2月の脇役そのさん
この学校の保健室は、いわゆるミステリーゾーンである。七不思議があるとか、そういう理由ではなくて、養護の先生の存在がミステリーなのだ。誰もその姿を見たことがない。
保健室はいつ訪れても鍵があいていて、カーテンの向こうに白衣を着た人影は見えるのだがそれだけだ。訪問者が「怪我をした」「薬が欲しい」「寝かせて欲しい」と要望を言うと、その人影は立ち上がりもせず、一言も発せずにカーテン越しにすぅっと指をさす。
自分で勝手にやれ、というわけだ。
救急箱、薬箱はとても分かりやすく整頓されているし、今のところ大怪我をした生徒は出ていないのでそんなに問題になった事はないが、ただひたすらミステリーなのだ。
なんとかその正体を暴こうと果敢にもカーテンを払いのけてみた生徒も何人かいたらしいが、何故か皆、転んだり頭を打ったりして、そちらに気をとられた隙に先生はいなくなっていた、というエピソードばかりが増える。
……怪しいから、特に今年は近寄らないようにしてたんだけどねぇ。しかも12月にはここで一回怖い目にあってるしさ。早く薬だけもらって退散しよーっと。
「失礼します。頭痛薬が欲しいんです」
学年、組、名前など言わなくても、いつの間にか名簿に書かれているので目的のみで良いらしい。人嫌いのわりにすごい記憶力ですね、先生。
返事も待たずに薬箱を探っていると衝立の向こうで立ち上がる気配を感じた。えええええええ!
え、流石に指さすまでは待つべきでした? 確認もせずに探ったから腹がたちました? ごめんなさい! 謝るからイレギュラーな行動とらないでください!
「盛沢、久実……」
初めて聞く先生の声は、思いのほか美しいテノールだった。もっと聞き取りにくくてボソボソしゃべるタイプかと。いや、だって、人嫌いってそういうイメージなんですごめんなさい。
「君は、興味深い」
先生の手がカーテンにかかり、さっと横にひいた。ひぃい、誰も見たことのなかった先生の姿がついに明らかに!
カーテンの陰から現れたのは、白衣を着てメガネをかけた超美形……ではなくて、若干メタボ気味で頭頂部が寂しげな残念なおじさんだった。ミステリーって、正体を現した途端魅力が半減するものだけど、これはもう半減どころではない。ちょっと歯軋りしたい程度に悔しい。声が素敵だったから余計に。
「君が、彼らの言うバグなんだね?」
すごく気になるセリフだったんだけど、カーテンの向こうで言ってくれればなぁ。密かな期待を裏切られたショックが強くてあまり動揺できないよ。
保健室のドアが開いて、菊池君、中川君、松澤君が入ってきた。そっかぁ、こいつらグルだったのか。頭痛がひどいとはいえここに来てしまったのは軽率だったな。保健室と相性が悪いのかもしれない。肝に銘じておこう。
「彼女はまだ特定の相手はいないはずなんです。でも親しい相手は何人かいる。だから分類は紫に設定したつもりです。なのにエラーが出るんです。もちろん他の設定も試しました」
中川君が先生に訴えるのを聞いて、やっと自分の分類が分かった。
そっか、私ピンク組じゃないのか。よりによって篠崎さん、野島さん、手越さんと同じグループか……。いや、うん、いいんだけど。一番クセのある人達グループだよね? あー、頭痛がまた酷くなった。
「パラメーターも見えないし。俺も輝も、彼女に接触してからゲームの調子がおかしいんです。やたらと好感度ダウンするようになって」
「それはたぶん、二人が余計な一言付け足すせいだとおもうよ……?」
例えば「○○さんって可愛いね」に「ネズミに似てる」とか「あれ痩せた?」(これ自体もちょっと地雷含んでるけど)に「足首ができてるよ」とかな。前半でしゃらららら~ん、となって後半でぷっきゅる~ぅ、と鳴るのだ。いい加減に口を閉じろっつーの。
「いいや、バグのせいだ!」
しかし菊池君は頑として自分のミスを認めない模様。出入り口は3人に塞がれているし目の前には謎の先生。ぴんちだよー、絶体絶命だよー。
先生はふむふむと頷きながら私をじろじろと上から下まで観察した。いやらしい視線は感じなかったけど、正直気持ち悪い。
「なるほど、こんな低レベルの星でも次元を超える術が発見されていたとはね」
んん~?
「君は別な次元に恋人がいるのだね? なるほど、そのようなパターンは考えていなかったよ」
んんんんん~?
低レベルな星とか別次元とかもなかなかアレなんだけど、恋人ってのはなんでしょね。
「別な次元?」
あ、中川君が食いついた。
「それはつまり……」
身を乗り出して詳しく聞きだそうとした中川君が、いきなりひっくり返った。続いて、菊池君、松澤君もころりと転がった。え、なになに?
あんまり一瞬の事で気が付かなかったけど、保健室のドアが開いていた。そして、そこには珍しく笑っていない光山君。
あれぇ、今もしかしてその長い足で3人を蹴っ飛ばさなかった? 残像っぽいものが見えたような気がしたんですけどね。
「彼らの様子がおかしいからつけてきたんだけど。本当に、君は……」
真面目な顔でため息をつかれた。いちいち困った子扱いしないで欲しいな! でもここは助けてもらわねばなるまい。
打ち所が悪かったのか転がったままの3人を迂回して光山君の背中にささっと回りこむ。頭痛を悪化させてはいけないのであくまでもそっとね。
このままドアから出ちゃだめですかねぇ? しかし光山君が私の腕をぎゅっとつかんでしまったので逃げるに逃げられない。一緒に逃げようってばぁ。こんなおっさん相手にするとろくな事ないよ。
「光山 海人か。君も次元を超えているんだね。あぁ、なるほど。君が彼女の恋人なのか」
「婚約者です」
まだそのネタ引っ張るのか。そんな口からでまかせの設定を……いや、あれ? その設定がきっちり有効だから私がバグったのか?
「君たちのようなイレギュラーが混じっていると、私の計画に支障をきたす。消えてもらおうか」
……この一年何だかんだと逃れ続けた「消えてもらおうか」をとうとう聞いてしまったよ。しかし、ゲームを使った計画って一体なんだよ。聞きたくないけど。でもぺらぺらしゃべるんだろうなぁ、こういうタイプって。
「改造したゲーム機をばら撒いて手駒を増やし、更に人類を恋愛ゲームにとりこんで、
地球人をメロメロにして平和に支配しようという私の計画に、君たちは邪魔なのだよ!」
「めろめろ……」
めろめろという単語が古すぎて新しく感じるとか、そういうことは置いといて、そんな計画立てたにしては手駒がちょっと力不足だよね。こちらにいらっしゃる光山君でも抜擢すれば良かったのに。そうすれば、わざわざ恋愛ゲーム使わなくても計画が成功したかもしれないのに。
しかし、道理で女の子たちが彼らの不自然な変化を受け入れたわけだ。ゲームにとりこまれていたせいなんだなぁ。ここにきてやっと、彼らの激変を女子がすんなり受け入れた理由がうっすらとわかったよ。
兎にも角にも、自分の思考回路が女性らしくないのだろうかという悩みから解放されて、私は心底ほっとしたのであった。