二月の脇役 その五
子竜の下敷きになっている物体に、私は見覚えがあった。私に限らず、日本人なら誰でも一度は見た事があると思うんだ。例えばどこかの街角で、お店で。
なんでも「他を抜く」と掛けて商売繁盛の縁起物として好まれている、らしいけど、私はあんまり好きじゃないんだよねぇ。だってあんまりかわいいと思えないんだもん。特に、去年のあの事件の後は!
そう。ソレはかの有名な信楽焼の狸であった。(がくり)
ちゃ、茶色と白のモフモフだっていうからてっきりリスとかモモンガとかちいちゃなお猿あたりだと思ってたのにぃ!
うわぁん、なんか夢が壊れた。小生意気だけど黙っていればかわいい男の子が肩に小動物のせてきゃっきゃうふふしている情景を思い浮かべた私の和み時間を返せっ!
いや、確かに執事さんの言っていた特徴には合致するんだけどさ。体色は茶色と白、哺乳類っぽくて、素早くて姿を見せず、他に見た事のない「生き物」。(だよね、アレが生きて動いてるところなんて、普通見ないもんね)
でもさでもさ、「いつも衝立を持ち歩いている」っていう最大にして重要な特徴こそ教えてくれないと!(今だって網戸の隣に倒れてるじゃん)
……じゃぁなにか、拓馬坊ちゃまはあの宇宙狸を「ペット」にしていて、執事さんはそれを(建前としては反対していたものの)許容したってのか。
なんで? あからさまに怪しいのに! あんなの大事な坊ちゃまに近付けちゃダメでしょ?
っつーか、おちびもなんでソレを飼おうなんて考えた? そんなにペットに向いてない生き物も珍しいと思うんだけど。だって、その正体は世界征服企む悪い宇宙人だよ~?
「う~ん、どうしたんだポン太郎……」
「私の名前はポン太郎ではないが、少年よ助けてくれ」
「ポコ太郎、その青いのは何だ?」
「私の名前はポコ太郎でもないが、これは*$%*の幼生だ。この地ではドラゴンと呼ばれている」
宇宙狸は案外冷静に坊ちゃまとやりとりしている。一々呼び名を訂正しようとするあたり、むしろその受け答えには律儀ささえ感じられる。
そうかそうか、そうやって寂しい子供の心に付け込んで、ペットという地位に甘んじるふりをして潜伏していたのか。なんて悪いヤツだっ! 早く宇宙警察に突き出さないと。
幸い、子竜が押さえつけているお蔭か逃げ出す気配はない。よしよし、あとでご褒美に胡桃あげるから、もうしばらくそのままでいてね~。
「坊ちゃま、ご無事ですかっ!」
執事さんが血相を変えてベッドに駆け寄った。
当の坊ちゃまはそこでやっと私達に気付いたらしい。がばりと布団を跳ねのける勢いで上体を起こした。
「な、なんだお前達っ! ボクの許可なくこの部屋に入るなって言ってるだろ!」
「申し訳ございません、ですが大きな音と悲鳴が聞こえたので……」
「ボクは寝てただけだっ! わかったら出ていけっ。あ、絶対警備の者を入れるなよ!」
「ですが!」
うぅむ。大人の考えでは、執事さんがこうやって飛び込んだのも、そしてSPさんがかけつけてくるのも正しい。だって、そのためにお向かいに住んでるわけだし?
だがしかし! ケセラン様は言いました。
『この計画で肝心なのは、他の目撃者を正確に把握して、できる限り記憶を消しておくことなう。あの日、この近所で*$%*を見かけたものがいないか、オマエが調査しておくなう!』
……そうなんだよ、あとで記憶を消すにしたって、目撃者は少ないに越したことないんだよ。しかもここにいるのは子竜だけじゃないっていうね? 考えていた最悪の、更に上をいってしまったパターンなんだよね。
執事さんはどうやらおっとりした性格だからあの化け狸に関しては「そんな生き物もいるのかもしれない」でスルーしているようだけど(あるいは、深く考えたら負けだって思ってるのかもしんないけど)、SPさんはさすがに動揺するだろうし。
ということは私がとるべき行動は、坊ちゃまの援護射撃だよなぁ。はぁ……。
「あ、あの、どうやら拓馬君は本当に無事みたいですし、あまり大事にしない方が……」
「いいえ、坊ちゃまが寝ていらっしゃる部屋でこんな事が起こってしまったからには、旦那様と奥様にもご報告しなければ! あぁ、やはり一人暮らしなど危険です。お屋敷に戻りましょう」
「いらないっていってるだろ! ボクは絶対家には戻らないんだからなっ」
「まぁまぁ、そんな理由で連れ戻したら、拓馬君がかわいそうじゃないですか」
小学生が、親の所有する屋敷に戻ることのどこが可哀想なのかは、実は私にもよくわからんが。
「拓馬君なりに一生懸命考えて、覚悟したうえでの家出でしょう? 納得の行く話し合いの結果ならともかく、大人の考えを押し付けて否応無しに従わせるだけじゃ、ダメだと思います!」
ちなみに私は、子供時代「ならぬことはならぬ」と言われて育ったクチだけどね! 私自身、「なんでいけないのー? ねぇなんでなんでー?」なんてしつこく粘るタイプじゃなかったから、特に不満はなかったんだけど。
まぁ、このおちびは、なぁ……。
「管理人……」
う、おちびが感動したようにこっち見つめてる。ヤバい、無駄に懐かれるフラグ? 私子供苦手だし、そいつぁちょっと困るんだけど、今はなんとか執事さんを丸めこむのが優先だよね。
「お嬢さん、しかし」
「その通りだ、盛沢久実」
執事さんがなおも反対しようとするのを遮って、美しいテノールが静かに私の言葉を肯定した。
「子供とはいえ一人の人間。まずは話を聞いてやってくれないか」
子竜に潰され、網戸の下敷きになったまま、狸はこっちをじっと見つめていた。
子竜はにおいを嗅ぐのに飽きたのか、そのぽよぽよのお腹の上で弾んで遊んでいる。あ、いやそれはさすがにちょっとやめてあげようね? 多分苦しいんじゃないかな~?
「狸穴先生……」
無意識のうちに、私は彼がかつて保健室の先生だったころの名前を口にしていた。
正体がわかれば一発で覚えられる名前だよね、「狸穴太郎」って。は、さっきからおちびがポン太郎とかポコ太郎とか呼んでたのって、本名のアレンジバージョン?
「久しぶりだな、盛沢久実。まさかこのような形で再会するとは」
できれば会いたくなかったけどね! まぁ、時間を巻き戻すリモコン騒ぎ以降、いつかは顔を合わせる事になるんだろうなぁ、と思ってはいた。
ねぇ、やっぱり私、この狸に狙われてるの? なんで?
「知り合いなのか?」
私と狸が微妙な表情で見つめあっていると、間におちびが割り込んできた。そのまま狸の方へ向かう。
あ、もしかして子竜どかそうとしてる? それはちょっとお待ちなさい。
慌ててはしっとその手を掴んで引き寄せると、おちびはぽすっと私の胸におさまった。途端に耳まで真っ赤になって暴れ出す。
おー、もしかしていっちょまえに照れてる? まだ子供なんだからそんな気にしなくてもいいのに。
「だぁめ。あの生き物に不用意に触ると大変な事になるから」
「あ、あの青いのはなんだ? ドラゴンって聞こえたぞ!」
「え、えーと、あれはその、ドラゴンっていうか、その。あ、コモドドラゴンの変種、みたいな?」
「コモドドラゴン?」
「そうそう。だから危ないの」
あの巨大トカゲ、毒を持ってるらしいよ! まぁ、実際子竜の危なさは更にそれを上回るわけだけども。
「それじゃタヌ太郎も危ないじゃないか! はなせっ!」
「私の名前はタヌ太郎ではない、狸穴太郎だ。太郎と呼べと言っているだろう。まぁそれはともかく、いい加減この*$%*をどかしてくれないか、盛沢久実。コレは君のだろう? 安心しろ、私はもう逃げない」
暴れていたおちびは、狸のこのセリフを聞いてピタリと動きを止めた。そして、ぎこちなく私に振り向いた。
「まさか、お前もやつらの仲間なのか?」
「?」
やつらってダレ。
「タヌ太郎を狙っている悪の組織の、仲間なんだなっ!」
憎しみと恐怖、そして悲しみを湛えた目が、私を睨みつける。
……えーと。
どゆこと?