二月の脇役 その四
『お坊ちゃまのお世話をするために通っているだけであって、自分は他所に住んでいる』
その言葉がただの大人の方便じゃなかったんだなぁ、と、ある意味感動しながら、去ってゆく背中を見つめていると、視線に気付いたのか執事さんはぴたりと立ち止まった。
「……どうかなさいましたか?」
いやいやいや、心底怪訝そうに首を傾げたりされても困るから。この行為にさしたる意味はないから。
違うんです、これは決して、あなたの部屋番号を突き止めようという変質者の所業ではなくてですね。私断じてストーカーなんかじゃないんで!(十二月のトラウマがっ)
「あ、いえ、その……。そちらに住んでいらっしゃるんですか? てっきり、お屋敷から通っておいでなのかと」
正確には、お屋敷から通っている事にしておいて実際は101号室の1階部分の階段下あたりで生活しているんだとばかり!
あそこ、ちょうど簡易ベッド置くのによさそうなスペースだしさぁ。カーテンつけたら結構居心地よさそうじゃない?
という心の声はしまっておいて、お仕事の場所に近くて便利ですね、と適当に誤魔化しながら笑うと、彼もおっとりと微笑んで頷いた。
「ええ、本当に。こちらは私の部屋以外に、坊ちゃまのSPも事務所としてお借りしているんです」
「そうなんですか~」
むぅ。文句があるわけじゃないんだけど、神宮司さんが越してきた頃はうちもまだ空き部屋だらけだったんだしさ、隣の部屋でも借りてくれたら良かったんじゃないかな!
アレか、主人と同じ建物に部屋を借りるのは憚られるとでも思ったのか?
「ほら、道路を挟んでちょうど向かい側のお部屋です。このアパートは、他にも借りたいと申し出る方も多いそうで。わたくし共も間一髪で抑えたんですよ。夏にはもう、満室で」
「はぁ……。余程良い間取りなんでしょうね」
リノベーションしてあるらしいけど、築30年くらいなのになぁ、あっちの建物。いいなぁ。
新築だというのに満室になるまで半年以上かかった我が家とは大違いじゃん。しかもうちの関係者枠で二部屋埋まったとか、あぁっ、借り手が決まるまでのあれやこれやを思い出すとなんかもやもやするっ!
「なんでも、他家のSPの事務所も入っているとかで……。情報交換しやすくてとても便利です」
「まぁ、そうなんですか。他家のSPさんも……。他家のSPさんっ?」
釈然としないながらも、愛想よく相槌を打っているつもりだったのに、なんだか聞き捨てならない単語を拾ってしまってぎょっとした私は、思わず繰り返した。
だってさ、想像してみたら怖くない?
SPっていうと、佐々木さんにくっついてる二人組はまぁおいといて、サングラス黒スーツ、そしてインカム、というイメージしかないよ。そんな人達がこの辺にうようよいるなんて、ちょいとシュールすぎやしませんかね?
「ええ。このあたりには余程要人が多いのでしょうか。ちらほらと、いくつかのおうちの専属の方とお会いしますねぇ。……は、これは失礼、口が軽すぎました。なにぶん修行中の身なもので、お恥ずかしい」
彼はぽっと恥じらったように口元に手をやると、頬を染めてうつむいた。うんまぁ、多分執事さんとしてはあんまり褒められた事じゃないんだろうなぁ、おしゃべりなのって。
でもご近所付き合いにはある程度必要なスキルだし、ここまで話したんだからもうちょっと。もうちょっとだけ、情報ぷりぃず!
「えーと、例えばどこのおうちの関係者さんですか? 有名な方?」
必殺、警戒されないように、「お金持ちがお忍びでご近所に住んでるなんておもしろそー」というニュアンスで聞き出す作戦!
執事さんは困ったように眉を寄せながら、秘密ですよ? と言った。
私は努めて神妙な顔をして、こくりと頷いた。ま、秘密は口にした時点で秘密じゃなくなるんだがな! そこはそれ。
「例えば、そう……。お嬢さんがご存じそうなのは、九頭竜さまのSPでしょうか。ご家庭の事情のみならず、あの方自身百年に一人と言われる程の天才だそうで……。実は坊ちゃまのお部屋の監視システムも、九頭竜さまにオーダーメイドで作っていただいたんですよ」
んのおおおおおおおおおおお!
「く、九頭竜さんというと104の方ですよね」
「はい。その九頭竜さまです」
あの改造魔人の、オーダーメイド、だとぅ!
……あぁ、無事なんだとばかり思っていた101も、彼の手が入ったとなればもうダメニャ。引っ越しの後、どうしよう。
もうこの人達、部屋ごと買いとってくれないかなぁ。
「坊ちゃまのプライベートに踏み込み過ぎることなく、あくまでも見守るためのシステムを開発していただきました。その取り付け工事の際に、こちらの建物を気に入って引っ越して来られたとか」
「そ、そうなんですかぁ」
それって間接的に紹介してもらったって感謝するべきなのかなぁ。それとも厄介なの引き込みやがってと憤るなぁ。
いやまてよ、元々隣の空き地が彼の仕事場だったんだし、遅かれ早かれ彼が越してくる可能性はあったんだよな……。
ま、彼の立場からして、SPさんがついているというのは大して不思議じゃないよね。なるほどなるほど、そう考えると、企業家の女性とか、対人恐怖症のミュージシャン(と書いて金の卵と読む)あたりも候補、なのかな? さすがにそこまではしない?
私はミーハーを装って(ってゆーか、ほぼ興味故の行動なのでミーハーで間違いない)、「あとは、あとは?」とせっついた。
「あとは、たまに見かけるのが……」
執事さんは、先ほどの反省など忘れてしまったかのように、口を開いた。聞いておいてなんだけど、乗せられ過ぎだろう。
まぁ、見習いって言ってたしな。これが佐々木家のあのパーフェクト執事さんだったら、きっと直立不動でにこりと微笑んだまま絶対漏らさないと思うよ? せっかくだからあのくらい目指してほしいものですな! 目標は高いに越したことないよ。
「あの方は確か……」
家名をど忘れしてしまって、と悩む執事さん。目をきらきらさせて待つ私。
しばらく待って、ふと、真冬の道路で一体私達は何をやっているんだろう、と我に返ったところで、突然大きな音が響いた。
がった~ん、ばりばりっ
『きゅ~!』
『ぎゃあああああ、なんだ、なぜ*$%*がここにっ!』
……静かな、朝だったのに。
私と彼の会話(それさえも小声)以外、たまにエンジン音しか聞こえないような朝だったのに。
私達は音の方を見上げた。そう、見上げた。だって上から聞こえて来たんだもん。
しかも、あぁ、しかも。あの『きゅ~!』は絶対子竜だし! あぁぁあ、何が起こったのか知りたくない!
それに、もう一つの悲鳴もなんか聞き覚えある声っていうか。一度聞いたら忘れられないほどの美声っていうか。子竜の正式な種族名発音したその声で、なんか全部分かっちゃったっていうか!
それにしたって、なんで? 私、ベランダの窓の鍵は閉めてたよね。ドアだって閉めてたし、なんであの子が出てきちゃってんの? それでもって、なんでアレと接触しちゃってんの!
「坊ちゃまっ?」
音の発生源が101号室だと解るや否や、執事さんは血相を変えて我が家のエントランスの扉へ飛びついた。
余程動揺しているのか、そのままガタガタと扉を揺すりはじめる。やめてぇ、壊れたらどうするの!
「お、お嬢さん、ドアが開きません!」
「今開けますから、落ち着いて!」
私は、執事さんを押しのけてエントランスの鍵を開けると、そのまま101のドアへ移動して鍵を差し込んだ。
ふふん、こんなこともあろうかと、私の持ち鍵はマスターキーにすり替えておいたのさっ!(普段から好き勝手に出入りするためじゃないからそこんとこよろしく)
エントランスのお返しとばかりに私を押しのけた執事さんの後を追って、101の階段を駆け上がる。
はたしてそこには、枠から外れて、倒れた網戸の下敷きになっている茶色と白の生き物と、その臭いをふんふんと嗅ぐ青い子竜。
そして、ベッドの上で、こしこしと目をこすっている拓馬お坊ちゃまの姿があった。
……さて、困った。