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未踏 6号 「存在のノート」

作者: 山口和朗

     存在のノート


    「沈黙Ⅰ」

 四F北ロビーの老女。動かず、語らず、薄板のような背中を見せて、明滅する都心の夜景を見るともなく見ている。失われた、はるかな時間を背中にしょって、あと数百時間で永遠へと旅立とうとしている。誰もがその状況を認めている。早や、意味や関係を考えようとはしない、その老婆の頭の中の、時間、記憶を人々は理解出来ている。



     存在のノート



    「沈黙Ⅰ」

 四F北ロビーの老女。動かず、語らず、薄板のような背中を見せて、明滅する都心の夜景を見るともなく見ている。失われた、はるかな時間を背中にしょって、あと数百時間で永遠へと旅立とうとしている。誰もがその状況を認めている。早や、意味や関係を考えようとはしない、その老婆の頭の中の、時間、記憶を人々は理解出来ている。


    「沈黙Ⅱ」

 私は隠されているのだろう、クウの心に呼び掛ける。クウと私の目が合う。クウが一瞬私を見る。私がなおも見続けていると、困ったように目を背ける。その刹那の私を認識しようとする意志と、打ち消す本能とが対立する一瞬の中にある、クウの沈黙。


    「沈黙Ⅲ」

 地球を月から見た時、無限の沈黙の中に浮かんだ、希有な生きものように見える。動ごめく騒音の星としての地球、月には沈黙が。それと同じように、私が生きて在る時、私の死を想像すると、その想像した私から世界を見ると、沈黙の中に浮かぶ私が見える。私が居なくても何も変わりはしないが、私が居なくなった後のその私を見る時沈黙が見える。


    「使命とは」

 人々が、人々に何物かを残そうとしている。残る人々との連帯のうえに、作家も、画家も、音楽家も。愛を、理想を、美を。しかし、それがその芸術家にとって何んだったのかは解らない。それら芸術家にとって、かく感じた、かく見た、かく生きたという証にはなるが、何の解決になったのか、何の遺産になるのか。今を生き残る人々にも解らない。

 一体私の使命とは何なのか、誰でも出来る使命ではなく、私が私の一回性でもってやらねばならない使命とは。一千年後、否、百億年後に至る使命とは。


    「私の実存」

 ドストエフスキーは、罪と罰、神と人間について考えた。カフカは不条理というものを見、ニィチェは、生存が永劫回帰だと、そして超人を考えた。キルケゴールは、生存の真の姿を不安と規定した。ハイデガーは有から無は考えられないと、存在を原存在と規定した。サルトルは、人は本来自由だと、存在を行為しだいだと規定した。リルケは存在を実感の中で捉えた。シモーヌベィユはイエスを生きることで、存在の最高形態とした。マルセルは考え続けることを実存とした。ベルクソンは生命全体と連帯することによって、自らの使命を他に委ねた。ソクラテスは、無智の知覚を説くことを自らの使命とした。あらゆる哲学者、先人すべてが、社会や人々との連帯の上に考え、委ねていると思える。自らの実存はどうしていたのか。マルテの手記に、山月記に、死の予感はある。解っている時の人間、実存へその人なりに準備する。しかし、先送りしている人間に実存はない。私自身がそう。実存を生きはしない。リルケ、山月記ではダメだ。サクリファイスが、自らの犠牲の日を待っていた。ついには発狂して、あちらへ行ってしまった。社会を捨象した所の、異形の者、孤独者、瞑想者しかないのか。私は人の実存ばかり見ている。自らの実存も解らないまま。神を真に望み求めることもなく。カミュのムルソー、世界の無関心に同化する。無関心は自明。そのことに私は感動できるか。何故死なないのか、生きがたくないから、まだ考えたいから。何故死を予感できないか、盲目的に信じているだけ。明日があると。思索ができるかぎり信じられると。この思索があるかぎり、私の実存は独自の実存なのか。あの時の私、ベルクソン的な生の希望だった。死はいい、私独自のもの、私の一回性のもの、真理とか、本質とか関係なく、私、私、私が神の座につくことか、私の外の神や超人は在っても無くても同じようなものだから。無ではなく空、空への到達だろうか。


    「空間」

 私の脳は五〇〇立方センチほどの空間なのに、宇宙の無限も、あらゆる世界の空間的存在も入れることが出来る。空間を考える時、私自身が空間そのものでなくて、これほどの空間を受容出来るはずがないと思える。私はあらゆる物質を、イメージ化することが出来るがために、私の脳は無限の広がりをもつ。私は宇宙を私の脳に入れて見よう。太陽系を越え、銀河を越え、ブラックホールの宇宙の果てへ意識を走らせる。又はビッグバン以前まで、意識を巡らせてみる。果てのない、私では私を計れない、私の心のような、空間とか、仕切りをイメージしない存在が見えてくる。宇宙とは私の意識、心そのものだと見えてくる。意識には時間も空間もない。欲すればどのようなものでも得られる、存在そのものの、宇宙そのもののような、私の心が見えてくる。宇宙は私なのだから、私は宇宙なのだからと、いとしい、ふるえる、かけがえのない、とても良く解る、慣れ親しんだ私の宇宙が手に取るように解る。私の宇宙と。


    「時間」

 時間が意識を離れて存在するとは思えるが、その時間は人類亡きあとのもの。

苦痛だった少年時代の時間。尊いものであった青年時代の時間。罪悪感を持った大人時代の時間。これらの時間こそが問題。今時間を私自身の考察に充てようとしたとき、時間が流れを止めようとしている。苦痛も、憤怒も、罪悪感も消えるように思える。時間はかけがえのない私そのものと思え。私の満足のために、時に美的生活、時に快楽的生活と、欲望の赴くままに充てて来た。が、絶えずおとずれた空洞感、又は、充足のあとの倦怠。

 今時間を、無限大の私の考察に充てようとした時の果てない充足感、それでいて在る充足感。全時間を私に向けること。私は人と会う。私は話す。私は食事をする。私は歩く。私はテレビを見る。私は寝る。あらゆる私の行為を私に向ける。私の存在のために私を行為する。私のために全てを存在させる。そのとき時間は止まる。


    「交感」

 私は黙って君を見ている。君は色々しゃべっている。私は黙って君を見ている。君の心の中を見ている。君の言葉が心の中から出ているとは思えないから。言葉の下の、君の心の中を見ている。私と一緒の、変幻自在の、宇宙の、不思議の、存在そのもの、心を見ている。私は、私の不思議を見るように、君を眺めている。君は仕事のこと、政治のこと、文学のこと、宗教のことと、思い付くままにしゃべっている。でも私は相変わらず黙って君を見ている。と、いつしか君が黙った。一瞬君が私の心を見ようとする。数秒の沈黙、君は自分の心を見始めた。沈黙を前に、言葉は何も自分の心を表してはいないと。君の心は、不確かさ、不安、不満、あらゆる否定的なものが沸きたっているようだった。確かさと安定と、充足のあらゆる肯定的なものを探していた。君は私の瞳を見た。私も君の瞳を見た。君が私であり、私が君であることの発見。私と君は沈黙の中に溶け込んでいった。


    「希望」

 たとえ私が成長をやめたように思えても、たとえ私が希望をもてないと思えても、存在する希望達、私が私を止めない限り、いや私を止めてもなを存在する希望達、草木と、動物達の、そして人間の、必ずや希望の末に果てていく、生きものの姿。目を開けば、耳をすませば、希望以外の何ものでもない彼等の姿。生きる姿とは、苦痛や困難があろうとも、それさえも希望における大切な栄養にしてしまう、生きものの姿。存在そのものが希望に違いない。まして不安や、不条理や、孤独など。あの時感じた希望、再びは訪れることのないこの世界よと、見つめたあの時。世界は希望で満たされていると思えた。太陽、風、物音、あらゆる物達、存在が、希望を感じさせた。私は彼等から生まれたのだし、彼等は私なのだと。私と彼等との一体感からの、心の目覚めだった。一匹のハエにさえ、生きものとしての連帯を感じられる人の心というもの、この世界を去るにあたっても、彼等に託す心というもの、彼等が人の心の故郷であるが故の希望。嘗て、本能と知性が分離する以前の私の伴侶。私は彼等の意志によって、知性を生きることとしたのだった。彼等の希望であったのだった。彼等が私の生き方を希望したが故に、私はハエを生き、草木を生き、動物達を生きているのだった。彼等は紛れもない私の故郷だった。私そのものが希望だったのだ。


    「自由」

 私が私と対話する。私は私と対話してこなかったと思えるから。私が問い、私が私に答える。私が書物の人々と語り、私が私を味わう。疲れては、机にうつぶせて眠る。夢を見る。半覚醒の中で、私が私と対話する。目覚めてはまた、私と語る。書物の人々と語る。また疲れては眠る。そして、その時々を言葉で表してみる。時に言葉になっていない、半物質のようなものを頭の中に見付けては、そこに言葉を貼りつけてみる。知り、考え、夢を見る。知り、考え、疲れては眠る。投げ出された私を見続ける。


    「一年というもの」

 手術後、一年以内で死んでいる多くの人々のこと。今日で私も丁度一年になるのだが、あっという間の一年、何も出来なかった一年、この一年をこそ生ききれば満たされたのに、何も出来なかった一年。これが手術後の一年であったのだった。きっと、私の頭脳は回路が出来あがったままで、それが言葉になって出る前に崩壊していく口惜しさに、私はアンタレスのサソリの見悶えを知るのだろう。私は沈黙するばかり。何も話せないままに、最も高揚するこの一年を、何も成せないままに、術後一年で死んで行った多くの私を思う。


    「孤独者」

 この数年私が世話になった人々、それは宗教者、哲学者、作家の中の孤独者達だった。私が私を考え、私を生きようとしたとき、導かれ、同伴しないではいられなかった人々だった。その私を導く人々も、人類を地下水のように流れている、孤独者の流れをたどって生きてきたのだった。人が私を生きようとする時、同伴しないではいられない人々、時代や国を越えて、感交してしまう人々の流れ。私は系統だって識り逢ってきたのではなかったのに、孤独者は、私が識り逢う前に皆識り逢っていた。孤独者は孤独ではなかった。孤独が故に、同伴していた。地下水の流れの延長を、どの孤独者も生きていたのだった。キルケゴール、ニーチェ、ドストエフスキー、シェストフ、カフカ、ブーバー、ピカート、マルセルへと。


    「私の為に」

 文学でも、哲学でもなく、自らに自らの生命を捧げる。ここに何の矛盾も、ヒロイズムも、悲愴感もない。自らの生命は自らへ。当たり前のことを本気になってやること。自分で自分を考えてやる。何処までも考えてやる。一回性において、自らの重みをどこまで理解できるか。その結果において他者の中に生きることはあるが、他者を生きることにおいて私を生きることは出来ない。


    「ベルクソン」

 私の重みが、人類の全過去を背負い、その上に在ったとの意識が、間違っていなかったことを確信させる。現在が、過去と密接な関係にあることも、有機物と無機物が一体のものであることも、その上での意識のことも、時間という気流を切り裂いて、進んでいる私という意識。時間は、物質の変化、意識の変化に過ぎないのだから。時間とは、創造的進化の生命にとっては当然のものであり、まさに生命とは、時間の制約があるが故に、創造的進化をしないではいられないのだと。存在とは、創造的進化であり、弾みを内包した意識そのものであり。意識は、死を通して進化していく。無とは存在の反映、存在からは無が、無からは存在が見える。意識を考えて見るといい。意識は存在か無かと。物質という存在を基礎にしてはいるが、物質の存在ではない。宇宙に拡がる無である。


    「私と木」

 木と私は兄弟だった。イチジクの木の下で、グミの木の下で、私は嘗て兄弟だったことを感じとっていた。木が無機物を食べて生きていることを、彼等の葉裏の白さで知っていた。私が有機物を食べないでは生きられないことを、彼等もよく知っていた。私は歩いて生きることを選び、彼等は歩かないことを選んだ。私は歩く自由と引き替えに、飢える不安を選んだ。彼等は大気が在るかぎり、飢えない安定を選んだ。実から、枝から、時に葉からさえ子孫を残し、数百年を生きる存在を選んだ。私は時を感じる分だけ、脅える実存を選んだ。私は、意識すれば一瞬にしか過ぎない時間の中を、彼等の夢を生きることとなった。彼等はそれを知っていて、今日も私に有機物という食べ物を与えてくれている。


    「関係」

 宇宙を、人の精神のようなものととらえること。精神は、時間や空間に支配されない。物質ではないのだから。物質と観念、きっと宇宙は観念だと、時間についても。時間とは、物質や空間といわれるものの属性であり、表象であると。そうした物質の属性をもつところの私の精神が時間や空間を感じるのだと。純粋精神に於いては、時間も、物質も、空間も一つのものであると。存在を考えるあまり、社会的責務は負えずに在る私。しかし、その問い続ける多くの私を通して、私は私として存在してきている。

 あの人が居ないでしょう。あの人も、この人も。でも、存在というものを考えると全ての人々が私に戻ってくる。関係が戻るということ。不在を忘れるということ。忘れていた時間へ戻れるということ。切断が連結されるということ。存在を考えると、どうしてこんなに色どりが違うものか。包まれている今を感じられるものか。


    「彗星」

 時間は、私の意識の反映にしか過ぎない。物の変化が私に時間を意識させているいるだけと。彗星は何十年かを周期に、地球を回っていると人が規定しているに過ぎない。彗星自身にはそんな時間など関係なく、銀河という空間を周回していくだけ。時間の意識などなく、あるのは唯物質としての意識をもって、存在の全てである空間を飛行していくだけ。

あと何年で、あのホーキのような尾も消滅するだろうと、人間の考えるところの存在の条件を意にかけず、存在とは、彗星の飛行とは、空間を存在の切っ先で突き切っていくことと。存在とは、その同じように見える周縁を、全て未知のことと、驚き、震え、輝き、突き切っていくことと。私はど時代にも居た。そしてこれからも、どの時代にも居ると。あらゆるものが消滅しても、私が一人でも、私のかけらが一つでも残るかぎり、私は生き続ける。無限の時間の中の、一瞬に過ぎない五十億年の後に、私はまた存在する。無限の時間の中にあって、私は無限存在していくと、彗星は今も飛行を続けている。


    「あの時」

 あの時、私は私に応えてやるすべを知らなかった。ただ一緒になって揺れているばかりで、私をどうしてやることも出来なかった。私を常に考え、常に見ようとしていた私が、私と一緒に去っていく。そう思うと、私は、私のことなど考えてはいられなかった。というより、私と私に分裂していたものが、あの時を境に一体となってしまったのだった。私が私を考えてやることの困難。水に溺れ、これで死ぬのかと考えた時の私。滑落するかも知れないと、スタンスを踏んだ時の私。短時間の不安と緊張は見つめたことのある私だっが、突然襲ってきたあの不安は、初体験のせいもあり、ただうろたえるばかりだった。

 私はどこかで、不幸というものを待っているところがあった。それは、幼少時の記憶が、現在を弛緩した怠惰なものと思わせているからのようだったが、不幸というものが、過ぎ去ったあとにはそれ程悪いものではなく、むしろ、病気からの恢復の時のように、素直な感謝に包まれる、人に於いて大切なものといった意識があった。また、生きるということが、現在では進歩の肯定、発展の肯定、幸福の肯定と、あらゆることが一面的に成りすぎてきて、制御が効かなくなってきている。むしろ、生き方に於いて便利は良くない。豊は良くない。幸福は良くないといった、否定思想があって、その中で生きるということを追求することが大切だと、多くの先人から教えられていた。が、否定思想を突きつめたとこ念が、概念ではなく現実となった。あの時より、私は私の実存を真に始めたのだった。


    「死刑囚」

 死刑囚には知らされているのだった。あと何年くらいの生命だろうと。

私には知らされていないのだった。明日かも知れないが、三十年後かも知れないといった、不確かなそれでいて、抗いがたい偶然と、運命に支配されたところのものだった。

 死刑囚には、時間が必然と人為に支配されていた、が故に所有されていた。君の所有時間はこれだけだと、決められたように。自分にとって最も有効に思える使われかたを考えることができた。私には、子供の小遣いのような、まとまった額ではなく、駄菓子を買う程度のもので、しかも、ねだれば無尽蔵にも思えるような時間だった。だから準備ができなかった。

 死刑囚には、罪が決まっているのだった。認めても認めなくても、その罪の名のもとに罰せられるのだった。私には罪が決められていなかった。存在そのものが罪だと説かれても、その罪は、罰則規定のない、いつ与えられるか定かでなかった。罪が理解出来ないがために、私は傲慢に生きていた。

 死刑囚には、宣告を受けた日より準備が始められていた。再びは登場することのないこの地上、この意識といった、絆のような世界との結合への準備が。三畳たらずの限られた空間の中で、生きものといえば、ハエと蚊、時にノミ位の訪れの中で、限定されたものからの演縡。私には何の準備もなかった。観念ではわかっている、再びは見ることのない世界ではあったが、投げ出された空間と、息詰まるほどの生きものたちの中にあって、歩きまわり、包まれているばかりで、豊℡さのなかにあって、生命の掛けがえのなさなど、観念上のものにすぎなかった。鉄格子を越え、訪れてくれた一匹の蚊よなどと、生命を慈しめなかった。

 死刑囚には、書かねば死ぬかではなく、死ぬから、書かねばならない切迫があった。遺書としての芸術。切実さと結ばれた言葉。私には次作があった。本当をいえば、書いておかねばならないことなど何も無いと思えるのだった。先人達が、ずっと深く、多数の書物の中に表しているのだった。

 死刑囚には、あらゆる物、あらゆる出来事の無関心がわかっていた。孤独というものが、言葉や、観念などではなく、むき出しの意識としての孤独。神の創造以外に絶えられない状態としての孤独。私には、明日につながった意味、錯覚としての関心が、あらゆる物、出来事にあり、孤独にはなりえようがなかった。神は必要も、創り出しようえようもなか

った。

 死刑囚には、一期一会、邂逅が、今日の今を生きているという実感で感じられた。今日の今しかないといった実感で、人と物との出会いがあった。錯覚としての関心ではなく、相手が欲したが為に迎える、訪れとしての出会いがあった。あらゆる事が自分の意志ではなく、他者の意志としての巡り合いがあった。私には、一期一会も、邂逅も成立しえようがなかった。意志さえすれば、どのような巡り合いも、幾度も出来るものであった。

 死刑囚には、自由が純粋に考えられた。自由放任の自由ではなく、法的自由でもなく、自由の成立条件である、生の否定という、剥ぎ取り、剥ぎとられたところの、極限での自由が考えられた。私には、自然的な自由、政治的な自由の中にあって、自由は何の意味も持ちえなかった。

 死刑囚には、永遠が瞬間の内にあることが理解されていた。絞首台にのぞみ、数秒の落下の瞬間にあっても、死をみつめる自分の意識は存在している。自分の死は、死を見つめ続けてきたように、その死の何分の一秒か前までは、見つめる自分がある限り自分の死であると。私には自分の死を、自分で見つめた経験がないために、死を理解出来なかった。瞬間も理解出来なかった。

 死刑囚には、存在の何であるかか理解出来ていた。死の後に訪れる沈黙と、沈黙より生まれた有機体であったところの、存在そのものに帰ることが。早、私は私を意識しはしない。早、私は私であると。私は、存在であるところの沈黙であると。無限の沈黙、永遠の沈黙、五十億の意識など、沈黙の夢にしかすぎない、沈黙の蜃気楼に過ぎないと。

                            一九八九、三、

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