八月の脇役 その五
耳鳴り、眩暈、頭痛。あぁ、去年異世界に飛ばされた時に似ている。じゃぁ私、もしかしてこのまま気絶できちゃったりするんだろうか、なんて考えている間にどさっと音がして正気に返った。
見れば、パティシエが真っ青な顔で壁に寄りかかっている。幸い旦那さんが素早く支えたから大事には至ってないだろうけど、妊婦さんにこれはキツい。
助監督もすぐに思い至ったようで、自分が今しがた座っていたソファを勧めた。
ほんとはお部屋で休ませてあげたほうがいいのかもしれないけど、一応状況がはっきりするまではここにいたほうがいいよね。かえって気になって休めないだろうし。
「ほら、私の言った通りだったでしょ! 佐々木さんが撃たれたって」
「撃たれたって……。フツー銃かなんかだと思うじゃないスか」
「っ、るっさいわね、おんなじことじゃないの!」
まぁ、非常事態だという点では、同じ事だと思う。でも言葉が足りないのって、やっぱり問題だと思うんだ。この現代社会においては銃で撃たれるより矢で撃たれる事の方が珍しいし。かなり重要な項目だよ、これは。
「それにしてもぉ、矢が刺さってたなんてびっくりですぅ」
そうそう。私はツグ先輩の言葉に頷いた。
「そう。……あまりに短絡的な方法だったね、盛沢君」
続いて助監督の言葉に頷こうとして、私はピタリと動きを止めた。あっぶにゃー、危うく無実の罪を自白させられるところだった!
「私じゃないです! なんの根拠があってそんなこと……」
「しかし、実行が可能なのは君だけだよ?」
ええい、このメガネ、頭良さそうに見えたのに単純バカなのか? 期待はずれな。
こういう時、唯一アリバイがなかったりする人間は大抵ブラフだって~の! 真犯人はほかにいるんだって、絶対。
あ、いや、待てよ? 佐々木さんが矢の手入れをしようとして、転んで刺さったとかいうオチだって……。
「じゃぁ証明してみなさいよ! さっきの話、あれで納得したわけじゃないのよ!」
コガネ先輩がぎっとこっちを睨んだ。ひぃ、こわっ。電車で同じ車両に乗ってた頃の緊張感を思い出しちゃったじゃないか。
私はあれよあれよという間に壁際の椅子に座らされ、ぐるっと取り囲まれてしまった。
や、怖いから! 何もしてないのに「私がやりました」とか言って楽になりたくなっちゃうからやめて! 逃げないから!
「部屋が遠かったっていうのも言い訳っぽいけど、まぁいいわ。じゃぁ、部屋を出たのはいつ?」
えーと、少し部屋を物色して、ベッドでちょっと転がって、ほっぺがちょっとぴりっとしたから慌ててパッティングして、それからスーツケースを開けて……。
「確か、荷物を整理し終わったのは2時ちょっと過ぎでした。鐘が鳴ったから、何かなと思って時計を見たんです。……そういえば、あの鐘ってなんだったんでしょう?」
するとみんな、きょとんとして首をかしげた。
「鐘……? 鐘なんて、鳴ったかぁ?」
「いや、気付かんかった」
ヒワダ先輩の言葉に、ゴトウ先輩が首を横に振った。
え、なに、ちょっと……? あんなおっきな音で、結構長時間鳴ってたじゃないか。あの時バルコニーの窓は開いていて、音は外から聞こえてきたんだから間違いないよ。
あの時間、確かに鐘は……。
「私達ぃ、ずっ~と教会にいましたけどぉ、鐘はなりませんでしたよぉ?」
ツグ先輩にさえそんな事を言われ、私は頭が真っ白になった。
「2時には多分、私も教会に駆け込んでたけど、鐘なんか鳴ってなかったわよ?」
コガネ先輩が胡乱げな目で私を見下ろす。「ちょっとオカシイんじゃないの」と言わんばかりの顔だ。くそー、なんなんだこの状況。
確かに中途半端な時間に鳴るなぁとは思ったけど、もしや耳鳴りだったんだろーか。いやいや、あんなはっきりした耳鳴りなんて考えられない。
もしかすると、教会ではなくてもっとどこか、反対方向から聞こえてきて、私の部屋までしか届かなかったのかもしれない。……それにしちゃ、大音量だったけど。
「……鐘の事はひとまず置いておこう。それで? 2時に鐘が鳴って、君がホールに来るまで30分は掛かっている。何をしてた?」
「着替えてました」
「何故?」
なぜったってなぁ……。
「潮風でちょっとべとっとしてる気がしたから?」
着替えるごとに一々詳しい理由なんか考えるものか。なんとなくですよ、なんとなく。
しいて言えばお嬢様ごっこの一環? せっかく持ってきたふわふわしたワンピースで、赤い絨毯の上歩いてみたかったんだよ、悪いかっ!
助監督は、ふむ、と頷き、私の目を覗き込んだ。ここで目をそらしたら負けだ。
てゆーか今時、「やましい事がある人間は目をそらす」なんて古いと思うんだ。むしろ詐欺師の才能があればあるほど、人と目を合わせながら平気で嘘をつけちゃうと思うんだ。
「服が血で汚れたから、ではないのか?」
「いいえ」
仮に私が犯人だとしても、なんで矢で撃ってわざわざ返り血浴びてるんだよ。どんな太い血管傷つけたわけ? ほんと、バっカじゃないの、バカなんじゃないの?
「じゃぁ、さっき着てたワンピース、見せてみなさいよ。言っとくけど、偽物だったらすぐにわかるんだからね」
モデルの目を誤魔化せると思わないでね、とコガネ先輩が胸を張った。
「こちらです」
具合の悪そうなパティシエと、付き添いにシェフを残して、私達はとりあえず佐々木さんとメイドさんのお見舞いついでに私の服を確認するために移動した。
プライベートエリアのドアは特殊な鍵がないと開けられないようになっていた。この鍵は私と佐々木さん、あとは執事さんが管理しているだけで、ほかの人は持っていないようだ。
うわぁ、これじゃぁますます怪しいな、私。まずい、まずいよ。なんとか無実を証明しないと、コガネ先輩とメガネに犯人にされてしまう!
不可思議な造りの螺旋階段を上がり、ぐねぐねと奇妙に曲がった廊下に案内……するはずだったのに、私はそれを見て思わず立ち止まってしまった。
「あ、あれ……?」
目の前には、ゆるい曲線を描いてはいるものの、むこうまで見渡せる廊下が広がっている。
あの奇妙に曲がり角の多い、自分がどの方向にむかっているのか判断しにくい廊下ではなくて。普通の廊下。なんだ、これ……。
「どうかしたんですかぁ?」
余程長時間呆然としていたのだろう。気の長そうなツグ先輩が、後ろから私をつついた。
そうだ、私がここをどかないと、みんな階段で立ち往生してるんだった。
「ご、ごめんなさい、立ちくらみが」
自分でも苦しい言い訳をして、私はその廊下に足を踏み入れた。
まるで、世界の狭間に落ちてしまったような気分だ。それとも、眩暈がひどいせいであの曲がりに曲がった廊下がまっすぐに見えてるのだろうか。
ひとつ、ふたつ、とドアを通り過ぎ、3つ目のドアのレリーフが目に入って、私はますますわからなくなった。木の枝にとまる、丸い鳥。私の部屋のものと一緒。
あっれー。私の部屋って確か、6つ目のお部屋だったよねぇ? なんでこんなことになってんの? おかしいんじゃない?
「それで、アンタの部屋は?」
タイミングよくゴトウ先輩が私に尋ねたので、私は震える手でそのドアを指差した。
「たぶん、これ、だと思います」
「『たぶん』? 自分の部屋だろう?」
「それが、その……」
今までも散々信じられないような目には遭ってきたけど、しかし、これは……。
「まー、こんだけ部屋があったらわかんなくなるよな。そだ。鍵合わせてみたら?」
私が正気じゃないのか、それとも気付かないうちにそっくりだけど違う世界、つまりパラレルワールドってやつに跳んじゃってたパターンなのか?(って、こんなこと思いつく時点でパラノイア疑いじゃないか)
真剣に悩む私の手からヒワダ先輩がひょいっと鍵をとりあげ、鍵穴に差し込んだ。かちりと音がしてすんなりと開くドア。あぅ~……。
中を覗くと、部屋の様子は先ほどと全く変わっていない。ってことはやっぱり私の部屋なんだろうなぁ。景色だって同じだし。
「なにこれ、私の部屋より立派じゃない! 何でよ!」
コガネ先輩が見当違いな事でぷりぷり怒ってくれたおかげで、辛うじて放心状態から戻った私は、急いでクローゼットに駆け寄った。
もう、ここまで来たらパターンは決まっている。アレは、きっと、ない。
「……なんで?」
思ったとおり。私の着ていたワンピースが掛かっていたはずのハンガーは、一つだけその役目を果たせずに、静かにぶら下がっていた。