24 海底へ(大陸斜面)
■システィーナの視点
濃い青色の世界に私はいる…………。ただただ濃い、青色の世界…………。
天を見上げれば、小さな白い光が朧気な衣を纏って青色の世界を僅かに照らしている。
吸い込まれ、溶けていくような、底のない、青…………。
混じりけのない、人を寄せ付けない、純粋な、青…………。
大きな大きな岩の丘の上で、私は呆然と眼下の光景を見下ろしている。なだらかに上っていたはずの岩の丘は、数十メートル先から急激に大地の底へと沈降していて……………………奈落へと続いているようで…………。
そこはかとない恐怖心が沸き上がってくる。
正直……………………怖い。
怖い……………………。
もしもこれが陸上で、丘の上から下を眺めているならば、何の恐怖心もないだろう。陸上ならばどこまでも続く草原や、川や森が、あるいは山や町などが見えるからだ。
でもここは……………………。
ここは違う……………………。
何も、見えないの……………………。
青黒く……………………ただただ青黒くて……………………。
先が見えないの……………………。
「感覚的なものだが、今の深度は百メートル前後だと思う。ここからどのくらい深くなるか…………ディートリッヒは潜ったことはあるだろうか?」
「私はない」
「そうか。昨日、女王と大臣に聞いたところ、急峻な斜面は数千メートル下るまで続き、そしてさらに断崖へと続きそこから数千メートル落ちるという」
急峻な斜面の後に断崖が…………。どうやら、神殿騎士アヴァンと同じ行き方を試みた海妖精からの報告らしい。ああ、今から気が遠くなりそう。陸上の断崖なら、おそらく恐怖は『 高い 』というものだけだろう。でも海底はさらに、『 見えない 』がプラスされる。
「断崖の底、いわゆる『 深海 』に降りた海妖精の報告では、見たこともない生物がいて危険を感じて戻ってきたそうだ。まあ二百年ほど前の情報だが………」
見たこともない生物…………。うう〜ん、私は怖さに負けないよう、両頬をバシバシッと叩いて気合いを入れた。その時、コックリが申し訳なさそうな表情で…………。
「…………ゴメンな、シス」
「? 何が?」
「俺が光る海へ行きたいばかりに、怖い場所へ行く羽目になって…………」
「…………謝ってほしくない」
私はムッとしたので、コックリはビクッとした。
「え? お、俺何か悪いこと言った?」
「言った!」
「な、何を?」
「龍よ。彼女はお前に責任を感じてほしくないのだ。彼女が自ら選んだ道の試練なのだから」
「???」
見るにみかねたディートリッヒが私の心境を代弁してくれた。
「龍よ。彼女はお前の目指す場所に着いて行くと、自ら決めたのだ。お前に無理矢理連れ回されるのではなく、自らの意志でお前の行く場所へ進むと決めたのだ。そして同時に、お前の支えになりたいと思っているのだ。…………気絶から目覚めてお前に敵意を剥き出しにした私を説得し、怯える水馬をなだめお前になつかせたな? お前の支えになりたいからだ」
「ああ…………ああ…………」
「しかし、お前に着いて行きたい、支えになりたいという意志があったとしても、未知の領域へ踏み込むのは怖い。恐怖は当然だ。だがその恐怖は彼女が自分で選んだ道の、彼女に課された試練だな?」
「ああ…………ああ…………」
「彼女が自ら選んだ道だ。なのにお前に謝らせてしまったら、お前に責任を感じさせてしまったら、お前に新たな枷を作ってしまっているようではないか?」
「ええ?」
コックリは目を見開いて頭をブルブル振った。
「そ、そんなつもりは…………」
「ああ、お前がそんなつもりで言った言葉ではないことは分かっている。だがお前に責任を感じて欲しくないのだ」
そう、私は自らの意志で光る海へ行くことに決めたの。だから恐怖は感じるけれど、それでも行くの。私が決めたことなのよ。彼が行く場所へ必ず私も行くと。だから、彼が謝る必要も責任を感じる必要もないの。私が勝手に彼に着いていくんだから。
「そうか…………そうか、すまなかった。でもお陰で俺も気が楽になったよ、ありがとう」
彼は晴れやかな笑顔になっていた。ああ、無理に連れ回していると思って、気にしていたのね。その時ディートリッヒが小声で話しかけてきた。
「ふむ、私も役に立ったか?」
「え?」
「なに。貴女と龍の仲を取り持てたならば、私も貴女の支えになれたということだ」
そうか、ディートリッヒも自らの意志で私に同行すると決めたから、私の気持ちが分かったのね…………。よし、彼女のお陰で腹が座ったわ。確かに恐怖はあるのだけれど、私はもっともっと怖いものを知っている。それに比べれば、海への恐怖など可愛いものだ。
「では斜面を下る前に何点か最終確認しよう」
「ええ」
「そうだな…………行程、隊列、魔法といったところか」
「行程、隊列、魔法?」
「ああ、まずは行程だが恐らく深海に到達してから光る海までの距離はざっと二百キロ以上あると思う。さっきの速度で進むと十時間程度で到着する距離だが、それはあくまでも最短の直線距離。①海底 特に地形がどうなっているか、②魔物や肉食獣との戦闘はあるか、で時間のかかり方は変わってくる」
「そうね」
「水馬も大変だろうから、休みながら進もうと思う。概ね三〜四時間に一度休憩を取るペースで行き、二十時間くらいで到着するように進もう」
「分かったわ」
「それと念のため、アラルフィで羅針盤を三つ借りておいたから、一つずつ持っておいてくれ」
「三つも借りていたの?」
「壊れた時用に念のためな、ちょうど良かったな」
そういってコックリは笑った。
「次に隊列だ。俺が先頭に立つので、二人は俺の後ろに着いてきてくれ。右後ろがシス、左後ろがディートリッヒで、三角形の隊列だ。距離はそれぞれ二メートル以内がいいな」
「「分かった」」
「最後に魔法だ。視界確保のため、光の精霊を活用したい。光の精霊は最大何メートル先まで飛ばせる? 何個出せる?」
「私は大体百メートル先くらいまで飛ばせる。頑張れば五ついけるかな?」
「私も同様だ」
「水馬に乗りながら、周りの変化にも気を配り、俺たちと光の精霊を一定の距離で保つ、という操作をするという前提では、何個が無理なく行ける?」
「うう〜ん、二個かな?」
「私も同様だ」
「光が届く範囲は半径何メートルだろうか?」
「うう〜ん、半径十メートルくらいじゃないかしら?」
「うむ、私もそう思う」
「了解した。では二つずつ出してもらおう。シスは俺たちの前と後ろに、ディートリッヒは左右に。具体的にはシスは俺の三十メートル前にキッカリ一つを配置し、ディートリッヒはその光が届く範囲で左右に三角形になるよう配置して、出来る限りの視界を確保してくれ。後ろはやはり三十メートルくらいに配置して後ろから近づくものに注意してくれ」
「なるほど、分かったわ」
私とディートリッヒは、それぞれ光の精霊を呼び出すと、コックリの指示通りに配置する。
「よし。あとは俺がどれだけ周りの生物の気配を察知できるか………」
なるほど、コックリは霊力によって身体を極限まで強化しているから、周囲の変化、敵意や殺意に信じられないほど鋭敏に反応できるんだけれど…………これだけ視角情報に頼る彼を見るのは初めてのことだ。
「よし! 準備は良いかい?」
「「OK!」」
「では、出発!」
コックリはそう言うと沈降する斜面へと水馬の歩を進めたので、私たちもそれに続い…………てええええぇぇっ!? なにこれえええ!?
「きゃああああぁぁぁぁぁっ!」
「ふおぅうおぉぉっ!」
私は思わず叫んで水馬の首にしがみついてしまった! だって! だって! 目の前! 目の前! まるで! まるで! 真っ逆さまに落ちているみたいなんだものっ! 真っ逆さま! 底知れぬ斜面を真っ逆さま! あのディートリッヒでさえ、歯を食い縛っている!
「きゃああああっ!」「ふおぅうおおお!」
「わはは怖っ、怖っ! 凄いな! 恐らく斜度四十五度くらいだ! 水馬に乗ってる分、余計に目線が高くなる上、前傾になるから真っ逆さまに感じる!」
「きゃああああっ!」「ふおぅうおおお!」
自分の叫び声のなか、コックリの声が何とか聞こえた! 悠長に分析してるんじゃなああぁぁい!
「きゃああああっ!」「ふおぅうおおお!」
「わはは、ゆっくりな歩幅だけど、時速四十キロは出てるか!? 怖っ! わはは、怖っ!」
「きゃああああっ!」「ふおぅうおおお!」
光の精霊が操作できなあぁぁい! 目を開けてられなぁぁぁい! 真っ逆さまぁぁぁ! 真っ逆さまああああああ! 恐怖で内蔵が持ち上がるような変な感覚がするうう、ああああ!
「きゃああああっ!」「ふおぅうおおお!」
「おお! そうだ、斜めに降りていこう!」
「きゃああああっ!」「ふおぅうおおお!」
コックリが水馬を操ると、私とディートリッヒの水馬もそれにつられて斜めに降りていく! あああ!
「きゃああああっ!」「ふおぅうおおお!」
「もう大丈夫だ! 目を開けられるぞ!」
「きゃああああ…………あ」「ふおぅうおおお…………お」
あれ? なんだか平坦になった…………?
「斜めに降りれば、なだらかになる」
「遅〜いっ! もう! コックリ! 気づくの遅〜いっ! 本当はもっと早くに気づいてたでしょ!?」
「いや、そんな事ない! 本当に今さっき気づいた!」
「もう! コックリの意地悪!」
「いや、そんな事ない! 本当に今さっき気づいた!」
「嘘ばっかり!」
「私もシスティーナと同様の意見だ!」
「そんなことないって!」
コックリは、何度も誤解だと叫んでいた。ああ、怖かった! 落ち着いたら周りの状況が見えてきたわ。
私たちは、斜面を右方向に進んでいる。隊列はコックリを頂点に三角形だから、私が山側を、ディートリッヒが谷側を走っている。うう〜ん、凄い傾斜で本当に四十五度くらいある。周りはだいぶ暗くなって、藍色の世界になりつつある。
「現在の深度は千メートルくらいかな? だいぶ暗くなってきたな」
「うん。光の精霊がなかったら、三十メートル先も見えないね」
本当に暗い。太陽が沈んだ直後の宵闇の世界。闇が私たちを包み込んでいるみたい。
水馬たちが一歩一歩緩やかに、弾むように進んでいると、暗闇のそこかしこに黒い大きなシルエットが見えてきて………。
「結構、魚がいるな」
「ホントだ、しかも大きい!」
光の範囲に入ると斜面にへばりつくように結構大きな魚がいる。二メートルくらいの魚が、何匹も何十匹も、底の方を向いているの。あれえ? 普通、頭は上に向かない?
「栄養を含んだ肥沃な海流が、下からきているんだね」
なるほど。よく見れば水馬の青いたてがみが、谷側から山側へと流れている。海流が昇ってくるから、頭を下にしているのね。
「寒くなってきたな」
「うん、そろそろ上着を用意した方がいいかしら」
「そうしよう」
私たちは斜面でいったん水馬を止め、カバンからコートを出した。ちなみに水中呼吸の魔法は、体に空気の膜を纏う魔法なので、洋服は濡れていない。幻獣である水馬は、もともと精霊魔法を使うまでもなく、水中呼吸と同様の膜が張られるので、水陸どちらでも難なく存在できる。
「よし、出発!」
再び紺色の世界に足を踏み出す。
しばらく舞うように進むと、あら? なんだか雪みたいなものがチラホラ………え、本当に寒いから? 宵闇の空から、白い粉雪がユラリユラリと………。ディートリッヒが答えた。
「マリンスノーというものだ」
「マリンスノー? 海に雪が降るの?」
「おおぉ〜、そうかオキアミやプランクトンの死骸か」
「さすがだな、その通りだ」
へえ~なるほど。天から降ってくる雪は、水流に乗って斜面の上の方へと押し流される。ああ、それを口を開けた魚が食べているわ。なるほどね~。水馬は魚たちを踏まないようにゆったりとした足取りで斜面を斜めに翔ける。私はゆるゆると水馬に乗りながら観光気分で周りを見渡しながら進んでいた。
とその時! 突然! コックリの右前方! 光の精霊が照らす範囲に変なものが入った!
「なんだ!?」
「きゃあっ!」
そこには! 体高三メートルは越える巨大なイグアナがいたの! でっか! でっか! 光に照らされた皮膚の色は白くてぬらぬらしてる! 私たちに気がついたそのイグアナの目が光った! 次の瞬間! 口が開いて真っ赤な舌が目にも止まらぬ速さで! 私に飛んできた!
「きゃあっ!」
「聖魔法! 『 波動砲! 』」
ダンッ! と水中に振動が走り! 長く赤い舌が私に届く直前、舌がグチャッとつぶれた!
「ギョエエエエエエエエッ!」
水中にイグアナの悲鳴が轟く! と、光の届く範囲のそこかしこに、イグアナの顔が! 尻尾が! 胴が! 谷側に頭を向けた大小さまざまなイグアナがたくさんいたの! 大きい物は、頭から尻尾の先まで十五メートルくらいあるかも!?
「やっべ! 深海イグアナの棲息地だ!」
私たちは深海イグアナの棲息地に突入した! 山側から次々に赤い舌が飛んでくる!
「うおおおおおおおおっ!」
コックリが聖魔法を乱れ打ちしている! 振動と音が響き渡り、光が届かない暗闇からグチャグチャ何かがつぶれる音が! そして悲鳴が聞こえる! とその時!
「やばい! シス! ディー! 斜面を駆け降りるぞっ! 先に行けっ!」
「「ええ!?」」
「早くっ!」
とコックリが叫ぶと同時! 舌をつぶされた巨大なイグアナが私たちに突撃してきた!
「「きゃああああっ!」」
宵闇の中から、巨大な口が! ギザギザの歯が!
「聖剣技! 『 波斬の太刀! 』」
コックリは抜刀すると、大きく口を開けたイグアナに、真上から振り下ろした!
キュインッ! と甲高い音がしたかと思ったら、イグアナが縦真っ二つに裂けた! 次の瞬間!
ビダンッ! という振動とともに、二つに分かれたイグアナの体が、斜面に張り付くように押しつぶされた!
波動を剣に纏わせて空間を切り裂くとともに、振りぬく方向に波動を発生させるコックリの聖剣技!
「身をかがめて鞍にしっかりつかまれ! 斜面下を見るな! 殿は俺がやる! 駆け抜けろ!」
再び巨大なイグアナが! 後ろから横から何体も飛び出してきた! 波動砲の魔法を宵闇の至る所に向け撃ってる! 相当いる!
「行くぞ! システィーナ!」「分かった!」
ディートリッヒの掛け声とともに、私と彼女は鞍にしっかりつかまって一気に斜面を駆け降り始めた!
「きゃあああああ!」「ふうおおおおおお!」
前からの! 凄い水流で! 吹き飛ばされそう! 水馬が! 力の限り! 駆け抜けている! 僅かに開けられた目で横を確認すると! イグアナたちの横を! 物凄い速さで駆け抜けている! 身をかがめて! 斜面下が見えないから! 怖くない!
「うおおおおおおおっ!」
コックリの声が何とか聞こえる! 何とか後ろを見ると! きゃああああっ! 光の届く範囲で! 大量のイグアナが! 追いすがってくる! コックリが! 必死に! 押しとどめている!
「うおおおおおおおっ!」
コックリの左、右、後ろから! イグアナの巨大な口が! ガチンガチンッ! と、水馬やコックリのすんでのところで噛み合わさる! きゃああああっ! コックリ! 危ない! あまりの多さに! 聖魔法も聖剣技も紙一重のイグアナしか対応できていない!
「うおおおおおおおっ!」
右、右、右、左、左、後ろ! 炸裂音! きゃああっ!
「うおおおおおおおっ!」
左、左、後ろ! 炸裂! 炸裂! きゃああっ!
「うおおおおおおおっ!」
右、左、左、後ろ! 後ろ! 炸裂! 炸裂! きゃああああああっ!
いつまで!? いつまで!? いつまで続くのっ!? いい加減にしてっ!!
とその時っ!
「きゃああああああっ!」「わああああああああっ!」
足元がっ!
「うおおおおおおおおおっ!」
突然消えたっ!
「きゃああああああっ!」「わああああああああっ!」
「よおおおおおしっ!」
私たちは、暗黒の断崖へと飛び出していた!
意外に長くなりました




