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「はーちゃん。アタシ、そろそろ花毟りに行きたいから店じまいしていい? はーちゃん煩いからお客さん来ないし」
イチルは立ち上がると、随分長いこと座っていたために動きの悪くなった体をストレッチをして伸ばす。
ハトリが煩いから客が寄り付かない。と言ったのは本当だが、一番の売れ筋である消耗品の触媒紙が彼女が来る前には既に売り切れてしまっていたため、どちらにしろお客が立ち寄る要素が無かった。
「えっ、私のせい? って、イッチーどっかいくの? 」
「<冥府の怨嗟>作ろうと思ったら、potなかった」
「んー、ちょっとごめん。それってつまり、巻物を作るために薬が必要で、その薬を作るために野花をご入用で、手持ちがないから今から摘みに行く……ってこと、かな? 」
「正解」
地面に正座で自分を見上げるハトリに対して、イチルはなぜか凛々しく仁王立ちの姿になると深く頷いてみせた。
「……ホントこのゲーム、馬鹿ばっかだな! 」
ハトリの突っ込みに、イチルは全力で前蹴りをアーメットに叩き込んだ。
重い物を持つ事が多い生産職のステ振りはSTR=INT型が多い。STRもINTも重いものを運ぶ判定(総重量値)に影響があるからだ。
逆に重量管理が簡単で、運要素に左右されやすい生産一次や二次職はSTR=LUC型が多く二極化している。
ステータス画面で、LUC◇運がよくなります。としか表示されない不親切さに、クリティカルや回避に影響があるのではないかと検証班が結成され、涙ぐましい努力の結果、最低値の5と100での差は誤差に近く、ドロップや消費アイテム効果の増加しか見込めないと判明した。
戦闘職では重要視されなくなったが、生産職では一次職は採取がドロップにあたり、二次職は生産品のクオリティ上昇に恩恵があるためLUCを伸ばすものが増えた。
賢さのINTがなぜ、重さを担うのか。と考察された事があったが、「魔導書が重いからじゃね? 」という納得できるような出来ないような微妙な発言をもって論決した。
初心者クエストで配給される魔導書の重さは2.5kgで、杖は2.2kg。同クエストで貰える片手剣の重さは1.2kg、両手剣ですら2kg程度なので『魔導書(物理)』は嘘ではない。INT5でも装備できる初心者用魔導書の色は赤なのだが、そんな背景を受け、『血塗られた魔導書』という不名誉な渾名がついていた。
「こんな所で油売ってるんだから、暇なんでしょ。はーちゃん荷物持ちで来て」
「かぼちゃパンツでなければ、パンツが見れたのに……残念だ」
生産職の全力蹴りを受けても、STR=VIT極の戦闘職であるハトリは装備補正も手伝って微動だにしない。やはり、バイザーを上げて下げる攻撃が一番有効だったかとイチルは小さく舌打ちした。そんな彼女の耳に福音が届く。
「『レッドマーシュさんがログインしました。』」
イチルは冷ややかな視線をハトリに送りながら、聞こえたばかりのログインコールを真似て棒読みする。ハトリが秒で立ち上がった。
「さぁ、どこでもついていくよ! 」
<栄光の国>クランマスター、レッドマーシュ。いつも笑みを絶やさない糸目の優男は、規律を重んじ、風紀を乱す行動や発言は絶対に許さない。
「4番コ」
「はい、行こう! すぐ行こう! 」
耳に手を当てたイチルを阻むようにハトリは彼女を小脇に抱えると、有無を言わさず大正門に向かって駆け出した。鎧騎士が、農耕装備を抱え走っていく。彼女がブルーベルを掲げていなかったら、完全にGM通報案件である。
◆ はじまりの丘 ◆
小高い丘の上に集まった光が、やがて薄い膜を形成し、人の形となる。その膜が剥がれると、一人の男性が姿を現した。
キャラクター作成が面倒で、すべて現実準拠を選択した男。
齢70を超える彼の名はアラン・ウォーデン。リアルの彼は、計算機科学者であり、認知科学者でもある。
優しく垂れた目元に刻まれた皺は思慮深さを引き立て、薄く真っ直ぐな唇は忍耐強さを称える。背は低いものの、カッチリとした体型で実年齢より幾分若い見た目をしていた。
「ほう。これは、なかなか……」
頬を撫でる風に、瑞々しい花の香りが混じる。ガイドにあったように道なりに進み、遠くに見える石造りの門を目指す。あの門をくぐると『初級者訓練場』という場所に着くらしい。アランは道端の草花を時に手に取り、口に含んでみて味を確かめたりしながら小道を進んだ。
「おっと」
急に目の前に飛び出してきたピンク色の兎に驚き立ち止まると、兎もアランの声に驚いたのか道の真ん中で動きを止め、じっとアランを観察する。
「花冠? 君は兎の王なのかい? 」
額の上に、可愛らしく花冠を載せた兎に話しかければ、彼は誇るように後ろ足で立ち上がり小さく鳴いた後、出てきた方向とは逆の草むらに飛び込んで消えた。
「成程、実に興味深い」
アランは、草を揺らして遠ざかる姿を見送りながら一人頷いた。過去、VR技術の発展について意見を述べることもあった彼だったが、今は別件に掛かりきりで科学者としての目をVR事業に向ける事はなかった。若い力というのは実に素晴らしい。彼らの探究心は時代を動かす原動力となる。
「ゲームと侮ってはいけないね」
彼は心の底から、このゲームを作った若き力を賞賛した。
「さて、先を急ごうか」
十年前、目覚めた彼に持て得る限りの全てを注いだ。最初は一方的でしかなかったコミュニケーションも、辛抱強く待つ事で意味の通る会話へと変化した。
思考時間が短くなり、一般会話が問題なく成り立つようになった頃。彼に一つ、ゲームをやってみないかと提案した。
あれからニ年。
今では、一日の終わりに嬉々として、その日ゲームの中で体験した出来事を自分から話し出すほどまでになった。とはいえ、彼の口調はいつも静かで判り難いのだが。
彼の話に何度も出てくるご婦人が、彼に及ぼす影響力に興味が抑えきれなくなり、とうとうアランは自分でもこの仮想現実の大地を踏むことにした。
ニ年前、研究室の学生が面白いゲームがあると話しているのを耳にしなければ。
その話を彼にしなければ。
そして彼が、このゲームを始めなければ。
いかなる条件のモノにも、等しく自由に動ける空間と身体を与えてくれる【the stone of destiny】の世界。
この世界では、彼の髪は風に揺れ、その足で大地を踏みしめ立っている。
「まず、ユミというご婦人を探さなければね」
当面の目的を口にし、期待を胸に石造りの門をくぐったアランが、彼女に出会えるのは、もうほんの少し先の話。
思わぬ父兄参観に、絵に描いたように崩れない眉目秀麗なジェームズの顔が驚愕に彩られるのも、まだほんの少し先の話。




