星
遥か昔のお話。
「愛ってなんだろう」
天使の中で美しいと言われている長身で痩せ型、少し癖のある茶色い髪の毛を持ち、雪のような肌、万華鏡のようにキラキラと光る瞳のハザは、天使の中で一番美しいと言われている同じく長身で痩せ型、ストレートの黄色い長髪にガラスのような瞳の友人のルキに訪ねた。
「愛ってなんだろうね。天から見ていると愛し合っている人間はとても楽しそうだ。」
「神が人間を“愛”しているような感じじゃないのか。」
「そうかなぁ、確かにそれもあると思うんだけれど、そこには神様から人間への“愛”じゃなくて、もっと深いものがあると思うんだ。僕は地上に降りてみたいよ」
「滅多なことを言うんじゃないよ。それに人間のどこに興味があるんだ?自堕落に過ごし、酒と女に溺れ、羽もなければ特別な力があるわけでもない。ただ醜いだけじゃあないか。」
「それはそうなんだけれど、僕は知りたいんだ、人間と、そして“愛”を」
「やめておけ。天使が地に降り立つのは人間へ警告する時と堕天した時だけだ。」
「堕天だけはしたくないなぁ。だってあれ、堕天したときには羽を切り落として、その上捕まえられたらずっとずっと逆さで鎖に繋がれて、神様がいいと言うまで地の底にいないといけないんでしょう?頭がおかしくなっちゃうよ」
「だろうな。まぁ、普通に、人間のようにならずに過ごせばそんなことは絶対にない。」
「そうだね、そうしよう。天使らしく、ね。」
僕は絶対に堕天だけはしないと思っていた。この美しい羽を無くして鎖に永遠に繋がれるなんて。堕天した天使は数人しかいないけれど、僕はそいつらは頭がおかしいんじゃないかと思っていた。何不自由ない天使の生活。僕には十分だった。
彼女に会うまでは。
何も変わることのないはずだった日だった。いつも通り、人間は酒と女に溺れ働くことをしなかった。僕はいつの間にか人間への興味を失っていた。あんな醜いもの、と嫌悪さえしていた。いつか神様が裁きを下すだろうと思っていた時、僕は神に呼ばれた。
「ハザよ、お前に頼みがある。最近の人間達の怠け具合にほとほと呆れた。そこで、今日村の一つを燃やすことにしたのだが、一つの家族だけ信心深く、毎日きちんと働くところがあってな。その家族だけは助けてやりたい。だから、お前は地上に行ってその家族に今日中にこの村から出ていくよう伝えてくれ。できるなら今すぐにだ。」
ああ、やはり神の裁きは必ず下るのだなと思い、
「喜んでお受けいたします」
と言って、僕は初めての地上に降りた。なんの用意もせずに降りてきてしまったが、まあ伝えるだけならいいだろう。
僕は羽を隠すためにマントを羽織り、顔を隠しながら目的の家へと向かった。
その家はみすぼらしく、今にも吹き飛ばされてしまいそうだった。僕は軽く扉を叩くと、中から優しそうな、少し老けた男性が出てきた。
「何か御用ですか?」
「ーここでは少し言いづらいので、入っても宜しいでしょうか。」
男性は私の顔をみるとすぐ頷いた。
僕の様な美しい顔の若い男は、この辺りだとすぐ男どもに連れ去られてしまうからだ。
「汚いですが、どうぞ」
と私を中へ入れると、同じく優しそうな初老の女性が座っていた。
「まぁ、お美しいお客様。お茶を淹れましょう」
と、自分たちの生活だけでも苦しいだろうに、わざわざ見ず知らずの自分に茶をだしてくれようとした。僕はなるほど神が救いたくなるわけだと納得しつつ、すぐ帰るからと丁重に断った。
「今日、神がこの村を燃やします。しかし神は慈悲深き御方。あなた方はお救いになるよう命じられました。ですから、すぐに準備してこの村から出ていきなさい。」
そう言うと2人は目を合わせ少し驚いてから
「いつかこの村には裁きが下るのではないかと思っていました。しかし神はなんと慈悲深き御方でしょう。今からすぐ準備いたします。」
というとすぐに準備をし始めた。僕は帰ろうとすると突然扉が開き、女性が入ってきた。
本当に、美しい女性だった。陶器のような白い肌、豊かな黒髪は静かにうねり、少し憂いをおびた瞳をしていた。
「まぁ、お客様がきていらしたのね。汚い家ですが、どうぞごゆるりと」
そう言ってニッコリ微笑む彼女は涙が出るほどに美しかった。
「タハル、おかえり。いきなりだがこの村を出なければならなくなったので、お前も急いで荷物をまとめなさい」
タハルと呼ばれた彼女は両親の真剣な顔や声と、私を見つめてから事を察したらしく、「わかったわ」と言って用意を始めた。
僕は暫く動けなかった。忙しなく準備のために動く彼女を見つめていた。彼女の一挙一動すべて、息を呑むほど美しかった。僕はハッと我に帰ると気づかれないように天へ帰った。
僕は彼女が忘れられなかった。彼女の事を考えると胸が痛み、涙が出てきて肌が粟立った。忘れようと思っても忘れられなかった。僕は天からずっと彼女を見ていた。村を出て新しい村に住んでいて、見つけるのは大変だったが、執念で見つけた。見ているだけで十分だった。見ているだけでよかったのだ。しかし、彼女のそばにいたい。愛されたい。そう思ってしまった。僕は理解した。これが愛し、愛されたいということなのだと。
しかしこんなに苦しいなんて思いもしていなかった。こんなに苦しいのになぜ人間はあんなにのうのうと、さらに楽しそうにしていられるのか?
僕は分かった。それは彼らが人間で、焦がれればいつでも会えるほどに近いからだ。僕は自分が天使であることを初めて呪った。僕が人間ならどれほどいいだろう。彼女にこんなに焦がれただろうか?人間はいい。彼女のそばにいられる。なのに僕はー
僕は自らの羽をナイフで切り落とした。痛みで気を失いそうだったが、人間になるため、彼女に会うためと思って乗り切った。
そして地上に降り、彼女に会いに行った。
僕は軽く扉を叩くと、タハルが出てきた。
「まぁ、あの時の!」そう言って彼女は嬉しそうに微笑んだ。前にあった時彼女の笑顔をこんなに近くで見られるなんて。僕は嬉しさで泣きそうになったがグッとこらえた。
「相変わらず汚くて申し訳ないですわ…父と母もいなくなってしまったもので」
タハルの父と母は過労で死んでしまったのを僕は天から見ていたのでよく知っていた。彼女はずっと泣いていたが、泣き顔も美しかった。そして今まではどうにか父がこの美しきタハルを守っていたが父がいなくなってからというもの数多の男がタハルに求婚し、力づくでも妻にしようという者もいて、そんな時は自分の力を使って男を殺していた。彼女を傷つけようとする者に対して慈悲はなかった。
「私は、あなたのために羽をなくし、神に背いた。あなたのためなら僕はー」
そこまでいうと僕は言葉につまり、自分がした事を後悔した。
僕は神に背いたのだ。美しい羽を切り落とし、僕は、僕はー
そう思っているとタハルは僕を抱きしめた。
「何も言わなくていいですわ。わたし、一目見た時からこんなふうになるんじゃないかって、私に乱暴をしようとした男達がことごとく死んでいることも、あなたなのでしょう?あなたは天使、わたしは人間。そこまでしてわたしを愛してくれるあなたの愛を、なぜ拒めましょう」
そう言うと僕は彼女の口に自分の口を軽く押し付けた。キス、というものらしい。汚らしく思っていたこの行為だが、こんなに幸せになるものなのか。気づけば泣いていた。
その先の行為は決してしなかった。お互い、そこはまだであると思っていたからだ。
暫く僕達は幸せに暮らした。本当に、初めて体験する幸せだった。しかし僕はいつ神が自分を見つけて、自分を捕らえ鎖に繋ぐのかと思うと気が気でなかった。しかし、タハルには悟られないように明るく振舞った。
ある夜、誰かが扉を叩いた。僕が開けると、そこにはルキが立っていた。
「言いたいことは、分かっているな。」
「もう来たのかい。思いのほか天使は仕事がはやい」
僕は笑ったが、ルキはじっと僕を見つめていた。
「本当は言ってはいけないのだが、明日お前を捕まえに来る。だから、覚悟しておけ。」
「優しいんだな。そんな事をしたらお前、処罰を受けるのだろう?」
「お前ほどでは無いよ。」
と皮肉めいて笑うと、本当に小さな声で「どうして、お前が、こんな…」と言うとそっと去っていった。
「あなた…」
タハルは不安そうに僕の左手を掴んだ。
やけに温かいその手を僕はそっと握り返した。
「今日でさよならだよ」
僕は言葉にしてから初めて実感が湧いた。泣きそうになるのを堪え、キスをした。
僕らはいつも通りベットに入ると、僕は今日が最後だからとそっと彼女に身体を寄せた。しかし彼女はそれを拒むかのように少し遠ざかり、代わりに手を握った。
「わたしは、あなたが本当に天使だと思っておりました」
「何を言うんだい、僕は天使だよ」
「ええ、ですが、今日でお別れなんて突然すぎて…あの方は誰なのですか、あの方も天使なのですか、あなたは私を捨ててしまうのではないですか、実はあなたは天使ではなくて、天使と偽り私を誑かしているのではないですか?」
「あいつは天使で僕も天使だし、僕は君を絶対に捨てたりしない」
「あなたが本当に天使だというのなら、神の秘密の名を教えてくださいませ」
「君は僕を疑うのかい?それに神の秘密の名なんて、生きたまま天にいくのには必要だが、今は必要ないだろう?」
「いいえ、わたしを真に愛して、あなたが本当に天使というのなら教えてくださいませ。大事なことを打ち明けてこそ、わたし、本当にあなたを信じることができますわ」
「僕は君を愛している、これは本当だ。だが神の秘密の名は言えない」
「言えないということは、自分が天使ではないということですのね?私を騙していたんですの?私を愛していないんですの?」
「僕は君だけを愛している!!神の御名に誓って本当だ!!いいだろう、神の秘密の名はー」
僕はしまったとおもった。
僕が秘密の名を言うと、彼女はすぐにその名を唱え、天に昇り、そのまま星になってしまった。彼女は昇る直前、
「あなたを愛していました。誰よりも。しかし、わたしは綺麗な穢れない、老いることのない身体でいたかったのです」
と悲しげにいうと、消えてしまった。僕は堕天した者が神の御名に誓うなどーと思うとおかしくなった。
次の日天使達が僕を迎えに来て、地の底へ行くと僕は逆さに吊るされ大きな岩に縛り付けられた。彼女は本当に僕を愛してくれていたのだろうか?僕は本当に彼女を愛していたのだろうか?堕天するほどに?結局彼女は僕の名前をよんでくれなかったなぁ、僕はー
そう思うと涙が止まらず、僕はずっと泣き続けた。
僕の涙は地上に大洪水をもたらし、人々は死に絶え、治安も悪くなった。神は困り果ててしまった。
そんな中、僕の元にルキが訪れた。
「お前、ほんとに堕ちてしまったんだな。」
ひたすら泣き続ける僕に彼は悲しそうにいった。
「お前と人間の愛について話したことがあっただろう?あの後私も興味を持って調べてみたんだが、愛ほど人を狂わせるものは無いらしい。愛のためなら人は人を欺き、殺すのだと。人を殺したら確実に地獄なのになぁ…だが、そうまでしても人は人を求める。ここからは私の持論だが、愛は独り善がりだ。最初は自分が愛していると思っているが、そうすればいつか必ず愛されたいと思う。相手に愛されることがどれほど難しいか知らず、愛されたいと願うのだと。愛は恐ろしい。なぜ神は人にだけ愛を教えたのだろう。私たちとよく似た姿の人にだけ、愛するという行為をなぜ神は与えたのだろう。」
そうしてルキはこの目の前で涙を流す美しい天使にそっと手を伸ばし、永遠の別れのように顔をなでた。白く細長い、美しい指であった。それからしばらくして、人間への対応にほとほと疲れた神がハザの元へ訪れた。そして、
美しい天使の涙に心打たれ、彼を星にしてやった。
万華鏡のようにきらきらとその星は今でも光り輝いているが、時々涙を流すかのように弱々しく光る時もあるという。
彼女と同じ星になれて、彼は幸せだろうか?
シェミハザとイシュタハルの聖書のお話を少しアレンジして書かせていただきました。原作(?)だと
イシュタハルがプレアデスの七つの星になって夜空に輝き、鎖で逆さに吊るされたシェミハザがオリオン座になったらしいです。今でも美しく光り輝くその星はこんな逸話があったのかと思うと切なくなります。
オリオン座などを見たらこの話を少しでも思い浮かべて頂けたら幸いです。