第五話 AIストーカー
柏木は、口に含んだ酒を吹き出さないように、必死に堪えていた。見詰める先に電柱があり、その下に一人の女が佇んでいた。正確に言えば、本人は極秘に監視と尾行をしているのだろうが、対象者には完全にバレているパターンの残念な女がそこにいたのだ。
女は柏木と目が会ったことで、慌てて姿を電柱の影に隠したが、足が電柱からはみ出していた。頭を抱えそうになる柏木は必死に自制した。そして、正面に目を向けると、屋台の親父が冷めた目でこちらを見ている。
(気付かれたな。)
しかも屋台の親父は、彼女がこちら側の人間だと勘違いしているようで、あれを何とかしろとでも言いたげな眼差しだ。目は口程にモノを言う。柏木は、溜息を漏らすと携帯端末を取り出し、屋台から外へ出た。端末の画面をスクロールさせながら周囲を窺う。音声通信を使うと情報漏洩の危険性がある。今は専用回線も使用できない。相変わらず電信柱の影からこちらを窺う女性。今の状態で捕まえる訳にも行かず、対処の方法を考え行動を開始する事にした。
「綾瀬、すまないが急用が出来た。今日は一度、研修施設に顔を出さないといけないようだ。また今度、この埋め合わせは必ずするよ。」
「えっ、そうなのですか。すみません無理を言って誘ったのは失敗でしたか。」
「いや、構わんよ。こちらも充分楽しんだからな。」
「そうですか、急がれるのなら、このまま行って下さい。支払いは済ませておきます。」
「そうか、すまんな。また、連絡する。」
柏木は軽く手を上げ駅方面に歩き出し、その後ろでは静かにお辞儀をする三月の姿があった。
「退職なさる上司か、何かですか。」
その場に残っている三月に、屋台の親父が尋ねてくる。
「ええ、仕事のいろはを教わりました。」
「今時、仕事のいろはなんて、随分と懐かしい言い回しですね。」
(…… ! ! ……)
三月自身、驚きで動きが止まってしまった。そして、フリーズしている自分の両手を眺め、ゆっくりと確かめるように動かしていた。
「兄ちゃん、顔色が良く無いぞ。悪酔いでもしたか。そこまで飲んじゃいないが。こればかりは体質もあるからな。兄ちゃんは、アルコールが体質的に合わないのかもな。」
その言葉は三月本人に、届いていなかった。
(どういう事だ。なんだ、この違和感は。)
病院で目覚めてから、無意識に出て来る言葉が、自分の言葉ではないと思えた。誰かの言葉を代弁しているように思える。これまでの行動を思い返すと、そこに不審の念が生まれる。しっくりこない、チグハグとした感じが付き纏っていた。
(俺は、初めて見る屋台に、脇目も振らずに近付く人間だったか。)
愕然と考え込む三月に、心配そうに声を掛ける屋台の親父。目の前に置かれた器。先程まで食べていたおでんの串が残されていた。その串を見て、無意識に目を見開いていた。
(やはり変だ。俺は、いつ先端恐怖症を克服した。)
三月は、幼少より先の尖ったものが苦手だった。何故か先の尖ったものが視界に入ると、心がざわつき、その先端が目に近付いてくるイメージが頭に浮かんで落ち着かなくなるのだった。
そのため子供の頃は、鉛筆などの尖ったものを持つと、勉強に集中することが難しく、常にパッドを使っていた。重度の恐怖症ではないので、鉛筆も我慢すれば使うことが出来たが、やはり集中力は欠いていたと思う。
ただ、時代の変化には助けられた。その頃から学校で、パッドを使うのが一般的になっていた。紙媒体自体が無くなりつつある状況で、デジタルデータで保存する事を前提に、学校でパッドが推奨されていたのだ。学校側も書類や伝達事項など、パッドを通じたやり取りが出来る利便性に目覚め、省力化と合理化という時代の波に、逆らえなかった。
ぼんやりとする三月を、怪訝な表情で見詰める屋台の親父。そこへ若い男が興味深そうに現れる。三月は支払いを済ませるとその場を後にした。屋台に残ったのは、若い男と屋台の親父。
「何だ、どうして出て来た。」
「いえ、なんだか様子が変だったので、万一に備えただけです。それと先程の年配の男性は、元軍人ですね。あの後、電柱の所にいた女を捕まえようとしたみたいですが、逃げられていました。女も軍関連だと思いますが、正確な情報はありません。今、調べさせていますが、何も出て来ないでしょうね。」
「そうか。」
それだけ言うと、屋台の親父は難しい顔をしていた。
「親父さん、おれも大根とはんぺんを、あと熱燗を一つ。」
後から現れた若者が、悪びれもせず注文する。
「ふざけるな、俺の分が無くなるじゃないか。」
屋台の親父が血相を変えて怒るが、若い男も引いてはいない。
「まだ、昼飯を食べていないんですよ。少しでいいから食べさせて下さいよ。大体、何でおでん屋なんかやっているのですか。ここは、ラーメン屋をやるところでしょ。」
「うるせーよ、ラーメンは手間がかかんだよ。」
「おでんだって、同じでしょ。とにかく食わせて下さい。こんな機会は、二度とないでしょから、いま食べておかないと。」
「おめー、なに使命感に駆られている。おとなしく本部へ帰れ。そして、俺の代わりに報告書を書け。」
「食わせてくれたら考えます。お願いです。」
「何が考えますだ、考えただけで行動しないだろ。ダメだ。報告書を書くと約束しろ、そうでなければ食わせる訳にはいかん。」
二人の男の睨み合いが続く。
「本部より入電、お前達何をしているのか。捜査の記録中だ!食い意地の張った馬鹿者どものやり取りが全て記録されているぞ。早く本部に帰還し、報告書を用意しろ!大至急だ!」
二人の男は、その通信を聞いた途端に、糸の切れた操り人形のようにガックリとうな垂れていた。
先日起きたサーバーダウン事件に於いて、警察関係者は蚊帳の外に置かれていた。事故調査に乗り出した警察は、政府の頭越しに圧力を掛けてきた軍部に、介入を阻止されていたのだ。当然、警察内部で大きな反発を招き、警察上層部も政府に対して説明を求めたが、何の回答も得られなかった。
実際に、現場周辺の警備は警察関係が行なっていたが、これは現場近くの交通整理と何ら変わることもなく、内部への侵入や捜査は禁止されていた。これでは民間企業で雇われている警備員と、なんら変わらないと警察上層部も憤りを感じた。
近年では事件や犯罪が仮想空間へ移り、その対応の遅れから危機感を募らせていたが、現実世界と仮想空間の両方への対応は難しく、警察内部でもジレンマを抱えていた。今回の事件における立ち位置は、警察関係者は誰も望んでいないものだったのだ。故に警察関係者も、独自に情報を集め始めたていたのだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
(俺は、どうしてしまったのだろうか?)
思い出そうとすれば、子供の頃の記憶が思い出せるが、何処か不安な気持ちにさせられた。今、思い出している記憶は、自分のモノで間違いないと実感できた。駅へ向う街角のショーウィンドーには、酷い顔をした自分が映っていた。
(今日は、早く帰って休むか。)
ショーウィンドーに映る疲れた自分の顔を覗き込んでいると、視界の片隅で何かが動いていた。白っぽい作業スーツに身を包んだAIのような女が、こちらの様子を窺っていた。
(あの女、おでん屋の近くにもいたよな。)
女性の方を見ると視線が合った。しかし、女性は直ぐに視線を外し、さも偶然ですよと言わんばかりの行動をしている。
(何だ、あれは。)
サポートAIのように綺麗な女性だが、動きが奇妙で痛々しかった。明らかにサポートAIの方が堂々と行動していた。それに引き換え、あれは見ているこちらが、少し辛くなるような痛さを感じた。
(いたな〜。昔、近所に一人くらい居た。痛い感じの子供。あれと同じ匂いがする。関わるのは止めだな。)
先程までの真剣な悩みは消え、足早にその場を去る三月だった。しかし、その女は、一定の距離を保ち付かず離れずに付いて来た。
(何だ、どうして付いて来る。何が目的だ。あれか。美人さんの押し売り的な詐欺か。気が付いたら不要なものを沢山買わされていたとかか。)
三月は、最寄り駅に着いたのだが、正体不明の女に付けられ、このまま家に向かう事を躊躇していた。歩きながら周囲を見回し、どうするべきか考えていた。今、思えば最寄り駅で降りた事すら、迂闊だったと思えた。
(マズいな。とにかく家まで付いて来られると困るな。何処かで巻いてしまうしかないか。)
三月は近くのスーパーマーケットの入り口を潜った。