五月の脇役 その六
更に翌日。昼。
今度は106号室のお引越しだ。
やっぱり34歳の男性で、名前を旭 直さんという。すなお、という名前の響きに反して、やけに皮肉っぽい印象を受ける人だなあ。世の中を斜めに見ているような、なんだかそっけない、冷たい人? 人間嫌い?
よく見れば女性的な、美しいとさえ言える顔なので、余計に冷たい印象を与える。損だよ、絶対。日本において愛想笑いは万能なんだから。ほら、笑って笑って!
お仕事はNPO法人役員だそうな。うわぁ、なんだか九頭竜さんと色々対照的というか。
「NPO法人って、私は不勉強なのでよくわからないんですけど、どんなお仕事をなさってるんですか?」
なんとか会話をしよう、同じ建物で暮らすんだから、顔合わせたらご挨拶し合うくらいの関係を築こう、と適当に話題を挙げると、彼は名刺を取り出した。
うん、あの、ごめんなさい。そこに書いてあることは入居申込書にも契約書にも載ってました。ただ、それじゃわかんなかったんです。「NPO法人 MINT」ってナニ?
「み、ミントって、かわいいお名前ですよね」
なんでもいい、反応を返しとけー、なんでもいいから褒めとけー、と思って口にした言葉に、旭さんはなぜかむすっとした顔をした。ありゃ、男の人にかわいいって、禁句だったりするんだろーか。
「misstion industrious nature trust」
「へ?」
唐突に出てきた英語に、一瞬混乱した。み、みっしょん、いんだすとりあす……にゃんだって? 勤勉な計画?
「略してMINTです。……まぁ、要するに自然環境保護を目的としています」
「はぁ。立派なお志ですね」
NPO法人ってのは確か、世のため人のためになるような業務をしつつ、利益をあげて給料をとっていい団体、なんだっけ。ただし、必要以上の利益は配分してはならない、とかなんとか。
自然環境保護で利益をあげるって、きっと大変なんだろうなぁ。ミントと名乗るからには、ハーブの育成、販売でもしてるのだろうか。それとも別な事で賄っているんだろうか。
106号室は中くらいのサイズのお部屋で、お家賃もそこそこなんだけど。なんかこう、NPOというと半分ボランティアでお給料そっちのけ、みたいなイメージがあって、余計なお世話だけど心配してしまう。
「既存の環境保護団体よりも、より積極的且つ勤勉に行動する事で……」
あ、やべ。火ぃつけちゃった。
いつぞやの米良さんのマシンガントークを思い出しつつ、私は適当に相槌を打ち続けた。管理人業はサービス業なんだから、がんばってね、という母の言葉をかみしめながら。
こうして私の大学生活最初のGWは消費されていった。はっきり言って通常授業がある日のほうが楽だった。主に精神面が。
学校は学校で、今日も頭の上に飴が降ってくるし……。そういや目白さんの運命のお相手って、未だに姿が見えないな。不思議だ。
「どう? 管理人業は。順調?」
「……たぶん」
不思議といえば、気が付けば光山君と一緒に過ごしているこの状況も不思議だ。なんだこれ。なし崩しに「二人は恋人」認定が浸透しつつあるし。
おかげで実は興味深々だったコンパとやらにも一度も誘われないんだけど。いや、うん、もともと私なんかお呼びじゃないのかもしれませんがね?
でもちょっとお年頃の女の子としては寂しいじゃないか。誰か声かけてよ。
「あ、そうそう。そういえば……」
「クミちゃあああああああん!」
光山くんがニヤっと意地の悪い笑みを浮かべて何かを言い出そうとした時、それを吹き飛ばすような声が聞こえた。
なんだろうと思って声のほうに目をやると、カフェの方から知らない男の子がぶんぶんと手を振りながら走ってくるのが見えた。……ダレ?
私を「クミちゃん」なんて馴れ馴れしく呼ぶ男の子は従兄弟達しかいなかったと思うんだけど。あ、や、嘘。今の嘘。もう一人いた。祖父の家の近所のお寺の子が私をそう呼んでた。
でも違うよなぁ。だってあの子、今じゃすっかり嫌なやつに成長したって聞いたし。
「クミちゃん、久しぶり! うわぁ、ほんとにクミちゃんだぁ」
優しげなかわいい顔立ちで、声も高め。うーん、失礼だけど大学生に見えない。中学生でも通りそう。髪はちょっと染めてるのかな? 程よく茶色い。
こういうタイプが好きな女の子にモテるだろうなぁ、この子。
光山君が視線で「ダレ?」とたずねる。私は首をかしげた。はて?
「えーっと……」
言え。「どちらさまでしたっけ?」と言え、言うんだ! 隣から「じゃぁさっさと追い払えば?」という圧力が掛かっているぞ。
ああ、でも、でも。
「ひ、久しぶり……?」
言えなかった。笑顔が引きつった。う、光山君がちょっと不機嫌になったような気がする。
やめてぇ、私が悪いんじゃないの! この優柔不断なお口が悪いのっ! だって、こんな人懐っこく、心底嬉しそうに再会を喜ぶ人相手にそんな残酷な事できないって。
「ほんと、久しぶりだよねぇ。12年ぶり。全然変わらないねぇ」
じゅーにねんぶり。ってことは……幼稚園か。
アレ、じゃぁ今もしかして、幼稚園の頃から全く進化してないねってバカにされた?
そういえばあの幼稚園、名札はひらがなで名前表記だったっけ。「ぺんぎんぐみ くみちゃん」って感じで。そっか、ってことは従兄弟達以外にも、私を「クミちゃん」と呼んでた男の子は結構いたのかもしれない。意識してなかっただけで。
「盛沢さんの友達?」
光山君がさりげなく一歩前に出て、ついでに私を後ろに押しやった。
別にユーシウス殿下の時とは違うし、とって喰おうってんじゃないんだからそんな警戒せんでも。
「あー、キミ知ってる! 光山 海人君だよね。ボクは小笠原 礼央っていうんだ。よろしくね」
しかし、彼の無駄な警戒行動のお蔭でとりあえず名前が判明した。
レオ君。はてさて、全く覚えのない名前だ。
だいたいさぁ、幼稚園の頃の記憶って、曖昧になってもしょうがなくない? よっぽど印象的なできごとでなければ。
お遊戯会とか運動会とかお泊り会とか、そういうイベントの写真に一緒に写ってる子のことはそれなりに覚えてるんだけど……。
「ボクはねぇ、クミちゃんの王子様なんだよ」
「「は?」」
あ、光山君と初めて心が一つになった気がする。
「おうじ、さま?」
あ、光山君が珍しく声に感情をにじませてる。
よっぽど驚いたんだなぁ。いろんな意味で。ちなみに私、驚きのあまり口が利けません。「は?」と声を上げたまま固まってます。
「うん。クミちゃんを助けてあげたから、ボクが王子様」
いやいや、「ねー?」なんてニッコリ笑って同意求められても困るっちゅーか。
助けてもらったって、いつだ? お泊り保育で川遊びの際にサンダル流されてコケた時? 運動会の大玉転がしで玉に潰されかけた時? お遊戯会の舞台の上で問題児にスカートめくられた時?
正直、あの頃から無駄にトラブル続きだったから心当たり多すぎるんだよね。
あぁ、問題児といえば、あいつのせいで死に掛けた事があったっけ。諸事情により、あの時の恩人のことだけ記憶から抜けてるんだけど。もしや、それが彼だったんだろうか?
私はじ~っと彼の顔を見つめた。小笠原君とやらは自分のセリフになんの疑問も羞恥もないようで、暴力的なほど無邪気ににっこにっこ笑っている。
だめだ、わからん。
「えーっと、王子様って?」
「えー、ほら、あのときクミちゃん言ってたじゃん、『たすけてくれてありがとう、わたしのおうじさま』って。忘れちゃった?」
……記憶にございません。
えー、言った? そんな夢見がちな事言った~? この私が?
「まぁ、しょうがないよね。あの時クミちゃん、すっごくショックうけてたみたいだし」
「あ、あはは……?」
いいや、今は曖昧に笑っとけ。お茶を濁そう。確信が沸くまではお礼は保留で! (だって、すっごく小さな恩だったりするかもしれないじゃん?)
「クミちゃん、昔『おうじさまとけっこんするの』って言ってたから、王子様って言われてうれしかったのになぁ」
「あはは、あはははは」
く、くるしい! この人の真意が見えなくて苦しい!
「ふーん、王子様と結婚ねぇ」
引きつったまま不自然に笑い続ける私をさすがに哀れに思ったのか、光山君が間に入ってきた。
「かわいい事考えてたんだね。子供の頃は」
若干棘を感じないでもないけど、乗った。その助け舟、乗った!
「ほ、ほんと、子供って何にも考えずにすごい事言っちゃうものね」
「でもこの歳になると、さすがにそんなに無邪気でもいられないよね」
「そ、そうですよね」
助け舟が泥で作られているような気がしてきた。でも後には引けない。
「ぇー」
小笠原君は、ぷーっと頬を膨らませた。ほんとにこの人同い年なんだろーか。
「うーん、まぁ、いいや。あ。ボクそろそろ行かなきゃ。またお茶しながら色々お話しよーね。そしたらきっと思い出すよ」
ばいばぁい、と、彼は来た時と同じようにぶんぶんと手を振り、去っていった。
そして、あとにはなんだかとっても不機嫌な光山君と私が取り残された。
「とりあえず、『色々』聞かせてほしいな。『お茶しながら』」
理不尽な怒りだと思うんだけど、なんだか逆らいにくいなぁ。ち、しかたない。
私はしぶしぶ、彼に連れられカフェに向かった。
……はやくおうちにかえりたい。