1話
世界は変わった。
あるものは消え去り、あるものは一つに混じり合い、世界は形を変え、そして大きな厄災が訪れた。
それを招いたのは他でもない、人間だ。
その世界を織り成す“根源”が枯渇した時、それを礎に築き上げた人々の英知は無力であった。大地の大半は穢れて木々が育たず、海は毒されて生物が住む場所ではなくなってしまった。
様々な種族が暮らしていた世界はその数を減らしながらも、生き延びた人々は種族を問わず、僅かに残った生存可能な土地にしがみつくようにして生活の場を求め、その中に入れなかった人々と長きに渡って争い合った。
誰もが、生きる為に戦う。昨日まで肩を並べて戦っていた者が、明日は敵として殺し合う。そんな戦が何十年――いや、何百年と続けながらも、人々は乏しい資源と活力を疲弊させ続けていた。
鋼と鋼がぶつかり合う度に、絶叫が湧き起こり、鮮血が舞い散る。
横へ薙ぎ払われた鋼鉄の刃が、また新たな命を屠ったことを主の腕に伝えた。ダークエルフの戦士が胴を両断され、地面に横たわる骸の群れに加わる。
横手から迫りくる新手のダークエルフに、男は真っ向から身の丈程もある大剣を振り下ろす。敵の頭蓋を、手にした鋼の刃で兜ごと叩き潰すのと同時に、すぐさまを新手を求めて首を振り視線を大きく左右に走らせる。
男が戦っている勢力は“ダークエルフ”――かつて世界を襲った厄災以前から存在する、物質世界に取り残された妖精族の末裔たる一端がエルフと呼ばれる。そんな中でも褐色の肌を持ち、一般のエルフ族以上に閉鎖的で、ほとんど人里に姿を現さない彼らを人々はダークエルフと呼んでいた。
何故今、彼らと殺し合いをしている理由は男には理解できず、また理解する気も起きなかった。即ち、彼は傭兵であり、契約に基づき誰か――或いはなにかを殺すからだ。
「!?」
一瞬、視界の端が白く染まったかのように思えた瞬間、男は側方へ身を投げ出した。呼吸を整えながら、索敵を続けていた男の傍らを、巨大な炎の塊が飛び過ぎて行ったのだ。
(魔法使いが居る――!)
“マナ”とは、この世界の万物を形作る元となっている物と言われている。そしてそれを自在に操り、普通ならば存在しえない――例えば先程の火球など――物を生み出したりすることが可能であり、その様にマナを自由自在に操る者を人は“魔法使い”と呼ぶ。
男は剥き出しになっていた左肩から上腕にかけて高熱に晒され、ヒリつく痛みを覚えた。もし直撃していれば、火達磨になっていたことであろう。
怒号と悲鳴、その合間に金属が打ち合わさる音と、肉が裂ける湿った音が加わり、鮮血と火花が咲き、命が散り逝く――戦場の熱気と喧騒が一瞬遠のくような感覚を覚え、男は自身に向かってくる一騎の戦士を認めた。
騎士は馬に騎乗しているため、男自身の上背を超えるが、兜を被り、胸部や肩、四肢を守る優美な曲面で構成された板金鎧で覆った騎士は、遠目に見ても小柄な印象を与えた。
その騎士も男を既に敵と認めているようで、馬の鞍に括り付けていた鞘から、三日月を模した刀身を持つ剣――三日月刀を抜き放ち、それを高々と掲げて馬に拍車をかける。
「…………」
どうやら、先程の魔法による攻撃は、この騎士が行ったものらしい。
男は血と脂に塗れた、愛用の大剣の柄を両手で掴み、刀身を肩に担ぐようにして構える。両足の間隔を広く取り、腰を沈めて砂に足を取られないよう重心を低く、安定させる。
板金鎧で身を守る騎士に対し、男が身に着けているのは使い古された革鎧のみ。もしも先に攻撃を受ければ、少なくとも重傷は免れまい。
故に守りを捨て、攻勢に出た。
三日月刀を閃かせた騎士は、既に男の目前へと迫っている。男も砂煙を蹴り立て疾走する。
騎士はすれ違いざまにこちらを切り裂こうとしたのであろうが、三日月刀が振り下ろされるよりも速く、頭上で翻った武骨な鋼の大剣は主の意志に従い、その刃の下に騎士を捉える。
「ッ!!」
あわや縦に真っ二つとなりかねなかった騎士は、強引に三日月刀の軌道を変えるや、大剣の横っ腹を叩く。パッと火花が咲き、大剣の軌道が逸れる。さらに自身の身体も捻って一撃を避けようと試みたようだが、失敗した。
武骨な刃は、騎士の正中線をズレながらも、戦乙女の翼を模した兜の側面を削り、ズンッと騎士の肩当てへと喰らい付いた。
「キャウッ!!」
「!?」
想像だにしていなかった甲高い悲鳴に耳にした途端に集中力が途切れ、鎧ごと断ち斬るつもりであった握力が緩んでしまい、突っ込んでくる馬の慣性に負けて柄が手から離れてしまった。馬の突進を身を捻ってやり過ごした男は、騎士が落馬するのを見てとった。
一瞬、男は先に剣を拾い上げるべきか、それとも落馬した騎士に止めを刺すべきか迷った。騎士は甲冑をガチャつかせ、あたふたと起き上がろうとしている。
迷っている暇は無いと思い至った男は、腰に帯びた大振りの短剣を引き抜くと、未だ体勢の整っていない騎士に組み伏せにかかる。
見た目以上に小柄だった騎士が、必死に抵抗しようと暴れたが、男との膂力の差は歴然であり容易に組み伏せることができた。
間近で見ると、騎士の鎧には端々に古代文字と思われるレリーフが彫られていることに気付く。もしかしたら、高名な騎士なのかもしれないのに加え、先程の妙な悲鳴も合わさり男は相手の確かめてみたい好奇心に駆られ、半壊した兜に手をかけてグイと引っ張る。
大剣の一撃が留め金を潰していたらしく、すっぽりと兜が外れ去った瞬間、男は思わず目を見開いた。
(ダークエルフの女――いや、子供!?)
男は自分でも気づかぬ内に短剣を取り落し、目の前の存在に驚きの声を漏らした。
「ッ!!」
ダークエルフの少女は、男が驚いているのを好機と捉えたのか、手傷を負っているにも関わらず自身の腰から短剣を抜き出し、切っ先を突き付けてくる。
しばしの間、両者は無言のまま睨み合う。男はダークエルフの女を目にするのは初めてであった。美しく整った顔立ちに、多分にあどけなさを残しつつ薄桃色の唇はきつく結ばれ、琥珀色の瞳は、負傷しているにも関わらず毅然として男を睨んでいる。その目は琥珀色に輝き、神秘的な雰囲気を伴っていた。
色素が薄く、癖の無い金髪は無造作に後ろで束ねられており、それだけに妖精族の特徴でもある、笹の葉を思わせる長い耳が、側頭部から突き出でいるのがよく見えた。その耳は主の感情を代弁するかのように、小刻みに震えながらも逆立っている。
「……●△×@←*%;!」
にらみ合いに耐えられなくなったのか、ダークエルフの少女は何事か叫んだ。恐らくエルフ等の妖精族が使う古代精霊語の類なのだろうと男は思った。が、内容は理解できないため、結局のところ相手が何を言っているのかは理解できない。
(何を言ってるんだ?)
怪訝な表情を浮かべながら首を傾げてみせると、
「ッ……よくもやってくれたな、下賤な人間め!」
今度は公用語に切り替えて罵ってくるダークエルフの少女。自身の立場を理解しているのか、それともあえてそう振る舞っているのかは判らないが、少女の目に宿った敵意は一向に衰える様子は無い。
(既に勝敗は決しているのに……何故だ?)
気が付けば、武器がぶつかり合う音も、怒号も悲鳴も聞こえなくなっていた。ただ遠くから賑やかな歓声が風に乗って流れてくる。戦いが、終わったのだ。
いつまでもこうしている訳にも行かないが、男は少女を見据えたまま、刺激しないようにことさらゆっくりと口を開く。
「戦は終わったようだ。勝ったのは俺達だ」
「違う! まだ終わっていない! わたしが生きている限り!!」
ダークエルフの少女は手にしていた短剣で、無防備になっていた男を貫こうとした。
しかし――
「あぐっ……!?」
鈍い音と共に、短く、くぐもった悲鳴が少女の喉から漏れ出る。
少女の刺突はタイミング、速度共に完璧と言って良い程の不意打ちであったが、その切っ先は何も捉えず、少女の手から短剣がこぼれ落ちた。短剣が届くよりも速く、男の拳が甲冑越しに少女の胴を強かに打ったからである。ダークエルフの少女は急速に意識を失いながらも、困惑した。
(な、何故――)
少女には、切っ先が男を刺し貫く寸前、男の身体の位置がスッと前に動いたかのように見えた。明らかに自分の方が先に動いたというのに……そこで少女は意識が途絶え、思考も停止した。
ぐったりと前のめりに倒れ込む少女の身体を抱え、男もまた困惑の表情を浮かべていた。
「何故だ……」
腕の中で意識を失っているダークエルフの少女が、敗北は決定的だというのに抵抗したことと、自分が少女の生命を絶たなかったことに、男は大いに動揺した。
常ならば、あの状況で不意打ちを受ければ相手を殺していたのに――
「俺は……なにをしているんだ?」
男は腕の中で眠る、ダークエルフの少女を見下ろしながら呟いた。