七月の脇役 その二
さてと。
問題は日傘の行方だ。(隣の空き地からロボットが発進しようが、ロケットが発射されようが、もうどうでもいい)
あれは高校の入学祝にと、祖母から送られた一点ものなんだよなぁ。かと言って、なぁ。
上空を気にしつつ、さっと空き地全体に目を走らせると、やはりあった。
塀の端っこにひっかかっている。骨組みは折れているかもしれないが、修理すればまだいけるかもしれない状態だ。
……うん、あれだよ。これはワナだよ。運命とかそんなものがいたずらに仕掛けるワナ。
この前観た映画でもあったじゃないの。「絶対近付いちゃダメ」なところに、「どうしても大事なものをとりに行かなきゃ!」ってことになって、ひどい目にあう人のお話。
アレだ。あのフラグが立ってるんだ、絶対。
ふん、私はそんな愚かな主人公にはぜったいにならないんだからねっ! お祖母さまだって、きっと理解してくれるに違いないよ。「日傘よりあなたのほうが大事よ」って言ってくれるよ、きっと!
だから絶対、「ロボットが帰ってこないうちに……」なんて飛び出して行ってはだめよ、私!
そしてこの、微妙に心配性な人達が付けてくれた指輪(と書いて緊急ブザーと読む)なんか必要ないって証明するのよ!
というわけで、悔しいが日傘の回収はあきらめて、今度こそ室内に退散した。
直後、またなんだか派手な音が空き地から聞こえたけど、もう振り返らない。
……ほらみろ、やっぱりワナだった。
あぁ、それにしても悔しいなぁ。
ちゃぷん、と、入浴剤でピンクに染まったお湯の中、私はまだぐだぐだ考えていた。
だってだって、あの日傘って去年の8月にウッカリ巻き込まれ召喚された時に生き残った(というか、光山君が回収しといてくれたんだけど)奇跡の傘だよ? そんな、ある意味縁起のいいものなのに。でも、うぅ、あぁ。(ぶくぶく)
夏休みに祖父母の家へ遊びに行ったら、なんて言って謝ろうかなぁ。普通に「風に飛ばされちゃった」って言うべきなのかなぁ。
な~んてふやけながら考えていたらインターフォンが鳴った。
ぴ~んぽ~ん、ぴ~んぽ~ん。
二回連続で鳴る、ってことは、内部からのチャイム? じゃぁこれは住人さんか。
浅見さんが「やっぱりほんとにロボットみたんですぅ!」と訴えに来たのかもしれない。私も自分で確認しちゃったから、かえって返し方に困るよなぁ。肯定したらややこしいことになるし、かといって否定するのも可哀想だ。
バスローブを羽織って洗面台のところのインターフォンに出る。なんにせよ、この格好にこの状態で、直接出るなんてむりだもの。
「はい、どちらさまですか?」
浅見さんだろう、と勝手に確信していたのに、聞こえてきたのは男の人の声だった。
「こんばんは、九頭竜です」
九頭竜さん、ってぇと104号室だ。浅見さんのお隣、つまり南側の空き地に思いっきり面しているお部屋の住人さんだ。
うわ、もしかして彼も見てしまったのだろうか、アレを。
どうしよう、「なんか変なものが隣に出入りしてて不安なので引っ越します」とか言われちゃったら。確かこの人、そこそこのお偉いさんだったはずだから、そのへんやかましそうだよね。
「こんばんは、ええと……どうかなさいましたか?」
頼むからそれ以外の用件でありますように、という私の願いが天に通じたのか、九頭竜さんの用件は全く違うものだった。
「もしかして日傘をなくされませんでした?」
「あ、はい! 風で飛ばされちゃって!」
「あぁ、やっぱりオーナーでしたか」
この、「オーナー」という呼ばれ方はちょっともにょっとする。
だって、正しくは「オーナーの娘」でしかないから。かと言って「管理人さん」と呼ばれるのもなんか違うなぁ、って思うし。私の立場って難しいな!
「見た事ある傘だなと思って。一応持ってきたんです」
おおおおお! なんという記憶力。さすがは、十代の頃にアメリカで3つの学位をとってきた男! うざ爽やかで空気読めなそうとか思っててゴメンナサイ。
「ありがとうございます! 困ってたんです。あの、すみません、私、今すぐにはちょっと出られない状態なので、あとで……」
改めて取りにうかがいます、と続けようとしたのに、九頭竜さんは更にうれしい事を言ってくれた。
「これ、ちょっと壊れてるから直しておきますよ。なぁに、ボクに任せてください」
hahahahaha、とアメコミっぽい笑い方をして、「明日の昼にでも取りに来てください」と言い残し、九頭竜さんは帰っていった。
「……くちゅんっ」
バスローブ姿で、しかも髪も濡れたままお話していたから、もしかすると冷えたのかもしれない。なんだかゾクっとする。
日傘の悩みも消えたし、気を取り直してもう一回暖まり直そ~っと。
変な悪寒を誤魔化しつつ、私はもう一度湯船に浸かった。……きのせい、きのせい。
翌日。
ぴろりんぴろりん。
約束していた時間に、私は104号室のチャイムを押した。
そういえば自分から店子さんのおうちに訪ねていくのは初めてだなぁ。チャイムの音って共通じゃないんだ?
とりあえず、傘の回収と修理のお礼を言って、お礼の品(最近はやってるラスクを朝一で並んで買ってきたのだ!)を渡して、玄関先でお暇する。よし、完璧な計画!
年頃の娘のたしなみとして、絶対一人暮らしの男の人のおうちの中に入ってはいけません。
「はい、どちらさまですか?」
しかし、インターフォンに応答したのはなんと、女性の声だった。
んん~~?
お友達? それとも彼女さん? お仕事の関係の方?
一人暮らしっていう条件で、住人さんが増える事があるなら事前に連絡する、と契約書に書いてあるんだけど、な~?
ま、いいけどさ。
「こんにちは。私、301の盛沢と申します。九頭竜さんに傘を直していただくお約束だったので……」
「盛沢様、ですか……?」
「あー、ヤギリクン。ほら、彼女は例の……」
「あぁ、例の」
あ、あれ? 今、インターフォン越しになんだか意味ありげな会話が聞こえたような聞こえなかったような? あっれぇ、もしかしてここ、尻尾巻いて逃げ帰るべき局面?
「失礼しました。少々お待ちください」
「……ハイ」
心の中の尻尾は既にくるりと巻かれ、ついでに固結びになっていたけれど、私は今更引くに引けずドアが開くのを待った。
待たされる事10数分。
なんで? なんでこんなに待たされるの? そりゃ、104は広めのお部屋とはいえ、二階部分のはじっこからゆっくり歩いて玄関に来るまで2分も掛からないはずなのに。
手の放せないお仕事中なんだったら、出直すんだけどなぁ。(イライライラ)
いい加減、もう一度チャイムを押して「また出直しますので、ご都合のよろしい時間をお電話ください」とでも言おうかと、私の指が伸びかけたところで、勢いよくドアが開いた。
あ、あぶにゃああああああ! これ、外開き! あやうく私の指がひどい目にあうところだったよ!
「はぁ、はぁ、……ぜぇ、おまたせ、いたしました、盛沢様」
ドアの中から異常に息を切らせた白衣姿のおねーさんが飛び出してきた。
額にはうっすら汗をかき、たぶんキッチリ巻き上げられていたであろう髪の毛も少し乱れて、パラパラと落ちている。……一体、なにがあったというのか。
「わたくし、げほ、九頭竜の部下の、げほげほ、矢切と申します」
呼吸を整えながら、彼女は名刺を取り出した。
独立行政法人
地球平和機構
次席研究員
矢切 律
「それはどうも、ご丁寧に……」
私はよくわからないまま、受け取ってお辞儀をした。