第七話 パーソナルスペース
三月の横には、のり弁を抱えた女が嬉しそうに歩いていた。スーパーマーケットの弁当屋で代金を支払った後、何処かへ行くものだと思っていたが、普通に付いて来た。まさか犬のように追い払う訳にもいかず、何処かへ行ってくれないかと願っていた。
「貴方、警察関係者か。」
「いえ、私はサポートAIです。」
三月の問いかけに、女の言動は意味不明だった。
「サポートAIは、天然物の海苔弁当なんか食べないと思うが。」
「私は、最新型で繊細なのです。」
(何を言っている。そんな訳……ない……よな?……待てよ、最近AIを恋人のように扱う連中が居たが、新型はそこまでの機能があるのか?いや、まさか、本当か?やり過ぎではないのか。しかし、かつて少女人形と呼ばれたサポートAIが、発禁処分を食らった有名な話がある。これは、余りにも高額な大人のおもちゃだが、その開発者自信が、このサポートAIとの如何わしい行為に耽る余り、死亡した事件だった。このサポートAIは数体作られたが、1体につき戦闘機1機分の金額となり、普通の人間では購入することは不可能だった。)
三月は知っている。そういった連中の情熱は、留まるところを知らないのだ。
完璧な恋人という、幻想世界の生き物を追い求めていたりするのだ。そして、横を歩く女を密かに観察する。
(いや、AIではないな。普通の人間ではないか。)
どんなに人間に近づけても、見分け方は存在する。ロボットは基本的に左右対称つまりシンメトリーだが、生身の人間の場合は多少のズレがある。つまり完全ではないのだ。さらに動きも違う。消費電力や効率化によりサポートAIなどは動きに無駄がない。言い換えれば、人それぞれにある癖が全くないのだ。
サポートAIが登場した当時は、まだロボットというイメージが残っている筐体が一般的だった。その当時はバッテリーの問題などから、屋外での活動時間が大幅に制限され、その殆どが介護施設や病院、倉庫など電源が確保された建物内部での作業を目的とした、人の代わりに重労働を代行するものが主な作業だった。この時、人を相手にするものと、単純に重労働の肩代わりをするものとで、求められる形態に変化した。人を相手にするタイプは、より人間に近付き、単純に作業するだけなら従来のロボットのままで、単価を下げメンテナンスや修理に都合が良いものへと進化した。
中には社会的なモラルの欠如や、クズ人間の産物と呼ばれたサポートAIが作られたが、それらの過激な製品や問題行為があるサポートAIについては発禁処分とされ規制の対象となった。しかし、そんな発禁処分を受けるもの程、闇ルートで驚くべき金額で取引をされていたのだ。
(… ハッ!! … まずい!どうでもいい事を考えているうちに、家まで来てしまった。ストーカー女は、横でのり弁を持ち上機嫌に微笑んでいる。おかしくないかこの状況。)
三月は、どうしたものかと悩んだが、既にいろいろと手遅れの状況であることは、自分自身も理解していた。
(もういいか、どうせ軍であれ、警察であれ、こちらの素性も居場所も全て把握済みのはずだ。今更、どうにもならないだろう。)
三月は、諦めてマンションの入り口を目指す。オートロックのナンバーを打ち込み、エントランスのセキュリティーを通過する。VR技術が発達するに伴い、セキュリティーや安全対策に関して多大な変化が生じた。それは、人が仮想空間にダイブしている最中は、完全に無防備な状態になってしまう事への対応だった。例えば火事や泥棒、押し込み強盗など、起こってはならない事故や事件が、実際に多発したことが要因だった。
玄関ドアに取り付けられたセキュリティーランプが点灯している事で、一先ず安心する。理論的に解析不可能なセキュリティーコードにより施錠されたドアは、破壊しない限り開けることができないと言われていた。
(もしかしたら、部屋中が荒らされた後かもしれない。)
予想される展開を危惧していた三月は、ホッと胸を撫で下ろし、玄関に足を踏み入れ、異変に気付いた。
(……!! …… 掃除がされている。)
誰かが玄関とそれに続くキッチンを掃除していた。周囲を見回し、他人の手が加えられた空間に、慌てて奥の部屋へ進む。そこでは、一人の女が暢気に食事をしていた。
「貴方は、何をしている。」
「おかえり。誰かに言われると、少し嬉しいでしょ。」
「えっ、そりゃ嬉しいが、今はそう言う問題ではな……い……。」
自分自身、喋りながら部屋の中の変化に気付いた。まず、天井に巨大な穴が開けられていた。そこから階段が降ろされている。迂闊にも、この状況で口を開け天井を見詰め呆然としていた。
「あっ、それ、私じゃないわよ。ここに来た時には、もう穴が開いていたわ。部屋も荒らされて、それは酷い状態だったわ。私が掃除したのよ。ちなみに、私は斜め上から来たの。」
(……はぁ?……荒らされていた?…… 斜め上?……さっぱり分からん。……)
「それで、お前は何をしている。」
「お腹が空いたので、ご飯を食べているところよ。」
「どうして俺の部屋で、ノウノウとご飯を食べている。」
「私の部屋、電気が来てないし、ここの炊飯器とお米があったから、ちょっと使わせてもらったの。」
(……えっ?……。こいつ、今……何て言った……。)
慌てて食器棚にしまってある米櫃を開ける。ほぼ、空あの状態の米櫃を発見し体から力が抜ける。俺が苦労して手に入れた、国産ブランド米を食べ尽されていた。
「何してくれてんだ!俺のご褒美が!」
このお米は、頑張った自分自身へのご褒美として大切にしていたのだが、目の前の女に食尽されていた。そして、あまりの理不尽な展開に、怒りが爆発する。
「俺の大切な、じん(チン!)……。」
沸点を越えた怒りは、機械的な聞き覚えのある音により遮られた。そして、キッチンから厳かな雰囲気でのり弁を運んで来る女。自分の頭より高く掲げられたのり弁は、まるで神への供物のように扱われていた。険悪な雰囲気になりつつあった三月と小田切渚は、静々と運ばれるのり弁とその女を見た。
「お姉ちゃん!どうしてここにいるの。」
「おっ、お姉ちゃん?」
冷静に受け止めるストーカー女と、それに詰め寄る渚。理解で来ない現実に、動きが止まってしまう三月。しかし、ストーカー女は、全く動揺する様子もなく、自然な動きでその場に座り込み、嬉しそうにのり弁を食べ始めた。
「また、脱走したのね。家で留守番してくれる約束ではないの。」
ストーカー女に語りかける渚。しかし、ストーカー女は全く話を聴いていない。寂しそうに溜息を漏らす渚。立ち入る事の許されない身内の事情に、口を挟めない三月。仕方なくその様子を静かに眺めていた。
「どうして、貴方と姉が一緒にいるの。」
意味不明な怒りが、こちらへ向けられる。三月は、それとなく二人の顔を見比べていた。確かに全体的に似ている。同様のDNAの存在を感じさせる二つの顔。
「何故、黙っているの。もしかして、姉に変な事してないよね。」
気が付くとヒートアップした妹がこちらに怒りと疑惑の眼差しを向けている。
(変な事とは何だ。こちらがストーカー行為を受けていると言うのに、何を言っているのだ。)
「いや、こちらは付いて来られて迷惑していたところだ、連れて帰ってくれ。」
姉の方は食事を終えて、のんびりお茶を飲んでいた。
(人の家に強引に上がり込んで、馴染み過ぎだろ。何だこれは、姉妹揃って疫病神か。しかも、この部屋どうする。管理会社に連絡して修理を依頼すれば、修繕してもらえるのか。)
天井を見詰め途方に暮れている三月。その肩を軽く叩き、元気出せよと言いたげに、お茶を差し出すストーカー女。その様子を厳しい目で睨む妹。溜息を漏らしながら、三月は諦めて自分の食事を作る事にした。
こんな悲惨な状況でも人は腹が減るのだ。