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【the stone of destiny】の世界地図は簡単だ。
国が3つしかない事に加えて細かな形を無視すれば、だいたい正方形で説明がつく。漢字の田に準えるなら、左上の枡がマルグリット。その下がワルター、マルグリットの右隣がジェフサとなる。ジェフサの下、ワルターの隣は砂漠が広がり遺跡が点在している無主地だ。
各国を分ける十字の部分には山脈が聳え、ジェフサとマルグリットの間は急峻な山容をしているが、南下するに従いなだらかなものへと変わる。
各国の面積は、ジェフサ王国27万平方キロメートル、マルグリット帝国35万平方キロメートル、ワルター公国20万平方キロメートルと人が住めない山岳地帯と森林部分を除いた広さはこの位である。
マルグリットの大きさは日本よりやや狭く、ドイツとほぼ同じと例えるなら判りやすいだろうか。
ハンガイ平野の面積は約1万平方キロメートル、ジェフサの南端に位置していた。
ザフの村は国境に程近く陸路を行くなら、ここから山越えを行いマルグリットやワルターへと渡る事になる。各国、峠を越える前には自国の宿営地が、越えた先にはその国の宿営地があり、峠を下りきればザフの村同様に村がある。備えさえすれば然程危険な道筋ではなかった。
「牛さん、こっちよ」
セイッと掛け声と共に手にした双剣を振る。ふわりと光った刀身から衝撃波が放たれ、3頭ほど固まって草を食んでいたクランプホーン一頭の角を片方吹き飛ばした。
クランプホーンはノンアクティブのリンクモンスターである。ノンアクティブモンスターは、こちらから攻撃さえしなければ真横を歩いたところで向こうから攻撃してくることはない。リンクモンスターは一定の範囲内でヘイトが発生すると一斉にヘイト主に攻撃を仕掛ける特性を持つ。
ユミに攻撃されたことで1頭がアクティブ化しユミに向かって駆け出せば、その周辺と道中にいたクランプホーンも一斉にアクティブ化し同じくユミに向かって走り出す。
「んー、5mってところかしら」
アクティブ化する範囲を確認すると、目に付いたクランプホーンに対し次々と衝撃波を放ち走って逃げる。次々にリンクが起こり磁石に集まる砂鉄のようにクランプホーンが逃げるユミを追い集まってくる。周囲にプレイヤーがいれば迷惑行為でしかないモンスタートレインだが、その辺りはジェームズが確認済みだ。
そして、この狩り方を見越したアラベスクが事故防止のためユミとジェームズだけでパーティを組ませ、狩場も分けた。
「そっちに行っては駄目よ」
一定の距離を保ちながら逃げるユミは、リンクが切れて暴走列から外れそうになるクランプホーンに衝撃波を飛ばして集団に戻す。優秀な牛飼いのような働きぶりだが、引き連れているのは牛に似た高さ2m全長5m近くあるモンスターエネミーだ。逃げている間も近くにクランプホーンを見つければ蛇行し、横を走り抜ける時に剣で傷つけアクティブ化する。離れた場所なら衝撃波を飛ばして合流させる。新しいヘイトを発生させる事でリンクが上書きされターゲットが自分に固定され続ける。
前衛職なら当たり前のタゲ取りと言われる行為だが、移動しながら複数のリンクを漏らさず継続させ続けるのは少し難しい。ジェームズとペア狩りが長いユミには自然と身についた技術だが、迷宮探索でのヘイト管理の安定性は抜群で遊撃手だけでなく回避盾としても彼女は仲間内で信頼が厚かった。
「ジェームズ! 」
所在無げに草原で立ち尽くす人の表情が、はっきりと判る距離まで近づくとユミは彼の名を呼んだ。
「〈飛燕〉」
音声コマンドでアーツを発動し、タン! と地面を踏み切り宙へ飛ぶ。次に宙を踏むと靴の下に光に縁取られた燕が現れた。それを足場に中空をまるで階段があるように跳躍し駆け上って行く。
「いちっ、にっ、さんっ! 」
〈飛燕〉は空中闊歩できるアーツで効果は五歩までだ。取得・発動条件はAGI100+DEX80(取得後は装備補正でも発動可能)蓄積滞空時間200時間。
「しっ、ごっ!! 」
五歩目で更に高く飛ぶと身を捻らせ回転しながら下を見る。逆さまになったユミの真下に、ジェームズが長杖を構えた姿で立っていた。目線は上のユミを見る事無く、自分に向かって走ってくるクランプホーンに向けられている。
「〈詠唱短縮〉」
音声コマンドに反応し、ジェームズの足元に彼を中心に魔法陣が光で描かれていく。
「〈破壊魔法・火炎〉」
右手にした杖を一度掲げ、なぎ払うように振り下ろすと左手に開かれていた魔導書から一枚ページが外れ煌めくように燃えて消える。
ユミがジェームズの後ろに着地するのとほぼ同時に、迫るクランプホーンとジェームズの間に火炎が立ち昇り、そのまま波となってクランプホーンを飲み込んだ。
群れを成し走るクランプホーンの足音も地響きを伴うほど大きかったが、ジェームズの放った魔法はそれ以上の轟音を轟かせて全てを一瞬で焼き払った。
【the stone of destiny】は完全スキル制のゲームである。与えられたスキル合計800、基本ステータス合計250の数値を好きに分配し、自分にあったスタイルに整えていく。
多少の素地はマスクデータとして反映されているが、それが大きくゲームバランスに関係してくるわけではない。蓄積経験をプレイヤースキルと当てはめるなら、それに含まれない肉体の運動能力はシステムアシストの範疇でどうにでもなってしまう。故に実年齢が90を超えたユミでも十代のプレイヤーと同じ動きが出来る。ゲーム補正というのは良くも悪くも働くものだ。
ユミはAGI先行型と呼ばれるステータスの振り方をしている。AGI>STR=DEX、まずAGIで回避率を上げ、STRで物理攻撃力をDEXで命中率を確保する。
ユミに、このステータスの振り方を教えたのはジェームズだ。最初に彼に出会って以降、共に行動する事が多かったユミが死なないようにとジェームズが選んだステータス振り分けだった。
ゲーム内で死んだところで、デスペナルティを支払うだけの話だが、人は本能として『死』を忌避する。迫りくる死の恐怖を何もわざわざ疑似体験することはない。
とはいえ、ユミが一度も死んだことがないかといえばそんなこともなく。
「死んだら天国にいけるのかと思っていたのに、自分の死体の横に立っているのだもの。夢がないわ」
「君は蘇生魔法の存在を根本から否定するのか! そして態と死にに行くのはやめなさい」
然もありなん。
当りさえしなければ無事。避けている間に周りが何とかする。一見、接待プレイに見えなくもないが、前衛と後衛の絶対の信頼関係がないと成り立たない。
スキルについては特にジェームズが口を出すことはなく、ユミが相談しても君が好きに選んで遊べばいいと笑うだけで相手にしてもらえなかった。ユミは悩みながら可能性を試し、試行錯誤の結果、今のスタイルに落ち着いた。INT特化型のジェームズとの相性は良好だ。
「今ので何体かな」
「んー、多分16かしら」
「なら次も同じくらい集めてくれば、私たちの分は終わりだね」
視界の右端にクエスト状況を表示しているジェームズは、進行数を確認するため意識を数字に向けた。すると、ミッションゲージが拡大され視界の中央に表示される。
始まって10分程度、討伐数が73/225なら、なかなか皆頑張っている数字だが、狩場荒し的な狩り方をするユミの方が早い。
瞬きを一つすることで中央の表示を消し、傍らで自分を見上げるユミに微笑みかける。
「アラベスクはああ言ったけれど、自分たちの分が終わったら村に帰るよ」
「ええっ、それはつまらないわ」
ジェームズの言葉にユミは不満げな表情を見せた。しかし、ユミの反応も織り込み済みらしい彼は柔和な笑みを浮かべたまま彼女にいくつかの〈強化魔法〉をかけ直す。
「知らない人が何人かいただろう? クランプホーン相手にスキル上げ目的で参加した人かもしれない。君が狩り過ぎたらその人の迷惑になるよ。それにね、君が集めてくるまで、ここでぼんやりしていないといけない私はもっとつまらないよ」
ユミが戻ってくるまで傍に沸いたクランプホーンをジェームズも狩っているが、全て1キルの彼にとっては暇な事には変わりなかった。
「ジェームズ暇なの? 」
「少しね。でも、立ったまま寝たりはしないから大丈夫だよ」
「まぁ大変。なら、急いで集めてくるわ」
言うが早いかユミはジェームズに背を向け、来た方向と逆のほうに駆けていく。
「他の人がいたら、邪魔してはいけないよ」
パッシブで〈俊足〉のアーツが発動しているユミは加速すると50mを6秒で駆け抜ける。
そんな彼女の随分遠くなった背中にジェームズが呟くと、聞こるはずのないユミが何かを感じたのか振り返り、さも大丈夫と言わんばかりに彼に向かって手を振った。