大地を割るようにして地中から湧き出たケイオスグランジを捉えていた。
『 色違いだーー!! 』
『 ケイオスグランジ特殊個体!! 』
地中から湧き出たケイオスグランジは、己が存在を誇示するように二本の牙の間から瘴気を撒き散らし天に向け嘶いた。
『 二つ名、瞋恚の炎 』
『 強暴種キターー!! 』
特殊個体であったことから、慣れているプレイヤーですら浮き足立つ。特殊個体にもそれぞれ種類があるのだが、今回は体毛が赤黒く、そして金目。強暴種と推測された。
通常のケイオスグランジに比べ、特殊個体は高さが8m、全長は20mを優に超える。既に小さな山だ。その個体としての大きさもだが、持久力や攻撃力も格段に高くなる中、強暴種という事は更に力が強くなり、通常攻撃ですら当れば死人が出ると予告されたようなものだった。
「ち、か……」
これはゲーム。判っていても、初めて見る特殊個体化したフィールドボスにタケルは生存欲求から肉体的恐怖を感じ動けないでいた。
妙なところでリアルすぎるんだよ! 心の叫びが唇を動かすことはない。
『 どこに沸いた!! 』
『 C!! 』
『 まだ来るな 』
『 ノブタが跳ぶぞ! 』
跪いたまま動けないでいるタケルの腕を掴む手があった。
「立って! 早く!! 」
直後、身を屈めたケイオスグランジが跳躍した。
「うああぁ、ユミさん!! 」
「<迅雷>」
ユミはタケルの脇腹から手を回し、まるで犬か猫を抱え上げるように彼を抱くと、アーツを使い一番近い林に向かって跳ぶ。一時的に速さのみを強化するアーツだが、ジェームズの魔法によって肉体強化がされている今のユミならタケル一人抱えて跳ぶことなど簡単だった。一足飛びで3m。それを三度繰り返し林の中に逃げ込む。取り落とす気はなかったが、ケイオスグランジが着地した衝撃で地面が波打ち、足を取られたユミはタケルと一緒に叢に転がった。
「ごめんなさい、大丈夫? 」
すぐに体勢を立て直したユミが、移動したケイオスグランジを木々越しに睨みながら倒れたままのタケルを気遣う。
「痛……、大丈夫です」
這う這うの体ではあったが、タケルも何とか上体を起こした。近くにジェームズの姿は見えない。
「あの、ジェ」
「ジェームズ! 」
今までにない厳しい声を上げ、ここにいない人物の名を呼びながら、ユミは立ち上がった。
「大丈夫だ。死体を回収してから追うよ」
耳元で彼の声が聞こえ、驚いて周りを見渡すが勿論姿は見えない。パーティを組んでいるもの同士の声は、どれだけ離れていても聞こえるのは当たり前なのだが、思った以上に動揺していたのだろう落ち着くためタケルは深呼吸した。
今の跳躍で既に何人か潰されたらしく、ケイオスグランジの足元に半透明の幽体となったプレイヤーの姿が見える。
「痛そう」
ユミが庇ってくれなければ、自分も尾の辺りで幽体になっていただろうと頬を引き攣らせた。
「また跳ぶわ、備えて」
ケイオスグランジの様子を見ていたユミがタケルを促す。間を置かず、再び身を引き絞るように脚を屈めたケイオスグランジが跳躍した。飛距離は10m足らずだが、みっちりと中身の詰まった小さな山が跳んでくるのだ、下敷きは論外でその周りにいた者も吹き飛ばされ無事ではいられない。
魔獣の重さを受け止めた大地がその衝撃に震え、抉れる爆音が響く。衝撃にぐらつく体を倒れまいとタケルは両手で草を掴んで支えた。
「ノブタ、北に移動! ナイス! S字に戻った」
「弓ーーっ」
ケイオスグランジの移動方向に逃れ、無事だったプレイヤーから報告が上がる。
『 ケイオスグランジ移動開始! ロータリーに飛んでこい! 』
『 引くぞーー! 』
各々逃れていたプレイヤーが一斉にケイオスグランジを追って移動を開始する。蘇生魔法を使える魔法職が点在する死体に集まっていた。その中に、ジェームズの姿も見える。
「間に合わなくなる、走って」
ユミはタケルの肩当を掴むと他のプレイヤーに遅れないように駆け出す。
「ケイオスグランジの毛は硬くて厚いの。切ったり刺したりの片手武器じゃ駄目、重量で殴り飛ばす両手武器じゃないとダメージは通らないわ」
この老人、各国の位置関係やゲームの世界観については一切覚えようとしないのだが、こと戦闘関連に対してはしっかり記憶している。
「タケルさん、楯を装備しているなら<必中強打>使えるでしょ? ケイオスグランジが止まったら脇腹に楯を押し付けて使って」
移動する巨体を囲うように一定の距離を保ちながらプレイヤーたちが走る。ユミとタケルはケイオスグランジの左側を走っていた。
前方、頭一つ抜けたところに数人の弓術士と彼らを守るように先駆け役の近接が固まって走っている。誘導ルート上にモンスターエネミーを発見したら除去するためだ。弓術士は走りながら交互に後方に矢を放ち、ケイオスグランジが道から外れないよう微調整を行う。
『 現在、S字中央! 』
『 次ぎ曲がったら直線200、一気に平原に抜ける!! 』
『 角狭い詰まるな! 』
通常の討伐戦より待機人数が少ない中、特殊個体というアクシデントに見舞われパニックを伴うスタートとなったが、今は常態を取り戻している。
『 頭振ったぞ、止まるかも 』
『 しっかり引っ張れクソ弓! 』
「咆哮がきたら退避、周りに合わせれば大丈夫。すぐタイミングは覚えれるはずよ。死んでもジェームズがいるから大丈夫」
「死ぬ前提ではなく、死なない前提の話をしないか」
「失敗しても大丈夫ってお話。周りを気にしてばかりでは楽しくないわ! 」
タケルやユミに比べ、走る速度の遅いジェームズたち魔法職は死体回収を役割としていることもあり、ケイオスグランジの後方に固まって走っている。その後ろに遅れて移動してきたプレイヤーが続く。足の速いプレイヤーは既に魔法職の集団に追いつこうとしていた。
パーティを組んでいるため、どれほど距離が離れようとお互いの声は間近で聞こえ問題はない。武器や防具が鳴り合う音や駆ける足音など雑音が多い中、通常なら隣を走るユミの声ですら聞き取りにくいはずなのにそれがないのはシステムのお陰だ。
『 頭振り2回 』
『 「嘶き」くるぞーー! 』
先頭を走る集団から指揮が飛んだ。




