はじめに
これは、おすすめのレトロゲームを紹介するエッセイではありません。
ゲームと共に育ってきた自分が、当時を振り返る。ただそれだけのものです。
3人姉弟の長女である私。ゲームは常に、1つ下の弟と一緒にやっておりました。そんなわけで、文章中に弟がよく登場します。
私がファミコンという存在を知ったのは、小学校1年生あたり。おじいちゃんの家にあった、配管工の赤いおじさんのゲームが、最初にやったゲームでした。おそらく孫の私らのために買ったのだと思います。
既にそのゲームが発売されて何年も経っていたのですが(昭和は終わっていた)、それまでゲームなんて見たことがなかった田舎育ちの私と弟。まさに、大量のバナナを前にした猿の如しです。キャッキャと大興奮しながら楽しんでいました。
遊びに行くたびにカセットが増えていくので、私らにはおじいちゃんの家が夢のゲームセンターでした。週末、おじいちゃんの家に遊びに行くのが楽しみでしかたがなかったです。
最終的にカセットは300本近くになっていたのではないでしょうか……。
ちなみに私が育ってきた地域ですが、昔は本当に何もなく、最寄りのコンビニまで車で20分という田舎だったので、流行のゲームとは全く無縁でした。ゲームセンターに至っては存在さえ知らなかった状態です。実は匣体からの移植だったのね……と大人になってから知ったゲームは数知れず。
我が家にファミコン本体がやってきたのは、既にSFCも発売されていた頃とかなり遅かったのですが、それでも嬉しかったのを覚えています。
ちなみに、年の離れた従兄弟のお兄ちゃん達のお下がりでした。20本くらいのカセット付きで。大学生になったし、もうやらないからと譲ってくれたのです。
当時、ゲームはまだまだ『子供のおもちゃ』という認識の大人が大多数だったように思います(少なくとも私の周りには)しかし、そのファミコンに大ハマリしてしまった大人がいたのです。
父親です。
そんなわけで、我が家にファミコンがやってきてからは父親もよく登場するかと思います。
自分のゲーム年表を大まかに見てみると、おじいちゃんの家だけで楽しんでいた幼少時と、我が家にゲーム機がやってきたそれ以降と、2つの時代に分かれます。その前提で、このエッセイという名の、ただの回顧録は進んでいきます。