第四章 黄金の王の記憶
いつまでも異世界人でしかない。
エミリアンの脳裏にはその言葉があった。それは、前世でも現世でも同様であった。そう、前世のあの時から、エミリアンはどの世界に存在しようとも、異世界人でしかなかった。
自分の故郷と呼べる世界は地球なのか、それとも幻想的な世界なのか・・
「何だ?この世界は・・暗い、いや黒い」
エミリアンは自分の身に起きたことを思い出した。
確か自分は戦っていた。将軍であるバサレット公爵の息子として、戦場を駆けめぐっていたのだ。そして・・そうだ、矢に射抜かれたのだ!
「私は死んだのか?ここはあの世と言うところだろうか」
どうも、自分の位置を確認できないまま、エミリアンは闇雲に歩いた。
流れるまっすぐな金の髪は、この黒を基調とした世界でも、自ら光輝き美しい。整った柔軟そうな体を使い、彼は森を抜けようとしていた。
「あれは・・・」
ただ歩いていたエミリアンの瞳に映ったのは、自分と同じ金の髪だった。髪だけが黒い森の中で光を放っていた。エミリアンはやっとめざすものが見つかり、歩き始めた。
いやぁ、と悲鳴が聞こえる。
慌てて彼はその声にむかい走り出した。木を越えたときに、強い衝撃を受け、彼は目の前を見た。
金の髪の少女がぶつかってきたことに気付いた。エミリアが彼女に声を掛けようとした時、信じられない人物が彼の前に現れ言葉を失った。
「どうしたんだ・・・」
黒い人・・としか形容できない美しい男が、低いが澄んだ声と共に現れた。
男の自分でも見とれてしまうほど、その黒い人は綺麗だった。
漆黒の揃えていないが、絶妙なバランスを維持している長い髪。綺麗な鼻筋と口元。全て黒を含んだ艶のあるその姿は、彫刻のようである。しかし、瞳が意志のある生物だと主張していた。切れ長の鋭い瞳は、どうやら自分を見ていることにエミリアンは気付いた。
だが、エミリアンを見つめる青年は、何をするわけでもなく、驚いたように立ち尽くすだけであった。
沈黙を破ったのはエミリアンだった。
「君たちは・・・この世界は、何なんだ」
「あなたこそ、その髪は?」
髪?とエミリアンは思う。幼い頃から綺麗な髪だと誉められていたが、それほど驚く髪ではない。しかも、聞いてきた本人も同じ様な金髪であったから、エミリアンは不思議だった。
「黄金の王だよ」
黙っていた黒い男が先程より低い声で言った。
「兄さんどうしたんだ・・さっきマリの悲鳴が・・・どうしたんだ・・その髪は・・・」
エミリアンは驚いた。もう一人、黒い青年が現れたのだ。しかも、後ろに碧い少女達を連れて・・。
この世界が自分のいた世界ではないことを思い知らされた。
そして、運命が動き出したのだ。
預言書を朗読する碧い神秘的な少女から、自分は黄金の王と呼ばれ、もう元の世界には戻れないことを悟った。
だが、エミリアンは、その後の展開を不思議そうに見つめるしかなかった。
自分がこの世界の救世主的存在であったとしても、運命を受け入れるには、まだわからないことばかりで、彼は途方に暮れた。
エミリアンの前には、悲しそうな黄金の少女。それが、同情だけでなくなってくるのをエミリアンは、まだ気付かない。
そして、悲しそうな黒い青年の二人。驚きを隠しきれない、碧い少女の二人。
何が何だかわからない内に、エミリアンは碧の国へと連れられて行くのだった。
「君が黄金の王か・・」
威厳に満ちた声が響いた。
碧い玉座には碧王が、臣下を見おろしていた。その横にマリが座り、カイン、アベル、フォースが王の前で膝を落とし頭を垂れている。そしてエミリアンが王の前に立ち尽くし、困り果てていた。
「ちょっと待って下さい。私はただの・・ただの・・・」
エミリアンは言葉が続かなかった。なぜなら、自分がこの世界で何者かもわからない。異世界人としか言いようがなかったのだ。
説明する術を彼は持たなかった。あまりにも、この異なる世界の知識を彼は持っていなかったのだ。
「あなた様は、この世界にある預言書人物に相違ありません」
有無を言わせない声がエミリアンに投げつけられる。先ほどの碧い少女を、冷たい男にしたような印象を受ける、カインと名乗る男だった。
「あなたの出現により、マリ様は黄金の女王として目覚められ、碧き五人の戦士は本来の力を手にしました」
誰にも負けない威厳と自信の満ちた姿があった。
「黄金の王、エミリアン様。黄金の女王、マリ様。碧き五戦士は、私カイン、アベル、フォース、ピュア・・そしてもう一人。今夜中には出現するでしょう」
エミリアンを筆頭に、カインをのぞいた人々が信じられない表情をしていた。
「なんて事だ・・」
碧い、美しい世界がエミリアンの前にあった。碧いサングラスでも掛けたかのように映る世界は、元の世界では幻想的と称されるにふさわしい光景だった。
自分は死んで、このような場所に来てしまった。途方に暮れるエミリアンは、王宮の庭の木陰で、一人足を抱えて考え込んでいた。
それは自分の運命ではなく、別の心に引っかかる黄金の髪の少女のことだった。
「エミリアン・・」
後ろから甲高い。か細い声が聞こえた。
振り向くと、黄金の女王と呼ばれる少女がいた。エミリアンは平静を装い、マリに語りかけた。
「やぁ、マリ。元気がなさそうだね」
エミリアンは彼女が笑う顔が見てみたいと思った。どんなに魅力的に笑うのだろうか。
自分の運命より、目の前の少女のことが気になって仕方がなかったのだ。
「えっ、あなたを元気づけようと思ってここに来たのに・・。座っても良い?」
エミリアンは草を払い、座るように促した。
「私ね、失恋したみたいなの」
いきなりの話題に、エミリアンはたじろいだが、少女の顔を見ていると、可哀想になってくる。自分とそれほど変わらない少女を、彼は、十も下の女の子を見るような瞳で見つめていた。
「さっき、見ていたでしょう?」
イーブルと言う青年が、マリに酷いことを言っていたことを思い出す。
「私・・嫌われたみたいなの・・・」
エミリアンはこの時、初めてこの娘が愛らしいと感じた。包み込みたくなる衝動に駆られる。柔らかそうな金の髪。そして惹きつける琥珀の瞳。自分も碧かったとマリは言ったが、それの方が不自然に思えた。なぜなら、彼女の姿は、黄金でこそ美しさを発揮できるような容姿だったからである。
今までの身の上を彼女は語るが、言葉半分にしか、エミリアンは聞いていなかった。
愛らしい大きな瞳を曇らせるマリの姿に、エミリアンは心を奪われていた。
二人の空間に、突然後ろから人が現れた。
二人はそれを感じとり、振り向いた。
「ブレイン・・・」
マリが、呟く・・。信じられない者を見るかのように、彼女の瞳は驚きを表していた。
「どうしてこんなところに・・・」
「探したよ、マリ」
漆黒の青年より、少し幼くしたブレインが、マリを見つけて、静かに言った。
「マリ、よく聞いて。兄さんは、イーブルは・・もう、いないんだよ」
声も出ない様子のマリに、再びブレインは言った。
「愛していたと、伝えてくれと言って、もう兄さんはいないんだ」
「そんな、そんな馬鹿な・・。だって、今日だって・・・私、会ったのよ?」
「闇に・・闇に・・」
自分の代わりに喰われたとは、ブレインは言えなかった。
「そして、私の髪は碧みを帯びはじめたんだ」
碧の世界にいるだけではない。確かにブレインの髪は少し碧を含んでいた。
「そんな・・・碧き五戦士・・」
マリは呟き、気を失った。
エミリアンが倒れるマリを、彼女を支え、抱き上げた。
「まず、彼女を休ませよう。私はこの世界がどうなろうと知った事じゃない。だが、彼女の涙は、あまり見たくないと思ったよ」
この時ブレインは、黄金の王の存在の意味を知った。
ブレインは、黄金の二人の姿を見て、敗北感を味わった。エミリアンにではない。イーブルでもない。それは、ブレインの中に生まれた、誰に対するものではなかった。
自分が兄のように強ければ。自分の運命を早く知っていれば・・。
後悔と敗北感をブレインは強く感じた。だからといって、立ち止まってはいられない。彼は、やっとの思いで、二人の後を追った。
この時から、闇は世界を覆い始める。黄金の二人が存在するスレイダ以外、即座に闇が世界を包んだ。
各地で人々の心に闇が支配し、争いが起こる。小さな争いから、戦争へと発展して行くのは目に見えるようである。
「お父様、世界が、この美しい世界が、イーブルの愛した世界が・・」
「うむ、わかっておるが・・黒王も死去した今、我らがなんとかせねばならん」
まさか、我が子が黄金の女王になるとは思っていなかった碧王は、見るからに動揺していた。
「王、闇の拠点は黒城です。我々を行かせて下さい」
カインが代表して、碧き五戦士の意志を伝える。
「このまま行って、どうなると言うんだ?」
エミリアンの珍しい冷ややかな口調が、カインを責めるように響いた。
「それは・・わかりません。ですが、お二人には力があるはずです」
「ない」
エミリアンは冷淡に答えた。
「私にはそんな力はない。期待されても、私は何もできない。もちろん、マリを守る力もない」
「しかし・・」
カインが言い負かされるなど、珍しいことだった。沈黙が王宮を包んだ。
「ふふ・・迷うようであれば、こちらから参上してやろう」
「何だ、この邪悪な気配は!」
フォースが剣を抜き立ち上がる。
「何を驚いておるのだ。ぐずぐずしているようだから、こちらから来てやったというのに」
その、声の主は・・・。
「イーブル!」
マリは以前の声と違うイーブルの姿があった。
「どうして・・・生きていたのね。でも、どうして、イーブルどうしてあなたが・・」
「ふふふ・・。お前が黄金の女王か・・。なるほど、ただの小娘ではないようだ。しかし、弱い。弱すぎる」
ゆっくり、イーブルの姿が近づく。
何と美しい姿だろう。しかし、それは以前の美しさではなかった。残忍な瞳と、不敵な笑み。それは、人としての美ではなかった。 あれほど美しい男だったのに。正義感の強い澄んだ瞳と、涼しげな彼の口元は既に一かけらも残ってはいなかった。
フォースがイーブルに向かって、切りかかろうとする。
「やめてぇ」
イーブルを庇ってマリは叫ぶが、フォースはイーブルに触れることもなく、地にひざを付いた。
「そんなもので、やられる私ではない」
「アベル、まずはどこかに、移転してしまうのです」
カインの必死な叫びに、アベルは呪文を唱え始める。
「そんな術で、どうしようというのだ」
その言葉と共に、アベルの呪文はかき消された。
「あなたは、あなたはイーブルでしょう?」
「マリ様、あれはもうイーブル様ではありません」
ピュアの叫びがマリに届いているか、判らない。
「いいや、私はイーブルだ」
冷たい微笑みで、マリに近づこうとする。
「いや、来ないで・・。目を覚まして、イーブル!」
叫んだ瞬間、マリに剣が投げられた。
一瞬の出来事だった。イーブルがマリに向かって投げた剣は、マリを庇ったブレインに深々と刺さったのだ。
「ブレイン!」
マリは必死に、崩れるブレインを胸に抱えながら、マリは嘆いた。
「ブレイン!ご・・ごめんなさい・・わたしのせいで・・」
「小奴、邪魔をしおって・・」
イーブルの顔が邪悪に歪んで笑みを見せた。
「イーブル、あなたの弟じゃない。ひどい、ひどすぎるわ。」
「マリ・・いいんだ。早く、兄さんを・・自由にしてやって・・」
それを言い残しブレインは息絶えた。
それから彼女は、涙を流し信じられない力を発揮した。カインとアベルの助けで、やっとの思いでイーブルと闇を封印したのだ。
しかし、エミリアンには他人事でしかなかった。彼にとって、異世界であり、自分は死んでいたのだから。
そんな彼にも、一つだけこの世界に存在しても良いと思わせる者があった。それは自分と同じ黄金を纏うマリであった。だがマリは、イーブルのいない世界は耐えられなかったのだ。彼女は気力をなくし、夢の中の住人となってしまった。エミリアンは、マリを賢明に看病したが、ついにエミリアンを見ることはなかった。
愛しいマリ。君が苦しむなら、この世界など無くなってしまえばいいと、何度思ったことだろう。だが、彼女は、この世界に帰ってきてしまった。またエミリアンも、この異世界に入り込んでしまったのだ。
そして、再び悲劇が繰り返されるのだ。