八月の脇役 その三
「……うわぁ!」
小型のボートに乗り換えた時、もしかすると酔っちゃうかも、と心配したけれど、なぜか大丈夫だった。潮風が気持ちよかったお蔭かな?
まぁ、ちょっと胸の奥に重いものがつまっているような気がするけど、横たわるほどではない。
船着場から左右に白い砂浜が広がっていて、真正面にはウッドデッキから続く遊歩道がまっすぐ森の方へのびている。
「こっから10分くらい歩くんやけど、大丈夫?」
「うん、平気」
幸いフラットなタイルできれいに舗装されているようだし、キャリーケースを引っ張って歩くくらい、何の問題もなさそうだ。これがモザイクレンガ調の石だたみだと大変なんだよねぇ。
いや、あれはあれで、見た目はきれいなんだけどさ。ヒールも車輪もいちいち引っかかるから躓きやすくて、あんまり実用的とは言えないと思うんだ。きっとヒールをはいた事のない人がデザインしてるんだと思う。でなきゃ、人類はみな等しくスニーカーで歩けという暗黙の意思表示なのかもしれない。
でもまけない!
よいしょ、と荷物を船から降ろそうとした私の手から、光山君が荷物を取り上げて、ついでに私の手もとって上陸させてくれた。……うぅむ、この不自然なほど自然なエスコートはいつも通りだ。
「あ、ありがとう、ゴザイマス」
「どういたしまして」
にこ、と微笑むその涼しい顔もいつも通り。
「さ、行こう。こっちは持てる?」
そう言ってキャリーケースだけ返してよこし、自分の荷物に加えて私のボストンバッグまで持って行こうとする様子も、いつも通り。くっそぅ、私ばかり意識しているようで腹が立つなぁ。いつも通り過ぎて気になるとか、なんて嫌がらせだ!
「キャリーの上に乗せちゃえばいいし、そっちも自分で……」
「ほら、おいてかれちゃうよ」
あーもー、人の話を聞かないところもいつも通りだぁ……。
光山君の視線の先には、コガネ先輩の荷物をすべて引き受け、自身の荷物と、ついでに撮影機材の一部らしきものを持ってよたよたと歩く監督の姿があった。なるほど、ボストン一個くらいならまだマシということか。佐々木さんは手ぶらみたいだしな。
「じゃぁ、お言葉に甘えます」
「うん。……気を付けてね」
低めのミュールだからさすがに転ばないと思う、と答えると、彼は少し首をかしげて、それから優しく笑って「そうだね」と言った。
……だ~か~らぁ、意味深な仕草をはさむのをやめろっちゅーの!
だんだんと、木の間からお屋敷の姿が見えてきて、私は思わず首をひねった。うぅむ、90度傾けてみても同じくらい理解しがたい。
これは……なんて表現したらいいんだろう? 洋風のような、和風のような、でもやっぱり洋風のような? ごたまぜの建築物だ。
こっちにお茶室の丸窓みたいなものがあるかと思えば、むこうの方には教会の鐘みたいなものがある。障子の窓の隣にはワインレッドのカーテンが下がっている。こちら側に出っ張ったり引っ込んだりとねじ曲がりながら、海に向かって半円を描いているようだが、とにかく統一感がまるでないので歪んで見える。
「おっもしろい建物やろ? なんか、設計した人が変わりもんで、工事中に何度も計画変えたらしいんよ」
そんな無茶苦茶許したってんだから、施主さんはきっと器の大きな人だったんだろう。……そして、例の不吉な逸話も含め、「おもしろいから」という理由で買い取ったという佐々木家の先々代当主様もな!
なに考えてるんだ、ほんと。これ、今の建築基準法だとひっかかるんじゃないだろーか。
「個性的、だね……」
「ふむ、これはかなり面白い画が撮れそうだ」
まぁ、監督さんは本気で喜んでいるらしいので、部外者の私は口を挿むまいよ。
「お待ちしておりました」
素晴らしいシャンデリアの下はなぜか玉砂利洗い出し、正面の階段は赤い繊毛敷きの階段というなんとも残念なエントランスホールで、「『執事』を描いてみなさい」という課題を与えられたら10人中8人くらいが描きそうな執事さんがお出迎えしてくれた。なんつーか、すごくシュールな光景だよなぁ。
佐々木さんは「わー、ひっさしぶりやなぁ」なんて言いながら、執事さんの後ろに控えていたメイドさんに抱きついた。聞こえてくる会話からして、乳母の娘さん、みたいな感じなのかな?
私達より少し年上だと思われるそのメイドさんのスカートはロング丈。うむ、保守的でなにより。お団子に結い上げた髪といい、こちらも絵に描いたようなメイドさんだ。素晴らしい。
これで建物が和風か洋風、どっちかに統一されてればなぁ。(はふぅ)
佐々木さんはひとしきりメイドさんとじゃれて、何かを受け取ると「じゃ、着替えたらホールでお茶しよな」と言い残してどこかに消えてしまった。着替えたら、って……。
あれか、一々「お茶用の衣装」「夕食用の衣装」とかに着替える風習でもあるのだろうか。私も穂積さんの国やらフォレンディアやらでそんな事してたけど、大変だよねぇ、ああいう生活。
「皆様、長旅でお疲れでしょう。まずはお部屋にご案内します」
執事さんはコガネ先輩の荷物を受け取ると、光山君と監督に「こちらです」と言って正面の階段から2階に上がって行った。
慌てて後を追おうとした私を、さっきのメイドさんが呼び止め、やっぱり荷物を受け取ってくれた。いや、その……ほんと、かさばってスミマセン。リゾートと聞いて張り切り過ぎました。
「盛沢様は、こちらです」
「え?」
「盛沢様はお嬢様の個人的なご友人とのことですので、特別にご親族用の客間にお通しするようにと申し付かっております」
な、ナンダッテェ! まさかの特別待遇! いいのかしら。ほんと、コガネ先輩じゃないけど、なにかこう、裏があるんじゃないかと勘繰ってしまうよなぁ。
「どうぞ、こちらです」
案内されるままに、玄関から左手に向かって歩く。突き当りにドアがあって、中に入ると岩肌をくりぬいて造られたらしい螺旋階段が現れた。……なんだこれ。
「このお屋敷はもともと崖だったところを削って作られているので、あえて構造として残してあるのです。地下には鍾乳洞もあって、天然の冷蔵庫として使っております」
「はぁ……」
絶対、ふつーに作った方が楽だっただろうに。お金持ちってわかんないなぁ。
そこから2階に上がり、やたらぐねぐねと曲がる廊下を歩く。右に左に、互い違いに部屋があるようだ。
一本道だから迷子にはならなそうだけど、部屋数が多くてちょっと不安。あれ、もう何個ドアを過ぎたっけ? いっそのことスタート地点からもう一回数えなおしちゃだめかなぁ。
たぶん、左の6つめと思われるドアのところで、メイドさんは足をとめた。
「どうぞ、こちらのお部屋です」
「あ、ありがとうございます」
中に入って真っ先に目についたのは、開け放たれたバルコニーの向こうのオーシャンビュー。うわぁ、きれい!
ちょうど私達が歩いてきた遊歩道からまっすぐ、船着場、そして砂浜もよく見えた。部屋のテーマカラーはピンク掛かったベージュで、建物自体のちぐはぐさまでは反映されておらず、とってもいいお部屋だった。天蓋付きのベッド、籐の揺り椅子、桜材のドレッサー、揃いの衣装ダンス。うむ、いかにも女の子好み。
「もしもお部屋がわからなくなりましたら、ドアのレリーフを目印になさってくださいね」
レリーフとな?
私は振り返って、よーく確かめてみた。なるほど、ドアの上のほうに、何かの木の枝と、それにとまるまるっこい鳥が彫ってある。私の身長では言われなきゃ気が付かない位置だけど、見えないこともない。
「この模様はお部屋ごとに全て違うものが彫られておりますので。では、失礼いたします」
メイドさんは私に鍵を渡しながら、思い出したように「ティールームは先ほどのホールをはさんで反対側にございます」と教えてくれた。
ふむふむ、つまり、階段から左はプライベート、右はお客様用、という構造なのだね?
さーて、本音を言うならお茶なんて言わずに、しばらくこのお部屋でのんびりしたいところだけど、まぁ、そうもいくまい。おまけとはいえ、あくまでも映研のお手伝いをしに来たわけだし? 一応顔合わせくらいしないとな。
そうと決まればとっとと荷物を整理しよう。
一週間分の着替えを取り出してクローゼットに入れ終わった、ちょうどその時。突然、鐘が鳴り響いた。
から~ん、からら~ん、から~ん、からら~ん……
ん~、これはさっき遊歩道から見えた鐘かなぁ? 随分しつこく鳴るものだ。さて、これは一体何を知らせる鐘なんだろう。
まさかお茶の支度ができましたよの合図じゃないよねぇ? 時計の針は午後2時ちょっと過ぎを指しているから、時報ってわけでもなさそうだし。
ま、こういう風変わりな屋敷だから、なんか意味があるんだろう。
私は、とりあえずオーガンジーのワンピースに着替えてから(だって、「着替えたらお茶」って言ってたんだもん)部屋に鍵をかけ、教えてもらったティールームへむかって歩き出した。鐘は、いつの間にか止んでいた。
さっきまでうるさかったせいだろうか。静かになった廊下を歩いていると、無性に落ち着かない気分になった。なんだろう、なんだかやけに、胸がざわつく。この曲がりくねった構造のせいだろうか?
せっかく清楚っぽい格好をしたんだからと、努めて落ち着いた足取りでホールにたどりついてみれば、そこにはなぜか人が集まっていた。
……あぁ。いやな、よかん。