発端
海の見える丘の上に、長い髪を吹き荒れる海風を靡かせた一人の少女が佇んでいた。
少女の耳に届いているのは、波の音と風の音。そして遠くからは、ヘリコプターが近づく音。
もうすぐ日が昇ろうとしているというのに、その少女は、悲しそうな表情を浮かべ、海を見ていた。
誰かの足音が近づくと共に、強い風が吹く。少女が空を見上げると、黒塗りのヘリコプターが上空に停まっているのが見えた。
間もなくして、ヘリコプターの窓が開く。視力だけは良い彼女には、分かっていた。ヘリコプターの窓から覗いているのは、ライフルの銃口だと。それでも少女は、逃げない。
脅えた様子も見せない少女に銃弾が撃ち込まれたのは、数秒後のことだった。狙撃手が標的を仕留めたのを、スコープ越しに確認すると、黒塗りのヘリコプターは何事もなかったように旋回した。
一人の少女の死から数年の時が流れる。
男にとってその場所は、暗闇そのものだった。聞こえてくるのは、激しい波の音。煙のような匂い。炎のような温かさ。それ以外のことは、何も分からない。
なぜなら男は、目隠しをされた上、両手足を縄で縛られているのだから。口は当然のように猿轡で塞がれている。この状況では、自分がどこにいるのかさえ分からないだろう。
なぜこのような状況になってしまったのか。男には心当たりがあった。だが、それを後悔しても意味がない。
「どうやら、交渉は決裂だな」
男の耳に、若い男の声が届く。それに続き、可愛らしい女の声が聞こえた。
「そうね。アナフィエル。じゃあ、殺しちゃおうか?」
「メルカバー。どうやって殺す?」
淡々とした口調の男の声に対し、アナフィエルと呼ばれた若い男は、ハッキリと答えた。
「ザフキエル。てめぇが開発した爆弾を使えばいいだろう」
「そうだな」
そして、男の体は軽々と持ち上げられた。
「この仮初のアジトともお別れね。ザフキエル。ここも破壊して。髪の毛落ちていたら、すぐに私たちの身元が判明しちゃうかもだから」
「分かっている」
ザフキエルが答えると、三人はアジトから脱出した。そして、男の体は、近くに泊まっているボートの上に叩きつけられる。
それから間もなくして、ボードが自動的に動き始める。男は、恐怖から身を震わせた。
その様子を、三人は無言で見ている。メルカバーは、どこからかビデオカメラを取り出して、様子を撮影していた。
ボードが動き始めてから一分後、男を乗せたボートは、突然爆発した。激しい炎が、暗闇の海を明るく照らす様を、三人は花火でも観るかのように楽しむ。
狂気を漂わせる三人の背後では、それまで男を監禁していたアジトが、静かに崩れていた。そうして仕事が終わると、三人は何事もなかったように、去っていく。
だが、この三人が関与した誘拐事件は、失敗していた。このことを彼らが知るのは、数日後のこと。