第一章 突然の生か死か
暗黒を生みし魔の山の麓に
黒き国ありて世界を守護したり
碧き聖なる光生みし海を包むように
碧き国ありて世界を照らしたり
碧−それは聖なる光
世界を構成する色彩
碧濃くなりて黒に蝕まれる時
黄金の王 黄金の女王誕生し
碧き五人の戦士とともに戦わん
黒き者封印し
聖なる碧き光取り戻さん
閑静な住宅街は平穏な朝を向かえる。朝日が連なる屋根を照らし、街は美しく輝き始めた。
「母さん、カバン取って。ありがとっ。じゃ、いってきます」
「はいはい、もう高校二年生になるんだから、しゃきっとしなさいよ。いってらっしゃい」
どこの家庭でも交わされるような、平凡な会話だが、その家の玄関から響いた声は、平凡に思わせない澄んだ美しい声だった。
その声の主は勢いよく開かれた玄関の扉から、金の髪をなびかせて現れた。扉の奥にいる母親は純粋な日本人だが、その娘は国籍のない不思議な顔立ちだった。一目でハーフであろうと予測はつくが、髪の金、瞳の琥珀はハーフと一言では済まされない美しさと、神秘を表していた。 波打つ金の髪を腰までのばし、セーラー服姿でさっそうと歩く姿は人目を引いていたが、彼女は意識することなく自然に歩いていた。
「摩理」
道路を隔てて彼女を呼ぶ声は、車の走行音でかき消された。
呼ぶ声に気付かない摩理は、振り向くこともなく歩き続けた。再び横断歩道付近で彼女を呼ぶ声があり、そして彼女に届いた。
摩理は慣れ親しんだ友達の声だと判断し、道路側に振り向いた。しかし摩理の瞳に、自分を呼ぶ友達の姿ではなく、横断歩道の上で子供が車にひかれそうになる光景が飛び込んできた。
激しいブレーキ音と、子どもの叫び声が一瞬にしてあたりを緊張させた。
「危ない!」
摩理は叫び、次の瞬間には声も出ない事態へと、時は流れた。
摩理の眼前に映し出される風景は、泣きじゃくる子供。泣き叫ぶ友人。そして、金の髪を深紅の血で染める女の子の姿。それは紛れもなく、摩理の自分自身の姿だった。摩理は、自分の血に染まった姿を遠くで見ていたのだ。
信じられない展開を、ただ呆然と立ちすくみ、見つめた。自分を包み込む碧い霧の存在も知らず、彼女の意識は遠くなった。
同時刻、もう一人平穏な朝を迎えるはずの男の子がいた。肩を少しすぎる真っ直ぐな髪が、朝日に照らされ黄金に輝いていた。
豪奢なフランスベットの中から、差し込む光を眩しそうに見やった。
宮殿を連想させるような部屋のドアから、ノックが聞こえた。
「どうぞ」
少し高いがかすれた優しげな声が、ドアを開かせた。
「お坊っちゃま、朝でございますよ。早く起きて下さい」
優しそうな老女が、彼の寝床に朝食を持って入ってきた。
「ああ、よく寝たよ。前から言っているけれど…ばあや、いいかげんに、そのお坊っちゃまというのは止めてくれないかい?」
眠そうにベットから起きあがる男…と言うには、まだ幼い。青年とも、少年とも呼べない、碧い瞳の持ち主は老女に向かって言った。
「そうでございますねぇ。もうエミリアン様も子爵様となられて、お父さまのバサレット公爵家を継ぐご身分ですものねぇ。ああ、お坊っちゃま、乗馬するのでしたら、気をつけて行って下さいね」
結局、お坊っちゃまと呼びつづける老女を、優しい瞳と溜息で見送り、朝食を食べる。
朝食をすませた彼は、習慣となっている乗馬に向かった。
「どうどう、今日もいい艶だ」
愛馬にまたがり、いつものように駆け出す。休憩する泉のほとりまで、後もう少しまで来た。
「よし、とばすぞ!」
愛馬に声をかけ、勢いよく走り出した瞬間に事は起きた。
馬の悲痛な鳴き声とともに、エミリアンの体は宙に浮いた。
気がついたときには、愛馬が血塗れになっている自分を嘗めている姿が映った。事態を把握できないエミリアンを、碧い霧が包む。だんだん意識が薄れてゆき、自分の姿が見えなくなったとき、彼は意識を手放した。
碧い光。碧い海。碧い空。
すべてが碧で構成された世界が、ここに存在していた。
空に太陽はなく、海が碧い光を生み出し、世界を照らしていた。夜とも昼ともいえない優しい光の中、世界は平和を保っていた。
碧い町並み。この世界で一番碧く光る町、スレイダ。聖なる碧き光を受ける、この美しい町は、支配する者もなく、清き心で町は栄えた。
神官と裁判官が軍隊を制し、町の秩序は保たれ、永遠にその容貌を変えることなく存在するかのように思われた。ただ、時だけが変化しているかのようだった。
しかし、この町にも変化は訪れる。この碧の中心部にも黒き存在が現れ始めたのだ。人々を不安にさせる黒き存在。今は伝説となった黒き国。魔の山も麓に君臨し、魔から、闇から世界を守ったと言い伝えられている、黒き民。その黒き民は闇に犯され封印されたという、黒。
しかし、人々は待っていた。黒を封印した黄金の王と女王の復活する時を彼らは待っていたのだ。
黒の国と並び称される、碧の国を統治した黄金の二人を。そして、黄金の二人に使える碧き五人の戦士を待っていた。
碧い光が差し込む簡素な部屋に、碧と言うより黒に近い程、深い碧い髪を持つ男が、一人たたずんでいた。精悍な体躯と頭の良さそうな面立ち。冷ややかではあるが、慈愛のあふれた灰色の瞳。男は氷の彫刻のように、身動きもせずに窓の外を見ていた。
この町の若き裁判官長であるブレインの姿である。仕事を終えた彼は、自宅の二階から人々を見おろしていた。
「ピュア、来てごらん」
低い声が部屋に振り返ったブレインの口から発せられる。
しばらくすると、淡い綺麗な碧い髪を肩までのばした少女が入ってきた。
「なぁに、兄さん」
「ほら、見てごらん」
優しく、小さな少女を窓辺に誘導する。
「フォース、フォースだわ!」
兄の指さす方向をみて、ピュアは一人のたくましい男を見つけ、手を振った。男の方も気がついたのか、手を振りながらこの屋敷に向かってくる。
「どうしたのかしら?なんだか急いでこっちに向かってくるような・・」
近づくとフォースは、息を切らし汗を流しながら走っていた。
「どーしたのぉ?」
声が聞こえる程度の距離で、ピュアは叫んだ。
「帰って来るんだ!カインとアベルが帰って来るんだ」
フォースが叫んだ瞬間、窓辺の二人は顔を見合わせて微笑んだ。
必死に走ってくるフォースの言葉は、待ちに待った人の帰りだという。彼らがこの町から旅立って、赤子が走り回る子供に育つ程の時を経た。ブレインとピュアに懐かしさが込みあがる。懐かしい人の名前とは、これ程までに心を暖かくするものだろうか。その暖かな感情を解り合える兄妹は、再びフォースの姿を見た。
「兄さん、フォースがわが家に着いてしまいますわ。早く迎えに行ってあげましょう」
フォースを出迎えにピュアは一階へと急いで降りて行き、ブレインもその後を追って、静かに動き始めた。
「アベルの精神波が届いたんだ。明日の昼には、この町に帰ってくるそうだ。」
「では時は来たのだな?」
フォースの言葉に、確認を取るようにブレインは問いかけた。
「おう、明後日の満ち潮で碧の海が一番光輝く時、復活するのさ。カインの預言通りになればね」
「そんな、神官長の役職を放り出してまで、旅に出て修行を積んだカインが、間違うはずないじゃない。アベルは?元気そうだった?」
「ああ、姿は見えなくても声でわかったね。相変わらず口の悪い女だよ!」
「それはフォースにだけよぉ」
笑う妹の姿と、親友であるフォースの姿を優しい瞳で見つめているのは、ブレインだった。
「じゃあ、明日の昼にもう一度、来るから」
「警備の方は大丈夫なの?」
軍隊を指揮するフォースの最近の多忙さを心配して、ピュアは問うた。黒の存在が現れ始め、街の外では魔物が闊歩している。だがピュアの言葉を笑顔で「大丈夫、大丈夫」と告げ、ブレイン宅を出た。
「とうとう帰ってくるのね。そして・・・」
「ああ、時は来たれり・・・だ」
どこか寂しげな二人の姿は、最後の役割を知っているから。もう、止めることのできない時が動き始めたからだった。
昨日と同じようにブレインは、窓辺で外を見ていた。今日は、カインとアベルが長い旅から帰ってくる日である。久方ぶりの再会に、ピュアは朝から昼食を用意して待っていた。
窓から三人の姿が見えた。大柄で、精悍な体つきのフォースが見えた横に、カインとアベルが並んで歩いていた。性別の違う双子の彼らは、性別を越えた不思議な魅力と、そっくりな美貌をしているので、見分けにくい。カインはおでこの正面に蒼い黒子があることと、碧い口紅をつけている事で分かる。女と見間違う姿だが、性別は男である。アベルと言えば、女の性別を所有するが、飾り気もなく、神官としての長衣を羽織っているだけであった。二人が共通するのは姿の形全てに及んだが、髪が特に印象に残る。肩のあたりまでまっすぐだが、肩下からはウェーブのかかった神秘的な髪だ。
久しぶりにカインとアベルの姿を見たピュアは、出迎えに走った。親友のアベルに早く再会したいのである。
「アベル!」
玄関を過ぎ、ピュアは親友に抱きつく。
「ただいま、ピュア。元気だった?フォースにいじめられなかった?」
「なんで、俺がピュアをいじめるんだ!」
「あんたって、がさつだからねぇ、ピュアを任すのが心配なのよねぇ」
仲が良いのか悪いのか、再会早々騒いでる三人の横で、ブレインとカインの静かな再会もあった。
「ただいま帰りました」
「もう、待ちくたびれたぞ。神官長のいない町は、裁判官がなにかと忙しいのもだ」
カインとブレインは町を管理する、神官長と裁判官長である。それなりの落ちつきと威厳に満ちた笑みで、二人の会話は進んだ。
「申し訳ありませんでした。でも今から私があなたの分も頑張りますよ」
「ああ、信じているよ。お前がいるから、私は安心できるのだから・・」
五人の再会に話は途切れることなく、夜を迎えた。
「さて、そろそろ明日の段取りの説明を始めよう」
ブレインが旅の話などで盛り上がっている場を沈めた。
「復活の儀式の詳細は、カインが説明してくれ」
カインが、瞳でうなずき説明を始めた。
「まず、黄金の神殿で儀式を始めます。明晩、碧き海が満ちて、一番光輝く前に、次に述べることを用意して下さい。アベルが黄金の神殿に転送してくれますので、フォースは辺りにある六本の柱を、すべて二人の眠る祭壇に並べて下さい。ピュアは、その柱に清水をふりかけて清めて下さい。私とブレインは魔物から墓を守ります。光輝いた瞬間に二人は目覚めるでしょう」
淡々と述べたカインは、一同に確認をとり、説明を終えた。
「早くお会いしたいわ、私たちも無事に転生したのですもの、あの方達もきっと無事に復活されるに違いないわ」
ピュアの優しい気があたりを包む。このピュアの気にふれて、五人の心は落ちついた。普段の姿はとぼけた普通の娘だが、この優しい気が彼女の力である。純粋な優しさと愛を持つ彼女以外、この気を放てる者はいない。
ピュアはこのような気を持つ事によって、碧の五戦士として選ばれたのだ。他にカインは預言の力、アベルは道しるべとして、転送、移動の能力を持っている。フォースは通常では考えられないほどの体力を持っている。残る一人、ブレイン。ブレインは彼しかできない事がある。それは悲しい能力。いや、能力と言うより運命。彼の運命が碧の五戦士の一員となっているのだった。
ブレインの悲しみが、五人を包まぬように、ピュアは優しい気を送り続ける。
カインとアベルが旅から帰って、二日目には復活の儀式を行う慌ただしさに、もう少しゆっくりしたかった様子だが、五人には大切な役目がある。そのために五人は転生してきたのだから。
「準備はいい?」
快活なアベルが円陣の中から四人に向かっては呼びかけた。
「ああ」
兄であるカインの物静かな声が、残りの三人分の返事をした。
「では、心を落ちつけて、この円陣の中に入って」
アベルの言葉に、まずピュアがアベルの元に向かう。続いてフォースが目を閉じながら円陣に踏み込もうとする。
「では、お先に」
カインがブレインに断って円陣に進んだ。
「ついに来てしまった。この時が・・」
小さな独り言を呟き、ブレインは深い碧の瞳をアベルに向けて歩き出した。
「いざ、黄金の神殿へ」
アベルが叫んだ後、呪文が子守歌のように聞こえ始め、光が五人を包み十の瞳が一瞬すべて閉じた。次に開けたときには、懐かしい黄金の光に包まれていた。
「黄金の光・・」
ピュアが呟いた。
「懐かしがっている場合じゃないぞ、ピュア。さぁ準備開始だ」
この場面で一番忙しい、フォースが一番に動き始めた。
「では、我々も行きますか」
カインがブレインに呼びかけ、二人は魔物のいる方角に向かった。
「最近、魔物が力を増しているから気をつけて!」
離れる兄を見つめてアベルは、心配そうに叫んだ。妹を気遣うかのように一度振り向き、ブレインと共に剣を抜く姿を残し、二人の姿は見えなくなった。
「さぁアベル、私たちも準備をしましょう。すぐに碧き海は満ちてしまうわ」
このピュアの言葉で始まった準備も終わりに近づき、ブレイン達が少し疲れた様子で帰ってきた。
「準備は出来ましたか?」
確認をとるカインにアベルは近づき、流れる汗を拭きながら言った。
「ええ、準備は完璧よ。あとはあの六本柱に光が集まれば大丈夫」
「おいおい、アベル。カインの流れる汗は拭いて、俺のはどうなるんだ」
先ほどから、すごい汗をかいているフォースが不満を訴える。
「あんたのは、ピュアが拭いてくれるでしょう、ねぇピュア」
突然名を呼ばれたピュアは、照れながらフォースに近づいた。
その光景を、いつも優しく見守るのはブレインであった。妹であるピュアは、フォースがいれば生きてゆけるだろうと安心する。ブレインはピュアを守ってゆけない事を知っているから。だから、心から安心する。そして自分の運命を快く受けとめられる。もし神が存在するならば、ブレインは心から感謝するだろう。碧い純粋なピュアの兄として生を受けたことを。そして、この素晴らしき人々に再び出会えたことを。
五人がたたずむ中、六本柱に黄金の光が集まり始める。
「なんて綺麗」
ピュアがそうこぼすほど、その光景は美しかった。黄金の二人を象徴するかのように、世界が二人を欲しているかのように美しかった。
その光景に瞳を奪われていたとき、六本柱の中央から光輝く黄金の二人の姿が映し出された。
「マリ様、エミリアン様」
ピュアは喜びに声を上げ、近づこうとしたが、カインに止められた。
「まだ、駄目です。それに、私たちが覚えていても、あの方達が覚えているとは限りません」
「私たちのこと、忘れてしまっているの?」
「…さぁ…」
カインの言葉はピュアの言葉を肯定しているようにしか聞こえなかった。
「しかし、忘れていたとしても、すぐに思い出されますよ」
そう付け足すカインにピュアが喜んだ。
「さぁ、ピュア行こう」
アベルの声でピュアが駆け出し、その後を四人はついていった。
流れる黄金の長い髪。摩理は瞳を開いた。繰り広げられる世界に驚きながら瞳を開いた。黄金に輝く中、見たこともない碧い髪の少女が近づいてくる。
「ここは・・天国か?」
横から聞き覚えのない声が聞こえた。
「貴方は?」
摩理の隣に立つ、まっすぐ肩までのびる金の髪の持ち主に聞いた時、彼らの名は呼ばれた。
「マリ様、エミリアン様」
二人は、死んだばかりだと言うのに、訳の分からぬ世界にやってきたようである。
いつしか黄金の若者蘇り
碧の五戦士転生す
再び闇を葬らん
魔の山の麓に碧く光る湖ありて
この世を平安に導かん
悲劇と正義と愛の末
その湖 碧の涙と呼ばれたり