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便利になった世の中は、毎日の買い物に出掛けるのも億劫な体を甘やかす。
宅配サービスで食事を頼めば、調理済み、お弁当、半調理と好きな状態のものを選んで届けてもらえるし、日用品は高齢者サービスとして市井から週に1度派遣されてくるヘルパーに頼めば買ってきてもらえる。
老人が出歩くとしたら家の近所の散歩と、どこが痛いここが悪いの病院通いくらいだ。
結未もそうであった。
体が痛むのは運動不足と思い天気が悪くない限り、朝晩の散歩に出かけた。
病院にも出掛けたが、薬を貰うばかりで特に膝の痛みなどの症状が改善されたとは思えず、いつの間にか薬が無くなったら貰いにいくを繰り返すようになった。
散歩で出会うのは決まったご近所さんで、挨拶して通り過ぎるか時折世間話に天気の話が混ざるくらい。病院では手続きと診察以外で誰かと話すことはない。
彼女の世界は閉じているに等しかった。
半世紀以上前、老人の孤独死が社会問題となっていたが、時代が変わっても、変わらない問題はそこにあった。
そこに切り込んできたのはVR業界だ。
そこにあるリアル。として、VRは革新した。
回線一本で地球の裏側でも一瞬で繋がる。
その場に姿を見ることが出来る。
声が聞ける。触れ合える。
脳が健全である限り、VRは無限の自由を確約する。
結未の世界は広がり、ひ孫に薦められるままVRMMOというジャンルのゲームも始めた。
ひ孫と一緒にやるはずだったゲームだが、彼女は卒業論文と就職活動という壁に阻まれ1年はゲーム断ちをすると泣いていた。残念なことだが仕方が無い。
だが、寧ろ結未一人で始めたからこそ彼女の世界が広がったのかもしれない。
雑談パーティを組み、街の路上で露天を出していた時、一人のプレイヤーから筋肉を付けるためにリハビリに通ったらどうだと薦められた。
ただ機械任せのリハビリではなく、きちんとトレーナーが指導してくれるところがいいと他のプレイヤーが付け足した。
結未は素直に従い、老齢者の運動支援をしてくれるリハビリに通う事にした。痛みがなくなるわけではなかったが、何もしていなかった頃よりは薄らいだ気がする。
なにより、トレーナーや他のリハビリ患者と会話することが増え生活に張りが出てきた。
ゲームは1日2時間と決めている。
規則正しい結未の生活は決まった時間にログインするのでゲーム内で知り合った友人は彼女がログインすると同時にパーティ申請を送ってくる事もあった。
げに恐ろしきは老人の真面目さよ。
そこに彼女の素直な性格が加わり、一部から『養護施設』と揶揄されるクランから声が掛かるほどにまでなっていた。勧誘する問題児クランも、本気でユミを所属させようとしているわけではなく、ただユミとの会話を楽しんでいるといった感じであったが。
安定した高火力をぶっぱなす双剣士。それがコツコツ2年間このゲームを続けた結未が育て上げた『ユミ』だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【the stone of destiny】の世界は一つの大陸に3つの国があり、プレイヤーはどこかの国に仕官することで様々な恩恵を受けることが出来る。
勿論、無所属で遊ぶことは出来るのだが、先輩プレイヤーは新規のプレイヤーに必ず所属しろ。と、薦めた。
理由は
1.クエスト受諾に制限がある。
2.所属国が発展することで開放される生産レシピが手に入らない。
3.フィールドボス討伐で国から褒賞(レアアイテム確定)が貰える。
4.貢献度によってゲーム内時間の年に一度、通称『年金』と呼ばれる賞与が国から支払われる。
等、所属しない理由の方がなかった。
ユミは三国のうちジェフサ王国を選んだ。
【the stone of destiny】自体フィールドは一部地形を除き牧歌的でヨーロッパの片田舎を連想させるのだが、ジェフサ王国は更に建物はロマネスク様式が多く、中世盛期を模していた。
そして新興国であり、武具のワルター公国、魔法のマルグリットと得意な生産がある他国に比べ、何もないのがジェフサ=全ての発展はプレイヤー次第という国であった。
発展はプレイヤー次第。それは多くのプレイヤーの心も掴み、いつしか王都フロイデは商人の町と言われるようになった。
とにかくプレイヤーの露天が多いのだ。他国に所属していても活動拠点はフロイデ。そんなプレイヤーもいるため、街で生活するNPCより常にプレイヤーの人口の方が多い町がフロイデだった。
◆ ジェフサ王国・王都フロイデ ◆
ユミはタヴァン『黄金の上で眠る黒猫亭』で食事をしていた。
このゲームは娯楽として、また効果目的として飲食が出来る。キャラクターアバターに胃という器官はないため擬似的味覚を味わった後はそれらの食物は青い猫型ロボット時空へ飛ばされ消える。
トマトとアスパラのパスタを食べながら、ユミは隣に座るジェームズがテーブル上に展開した半透明の板を覗き込んだ。
世界観が中世ヨーロッパでも、出てくる食事は食器こそ古めかしいが現代風だ。
フィールドボスがポップする位置がマークキングしてあるそれを眺めながら、次はどの場所に沸くのか予測を立てる。
沸き位置固定とはいえ、その場所は3箇所ありランダムだ。場所を読み間違えたら最後、ボスが倒されるまでに移動が間に合うか判らない。
三国から討伐者が集まるからボスが蒸発するわけではない。
今回、二人が狙っているフィールドボスは立ち止まれば即死攻撃を放つギミックを持っており、プレイヤーたちはエリア内を逃げ回りながら削り殺す通称『引き回し討伐戦』だった。
エリアチャットで進行座標の報告はあるが、待機位置がハズレれば最悪討伐隊に追いつく前に数の暴力で倒される。
リポップ予定時間まであと1時間ほどあるため、二人はのんびり食事をしながら待機位置を相談していた。
さて。
ユミの横でマップに視線を落としながら優雅に珈琲を飲む男、ジェームズ。
『はじまりの丘』でユミに話しかけてきた最初の人物であり、はじめて彼女にゲーム内で出来た友人である。
「どう見てもモンスターなんだが。無知とは時に常識を凌駕するのだな」
突然聞こえてきた僅かに甘く落ち着いた声に驚き振り返る。ユミの後ろに一人の青年が立っていた。
年の頃は二十代前半。背は高く痩身だが、肩の広さと程よい胸の厚さがしっかりとした印象を与える。
暗い金髪にすっと通った鼻筋、薄く真っ直ぐな唇に垂れ目と顔は英国人の特徴が見て取れた。前髪とサイドの髪を後ろに撫で付け襟足は長く、物憂げな印象を与える垂れ目に自然と解けた前髪が掛かり僅かに隠す様は無駄な色気がある。
どこかの外国映画から切り出されたような美丈夫を前に呆けるユミをジェームズは立たせ、ログインして初めて降り立つこの場所は非戦闘区域でモンスターの攻撃は受けないが他の場所では違うこと。明らかに現実と違う見た目をした動物はモンスターエネミーであり襲われる危険性があること。他にも最低限このようなMMOで共通する諸注意を懇切丁寧に説明しながらユミを案内役のところまで連れて行ってくれた。
ジェームズもユミと同じ新規プレイヤーで、ただ通過するだけのエリアで座り込んでいるプレイヤーを不審に思い近づいたところ、心温まるモンスターエネミーとの交流場面に出くわしたとの事だった。
「常識の範疇を超えていたね。しかし、君のようなプレイヤーも少なからずいると判断した開発があのようなプログラムも用意していたのだとしたら、ここのエンジニアは素晴らしいよ」
英国紳士然とした振る舞いで、ウェットに運営を褒めるジェームズの言葉が半分も入ってこないユミはただ、このゲームは素晴らしいのね。とだけ理解し、「あのウサギさんはとても可愛かったわ」と笑顔で返してジェームズを固まらせた。
……これは稀有な存在だ。
それまでのユミとの会話から、彼女をこのままゲームに放てば色んな意味で多大な被害が発生する。そうジェームズは考え、ユミにチュートリアルを一緒に受けないかと提案した。
ユミにとってジェームズとの出会いは好運だった。
見た目の冷淡さに反して面倒見のいいジェームズの配慮を彼女も感じ取り「よろしくお願いします」と頭を下げたのだった。
すぐさまシステムを理解し、合理的な判断と戦い方をするジェームズと素人故の突飛な発想で行動を起こす素直で真面目なユミ。
作業効率は悪いが相性バランスは良好のコンビが出来上がった。
――そして今に至る。
「ユミりーーーーーん」
テラス席にいたユミを呼ぶ可愛らしい少女の声に振り返る。手を大きく振りながら走ってくる弓術士の姿が見えた。




