22 人魚の町
■システィーナの視点
薄暗闇の中、私は目を覚ました。
暗闇でも夜目のきく私には、白い鍾乳石のような滑らかな肌の天井が見えるので……一瞬、自分が大地の底深く……自然が長い年月をかけて作り上げた芸術、美しい鍾乳洞の中で眠りについていたのかと、錯覚してしまって……。
ふふ、ここは人魚の国の王宮よね。
ああ、でも美しい素敵な部屋を借りれたのだけれど……眠りが浅かったなぁ。なんだか頭も目もスッキリとしておらず、ちょっと重い。理由はもう……分かっている。理由はもう、一つだ。
コックリが隣で寝ていなかったからだ……。
彼が一人で、どこかへ行ってしまうのではと……気が気でなくって……。だったら、一緒に寝れば良いのに……なんだけれど、色々事情があって……。今、隣のベッドではディートリッヒが穏やかな寝息をたてている。
私は扉を見た。この部屋には二つの扉があり、一つは通路に出るものでもう一つは隣の賓客室に繋がっているものだ。この扉の向こうに、コックリが寝ているはず……。
コックリ、一人で行ってないよね? あるいは他の女のひとがいたり……うう〜、気になるよ〜。私は隣の部屋への扉を透視するかのように、じっと、じーっと見つめていると……。
「心配するな、システィーナ」
隣のベッドで寝ていたディートリッヒが、いつの間にか体を起こしていた。ああ、彼女も美人だなぁ。寝起きなのに背筋がピンッと伸びてクール・ビューティーなのよね。
「あの男は貴女にベタ惚れだ。他の女が入り混む余地もなければ、貴女が悲しむこともすまい」
え、ええ! そ、そう? やはっ! ベタ惚れって……ど、どこがそう見えたの?
「あの男が貴女を見る目だ。貴女を見る時だけ、愛しいものを見る優しい眼差しになる。少ししか過ごしていない私でも分かるレベルだぞ」
ええ? そ、そうなの? 自分だと分からないや。うう〜、そうなの? えへへ、そうなの? うふふ、そうなんだ? うう〜、早く夜が明けないかなぁ。コックリの私を見る目を見たいよ。
昨晩、ディートリッヒと色々話して…………
コックリのこと…………
私のこと…………
色々話して…………
覚悟が決まったの。
彼の心を知って……理解した上での『 覚悟 』。
私は薄暗闇の中、イソイソと寝間着を着替え始めた。コックリ以外のひとの前で肌を出すのはちょっと恥ずかしかったけれど、女同士なのでまあいいでしょう。昨晩もそうだったのだけれど、ディートリッヒが私の胸を驚愕の表情で見ている。うう〜、そんなに見ないでよ。
準備を整えていると、横長の窓から光が射し込んでくる。ああ、湾を囲む岸壁と太陽が重なって、ダイヤモンドのような光の筋が伸びて……とても綺麗……。暖かな新しい朝……。
「見納めにならないと良いがな」
もう! 縁起でもないこと言わないで!
陽が室内を白く染め上げると、私は隣の部屋への扉をノックした。おはようコックリ、起きてる?
「おおぉ〜、おはよう」
間延びしたような声が聞こえてきたので、私はホッと安心した。コックリ側の鍵が開く音がしたので、こちら側の鍵も開けるとコックリがいつもの眼差しでそこにいて……。
ああ、いつもの眼差しだ……。
いつも同じ眼差しだから……分からなかったんだなぁ。
――――――――――――
女王とともに朝食を頂いた後、人魚側の準備でまだ時間があったので、人魚の城下町を散策することとなった。
「おおぉ〜、これが人魚の町か〜。可愛いな〜」
と、コックリが言う。うふふ、ホント可愛い町ねコックリ!
人魚の町もアラルフィと同様、坂道と階段の造りになっていたのだけれど……家々がなんだか可愛いの。人魚の家々は、サイコロのような立方体で、壁から屋根まで白い漆喰が塗られて……のっぺりとしていて可愛い! 窓は丸くて小さくてガラスが青いの。くぅ〜可愛い。壁にはちょっとした出っ張りがあって、そこに花や植物が植えられていて、漆喰の白と植物の緑と花々の黄色やオレンジ色がもう可愛いの一言よ♪ ああ、家によっては色とりどりの貝殻が壁に塗りかためられていて、おお〜それがまた、色々な絵になっていたり! センスある!
それでどの家も屋根が平たくて、そこに何かが植えられている。何かな、と思っているとディートリッヒが、主食の豆類なんだって教えてくれた。一年を通じて日が長く温暖なので、すぐに成長するんだとか。ああ、朝食が豆のスープだったなあ、美味しかった。豆をすりつぶしてパンとか麺にもするんだって、へぇ〜。
「ああ、沈没船を解体しているね」
コックリが腰に手をあて湾を見ていたので、私も視線を湾に向けると、大勢の人魚たちが港のところにいて、百人以上が海の中にいるわ。そうか、昨日は湾の水が瘴気で穢れていたから入れなかったけれど、コックリの聖輝光で不浄さが清められたものね……。
階段を下りていくと壊れた家々があって、海妖精たちが片付けをしている。私たちに気がついた人々が集まってきてお礼を言ってくれて……良かったね、コックリ。
港につくと、多くの海妖精たちがノコギリや槌などを手に海に入っていて……ああ! 下半身が魚だ! 海妖精だけに伝わる変身の魔法ね。凄い早さで泳いで、解体しやすそうなところに移動して……別のところではロープを沈没船にくくりつけて、湾の外へ持っていこうとしている。ああ、これは大変だ。解体作業をしている海妖精も私たちに気がついて、たくさんの海妖精たちがお礼を言いに来た。うふふ、どうぞお構い無く。
「う〜む、これだけ大きい沈没船を複数動かすとは……どれほど大きな流れが発生したのだろうか。いやそもそも流れの発生原因は何だろうか。なぜ今のタイミング何だろうか……光る海へのアタックに何か必要だろうか……」
コックリが沈没船を見てブツブツ言い始めたので、近くにあったベンチに腰をおろすとディートリッヒも一緒に腰をおろした。
「いつもあんな感じなのか?」
「ふふ、だいたいね」
私は膝に両肘をついて顎をのせた。ふふふ、ああやって一心不乱に考え込んでいるコックリを見るのも好きなんだ……真剣なコックリにとっては不謹慎だろうけれど……ふふふ。
ジーッとコックリを見ていたら、海妖精のお婆さんがやってきた。お婆さんは、人間でいうと滅多にいない八十歳くらいかも。腰が少し曲がって、シワができているけれど肌はツヤツヤで綺麗。美女揃いの妖精だから、今でも素敵なお婆さんで、緩やかな銀髪を後ろで束ねている。
「まあディートリッヒ、森の娘さん、おはよう」
「おはようございます、ハネローレお婆さん」
おはようございます。ああ、お知り合いなのね。というか人口千人くらいなら皆が家族くらいかな。森妖精の里はもっと少ない百名以下で、皆 家族同然だった。
「お隣……よろしくって? 森のお嬢さん」
「はい、どうぞ」
お婆さんは、ふぅ〜と言って、私の横に座った。
「いやいや……凄い人間ですねぇ。昨晩の戦いを目の当たりにしましたよ」
「ええ、本当に」
「森のお嬢さんも……人魚姫同様、奪われてしまったんですね」
「え? な、何をですか?」
「ホッホッホッ。心を……です」
ああ……その通りです……。頬が赤くなるのを感じた。
「妖精がなぜ、人間と距離を置こうとするのか……理由の一つがそれなのですよねぇ」
「え?」
思いもよらないお婆さんの言葉に、ディートリッヒなら知っているかなと顔を見たところ、彼女もキョトンとしていた。
「長命の妖精とは異なり、人間は極めて短命で……短い命であるからこそ人間は峻烈に生きる……短いからこそ、時を無駄にせず、懸命に、強く、激しく生きる。それが人間の一生のようですね……」
人間の一生……そう、人間は妖精とは異なり老いも早く、寿命も短い。長い人で七十年、短い人で四十年くらいかしら。私たち妖精は長く生き、長く若い期間があるからこそ、急がず、ゆっくりと、穏やかに生きる。
「全ての人間がそうとは言えないようですが……短命だからこそ激しく、燃え上がるように強く……でも同時に儚い……そこに妖精は心を奪われる……こう言っては申し訳ないですが、妖精の男性は人間の男性ほど強くもなく激しくもない……。それゆえ、妖精の娘たちが人間の男に心を奪われぬよう、人間と関わりを持たないように、と教えるのです」
ああ、そうか……。そう考えると、森妖精の長老の言っていることとやっていることの矛盾が理解できる。人間は恐ろしい生き物だから関わりを持つな……と言っておきながら、その恐ろしい人間と男衆だけで取引をしている矛盾……。
そういうことだったのか。
「正直、皆 懸念しておりました。あの強く猛々しい龍のような人間に、人魚の娘たちが心を奪われないか……」
「え!?」
私はギクリとして周りを見た。よく見ると、遠巻きに人魚の娘たちがコックリを見ていて……はわぁああ!
「でも、あの龍の傍らにはすでに貴女がいた……。娘たちも、あの龍に強く惹かれたようですが、もうすでに自分の入る余地がないことはすぐに分かったようですね」
「そ、そう! です? か?」
「ふふふ。あの龍殿が、決して貴女から離れようとしなかった、と嘆いていましたからねぇ」
そそ、そうでした!? じ、自分では分からないです!
「貴女が心を奪われたように、彼も奪われたのねえ。ホッホッホッ」
私は……私は……顔がこれ以上ないくらい、真っ赤になったのが分かった! たぶん、たぶん完熟のトマトより赤い!
「人魚姫様……現女王陛下の伯母上にあたるクレメンティア様も、人間の王太子に心を奪われましてねぇ」
人魚姫は、女王クリスティアーネ様の伯母にあたる方だったのね。年齢から逆算すると、二人は会ったことはないのだろうけれど……人と恋に落ちた人魚姫のこと……どう思っているのかしら?
ああ、私とコックリの関係を聞いてきたとき……凄く怖い笑顔に感じたのは……。
複雑な思いが渦巻いていたから……?
「皆が、クレメンティア様は不幸になった! 不幸になった! 人間はひどい! と言うけれど……」
「けれど……?」
「けれど……クレメンティア様も私も、同じ属性で……珊瑚属性でねぇ……」
珊瑚属性……! なら、果樹属性の私と近いのでは!? 私の気持ちが分かるのでは!?
「森の娘さん……」
「はい!」
お婆さんは私の方を見ると、目を覗きこんで笑顔になった。
「貴女は……幸せねぇ……」
私は、満面の笑みになった!
「はいっ!!」
ああ、やっぱり! 似た属性の女性だから分かってくれている! 違うことに、分かってくれている! そう、違うの!
『 人間の願う幸せ 』と『 妖精の願う幸せ 』が 違う ことに!
「分からない。ハネローレお婆さん、なぜ彼女は幸せなのです? 人に恋しても、いつか別れが来る。裏切られるかもしれない」
「相変わらず遠慮のない言い方ねえ、ふふふ。それはねぇ……属性が違うからねぇ。言っても分からないかもしれないねぇ」
「ふふふ」
私も笑顔になっていた。私の覚悟……語らなくても、分かってくれるひとがいる! その時だった。海妖精の男性兵士がコックリの元へやってきたのは。そして、コックリに敬礼して……。
「準備が整いました!」




