act.5 初秋の夕暮れ
一束、五百円。
それを見たのは、涼しい風のふき始めた、会社からの帰り道だった。
「乙女の真心」という言葉をもつ、思い出深いその花と値札を天秤にかけ、私は足早に改札口へ向かった。
三週間ぶりに帰宅ラッシュの電車に乗ったが、運良く座ることができた。
私の降りる駅まで約二十分、特権と言わんばかりに眠ることにした。
さっき見た、あの花を気にしながら。
太陽は弱まる気配さえ見せない九月。
時折吹く風がススキをゆらし、その上をたくさんのトンボが飛んでいた。
道端には桃色の花が満開だった。
あのとき。
運動会の練習でまっ黒になった肌を全く気にしないで、日が暮れるまで遊んだ。
チョウの羽は平気でつかめたし、野ウサギをおそるおそる抱いたこともあった。
クモの子の入った袋も破ったし、東の空に昇るまっ赤な満月を不思議に思った。
何もかも知らないことだらけだった。
オトナのふりをしてみたかった。せつなさというのを感じてみたかった。
だから、好きな男性なんていないのに、どこかで見た花占いの真似をした。
結果なんてどうでもよかったのに、「スキ」で終わった時はなぜか喜んでいた。
私はまだコドモだった……
人が乗り降りする気配を感じて、目が覚めた。ひとつ手前の駅に着いている。
どうやら乗り越さずに済んだ。強めに一回まばたきをして、寝ぼけた脳をたたき起こす。
いくらか空いた車内を見渡し、軽く息を吐いた。
今、私は口紅をさしている。この街で一人で生活していくことにも充分慣れたし、スーツやパンプスも板についている。けれど、久しぶりに少女時代の夢を見たのは、忙しかった仕事が今日あがったからだろうか。
再び改札を通り、階段を降りた。数メートル離れた所に目立つ文字がある。
「本日セール 一束三百円」
頑張った自分へのご褒美にしよう、私は店先へと急いだ。
「コスモス、一束ください。」