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電脳ダイブ  作者: 音無 響
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第一話   未帰還者

 沈む夕日を眺めながら、砂浜にポツリと座り込む老婆が一人。

リアルの世界では見た事もないほど雄大で美しい光景だった。


 21世紀に誕生したVR技術は百年近くの時を経て、スーパー・バーチャル・リアリティー(SVR)技術と呼ばれ、より高度でリアルな夢の世界を実現可能にしていた。当初のVR技術は敢えてポリゴンを残し、リアル世界との区別がなされていた。これは現実世界と仮想空間を明確に区別する事を目的として、混乱を防ぐ意味でも非常に正しい判断だったと言えた。しかし、ハードウェアの処理能力が飛躍的に増大し、リアルな仮想空間が顧客のニーズとして求められると、開発サイドもリアルな仮想空間の開発へとシフトした。尤も、その多くはシミュレーション分野での活用を目的とした、医師による手術の執刀や航空機の操縦という特殊技能の取得を目的としたものに限定されていた。


 しかし、何処の時代も金儲けの為ならば手段を選ばない者がいるのだ。そのリアルな仮想空間技術を、無許可でアダルト産業界に持ち込み、一財産をと考えた者がいた。直ぐに逮捕され事なきを得たはずだったが、そのとき流出した技術が回収困難となり、この技術が拡散すると世界中で大問題となった。先進諸国は、只でさえ人口減少に歯止めが掛からない状態に頭を抱えていたが、この問題が更なる追い打ちとなった。つまり、男も女も自分の理想や願望が叶うことで、現実世界で子供が産まれなくなったのだ。


 その後、なし崩し的に技術の拡散が起こり、さまざまな分野で活用が開始された。SVR技術が多くの業種に広まると、それに伴い関連企業が数多く設立され多方面で雇用を生み出した。当時の各国政府はロボットAI技術の進歩により、人間の働く場所が急速に失われつつある状況から、一転して雇用が生み出されることに、諸手を挙げて喜んでいたが、革新的な技術の進歩とそれに伴う問題やトラブルに、全く対応が出来ていないのが現状だった。


 我が国でも、新技術に対するさまざまな分野での期待とは裏腹に、想像もできないほど悪質な方法で個人の人権や財産を脅かす犯罪が多発した。これに対する警察組織の対応は極めて鈍く、当初より懸念されていた事態が現実のものとして起こっていた。これはある意味で仕方ないと言わざる得ない状況だった。これらの問題に対処する為には最新の設備と知識が必要であり、警察組織では高額な最新式の設備と優秀な人材確保など、夢のまた夢の状態だった。


 さらに言えば、立法関連も新しい犯罪や詐欺などに対し、対応が追いつかない状況となり、国として常に後手に回っていた。唯一の例外が軍関連の設備と人員だった。これはテロなどの国家的脅威に対する備えであり、世界中のどの国も当たり前のように整備していた。


 ここで問題となるのが、国家的な脅威でないものに対しての対応だった。この状況において、予てより民間セキュリティー企業の多くが計画していた、サイバー関連のセキュリティー会社を、大幅に前倒しする形で設立が後押しされた。その中の一社、ニューフロンティア・サポート社が、俺の働いている職場だった。


 そして、今回の俺の仕事だが、未帰還者の安全な回収だ。VR技術が産まれて百年近くが経過し、SVR技術としてさまざまな問題やトラブルが発生したが、その中の一つが未帰還者問題だった。とにかくネットのゲームやバーチャル旅行から現実世界へ戻って来ない連中が大勢現れて社会問題となった。開発者に言わせれば、お腹を空かせたら現実世界に戻って来ると思っていたようで、何の対策や規制も無いまま、あらゆるゲームやリアルでは行く事も出来ない場所への旅行が可能となり、多くの死傷者を産んだ。


 簡単に言えば、栄養を摂取しないまま遊び続け、気が付けば体が動かない状態になっているのだ。家族や身内が近くにいれば、まだ助かる可能性があるが、近年では単身者世帯の増加に伴い、大量の餓死者を産んでしまった。


 思えばおかしな現象であった。飽食の時代を経て贅沢を言わなければ、何処でも食事にあり付けるこの国で、大量の餓死者が発生するとは誰も考えていなかったのだろう。その後、諸々の規制が民間の運営サイドで決められ、利用者は全てに於いて自己責任が求められるようになっていた。


「オペレーターよりAE-08、状況報告。」


「こちらAE-08、対象者を確認。」


「オペレーター、確認。映像と音声のレコーディング確認。アプローチを許可。」


「こちらAE-08、対象者の説得を開始する。」


 目の前に広がる広大な海。周囲に島影や陸地も見えない、絶海の孤島とでも呼ぶのか、遥か地平の先まで海が続いていた。吹き付ける風は心地よく、波の音が穏やかに響き、仕事でなければ自分も楽しめただろうと思わせる風景だった。


(何のツアーだろう?ツアー情報に目を通しておけば良かったな。)


 白い砂浜に座り込む老婆と、その先の海を見ながら、俺は対処の方向性を模索していた。これまでにも何度か未帰還者に対応して来たが、こればかりは相手の出方次第の対応になってしまうのだ。栄養を摂る事を忘れ身動きが取れない状態であれば、アクセスポイントから居場所を割り出し、リアルの体がある場所へ救急隊を要請しなければならない。この場合は自分の職務は簡単なのだが、問題は自分の意志で残っている者だった。


 大した人生経験もない若造が、自分の親より年上を説得するのは、非常に厄介で手のかかることだった。少し離れた場所から、海を眺めている老婆を観察すると、溜息が漏れる。


「こちらAE-08、このサーバーに風景の変化が見られないが、これは意図的なものか。それと、この場所の情報を貰えないか。」


「オペレーターよりAE-08へ。時間の経過が止められているもよう、場所は南鳥島と予想される。アクセスポイントの確認が終了。都内の特別養護老人ホームへ警官が急行中。」


 オペレーターからの説明に、またも溜息が漏れる。南鳥島。名前は聞いた事があるが、何処だったか思い出せない。


(何かの広告で、“人々に悦びを与える仮想空間”などと宣伝している動画があったが、その仮想空間で最も溜息をついているのは自分ではないだろうか。とにかく警察が動いているのだ、直にここから居なくなるだろうが、給料分仕事をしなければなるまい。)


 作業状況の録音・録画は、対象者に対するためだけでなく、その対象を担当するダイバーのサボリや逸脱した行為を抑制する効果もあった。ちなみに自分達の職業は電脳ダイバーになる。潜るのが海からサーバーに変わっただけだ。


 砂浜に座り込む老婆のもとへ、のんびりと近付いて行く。少し離れた場所に座り込み、同じように海を眺め、会話の口実を探した。一昔前だと天気の話など出来たが、ここは仮想空間なので天気の話など意味が無い。


 この未帰還者の説得に関しては、ダイバー各位に当てた、さまざまなセミナーが開かれていた。自分自身、お世辞にも人付き合いが上手と言えず、ボキャブラリーが貧困な者だと自負していた。従って強制されなくとも参加したのだが、さまざまな実例と対処方法を聞けたのは非常に有り難く有意義であったが、最後に熱意と情熱が一番大切だと言われ、多くの参加者が目を輝かせている光景に、これは自己啓発セミナーだったのかと思えた。


 これは余談だが、この未帰還者の説得の為に、俺は色々なサイトを覗き、何かしらのプラスになる情報や方法を模索した。そのとき偶然に深層説得術なるものを発見した。これは、相手の誤りを指摘せず、説得したい事柄を疑問形で話す方法だった。18世紀の偉人であるベンジャミン・フランクリンの話とともに掲載されていた。そう、あのベンジャミン・フランクリンである。


 ご存知の方もいらっしゃると思うが、嵐の日に凧揚げをし、雷が電気である事を証明した方だ。ただ、私は思うのだが、彼は雷が自分自身に落ちると言う可能性を考えなかったのだろうかと。もし、彼に会う事が出来たなら聞いてみたい「あの時、雷が自分自身に落ちるとは考えなかったのですか。」と、本人は“私はそんなチキンハートではない”と反論しただろうか。それとも、“雷が私に落ちて来るなどあり得ない”と言っただろうか。彼が若かった頃は、非常に高飛車だったらしく、深層説得術を紹介していたサイトでも、それで失敗した事実が記載されていた。しかし、彼の凄い所は失敗から素直に学ぶ所だと思う。彼はその失敗から学び、後にアメリカ合衆国建国の父の一人と言われるまでになったのだから。


 そんな彼の名言の中に“説得をしたいのなら、論理を用いるのではなく、利益について話せ”という言葉がある。この言葉は、自分が相手を説得する上で大いに役立った。


「オペレーターよりAE-08へ、状況報告。」


(… ハッ!! … いかん!忘れていた。)


 いつもの事ながら、頭の中でくだらない妄想に耽っている場合ではなかったのだ。慌てて周囲を見回すと、直ぐ傍にいる老婆と目が合う。


(……いつの間にか、老婆が近付いて来ていたのに、全く気付かなかった。気まずい……)


「ウフフ、あなた昔、家で飼っていた猫に似ているわ。」


 隣に腰を下ろして話し掛けて来る老婆は、いかにも育ちが良い良家の子女を連想させた。


「あなたAIではないわね。あれは事務的で感情がないから嫌いよ。それに、帰れ帰れの一点張りで、芸がないわね。もっと多様性に富んだ話術でも身につけさせると、話を聞く人も増えると思うのだけど、貴方はどう思う。」


 口下手でボキャブラリーの貧困な自分が、口出し出来る話題ではないと思い無言で頷いてしまった。頷いた後で後悔したが、その顔を見た老婆は嬉しそうに微笑んでいた。


「オペレーターよりAE-08へ、該当する施設へ警察が到着。現在確認作業中。」


 こちらの状況など構わず、本部から通信が飛び込んで来る。頭の中では、もう少しで任務が完了すると安堵していた。


「あら、何かいい事でもあったのかしら。少し笑っているように見えるわ。」


 この言葉にドキリとする。まるで手に取るように心を読まれている。


「あなたのアバターは、見せかけよね。本物はもっと若くて20代前半かしら、痩せ形で無口で、周りからはおっとりしていると思われているわね。でも、本人は頭の中で、一生懸命考えて行動しようとしている。そんな感じかしら。」


 恐ろしい程の洞察力に、開いた口が塞がらない。何故、そこまで理解できるのか不思議だった。この老婆が言う通り、自分は23歳で痩せ形、しかも無口でどんくさいと言われていた。自分自信、必死に頑張っているつもりなのだが、要領が悪いようで、何事にも良い結果に結びつかない現状だった。


「祖父からは“痩せぎす”と言われていました。」


「あら、“痩せぎす”なんて最近では聞かない言葉ね。」


 この状況で嘘など無意味に思え、俺は本当の事を話していた。ネット上で本当の姿や本音を晒すなどは、危険で危うい行為と職場では厳しく禁止されていたが、嘘をついても目の前の老婆には通じないだろうと思えたのだ。


「最近ね、私は自分の事が思い出せなくなって来たの。子供の頃の強烈な思い出とかは、さすがに覚えているけど、最近の事が全く思い出せないの。私、結婚していたのに、相手の顔すら思い出せないの。おかしな話よね。本当に結婚していたのかしら。」


「………………。」


 この状況で何を言えばいい。俺も結婚してないし、相手すらいない。真面に恋人と呼べる存在さえ、居たことがない自分に、語れるだけの言葉が見つからない。情けなさで涙が零れそうだ。


「貴方には、まだ先が在るの。心配する事はないわ。きっといい人が見つかると思うわ。でもね、優しいだけじゃだめなのよ、分かる。男の人には、引っ張って行く力強さも必要なの。」


 そう語る老婆は、とても優しく微笑んでいた。このとき、自分のアバターは泣きながら頷いていたのだろうか。この後に起こった事故が原因で、記憶が曖昧になっていた。


「オペレーターよりAE-08へ、対象者と思われる人物の死亡が確認されました。繰り返します、対象者と思われる人物の死亡が確認されました。」


(…… ! ! ……)


 この通信に、俺は驚いてその場を少し離れ、老婆を監視しつつ応答を返した。


「こちらAE-08、対象者と思われる人物が目の前にいます。死亡ではなく蘇生を、蘇生措置をお願いします。まだ、生きています。」


「オペレーターよりAE-08へ、それは対象者ではない可能性があります。対象者は、既に死後数時間が経過しているもよう。従って、その人物は対象者ではない可能性があります。」


(どうなっている。この人物以外この場所には誰もいない。機械の故障か。)


 自分の置かれた状況が理解出来なかった。何が、そう思った瞬間だった。

自分を取り巻く世界がシャットダウンした。


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