第二章 碧き五人の戦士と黄金の若者
薄暗い部屋の中に、美しい若者達はいた。四角い、碧い木のテーブルを囲み、かなり長い説明をブレインは続けた。
前世−生をうける前に生きた世界。ここが、摩理とエミリアンが生まれる前に存在した世界だと言うこと。黄金の姿を持つ若者が、世界を救うということ。今、世界が闇に覆われようとしていることを簡単に話した。簡単に話して、かなり長い時間であった。それほど膨大な会話の内容だと言うことだ。
「そんな・・事を言われても・・」
「しかし、ここは天国ではなさそうだね」
「天国とは、何ですか?」
聞いた事のない言葉をカインは問いただした。
「何というか・・死後の世界だよ」
エミリアンは何とか答えたが、その説明は無意味なものだった。
「まぁ、復活なさったのに、死後の世界はないでしょう?」
「そうですとも、これから、お二人には闇を消滅し、永遠の平和を気付いていただかなくてはなりません」
ピュアとアベルには、元の世界の事を理解しろと言っても無駄なようである。
不思議な感覚を摩理とエミリアンは覚えた。自分たちは地球という星で、ごく普通の生活をしていただけなのに、突然、前世だ闇だといわれてもピンとこない。しかも、この世界は青いサングラスを掛けて見ているように、全てが碧で構成されているのだ。何とも言えない違和感を二人は受けていた。
しかしエミリアンは、前に一度この世界に来たことがあるような気がしてならなかった。確かに、この碧い美しい世界に入り込んだことがあると確信できるほど、その思いは強くなる一方であった。
「確か−」
エミリアンの一言で、室内にいた六人は一斉に言葉の発した方向をみた。
「どういう事?前世を覚えているの?あなた、わかるの?この世界が?」
摩理は自分の戸惑いを共有できる人と、信じていたエミリアンが、そうでない事を知り、焦った。
必死に聞いてくる摩理の姿に、少し驚きながらエミリアンが答えた。
「覚えていると断言はできないが、この人たちに出会ったことがあるような気が・・・」
エミリアンは、ゆっくり碧き人を見た。そして、不安そうに、不思議そうに自分を見つめる摩理の姿を見た。
その瞬間、エミリアンの頭脳に大量の記憶が蘇った。忘れた映画を一画面見たときのような感覚。しかも、忘れていた感情までも一気に流れ込んでくる。摩理の泣いていた時のことも、ブレインの事も・・・。一気に加速をつけて前世の記憶がエミリアンを支配しようとしていた。
「少し一人になりたい」
エミリアンはそれだけを告げ、返事を待たずに部屋を出て行こうとする。また、その行動を誰も止めることもなく、エミリアンを見守っていた。摩理一人が、なにが起こったのか全くわからないまま、エミリアンは一人で部屋を出ていった。
彼は前世の記憶に耐えられなかったのだ。大量の記憶を前に、現在の自分が消えてしまいそうなのを必死にこらえる。しかし、愛しい。その感情が彼を支配する。前世の記憶が彼の全身を取り巻く。
自分自身は前世とは別の人間だ。
そう強く思うことで、今の自分を持ちこたえようとするが、愛しい気持ちは止まることを知らず、摩理を愛する心は思うように動かなかった。あの、とぼけた娘を今の自分も好きなのだ−。その考えにしがみつくしかなかった。ただの言い訳だが、止めようのない感情を、そう思うことにより自分の感情にするしかなかったのだ。自分の中で他の感情が支配するなど、エミリアンには許されることではなっかた。この優しげな面立ちとは別に、彼の心は鉄壁のプライドを持っているのだ。
前世。思い出さなかった方が良かった。と、今の自分自身は思う。こんなに悲しい前世なら、知らずに生きて行けば良かった。知ってしまった以上、自分の運命は大きく変わる。そして、前世の自分が安心しているのだ。この運命から逃げ出すような、負け犬に成らなかったことを。摩理と再び巡り会えたことを。
エミリアンの気持ちは複雑で、それを制御するのに必死であった。前世の自分だけになれば楽になれるのに、彼は今の自分を決して手放そうとはしなかった。
「エミリアン大丈夫なのかしら?真っ青な顔で出ていったけど・・思い出したのかしら?」
なにも知らない摩理は、碧き五人を前に、とぼけたことを呟いた。
間の抜けた言葉に、一同返す言葉が見つからなかった。先ほどの様子を見れば、見当もつくだろう?という目で見られたことには、さすがに鈍くさい摩理も気がついた。
「私、何か変な事を申しました?」
突如、フォースの大きな笑い声が鳴り響いた。
「フォース、失礼じゃない!。ごめんなさい、マリ様。エミリアン様ならきっと大丈夫です。夕食には姿を見せてくれますわ」
アベルの声に、フォースの笑いは収まったが、そのかわりブレインとカインの笑い声が、苦しそうに小さく聞こえたのだ。笑い上戸の二人は、アベルに注意されても、なかなか止まらなかった。
「相変わらずだね。マリは・・」
摩理にとっては初対面である、ブレインの笑いを含んだ、優しい声が摩理に届いた。なんと優しい瞳と声で語りかけるのだろうと、摩理は感動した。だが、ブレインの言葉は自分に言った言葉ではない。聞こえたと同時に、摩理はそう思った。そして心の奥底で、前世の自分に嫉妬を覚えた。それは、まだ気付かない、ブレインへの想いの始まりだった。
「失礼しました。摩理様。気を悪くされましたか?」
少し戸惑った摩理の姿に、カインは気付いた。
「前世、あなたの夫でしたエミリアン様は大丈夫です。心配なのはあなたの方です」
摩理はカインの言葉を理解できなかった。
「夫?」
彼が夫だった?そんな、そんなことはあり得ないと、彼女は強くそう思った。なぜなら目覚めたとき、ブレインの姿を見て気が落ちついたのだ。あの時、ブレインがいたから、摩理はこの世界を、一応なりとも認めたのだ。エミリアンのはずがない。
「そうです。前世では、国を統一した王と女王です」
摩理の想いを否定するようにカインは淡々と言った。
「カイン、私の前世を詳しく教えて!」
前世は関わりないと言い切れるほど摩理は強くはなかった。前世が自分にとってどのような影響を与えるのか、それとも関係ないのか。エミリアンは蒼白になって一人になりたいと言った。夫であったエミリアンが・・。
前世がわからないことが摩理を不安させる。
「教えて、前世を・・・カイン」
懇願する摩理にカインは頭を横に振った。
「自分自身で思い出さなければ意味がないのです。もし誰かに前世を教えられても、あなた自身の中にしか、本当の前世はないのです」
取り方によっては、冷たいとも優しいとも言える口調だった。そんなカインに言い返せる者などいないだろう。摩理であっても、それ以上は聞けなかった。
「わかった」
不安が摩理の胸を駆けめぐる。見た目も元気をなくした摩理に、ピュアが部屋を出るように促した。
「もうお疲れでしょうから、摩理様を寝室にお連れしてきます」
まだ眠るには早いが、そう言って摩理を連れ出した。
「カイン」
今まで黙っていたフォースが、摩理に対する態度を糾弾するかのように名を呼んだ。
「これでいいのです。あの方はエミリアン様を愛することで、一番幸せになれるのです。あれ以上の悲しみを、摩理様に近づけたくないのです」
納得した面もちでフォースは頷いた。
「ブレイン、気をつけて下さい。あなたは似すぎている。摩理様が、あなたを愛することの無いように・・」
「あぁ」
消え入りそうなブレインの返事に、フォースはやりきれない表情を見せた。
「さぁ、夕食まで時間もあることだし、ピュアのために買い物でも、付き合うか」
アベルの殺伐とした物言いに、一同ピュアを誘いに行った。
「摩理様、ゆっくりお休み下さい」
扉の外からピュアを呼ぶ声が聞こえた。
「ありがとう、ピュア。みんなが呼んでいるわ、もう行って」
名残惜しそうにピュアは部屋を出た。
一人になりたかったのだ。日本で生まれ育って、まさか、このような世界にくるとは夢にも思わなかった。夢ならどんなに良かっただろう。
「あぁ、もう、かあさん、なんとかしてよ・・」
もう二度と会うこともないであろう、母の顔を思い出して泣きそうになる。涙をこらえて、瞳を閉じた。
「かあさん」
一言つぶやき、摩理は深い眠りについた。
「マリ、マリ」
夢の中で摩理を呼ぶ声がある。
「マリ、君の事が大好きだ。僕がマリを守ってあげる」
それは懐かしい少年の声。利発そうな少年の声が摩理を安心させる。
「姿を見せて?あなたは誰?」
「マリ、私の大切な姫君。君がもう少し大人になったら、迎えに行くよ。だから、アベルを困らして黙って遊びに来てはいけないよ」
優しい低い青年の声。先ほどの少年が大人になった声だとすぐにわかる。
「あなたは誰なの?」
「私だよ」
長い黒髪の後ろ姿が見える。その後ろ姿は愛しさと懐かしさを感じる。
「姿を見せて、お願い」
思い出す。この人は誰だったのか。きっと大切な人だ。その思いが強くなる。わかる。この人は私の愛した人。私を愛してくれた人。
「あなたは誰?」
懇願する摩理に、碧い髪の青年が写った。
「自分で思い出すのです」
はっと夢から覚めた。
「なんて夢、カインの姿で目を覚ますなんて・・・」
カインを嫌っているわけではないが、もう少しで思い出していたような気がする。愛しい気持ちがこみ上げてくる。あれは、ブレイン?あれはブレインではなかっただろうか・・・
「摩理様、起きてますか?夕食の用意が出来ました」
ピュアの声で摩理の思考は止まった。
「はい、今行くわ」
返事を終えて扉を開け、ピュアと共に食堂へと向かう。
「よくお休みになれました?」
「ええ、でもなんだか変な夢を見てしまって・・・」
少し話したときに食堂の前についた。摩理はブレインに会うのに緊張していた。
「摩理様をお連れしました」
ピュアの声に一同、摩理を見た。
エミリアンの視線が痛いほど摩理を見つめる。
「お待たせしました」
何気ない会話の中、穏やかな雰囲気で食事は進んだ。
「私・・・」
摩理が穏やかな雰囲気の中、それを壊すかのように叫んだ。
「どうかなさいました?」
驚いてピュアが聞き返す。
「あの、私、夢を見たんです」
「どんな夢ですか?」
精神鑑定士か、夢占い師のような口調でカインが聞き返す。
「あの、なんだか、すごく懐かしい、本当に安心できる少年の声が聞こえるんです。私のことが大好きだって言うんです。その声が大人になって・・・優しい言葉をかけてくれるのですが、姿が見えなくて・・・。だんだん不安になって必死に声をかけると、後ろ姿が・・・懐かしい後ろ姿が現れて、そして・・」
「そして?」
全員が、緊張の中、摩理の言葉を待った。
「カインが現れて、自分で思い出すのですって・・」
フォースは爆笑した。いや、カインと摩理以外は全員笑った。
「そうだよな、マリって昔から、カインには弱いんだもんな」
エミリアンが軽い口調で言った。摩理も軽い口調で何気なくエミリアンに返した。そう、自然に言葉が出てしまったのだ。
「それは違うわ、エミリィ。カインには色々お世話になってたから、だから、強気にでれないだけよ」
摩理の言葉で始まった笑いが、マリの言葉で一瞬にして収まった。
「思い出したのですね!」
アベルとピュアが一斉に声を上げた。だが、当の本人は不思議そうに瞳を大きく開けたままだった。
「私、何か申しました?」
喜びはつかの間のようであった。
その後、穏やかに食事を済ませた。各自、家に帰るなり、寝室に戻ろうとした時、摩理は勇気を出した。
「あの、ブレイン・・さん」
「ブレインで良いよ」
二人きりになると、摩理は異常なほど緊張した。まるで恋の告白でもするかのような場面を想像し、一人で顔を赤らめた。
「あの、さっきの夢なんですけど・・」
「何か?」
少し悲しそうな表情をした様な気がするが、摩理は気のせいだと自分に言い聞かせ、話を続けた。
「あの、あの夢の中で、後ろ姿とか、雰囲気とか、その、あなたに、あっ、内容はともかくとして、その・・・夢の人物は、あなたではないかと・・・」
「違う。それは私ではないだろう。マリは、もっと別のことを思い出すべきだと思うよ。君にはとても大切なことがあるはずだ。私の事など気にしなくても良いんだ」
冷たい否定。だが、胸が締め付けられるほど、ブレインの瞳は悲しみを称えている。足早に去ろうとする、ブレインの寂しさを感じる背中を見つめた。涙で滲んで見えなくなるほど、彼女の瞳には訳も無く涙が溢れ出た。
ブレインの悲しい瞳が気になる。懐かしい。けれど、それだけじゃない感情を摩理は頬を伝う涙で知った。あの悲しい瞳に恋していることを、摩理は知ってしまった。
「どうかなされましたか」
ピュアの声が後ろから聞こえる。
「何でもないの!お休みピュア」
涙を見せたくない摩理は、それだけを告げて寝室に入った。
彼女は、まだ前世を知ることは出来なかった。