9月の脇役そのいち
新学期。これだけで憂鬱になる理由としては十分だと思う。
加えて最近の異常気象のおかげでまだまだ体感温度は夏真っ盛り。徒歩で登下校している私にとってはかなりの苦行だ。全室冷暖房完備であることを理由に選んだ学校ではあるが、中、高、大学と、そこそこ広い敷地を確保するためか若干高台に建っているので行きは特に辛い。でも坂道を自転車で行き来して転んだら惨劇が起こるに決まっているので、あくまで徒歩だ。頑張れ私。
今月は文化祭がある。各クラスごとに何らかの出し物なり研究発表なりをしなくてはいけない。うちのクラスは外部受験者も少ないので多少余裕もあることだし、何か凝ったことをしよう、ということになった。(こういう時の盛り上がり具合って、クラスの気質が浮き彫りになるものだよね)私? 外部の推薦狙ってますよ。だから内申点セコセコ稼いでるんですよ。クラスの行事にもそこそこ積極的ですよ、運動系じゃなけりゃぁな。
で、うちのクラスはお化け屋敷をする事に決まったようだ。……お化け屋敷。お化け役として是非とも推薦したい連中がいるんですけど。「変わった人魂」役ができそうな、光って浮く毛玉とか、飽食の時代を象徴する「食べ物のもったいないお化け」役ができそうな、浮かんでくるくる回るキャベツとかな。
あぁ、でも怖さより物珍しさが勝ってしまうか。それじゃ見世物小屋だよね、うん。そもそもあの存在を公にできないもんね。残念至極。
そしてこのシーズンは、各ステージやら屋台やら後夜祭やらを管理、主催する文化祭実行委員達が俄かに忙しくなる。裏を返せばこの時期にしか活動しないので、おいしい委員会といえるはずなのだが……。はい、ここで問題です。うちのクラスの文化祭実行委員は誰でしょう?
一人は平井君という、剣道部に所属する真面目で律儀そうな人だった。(密かにこの人と竜胆君で是非剣道関係のイベントを起こして欲しいと切に願っている)しかしもう一人は、なんと運の悪い事にスーパー戦隊のピンクちゃん、つまり水橋さんなのであった。
水橋さんは5月以降大層忙しい身なので放課後の実行委員の会議なんぞ出ていられない。授業中でさえ腕輪に締め上げられ、ぷるぷるしながら耐え忍び、休み時間になったとたんに飛び出してゆく日々だ。(なんか三蔵法師から頭に変な輪っかをはめられた孫悟空みたいだよね。なんだっけ、きんこじ? とかいうやつ)会議に出られなくなるたびに「妹が熱を出して」「その妹の風邪が母にうつって」「母の風邪が会社中で流行ってしまい、責任を感じた母が毎日残業で!」と無茶な言い訳を繰り返して(言い訳の監修は私と根岸さんデス)なんとか平井君に一人で出てもらっていたが、そろそろネタ切れしてきた。
そこで、とうとう本日、頼れるサポート役の私が彼女の代わりに会議に出席するハメになったのです! うにゃー、めんどくさい。
まぁ、代理です、と言ってあるし、水橋さんのお役目は文化祭二日目の午後のパトロールという無難なものなので、とりあえず席に座っていれば良いんだけどね。時間を拘束されるの好きじゃないんだよね。本も読めないし。下校時間遅くなるし。
文化祭が四日後に迫っているせいか、会議は予想以上に長引いた。といっても、異常なほどテンション盛り上がってしまっているごく数人だけがああでもないこうでもないと言い合って、自分達だけで何事かに大ウケして、脱線して……という、あまり実の無い時間だったんだけど。
これ、全員集めなくても、自分達だけでファミレスでも行って話せば良くない? 座ってるだけで6時とかどういうこと。けれども流石に皆様お腹が空いたようで、やっと解散の運びとなった。あぁ良かった、さぁ帰ろう、と思った私は本当に偶然、気がついた。
アレ、携帯机に入れっぱなしだ。
私は別に携帯中毒ではないし、一晩くらい手元に無くても平気な人間だ。むしろ最近は、ヤツ(名前を言うと出てくる気がする)からのメールを見るたびに無茶な事頼まれるんじゃないかとビクビクする日々なので、(まぁ、穂積さんの様子とか、姫君達からの伝言とかばっかりだけど)置いて帰っても全然問題はない。
だから、これは本当に気まぐれ。水橋さんに「会議終わったよ。でも全然意味なかった」って報告しよう、と思いついただけ。私は、教室に向かった。
9月の日没は昨今の気温にそぐわず早いもので、外はもう真っ暗だ。とはいえ文化祭の準備のため最長7時まで残って良い事になっているので学校の中はまだ煌々と電気がついている。
うちのクラスは早々に、会場を教室ではなくてクラブ棟(と、呼ばれてはいるが、ミーティング用に好きに使っていいよ、という空き教室が10部屋あるだけの建物。当然冷暖房完備)の一室を押さえてあって、作業はそちらでやっているはずだ。お化け屋敷をどうしてもやりたい! とやたら張り切っていた篠崎さん、野島さん、村山君(は、他の二人に無理に賛同させられていたような……?)が主導で、なんか色々頑張っているらしい。
私は一応、外部受験組なので準備は免除してもらっている。当日、お化け屋敷の受付を2時間ほどと、あとは例の資料室に積んである古本バザーの売り子を1時間ほどするだけなので大変気が楽だ。でも一度も顔を出さないのも悪いな、明日には何か差し入れもっていこう、と暢気に考えながら、他所と違って真っ暗な教室に足を踏み入れた。
窓際の一番後ろというわかりやすい席(便利だけどイベントごとも起きやすそうな席ともいう)なので、電気もつけずに。
目が暗闇に慣れて、そして私は気がついてしまった。あ、誰かいる。しかも二人。
うっわぁ、やってしまったぁ! 夏休み後半、そこそこ普通の女の子してたせいか、警戒心鈍ったなぁ。(あれを普通と称するあたり、もう普通じゃないよねなんて言いたくない聞きたくない認識したくない)二人はどうやらしっかりと抱き合っているようだ。うん、まぁ、電気付けたくなかった気持ちは解らなくもないけど、そもそも学校でそんな、さぁ……。
特に気を使わずに音を立てて扉を開けて入ってきたので、おそらく二人とも私に気付いてるんだろう。なのに何故離れんのだ! ええいけしからん、神聖な学び舎で! ところでアレは、誰と誰? 男の子のほうがこちらに背を向ける形で、なんだか相手にぎゅーっとしがみついているようにも見えた。その相手は……出席番号16番、貫井 菖蒲さん?
ふ、風紀委員がなにやってんだああああああ!
いや、そりゃぁ、常日頃からなんだか気だるそうな色気を振りまいていて、漫画に出てくる保健室の先生みたいな人(すごい偏見)だとは思っていたけど。男の子のシャツが若干はだけているようにも見えるんだけどほんと何してんの。
貫井さんがおもむろに顔を上げ、こちらを見据えた気配がした。目が合ったと思った途端、私の身体は硬直した。え、あれ?
彼女の目が、暗闇の中赤く光ったように見える。あれだ、赤外線の光みたいな、ああいう光りかた。私はただひたすら、動けない。あぁぁぁ、携帯を取りに来たばっかりにぃぃ! 男の子の肩越しに、彼女は目を細めて笑ったようだった。
……うん、よくわかんないけど解った。アレは、ヒトでは、ない。
そっかぁ、なんかもう、人じゃないけど人語を話す生き物がこの世にいる事は分かっていたので特にどうこう騒ぎ立てるつもりは無いんだけど、でも私、今危ないんじゃないかなぁ。どう考えても「見られたからには……」直行コースだよね。指先一つ、睫毛一本動かせないからどうしようもないんだけど。あ、目が乾く。まばたきくらい許して、お願い。
まばたきのできない辛さに生理的な涙がこみ上げてきた頃、やっと彼女は男の子から身体を離した。お陰で私の目もかなりこの暗さに慣れましたよ。もう、はっきり見える。
崩れ落ちた彼は、おやおや、出席番号28番、向原 悟君じゃないですか。珍しい。いっつもいないのに。すぐに「保健室に行ってきます」と言ってはそのままエスケープする人なのに、よりによってなんでまた……は!
向原君から貫井さんに意識を戻すと、彼女はにたぁ、と笑った。怖っ! 何その笑い方、こわっ!
唇の間から、鋭そうな犬歯が見えた。
緊箍児(きんこじ) 三蔵法師が呪文を唱えるとこれが孫悟空の頭をぐぃぐぃ締め付けて言う事を聞かせる、という鬼畜アイテム