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電脳ダイブ  作者: 音無 響
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第四話   奇妙な考え

 ニューフロンティア・サポート社を訪れた帰りに、三月は会社の出口で懐かしい人物に遭遇した。


「教官じゃないですか。」


そう呼ばれた初老の男性は、嬉しそうに微笑んでいた。


「おぉ綾瀬か、久しぶりだな。トラブルに巻き込まれたそうじゃないか。大丈夫だったか。まぁ、大丈夫でなければ、ここにはいないか。」


「えぇ、事故に巻き込まれたみたいで、教官は何か聞いてないですか。」


「いや、こっちには伝わってないな。」


 この教官と呼ばれた人物は柏木彰かしわぎあきら。ニューフロンティア・サポート社の新入研修を担当する教官だった。退役軍人との噂もあり、確かに物言いや雰囲気は、軍隊での活動経験があるように思えた。年齢の割に衰えを感じさせず、体はしっかりと管理され、全体的にシャープな印象を受けた。


「そうですか。今日は研修生ですか。」


「いや、俺もそろそろ歳だしな、この辺りで退職して、のんびりとした生活を送ろうかと考えている。今日は、挨拶に来ただけだ。」


「そうだったのですか。送別会があれば参加します。」


「いや、最近は送別会はやらないだろ。学生ですらうるさく言われて、やってないはずだぞ。それに……いや、何でもない。」


 何かを言いかけた柏木は、前方を見詰めたまま立ち止まった。そんな柏木に問いかける迄もなく、三月自身も見慣れぬ光景に困惑していた。


「教官、あれは何ですか。見たことがないのですが。」


「あれか、昔は沢山あったと聞いたぞ。それに今でも東南アジアや中国で、現役で活躍している筈だ。過去の資料映像で見たことはないか。屋台と呼ばれるものだ。この国だと、おでんかラーメンが主流だな。」


「おでん屋ですか。丁度いいですね。行きますか。」


 率先して前を歩く三月。そんな三月の姿を見詰める教官は、彼の行動と言動に違和感を感じずにはいられなかった。かつて新人研修に現れた青年は、少しオドオドした引っ込み思案の若者だった。現代風な良いイメージのいい方をすれば、慎重な行動と対応をする心の優しい青年となる。彼が研修を受けたのが一年程前だが、目の前にいる青年と、一年前の若者のイメージが違い過ぎるように思えた。


 確かに学生が社会に出ると行動や考え方が変わるものだ。責任感やプロ意識に目覚めるということもある。ただ、それでも人間の本質は変わらない。幼少より積み重ねたものが、そう簡単に変わりはしない。柏木は、前を歩く三月の様子をそれとなく窺う。初めて見る屋台。そこへ興味津々に近付く三月。


 研修を受けていた頃の綾瀬なら、この状態で必ず一度振り返る。それは不安から来る確認行為であり、自分の行動が果たして正しいのか、自信が持てない者が行なう行為だが、一向に振り返る気配がない。以前の彼なら、何度も振り返りながら、こちらがついて来ているか確認し、さらに本当にこれでいいのかと不安げな眼差しで見て来る筈だった。だが今の彼は、自分の好奇心に目を輝かせ、振り返る事も無く突き進んで行く。


 そんな三月の様子に、柏木は違和感を感じた。彼は本当に私の知っている綾瀬なのか、一年で人はこんなに変わるものかと。


 小さな屋台におでんと書かれた暖簾。その奥で険しい顔をした厳つい男が、雑誌を読んでいた。今やデジタル書籍にパッドが主流の世の中で、紙媒体は逆に高価な印象しかない。このチグハグな雰囲気と屋台を出している場所から、この屋台は何処かの組織の差し金であることは想像できた。


 この場にいる柏木も、ある筋から依頼され、綾瀬の前に姿を現していた。こちらは、ニューフロンティア・サポート社の新入研修を担当する教官と、その教え子という立場があるが、目の前の屋台については、強引にも程があると、柏木は呆れ顔をしていた。


「営業していますか。」


 そんな周囲の状況など、お構いなしの三月が暖簾を潜る。柏木も、諦めて暖簾を潜り屋台を眺めた。


「これ、おでん屋ですよね。どうすればいいんですか。」


 反対側に座り雑誌を読んでいた年配の男性は、少し困った顔をしている。まさか、ターゲットが本当に現れるとは、思っていなかった感じだ。


「適当に食べたいものを注文してくれればいい。」


 そう言いながら取り皿と箸を渡された。三月は、何かのアトラクションと勘違いしているのか、随分と楽しそうだ。全ての具材の説明を受け、何を食べるか真剣に悩んでいた。


「教官は、何を召し上がります。俺は、大根とはんぺんと牛すじにします。あぁ、ここの払いは俺が持ちます。少し収入があったので、今は小金持ちなんです。」


「おっ、そうか。誰かに奢ってもらうなんて、何十年ぶりだろうな。おやじ、熱燗はあるのか。」


「もちろん、ありますよ。お二人とも、熱燗でよろしいですか。後、大根とはんぺんと牛すじですね。旦那は、何にします。」


 おでん鍋にセットされた、酒タンポから熱々の酒が器に注がれる。三月は、その光景を楽しそうに眺めている。柏木は、そんな三月の姿を視界にいれつつ、子供の頃の風景を思い出していた。祭りの日に食べたリンゴ飴やソースせんべい、綿菓子やチョコバナナなど、気付いた時には無くなっていた。


 いつ頃からだろうか、衛生的に問題があると、さまざまなものが消滅した。テキ屋と呼ばれるものが無くなり、祭りの縁日などは、閑散とした寂しいものになった。そのうち、屋台と呼ばれるものが消え、商店街などの飲食店なども見掛けなくなった。今現在残っているのは、外食産業のチェーン店ばかりとなり、日本中どの都市へ出掛けても、同じ味にしか出会えない。


 昔は、何処にでも安くて旨い店があったのだが、今では高くて普通の味が一般的だ。それ以上の味や質を求めるのであれば、高級レストランに予約を入れるか、良い食材を自分で吟味し、自宅で作るしか方法がないのだ。


「屋台なんて初めてだが、これは合法だよな。」


 昔を懐かしんでいた柏木は、少し意地悪をするつもりで屋台の親父に聞いた。少し驚いた顔をした親父だったが、当たり前だと鼻息が荒くなっていた。


「何で今さら屋台なんかやっている。」


 残念なことに、この質問に対しての答えは用意されていなかった。おでん屋の親父は、しどろもどろになり目が泳いでいた。この杜撰ずさんで適当な対応の組織は、どこの組織か気になったが、あまり関わりたいと思わない柏木は、敢えて知らないふりをすることにした。


 出された熱燗を口に含む、口の中でふわりと拡がり、鼻から香りが抜けて行く。おでんは出汁が効いた関西風で、大根は程よく味が染み、箸で簡単に解せた。想像以上の味に、思わず酒と箸が進み、思いのほか長居していたようだ。


 心地の良い酔いと旨いつまみに、屋台やテキ屋と呼ばれるものが無くなってしまったことが、残念で仕方がなかった。人々は仮想世界にドップリと浸かり、現実世界の生活を楽しむことを忘れたようだ。


 今や現実世界を普通に楽しんでいるのは、所謂いわゆるセレブと呼ばれる大金持ちのみとなってしまった。総人口の1〜2パーセント程度が、あちこちの観光地や温泉旅館、その他のアトラクション施設などの経営や運営を支える程の需要はない。その多くは淘汰され、真面に残っているのは、高級カジノや高級ホテル、高級旅館などになってしまった。


 まるで現実世界が過疎で廃止されそうな村で、そこから大都市に向けて人が流入するように仮想空間が肥大して行く。気軽でお手頃な金額で、極めて本物に近い感覚を味わえるため、人々はそこから抜け出せなくなる。この危機的状況に誰一人、警鐘を鳴らすこともなく、リアル世界が衰退して行けば、行き着く先は知れていた。


 人とは基本的に楽天的だ。そうでなければ生きて行けない。最近、柏木は奇妙な考えに囚われていた。それは方舟伝説だった。この逸話はさまざまな記述に残されていた。有名な物は旧約聖書の「創世記」に登場するノアの方舟の話だが、シュメルの洪水神話やギルガメッシュ叙情詩にも、同様な記述がある。


 この方舟伝説における大洪水を、仮想空間の蔓延というものに置き換えた考えが頭から離れなかった。「シュメルの洪水神話」の中にある一節。


 わたしの教えに耳を傾けなさい。大洪水が聖地を洗い流すだろう。人類の種を絶やす為に、これは神々の集会での決定あり、宣言である。


 柏木は、この文章を見た時に背筋に悪寒を感じた。洪水が押し寄せるようにバーチャルリアリティーが拡がり人々を飲み込むのなら、そもそも方舟など存在しないのではないか。人類の種を絶やすという目的は、達成されつつあるのではないかと思えた。


「どうしたのですか教官、黙り込んでしまって。」


 いつの間にか上機嫌の三月は、おでん屋の親父に感化され「おでん道」なる意味不明な人生の目標を立てていた。


「決めました。私、綾瀬三月は、各地のおいしいおでんを制覇することを誓います。」


「おぉ、そうか頑張ってくれ。」


 おでん屋の親父が、適当に返事をしている。


(真面目な考え事をしている自分が、まるで…)


 そう思いながら、少し離れた所にある電柱に目を向けた。何かの視線を感じ、それとなく目を向けたら、こちらを窺っていた者と目が会う。


(…!?…。あいつ、こんな所で何をしている!)


 柏木は、口に含んだ酒を吹き出さないように、必死に堪えていた。


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