act.6 Skeleton
私は学校の理科室が嫌いです。
いえ、理科室が嫌いな典型的女子小学生・中学生時代を過ごしてきました。
ホルマリン漬けのカエルや、日常と掛け離れた異様な化学薬品の匂いはどうにか許せました。
しかし、唯一、どうしても我慢できぬ物がありました。
そう、お察しの通り、人体標本模型です。
体の半分だけ、筋肉や赤く表現された動脈、青く着色された静脈、多様な臓器や神経などが見える、おどろおどろしい存在。
その上、一面だけ透明なガラスで覆われた、嫌でも応でも目を向けてしまう構造の箱に収められているのです。
当時私は、自分の体の中にも同じ物があると考えると、恐ろしい上に気分が悪くなり、胃液がはい上がってくるような感覚に悩まされたものでした。
そんな複雑な思いを沸き上がらせる理科室の中に、私の興味を引く物がありました。
四方を板で取り囲まれ、鍵のかかる箱に鎮座するかのごとく収まる骨格標本です。
言い表すことのできぬ愛敬を持ち、恐怖よりも親近感が勝る彼、骨格標本が私は好きでした。
自分の体を構成するのはこれだ、これがなければ私は存在しないのだ、と年端もゆかぬ少女にしては大人びた考えを抱いていたものです。
その後私は普通科高校に進学、手に職を就けたいと漠然と考えていた私が選んだ進路は専門学校、なんと看護系の、でした。
現在、私はナースキャップを冠するようになって五年目になります。
先輩・後輩、ベテラン医師や研修医、多くの患者さんと出会っています。
人体模型も、今では全く怖くありません。十年以上昔の私が嘘のようです。
しかし、一つだけ、親近感を抱いていた彼に対する思いは変わってしまいました。
人の生死と常に接する看護士という職業のためか分かりませんが、私は骨格標本に「美しい」という、信仰にも似た思いを持っているのです。
身に纏う、石鹸七個分の脂肪、鉛筆の芯九千本分の炭素、二寸釘一本分の鉄分、マッチの頭二千二百個分のリンといった、人間を構成する物質だけでなく、極限なく溢れる欲望や涙を湛える病んだ精神、時として人間を右往左往させる厄介な感情全てを殺ぎ落とした体、それが骨格であると考えるようになったのです。
私は未だに火葬後の骨を見たことはありません。
そんな日が来ることを望んでいる訳でもありません。
しかし、悲しいかもしれませんが、もしも火葬後の骨と向き合うときが来たら、その時私は骨に対する感動を覚えるのかもしれません。
だからこそ私は相変わらず、骨格標本に惹かれるのでしょう。
そして今日も、私は職場である市立病院へと出勤するのです。