02 アラルフィの町
アマルフィをイメージしてくださいませ
青く美しいソレンティー湾は、高さ三百メートルはあろう切り立つ崖に囲われ、湾のうちに育まれた豊かな生命を人の手から守る。
入り組んだその岸壁は、南のロレンス地方から西のソレーニュ地方までの五十キロに及び、人々はその美しく雄大な海岸線を『孤高の崖』と称し、自然の偉大さに敬意を払う。
切り立つ岸壁の中腹に、滑落の危険もある細い街道がある。複雑な海岸線をなぞるようにして作り上げられたその細い街道を、背の高い堂々たる体躯の騎士が歩む。明るい栗色の髪と琥珀色の瞳、わずかにはえるアゴ髭が印象的な騎士だ。騎士はサーコート(鎧の上に着る服)を纏い、栗毛の馬を導くように馬と並行して歩む。その馬の背には、頭から首もとまでをヴェネリアンストールで巻いた美しい娘が腰掛け、青い海を見下ろしている。
■システィーナの視点
「わあぁ、なんて美しい景色なの…………。」
馬の背に揺られながら、私は目の前に広がる雄大な景色――、コバルトブルーの美しい海と天にそびえるような白い岸壁に心を奪われていた。透明度の高いコバルトブルーの海は、その海底にある砂に光の波紋を映し出し、そこで泳ぐ魚たちにも宝石のような美しい光りで輝やかせる。
「精霊力も…………本当に…………本当に凄い精霊力…………」
深い色の海には優美な水の精霊力が、潮の香りをのせる風には優しい風の精霊力が、切り立つ岸壁には重厚な大地の精霊力が、それぞれに力強く宿っている。森の妖精エルフである私には、力強い精霊の調和が見え、それが何よりも嬉しいことなのだ。
私の名前はシスティーナ。一人の若き神殿騎士と共に旅をする森の妖精エルフで、四百年暮らしてきたエルフの里から人間の世界にやってきて、もうそろそろ一年が過ぎようとしている。なぜ四百年も暮らしてきたエルフの里を後にして、人間の世界にやってきたか……それはその若き神殿騎士に心を奪われてしまい……彼と離れたくない……と思ったからなの。
私は若草色のブラウスの上に革鎧の胸当てを装備し、若草色のショートパンツから覗く足には太ももまであるロングブーツを履いている。季節は初夏なのでロングブーツを履いている私は暑そうに見えるのだけれど、風の精霊魔法によって快適に過ごせている。
実はそんな私よりも、目の前で馬を引く騎士が心配になる。彼は逆三角形の体に重い鎧を纏い、その上にサーコートを着ているからだ。彼こそが世界に七名しか存在しない神殿騎士の一人、法王庁の特命を受けて世界を旅する神殿騎士コークリットで、私が心から愛している男性だ。私は彼をコックリと呼ぶ。
「コックリ、暑くないの…………?」
私の問いにコックリは首を巡らしてニッコリ笑った。
「ああ、大丈夫。神殿騎士は霊力で身体を強化していて、暑いのも寒いのも、大丈夫なんだ」
はあ〜、そうなんだ……。霊力は生きとし生けるもの皆に存在するものなんだけれど、そのように使えるのは厳しい訓練を受けた神殿騎士くらいなのだという。私にも霊力はあるのだけれど、そしてコックリにコツを教わったのだけれど、今まで出来たためしがない。私もそれを使えるようになれば、きっとコックリの怪異捜査の手助けになると思うんだけれど……。
私たちは今、温暖なソレンティー湾を西へ向かって移動している。つい先日、ここより南の地で起こった怪異を解決したあと、コックリが「行ってみたい場所がある」ということで、その場所へ向かっているのだ。私が「それはどこなの?」と言うたびに、「秘密!」と言ってイジワルな笑顔で答えてくれない! もう! 本当に子供っぽいんだから! でも好き!
「さあ、あの海に張り出した岸壁を曲がれば、見えてくるんじゃないかな?」
コックリの言葉に私は前を向く。私たちの前には、前方を遮るように張り出した岸壁が天高くそびえている。ああ、細い道がさらに細くなって何だか滑落しそうで怖いけれど……コックリがいるからきっと大丈夫よね。
「何があるの?」
「見てからのお楽しみ。フッフッフ」
と、意地悪く笑うコックリ。もう! 本当に子供っぽいんだから! でも好き!
コックリと私は張り出した岸壁を曲がる。するとそこには、信じられない光景が待ち構えていた。
「はあぁぁ……。な……なんて……なんて凄い……なんて凄い景色なの……?」
「フフフ」
岸壁を曲がったそこには、町があった。
急峻な岸壁に階段状に建てられた白い壁の家々。オレンジや赤の可愛らしいパステルカラーの屋根。崖にある僅かな耕地に植えられた青々と萌える樹木。コバルトブルーに輝くソレンティ湾に停泊する色とりどりのボート。華やかで、明るくて、見ているだけで陽気な人々の笑顔が見えてくるような、そんな印象を与える町並み。
「アラルフィ。自然と調和した、世界でも有数の美しい景観を持つ町だよ」
本当に…………自然を破壊することなく、むしろ自然を生かし、調和した美しさが、この町にはある。コックリが「秘密」と言っていた理由が分かった! これは言葉で言うことができないし、言葉にするよりも、実物を見せた方が圧倒的に感動的だもの! ああ、こんな素敵な町で過ごせるなんて…………なんて素敵なことだろう! 今回は聖霊の啓示で来たわけではないから、怪異もないだろうし…………! これだけ素敵な町だもの…………コックリにも…………コックリにも『 心境の変化 』があるんじゃないかしら。
そう、私は今…………コックリのことで、ちょっと悩んでいる。コックリの…………私の扱いに対する悩みだ…………まあそれはまた後程…………。
さあ、あとちょっとで到着だ!
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町の港エリアに到着すると、空には白いカモメが飛び交い、陸には様々な民族衣装の人々や厳つい装備の傭兵たちがいて、とても活気に満ち溢れていた。どうやら交易で経済を回している港湾都市国家のようね。港には、大型のガレー船(何本ものオールで動く船)が多数停泊していて、船員たちが荷物を上げ下ろししている。うう〜ん、でも道行く人々は私を見ては立ち止まり口をポカンと開けて見送るから、何だか私は仕事の邪魔をしているだろうか…………。友達になったコックリの幼馴染が言うには、私はきめの細かい雪のような白い肌と桜色のフルフルした唇、緩やかにウェーブする長い金髪に、翡翠色の瞳が宿った切れ長の目が、神秘的な美しさで胸に迫るから、一切の抵抗ができず惹きつけられてしまうのだ、と言っていた。逆三角形の体をした大柄な騎士のコックリがそばにいれば滅多に声はかけられないから面倒事にはならないのだけれど、私がストールで長い耳を隠していなかったときは、エルフと分かった瞬間皆が押し寄せて、囲まれて大変だった…………。「森の妖精なんて、めったに見ないからね。特にシスの可愛らしさならなおさらだろう」とコックリはいうけれどどうなのかしら?
町のエリアに入ると、私は胸がときめいた。岸壁に張り付くように建てられた白壁の家々。階段状に上へ上へと昇っていく可愛らしい家々は、太陽の光を反射して輝いているようだ。ああ、階段や家の窓枠には色とりどりの花々が咲き誇り、花の香りに包まれている。はぁ〜素敵…………。
「ああ〜、腹減ったな〜」
もう! もう! ひとが感動しているのに、ムードを壊すようなことを言って! もうっ!
「シスの手料理が食べたいな……」
許す。
うう〜、いつもこんな感じでひとを喜ばせて…………ずるい! 彼のために作ってあげたいけれど、ここじゃ料理できないな…………。コックリとそんな話しをしていたら、町の目抜通り『 アラルフィ通り 』にやってきた。石畳の広い道の両側には、四〜五階建ての建屋がそびえるように建ち一階部分はオープンカフェや酒場、雑貨屋や服屋、武器屋などが軒を広げ、旅人たちでいっぱいだ。ああ、あの雑貨屋にある日傘………レースがついてて可愛いな。人の貴族の女性はよく花飾りがついた可愛らしい帽子に可愛らしい日傘で、とっても素敵なのよね。アラルフィの思い出に、買っておこうかな。ああ〜、道に張り出すように香辛料を売っている露店もあるわ。何か仕入れておこうかしら。
「おお〜、ピッツァだ。あそこにしようか」
「ええ。エリーゼ、ちょっと待っててね」
エリーゼとは、この馬の名前だ。この馬はメス(牝馬)で以前 水の都ヴェネリアから旅立つとき、ヴェネリアの皆さんから贈られた、私によくなついてくれるかわいい馬だ。
私たちは馬を柵に繋げると、旅人で賑わうオステリア(食堂)に入った。可愛らしい女の子の店員さんがオーダーを聞きにきて、やはり私を見てボーッとしていた。そんなに私、見惚れる程なのかな、コックリは全然なのに…………。
届いたピッツァは、もうトマトとチーズの調和が絶品で、本当に美味しい! ちょっとコックリ! 私の分まで食べないでよ! サラミとエビの部分はさっき食べたでしょ? まあまあまあ、じゃなーい!
「コックリ、今日はこれからどうするの?」
「んー。この上にアラルフィ大聖堂があるから、挨拶に行ってくるよ」
「大聖堂があるんだ……。私も……行っていい……?」
「んー、いいよ。ここの大聖堂も素敵だという噂だから、一緒に見ようか」
「うん♪」
「あ〜、その前に宿を取ろう。エリーゼは上まで連れていけないしな」
食事を終えたあと、一旦宿をとった。宿はアラルフィ通りから一本奥まったところにある四階建ての古そうな宿で、鉄格子がついた大きな窓が特徴的だ。たぶん、宿泊客に逃げられないようにだと思う。宿に入ると、カウンターの中で全身が小麦色に焼けた陽気なおじさまが「チャオ!」と言って出迎えてくれた。ふふふ、チャオ!
私たちの部屋は三階の一室で、わあぁ、大きな窓 (鉄格子付)からは白い家々とコバルトブルーの海が見える! 素敵! 鉄格子がなかったら、もっと良かったけど!
調度品は窓際におかれた簡素なテーブルと衣装棚、それとベッドは二つ……か………。
今回も二つ……か…………。
う…………ん。もう少し…………待とう。
私の悩み…………。
それは……………………
大好きだよ、と言ってくれた彼が……………………
ずっと一緒にいてくれる彼が………………
一度も………………私と……………………
関係を…………持とうとせず……………………
私を……………………遠ざけること……………………。