18 閑話:湾内にて(ディートリッヒ)
■海妖精 ディートリッヒの視点
美しき人魚の湾に、優しい月が光を落とす。うむ、いつも通りの光景だ。
美しき水面は、鏡となって月光を返す。うむ、いつも通りの光景だ。
先ほどまで蔓延していたどす黒い霧は、跡形もなく消滅している。不快な、ただひたすらに不快な、吐き気を催す邪まな霧だった。私はその邪まな霧が溶けた水を体内に取り込み、気を失ったようだ。そう言えば、腐った泥水が口に入ったような気がしたが、もう思い出したくもない。
邪まなそれを消滅させた者は、湾の中心にいる。正確には湾の中心に浮かぶ亡霊船の上だ。
神殿騎士という人間だ。
圧倒的な強さでもって、敵を屠った姿に、私は『 龍 』を見た。人間とは、皆ああなのか?
「ううん、神殿騎士と呼ばれる人間だけよ。」
ともに小舟に乗る、美しい娘が言う。森の妖精だ。森の妖精は、美しい顔を曇らせ、ただ遠くの龍を見つめる。
私は舟を漕ぎ、湾の中心へと向かう。この湾には、先ほどまで巨大な海の魔物、亡者となったクラーケンやサーペントが暴れていた。しかしあの龍が、圧倒的な強さで蹂躙した。私はその強さが少し恐ろしかった。
小舟が沈没船へ到着すると、龍が笑顔で森妖精に手を振る。龍の笑顔とは裏腹に、心配そうな顔をする森妖精の娘。龍は器用に小舟へと乗り移る。
「怪我は!? ないっ!?」 龍の体を探る森妖精。
「あぁ〜、ないない。」 その様子に嬉しそうに笑う龍。
「本当に!?」 なおも念入りに探る森妖精。
森妖精に体を探られながらも、真剣な様子の娘に目を細める龍。その眼差しの………何と優しいことか。
「もうっ! 無茶ばっかり!」 心配から怒り出す森妖精。怪我なきことを確認し龍の頬を思いきりつねり、ねじる。
「あだだだだっ!」 頬をねじられたまま座らされる龍。痛がりながらも無抵抗に従う。
イチャイチャと、不安定な小舟の上で、よくやるものだ。娘が手を離すと、頬を擦りながらも再び目を細める龍。優しい眼差しで娘を見つめる。
「無茶じゃないさ。俺のことはシスが一番よく知っているだろう? 大丈夫さ。」 優しく微笑みかける龍。
「分かってるわ。でも………でも心配なのよ。」 視線を落とす娘。
「フフ。」
「何笑っているのよっ! もうっ!」 再び龍の頬を激しくつねる妖精。
「あだだだだだだっ!」
小舟の上でイチャつくのは止めてくれないか。揺れるのだが。
「「ああ、ゴメンゴメン。」」
私に謝ると、娘は小さくため息をついた。
「待つ方のことも考えて………。」
「ああ………そうだな。」
俺は逆だけどな………と小さくつぶやく。その声は、娘には聞こえていないようだ。
逆………逆………? 待たせる、ということか………? 待たせる方のことを考える………?
ああ………いや………、待たせる………ではない。
待たせる………ではなく………、去る………。待つの反対は去る………。
去ることか………。待つ妖精と………去る人間………。
龍は、自らが死すとき………この世から去ったあとのことを心配している………。
目の前にいる、森の妖精のことを………。
龍は、自らが死んだあと、残された妖精のことを心配している………。千年以上生きる、妖精のことを………。ああ、娘が言うとおりだ………。
龍の、優しいけれど、悲しそうな眼差し………。この龍は、心からこの娘のことを、想っているのだな………。だから、龍は妖精を抱かない………。自分が死んだ後も数百年生きる娘のために、抱かない。自分が抱くことで、森妖精が人魚姫と同じ運命を辿ってしまうと恐れて、抱かない………。人魚姫は、初めて結ばれた人間への愛情が忘れられず、一人で生涯を送った………その人魚姫と同じ運命を辿ってしまうと恐れて、抱かない………。
舟に揺られながらも片時も龍の手を離さない娘…………。やがて小舟は、人魚の桟橋へと到着する。湾に近い方の家々が破壊され荒らされているのは、上陸した亡者たちが暴れたためだろう。だがそんな荒らされた町に、大勢の海妖精の兵士たちが、龍と森妖精を待っている。
小舟から桟橋に下りた龍と森妖精は、私の仲間たちに囲まれ、感謝の言葉を持って迎えられる。嬉しそうに寄り添う龍と娘………。手を繋いだまま、離そうとしない二人………。
ああ、なんてお似合いの二人だろう………。だが、なんて悲しい二人なのだろう………。愛するからこそ結ばれない………。
この二人に………。
結ばれないこの二人に………。
あのような結末が……………………。
あろうとは………………。
『 光る海 』で…………………。
急遽 帰省等にて、パソコンが使えない環境になりスマホから更新しています。更新スピードがさらに遅くなりそうです。




