四月の脇役 その一
顔を洗ったら化粧水を念入りに染み込ませて、ほっぺの手触りがぷにぷにっとしてきたら日焼け止め入りの乳液を塗る。そして、ベビーパウダーでかるーく整える。ここまでは高校生の頃と同じ。
大学生になって付け加えたのはビューラーでまつげを持ち上げること。そして、リップの代わりに薄いグロスを塗ること。
大学生になったのだからとはりきって目力メイクなんぞした日には、あわれ目玉のお化けのようになってしまうので(だって元々目元がはっきりしてるんだもん)、私はあえて薄化粧で勝負だ。何と戦うのかと聞かれると答えに窮するけど。
えーと、まぁ、あれだ。『男子家を出ずれば七人の敵あり』という諺があるけれど、女の子も外に出ると色々大変なのだ。世間の目とか。化粧は女の戦闘準備だと言うからね! いつでも臨戦態勢、これが大事。
お次は性格を反映したかのように毛先だけあちこちはねている髪を、ヘアアイロンで頑張って伸ばす。(最後はいつもあきらめるんだけど)
あとは、ワンピースにボレロという簡単コーディネートで「盛沢 久実、大学生バージョン」ができあがった。
よしよし、派手すぎず地味すぎず、悪目立ちしない程度になったな、とエレベーターの鏡で最終チェックして、お気に入りのバレエのストラップをとめて、今日ばかりは最初から付き合ってくれるという母と一緒に玄関を出た。
……卒業式と入学式の違いってなんなんですか、お母様。卒業式は気が進まなくて入学式は張り切ってるのはどうしてなんですか、お母様!
学校にたどり着き、早速校門と桜をバックに記念撮影。基本だし、このくらいは撮っておかないと。基本的に写真は苦手だけどね!
誰かと約束があるという母を校門に残し、私はさっさと一人で受付を済ませ会場に入った。母もここの卒業生だから、もしかするとお友達の子供も入学したのかもしれない。
親同士が友達だとなし崩し的に子供同士も友人になることを期待されるものだから、なるべく顔を合わせないようにしなくては。(だってその子と私の相性がいいとは限らないじゃないか)
入学式はとても退屈に進んだ。学長先生の挨拶は流石に背筋を正して拝聴したけれど、あとはもうダルダルだ。
次々にマイクの前に立っては似たようなスピーチをするなんとか議員のなんとかせんせいの話なんて、関係者以外一体誰が真剣に聞いてるっていうの? 楽しい?
ところが、いい感じに半分うとうとしかけた私の耳に、とんでもないアナウンスが飛び込んできた。
「入学生、代表。経済学部、光山 海人君」
「はい」
やけに通る、甘い声が、会場に響いた。
そして、同姓同名の似たような声をした別人かもしれない、なんて希望的観測で現実逃避する間もなく「ヤツ」が壇上に現れると、会場全体に漂っていた眠気が吹き飛んだ。こう、色めき立ったというか? 主に女の子たちの目つきが変わったというか。
……え。アレ? なにがおこってる、の?
それから式が終わるまでの記憶がほとんどない。寝てたんじゃなくて気絶してたんだと思う。
式が終わり、ふわふわした足取りで(浮かれて、じゃないよ?)母を探して校門までたどりつくと、なんだか見たことのあるようなないような女性と楽しそうにおしゃべりをしているのを発見した。背がすらっと高くて色素が薄くて、目鼻立ちがパッチリしてて……。誰かに似ている。誰かっていうか、ええと。
声をかけるのがなんだか怖いような気がして(だって、だって!)そっと近づくと、その女性が私に気付いてにこりと微笑んだ。
「まぁ、クミさんね? すぐにわかったわ。初めまして。息子がお世話になっております」
「あら、久実ちゃんったら。声かけてくれたらいいのに」
「……ごめんなさい、お話の邪魔しちゃ悪いと思って」
なんだか盛り上がっていたような気がするしね。あぁ、恐れていた事態が着々と進行していく気がする。母親同士が仲良くなって~、盛り上がって~、のパターン。ひぃぃぃ、どうしよう!
けれど心とは裏腹に、私もにこりと笑顔を作り、お辞儀をした。(お愛想は反射だよ)
「初めまして。ええと、光山君のお母様、ですか?」
いや、聞くまでもなく絶対そうだと思う。だって似てるもの。お綺麗な顔立ちだけじゃなくて、雰囲気からして似てるもの! ノーブルそうな、柔らかい笑顔といい。(でも息子さんと違って裏がなさそう)
そういえばうちの母とジムでお友達になったと聞いていたけど……まさか子供の入学式に待ち合わせするような仲になってたなんて。
「ええ、海人の母です。本当に、可愛らしいお嬢さんねぇ」
「い、いえ、そんな」
どうしよう、ものすごく好意的な視線だ。確かに私って大人受けは良いほうだし、これはとっても役に立つ特性ではあるけれどこれはいかん。いかんよ。
いつか見た悪夢(流されるまま光山君と結婚して、劣等感に苛まれる夢)を思い出し、私は一歩後ずさった。と、背中に何かが当たる。
「おっと」
「ぅひっ」
真後ろから聞こえたのはあの甘い声。振り向かなくてもすぐにわかった。
「こ、光山君」
「おまたせ。さ、行こうか」
行こうかって、どこに。駅だよね? 駅までだよねぇ?
校門の周りは、サークル勧誘のビラ配りで大変な賑わいだった。
光山君は大層目立つので早速綺麗なおねーさん達が群がって来て、彼の手にビラを押し込んでいる。隣にいる私にも、ついでに。……なんだこの「恋愛クラブ」って。
こんな混沌を極めたような人ごみの中を四人で移動なんて、絶対はぐれると思うんだけどな~? (むしろはぐれたい。私が)
けれども彼はナチュラルに私の手を取って、先導して歩き始めた。あぁ、デジャビュ。あまりに自然すぎて思わず素直に手を預けちゃったよ。そうだよね。こうやって歩くの、初めてじゃないよね、私たち。
だけど……、だけど、お互いの母親の前でこうやって歩くのはどうかと思うんだ!
あ、ほら、後ろからすごく生暖かい視線でついてくるよ? なにこれ、お見合い? いつ「あとはお若い人たちで……」なんて言い出されるか、っていう雰囲気なんだけど。
「あの、確か理Ⅲに受かったって聞いたんですけど……」
こそっと小さな声で問いかけると、彼はシレっと答えた。
「うん。でもオレ、父の会社を継ぐからね。医学部に行くより、こっちのほうが良いんだ」
「じゃぁなんで受けたんですか!」
「先生に、受けるだけでもって勧められてね?」
あー、うん。つまりあれね。「○年度、○大学 ○学部 合格者○名」のアレのためですか。そりゃぁ、大人の都合だなぁ。でも、本気で入学したくて受験した人たちに一言謝っとけよ。カチンと来るよ?
「なんで教えてくれなかったんですか?」
私はさっき、あんまり驚いたせいで文字通り魂が消えかけたんだからね!
「ビックリするかと思って」
彼はにこっと、悪意のかけらもなさそうに微笑んだ。まぁ、悪意じゃないんだろうけど。ただ単に、私をからかっているつもりなんだろうけど。
「あなたって人は……」
これからの大学生活も、こうやっていじられ続けるのかなぁ。これじゃぁ恋人なんてできそうにないなぁ。(いらないけど。心穏やかに暮らせればそれでいいんだけど)