潜入
都内の幹線道路を、一台のポルシェ・ボクスターが走っていた。車内の助手席に座る、茶髪に赤い眼鏡をかけた、痩せ型の若い男は、関西弁で電話を受けている。
「ところで、あのことは教えたんか?」
『はい。もちろん』
電話から漏れて来たラグエルの声を聞き運転席に座る金色の髪をスポーツ刈りにした男が白い歯を見せて笑った。
その反応を横眼で見ていた助手席の男は、ラグエルに確認する。
「ほんなら、例の場所で合流やね」
『そうですね。それでは、よろしくお願いします』
通話が途切れ、関西弁の男、サラフィエルは、運転席の男、レミエルと視線を合わせた。その直後、ポルシェ・ボクスターは、新宿のあるタワーマンション、ライトニングアパートの駐車場に停まる。そうして自動車から降りた二人は、周囲を見渡す。マンションの駐車場には、なぜか二人の男が乗っていた自動車しか停車していなかった。
「どうやら、鼠が入り込んだようやね」
サラフィエルが瞳を閉じると、レミエルは言い捨てた。
「大体十人くらいか」
二人は冷徹な視線を周囲に向け、背中合わせに立つ。
「久しぶりや。こういう肉弾戦」
「体が鈍っていたら、見殺しにする」
「相変わらずやな。こうなったら、得意のライフル使えんやろ。それが不満と違う?」
「人が殺せるだけマシだな」
レミエルは、躊躇いなくハンドガンを取り出す。そして、静かに動く影を捉えると、すぐに引き金を引いた。サイレンサーが取り付けられているため、銃声は響かなかった。
だが、壁には血液が飛び散り、アスファルトの上では、黒いスーツを着た男が血塗れの状態で倒れている。
同じように、敵の気配を感じ取ったサラフィエルは、前方を走り始める。そうして、黒い服の男を見つけると、勢いよく彼の頭を殴り、気絶させた。
一方のレミエルも、正確な射撃で、確実に黒い影の胸を撃ち抜く。同じようにサラフィエルは黒い影を次々に見つけると、彼らを襲い殴り倒した。
「これで終わりか。たったの十人で俺達を捕まえようとしたのは、間違いだったな」
たった一分で十人の黒服の男達を倒したレミエルは、床に這う男達を見下ろす。
「こいつら公安やろ。公安が、俺達が集まるマンションの駐車場で張り込んでいたちゅうことは、ラグエルの話も嘘やないってことやな。どうするん?」
「決まっているだろう。拷問して、誰がスパイなのかを聞き出す。最も俺が撃った奴は、今から救急車を呼ばないと助からないようだがなぁ」
「俺が殴った奴は、気絶してるだけやで。少しは手加減した方がいいんと違う?」
「手加減したら、捕まる」
「それもそうやね」
サラフィエルはポルシェ・ボクスターの助手席に座った。それと同時に、レミエルはラグエルにメールを送る。
「これで二回目だな。俺達が現れる所に、公安の連中が張り込んでいたのは」
送信ボタンをタッチしながら、レミエルが呟く。それを聞き、サラフィエルは思い出した。
「半年前に聞いたわ。平成十六年の三月に行った取引のことやね?」
「十年前以来だ。実態すら掴めない俺達の組織の動向を事前に察知して、先回りされるのは」
レミエルはエンジンキーを回し、自動車を走らせた。その車内で、サラフィエルは腑に落ちない表情を見せる。
「十年前と似てるんと違う?」
「俺も同じことを考えている。十年前、公安の連中が取引現場を張り込んでいたこと。そして、先程俺達の集合場所に公安が張り込んでいたこと。いずれも情報源は分からない」
「十年前の件と今回の件。同一犯やったらどうする?」
思いがけない疑問がサラフィエルの口から漏れた時、レミエルが運転する自動車は赤信号で停車した。
「そうだな。それだと、最近になってコードネームを得た奴の中に公安の鼠がいるっていうのが、嘘になる。容疑者は十年前の組織幹部の中にいるってことになるなぁ」
「ほんなら、俺達は十年前の取引についてでも調べよか? 暇やろ?」
「言われなくても、そのつもりだ。俺は事件の第一容疑者の元へ向かっているんだからな」
「第一容疑者?」
「サンダルフォン。俺はあの仮面野郎が怪しいと思っている」
間もなく信号が青へ変わり、レミエルが運転する自動車は、右折した。彼の自動車を追跡する不信な車は、存在しない。