脅迫
警察庁の官房長室の椅子の上で、黒い髪を腰の高さまで伸ばした、黒いスーツに身を包む女が、足を組み直した。
その女、浅野房栄公安調査庁長官は、正面に座る白髪交じりのオールバックの男性、倉崎和仁警察庁長官官房長が座っている。
「どうして、ニュースで爆破事件に関することが報道されているのかしら?」
浅野房栄が不満そうな表情を見せると、倉崎は真顔で答えた。
「あの爆破事件は終わっているだろう。優秀な公安刑事が相田の死を偽装したからな。あの件でまた奴らが仕掛けてくるかもしれないが、それをチャンスに変えればいい。あのテロ組織。退屈な天使たちを壊滅させるために」
「そうね。本当に優秀な人よ。組織に潜入した公安の潜入捜査官は、末端構成員になるだけで精一杯。そして殆どの潜入捜査官は、組織の連中によって暗殺されていった。それだけ潜入捜査は難しいのに、あの人は、コードネーム持ちの幹部にまで上り詰めたんだから。組織壊滅も時間の問題ね」
丁度その時、官房長室のドアを誰かがノックした。その音の後で、二人の男が官房長室へと足を踏み入れる。
一人目の男は、白髪交じりの短い髪に黒いスーツを着た男、八嶋祐樹公安部長。
もう一人は、垂れ目で鼻が大きい恰幅の良い体型の男、四葉本吉警備部長。
四葉は倉崎の前に立ち、両手で書類を差し出した。
「倉崎官房長。相田の護送ルートは、これでよろしいでしょうか? テロ組織、退屈な天使たちが要人の命を狙う可能性もございますが」
倉崎は四葉から渡された書類に目を通しながら、警備部長の慎重な行動に感心する。
「素晴らしい護送ルートだね。だが、公安の潜入捜査官が仕掛けた脱出トリックが暴かれていない現状では、ここまでの計画を立案する必要がないと思うがね」
「異論はありませんが、万が一の可能性もございます。それに……」
四葉が横眼で隣に立つ八嶋公安部長の顔を見る。八嶋は一歩を踏み出し、倉崎に報告した。
「先程、テロ組織、退屈な天使たちのメンバーを名乗る人物から、脅迫状が届きました」
「脅迫状?」
浅野房栄が首を傾げてみせると、八嶋はスーツのポケットから手紙を取り出し、それを机の上に置く。
「倉崎警察庁官房長官。浅野房栄公安調査庁長官。井伊尚政法務大臣。八嶋祐樹公安部長。
四葉本吉警備部長。以上五人に告ぐ。相田のように殺されたくなければ、我々に干渉するな。退屈な天使たち」
八嶋が脅迫状を読み上げる。すると、浅野は思わず疑問を口にした。
「どういうことかしら? 相田のように殺されたくなければって。それにあの件には、四葉本吉警備部長は関与していないはずよ」
「奴らの真意は分からないが、解釈次第では殺人予告になるかもしれない」
倉崎の発言に、三人は彼に注目した。それから倉崎は言葉を続けた。
「問題は、相田のように殺されたくなければっていう文言。奴らが相田の生存を確認したとしたら、どこかで再び相田が暗殺される。あのテロ組織、退屈な天使たちが無差別テロを実行したという前例はないから、暗殺方法は限られてくると思うがね」
「倉崎官房長官。考え過ぎですよ」
安心している八嶋の横で、四葉は携帯電話を取り出し、それを耳に当てた。同時に八嶋祐樹公安部長の携帯電話が、スーツのポケットの中で振動した。
「俺だ。テロ組織、退屈な天使たちが再び相田暗殺を企てていることが判明した。警戒を強めろ」
四葉は電話を切り、倉崎に頭を下げる。
「倉崎官房長。ホテルで警護しているSPに警戒を促しました」
「ご苦労。兎に角、何事もないと祈りたいよ」
その後で八嶋は、携帯電話の画面を、官房長官に見せる。
「噂をすれば何とやらです。新宿のライトニングアパートの駐車場に、奴らが集まるようです。それと、私のノートパソコンに、奴らの犯行計画書が送るようです。残りは我々に任せるということでしょう」
「なるほど。八嶋公安部長。今すぐノートパソコンを取りに、警視庁へ戻りなさい。話はそれからです」
倉崎官房長が腕を組みながら、公安部長を促す。
「はい」
八嶋は倉崎に頭を下げ、警視庁へと戻る。
丁度その頃、アナフィエルはマンションの一室で、ノートパソコンに向かい座っていた。
その画面には、暗殺計画の犯罪計画書が表示されている。
「変なウイルスが入っていなけりゃいいが」
そう呟いたアナフィエルは、ファイルを左クリックして、犯行計画書をコピーした。それからメールで八嶋公安部長にファイルを送る。
公安の潜入捜査官である彼は、ノートパソコンをシャットダウンして、机の端に飾られた長髪の少女の写真を目に焼き付ける。
「奏。お前の無念を晴らしてやるからな」
写真の中で微笑む少女のことを、アナフィエルは忘れない。