9月の脇役そのに
「あらあらぁ、盛沢さんじゃぁないの」
ぐったりした向原君を傍の机にもたれさせてから、貫井さんはわざとらしく目を瞠って驚いたような声を出した。うぅ、なんて悪役っぽいんだ! ネズミをいたぶるネコのようだ。いっそのこと一思いにお願いします、痛いの怖い、怖いの嫌い!
二人が抱き合ってごにょごにょしていたわけではないのはよぅく分かった。えっと、多分お食事中とかだったんだよね? 貫井さんはきっと、向原君の唇ではなくて血管に吸い付いていたんだよね? お邪魔してごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
「まずい所を見られちゃったかしらねぇ」
はい、まずい所を見ちゃいましたごめんなさい。でもさぁ、教室でそんな、見られてまずい事するほうが絶対悪いんだって。教室はみんなのものです。誰にでも忘れ物を取りに来る権利があります!あ、逆らうつもりはないんです生意気言ってごめんなさい。
貫井さんはゆっくりこちらにやってきた。動けない私の頬を人差し指でつーっと撫でて、うふふ、と笑う。な、なんか退廃的な色っぽさがとっても怖いですよ!
「可哀想だけど、見られちゃったからには仕方ないわねぇ……」
ひいぃぃ、いやー!
「……あやめちゃん、からかいすぎだよ。盛沢さん泣いてるじゃないか」
いや、これは目が乾いたせいで……あ、でもやっぱり怖かったせいかも?
ところで今の心持ちうっとりしたような声は向原君のですか。「具合が悪いので保健室に行ってきます」以外のセリフ初めて聞いたよ。
普段から、見るからに「貧血です」という顔色の、線の細~い可愛い男の子で、背もそんなに高くはない。むしろ貫井さんのほうが高いんじゃないかと思えるくらい縦にも横にも小さめな彼は、まだ立ち上がることはできないようだ。
え、でも、からかってるだけなの? ほんとに?
「うふふ、だって盛沢さん、泣かせてみたかったんだもの」
泣かせてみたいってなんだよ!小学生の男子か!
貫井さんがぱちん、と指を鳴らすと、やっと硬直が解けた。今度は私がその場に崩れ落ちた。あぁもぉ、怖かった、辛かった。ぱちぱち、とまばたきをすると、溜まっていた涙がとうとう落ちてきた。ちくしょー。
「でも、見られちゃったんだもの。このまま、はいさようなら、というわけにはいかないわ」
そうですよね、今までもそのパターンに何度も何度も苦しめられてきたので、分かります。
「私、誰にも言ったりしないから」
分かるけど一応、言っておかねばなるまい。
「盛沢さんは口が堅い子だっていうのは知ってるわ。でも……」
あの、ほんとさっきから顔を撫でるのやめてくれないかな。なんだか手付きが怪しげで落ち着かないしさぁ。
あと、顔近すぎ。その美しくて長い御髪が鼻先くすぐって困ります。
「あたし、あなたの血を吸ってみたいって、ずぅっと思ってたのよ」
…? …………! ………………! (宇宙語再び)
ち、血を吸ってみたいって、ずっと? ずっとっていつから!
「せっかくばれちゃったんだもの。ね、いいでしょ……?」
耳元で囁かないでぇ! こそばゆいから、なんか力抜けるから。やめてー、やめてええ! ひぃ、涙を舐めるなあああ!
あと、なんか目的が、口止め<吸血になってるように聞こえるんだけど!
「や、あの、私、困りますっ」
「大丈夫よ、あたしの血を逆に飲まない限り、ヴァンパイア化したりはしないから。ね?」
え、そうなんだ。吸われただけで吸血鬼になっちゃうんだと思ってた。でもそれとこれとは話が別だからね!
「あやめちゃん、僕の血に飽きちゃったの……?」
向原君が、不安そう(というより不満そう?)に言った。
飽きちゃったって、やっぱりずーっと向原君の血を飲んでたんだ? だから彼はいつも青白い顔ですぐいなくなっちゃってたのか……。そんな難儀な人のことを、球技大会の雑用サボりやがってこのもやしっ子! とか思っててごめん。でも嬉々として吸われてるんだよねぇ?
あれ、やっぱり自業自得だよね。趣味のためにクラスの行事サボってるようなものだよね、このダメっ子!
「あら、悟ったら妬いてるの?大丈夫、盛沢さんは、オヤツ、よ」
おやつだとぅ! せめてデザートとか可愛い言い方してよ。
なんだかあの細い向原君と比べると、私って大福っぽいじゃないか。せめてイチゴ大福くらいにはなりたいものだ、って違う違う違う。
「ね、盛沢さん。怖がらなくていいのよ。それに、とっても気持ちよくしてア・ゲ・ル」
吸われたあとの向原君の様子を見ればなんとなく予想はつきますけどね! でも、私まだそんな快感とか求めてないから。知りたくないから。向原君みたいに常習者(いけないお薬みたいなものでしょ?)になりたくないんだってば!
必死でいやだいやだと拒否しているうちに、とうとう最終下校時刻になった。貫井さんは大変残念そうだったけど、「今日のところは諦めるわ」と言って、力の抜けきった向原君を担いで(力持ちだなぁ、さすが吸血鬼)帰っていった。私は、なんとか自力で帰路を辿った。
結局口止めもされなかったけど、いいのかなぁ? まぁ、誰にも言わないけど。言えるわけないけど。あぁ、また知らなくていい秘密を知ってしまった……。
翌日、朝っぱらから貫井さんの「おねがぁい、一口でいいから~」がまた始まった。
教室の真ん中で平気でそんなこと言うものだから、勘違いした三人娘達が「なになに、何かおいしいもの作ったの?」と寄ってきたりするし、もうほんとに……。いや、作ってるんだけどね。血って、自分の身体で作るものだもんね。でも君達にとって美味しいかどうかは保証できないというかね?
とりあえず人前で「一口~」というのを止めてもらうべく、私は貫井さんと向原君を、放課後資料室に呼び出した。今日は会長もあっちには行っていないのを確認済みだし、内側から鍵もかけた。準備は万全だ!
本当は今日、文化祭の準備している人達に差し入れにいくつもりだったんだけど、優先順位が変わったのだ。ごめんね、みんな。
「なぁに、吸わせてくれるの?」
「そうじゃなくて……。昨日は結局何も聞けなかったから」
向原君との関係とかちょー気になるよ。しかしまずは一つ目。
「そもそも何故私の血を吸いたがるの?」
そう、「バレたから口封じに吸う」というより「目を付けていた相手にバレたから開き直って吸っちゃえ」という言い方が気になって気になって、昨夜はなかなか眠れなかった。お肌が荒れてしまう。
もしかして私、「ヴァンパイアに狙われやすい体質」とかだったりする? この先一生、他の吸血鬼の皆様からよってたかって狙われたりしちゃう? いくらなんでもそういうお話のヒロインは遠慮したいんだけどな!
「教えたら吸ってもいい?」
どんだけ吸いたいんだ。
「……ちょっとだけなら」
でも、情報料だと思えば仕方ない。献血のようなものだよね。あ、向原君がこっち睨んでる。そんな顔しても全然怖くないよ? 可愛いよ? チワワみたいで。
「盛沢さんって、なんだかんだ言ってまだオトコの匂いが付いてないのよね。だから、おいしそーだなーって」
それはええと、えーっと、そういうことですか?
ていうかなんだかんだって、なんのことですか。いや、予想は付くけど。聞きたくないよ。どうせ会長とどうのこうのだろう、けっ。どいつもこいつも好き勝手言いやがって。そのせいでこのまま恋人作れなかったらどうしてくれる!
「それにぃ、な~んか……魔力の匂いがする」
あぁ……。
それは、誰かからうつったんだろうなぁ。会長か、それとも魔女っ子か。はたまた穂積さんか。5人戦隊は、あれは魔法じゃないからな。
つまり、まとめると「穢れなき乙女で、なおかつ魔力の移り香があるからおいしそう」と、そういうことか。徳の高い聖職者が狙われやすい、みたいなものか。吸血鬼モノって、やたらシスターが狙われるもんね。納得納得。
でも、じゃあ他にも候補はいるだろうよ。それこそ魔力をお持ちのご本人の、魔女っ娘達とかさ。彼女達こそ将来が心配だ。あと、会長とかどうっすかね? すごく吸血鬼に好まれそうな気がするけど。あ、でもアレが吸血鬼にでもなったりしたら今度こそ手が付けられない事になる。ヤメテー。
「何より盛沢さんって、容姿がスゴク好みなの。悟の次くらいにすき」
それはアリガトウゴザイマス。
ってぇことは、貫井さんの個人的な好みに合ってしまった、というだけなんだな。あぁよかった。高校卒業したら連中とも縁が切れる(予定だ)し、この先一生怯えなくても良さそうだ。助かった、今回も脇役で。